3:探究者の海底洞窟
サバナクロー寮に足を踏み入れると、談話室にいた寮生たちが笑顔を向けてくれた。
「キングスカラー先輩はいらっしゃいますか?ちょっと渡すものがあって」
「今日は補習だったと思います。そろそろ戻ってくると思うんスけど」
「あ、ユウくんいらっしゃーい」
奥の方からブッチ先輩が顔を出した。
「ちょうどよかった、渡すものがあったんスよ」
「渡すもの?」
「こないだ着てたうちの寮服。置いてってたでしょ。ユウくんのために集めたものだから、持って帰ってよ」
ブッチ先輩は棚を探って紙袋を取り出し手渡してきた。中には服が綺麗に畳まれて入っている。
「今度からうちに遊びにくる時はそれ着てね」
「あー、ありがとうございます」
「んで、今日はどうしたの?」
「えっと……その、キングスカラー先輩に、心ばかりのお礼の品を渡したくて……」
「そんなの気にしなくていいのに、なんてオレが言っちゃダメか」
笑ってごまかしつつも、優しい表情で続ける。
「ついでだから、忘れ物ないかレオナさんの部屋確認してきなよ。オレも掃除はしてるし見覚えないものは無かったと思うけど、自分じゃないと気付かないとかあるでしょ」
自分でも忘れ物はないと思うが、そういえば特に確認もしていない。
「じゃあ一応、念のために見てきます」
「よろしくッス。レオナさんが補習から戻ってこないうちに済ませてね」
「はーい」
寮生たちに見送られて、キングスカラー先輩の部屋を目指す。もうすっかり慣れた道になってしまった。サバナクローの建物はシンプルでわかりやすくて覚えやすい。ハーツラビュルなんて一回しか入ってないのもあるけど、明らかに迷路だもんな。一ヶ月毎日歩いても覚えられるか危うい。
先輩の部屋は掃除した後なのか割と綺麗だった。机の上にアクセサリースタンドが入った紙袋を置いてから、部屋の中を見回す。特に気になるものはない。学用品と必要最低限のものしか持ち出せてないから、やっぱり無くなったら気付くだろうしなぁ。
「よぉ、草食動物」
聞こえてはいけない人の声がした。血の気が引く。
振り返ると、部屋の入り口にキングスカラー先輩がいた。
「主のいない部屋に勝手に入るとは、今度はどんな悪巧みをしてるんだ?」
「違います!ブッチ先輩が、忘れ物ないか一応確認しろって……」
自分で言いながらはたと気付く。
「どうした」
「先輩たちって、物についた匂いで自分のかそうじゃないかぐらい判りますよね?」
「まぁ、おおよそな」
「ハメられた!!見に来る必要なかったんじゃん!!!!」
猛然と部屋を出ようとしたが、先輩は入り口から動かない。
「……あの、どいていただけませんか」
「何で」
「何でって、ブッチ先輩に抗議したいんで」
「勝手に部屋に入って詫びの一つも無しか?俺も侮られたもんだな」
「あーもう!大変申し訳ございませんでした!面目次第もございません!」
勢いよく頭を下げ、顔を上げたが、先輩の表情は不機嫌そうだった。さっきまでの意地悪さと違う、無表情で冷たい顔。
「……まだアイツを捜してるのか?」
「捜す?誰を?」
「……『ミスター・ロングレッグス』だったか」
思わず息を飲む。
そういえば、キングスカラー先輩は彼の事を知ってるんだ。
僕の反応を見て、先輩は意地悪く笑う。
「健気なお前に正体を教えてやってもいいが、交換条件がある」
「……条件、ですか?」
キングスカラー先輩は入り口から離れてこっちに歩いてくる。思わず気圧されて後ずさりしてしまった。部屋の真ん中ぐらいで、やっと先輩の足が止まる。
「俺と付き合え」
真剣な表情で、短く言われた。頭一つ分背の高い美丈夫の顔を、ただ見上げる。
「………………どこに?」
「こっちは真剣なんだからとぼけてんじゃねえよ」
誤魔化されてくれなかったか。
答えは考えるまでもない。
「それは、出来ません」
まっすぐに、先輩の目を見つめて答える。忌々しげに表情が歪んだ。
「顔も知らない男の事がそんなに好きかよ」
「そうじゃないんですよ」
「じゃあなんだ」
「僕はこの世界の人間じゃないんです」
魔法のない世界で育ち、何故かこの世界に連れてこられた、魔法の使えない人間。
「いつか元の世界に帰るんです。一ヶ月後かもしれない、明日かもしれない。……帰りたくなくなったとしても、強制的に追い出されるかもしれない」
どんなに大切な友達が出来て、居場所が出来ても、元の世界に戻る日は来る。
大切なものが増えるほど、別れを想い憂鬱になる。
「こういう状況である以上は、誰かの恋人になるとか、そういう無責任な事は出来ないです」
「……俺が、それでもいい、って言ってもか」
「ダメです。先輩には幸せになってほしいから」
「何だそりゃ」
「僕みたいな無責任な奴じゃなくて、先輩を一人にしないで、ずっと一緒にいてくれる人じゃないとダメですよ。すぐ自分一人でどうにかしようとするから」
「知ったような口を聞きやがって」
「きっとこの世界にいますよ。先輩の事を心から愛してくれる人が」
頬に触れてくる手を握る。
干ばつを嫌うサバンナでは望まれない、触れたものを砂にしてしまう力。
それ故に忌み嫌われてきたと先輩は言うけど、そんな力を持ってても先輩を怖いと思わない人は、この世界にもきっとたくさんいる。
先輩が、生まれ持った力で人を苦しめる事を望んでいないのは、少し人となりを知ればすぐ解る事だ。
その優しさを見つけて、支えてくれる人はきっといる。
先輩の事を魅力ある人、素敵な人だと思うからこそ、僕なんかで妥協せずに幸せになってほしい。
「大丈夫。ね?」
にっこり笑いかける。眼鏡かけてるから、あんまり意味ないだろうけど。
先輩はしばらく僕の顔を見た後、長く息を吐く。
「……本当に、大した悪党だよ、お前は」
散々思わせぶりな事しやがって、と恨めしそうに言われる。苦笑いするしかなかった。
「話は解った」
ほっとして手を離すと、逆に手首を掴まれた。腰に手を回され、額が触れる所まで顔が近づいてくる。
「あ、あれ?」
「お前がそんな口利けなくなるほど、惚れさせればいいんだな?」
「どうしてそうなるの!!??」
「なるだろ。俺は目的のためなら全力を尽くすし、手段も選ばない」
緑の目が楽しそうに細められる。
「気が変わったらいつでも言えよ。お前のためなら戸籍ぐらいいくらでも作ってやる」
「堂々と不正を宣言しないでください」
「俺に情けをかけたのが運の尽きだったな」
指に、額に口づけてから、耳元で囁かれる。
「もう容赦はしないから覚悟しておけよ、プリンセス?」
唇が触れた音が聞こえる。背筋に冷たいものが走って、心臓を鷲掴みにされたような心地だった。顔が熱くて、めちゃくちゃな速度で心臓が鳴っている。
手を離して僕の反応を見て、先輩は上機嫌に笑っていた。今日の所は逃がしてやる、とでも言いたげだ。
「おじたんのバカ!もう知らない!!」
全力で叫び、僕は出口に向かって走った。鏡舎まで駆け抜けてどうにか人気のない所まで行って、やっと息を整える。
どうしてこうなった。
僕は悪くない。絶対に悪くない。
別れが悲しくてつらいから嫌なのも、先輩に幸せになってほしいのも本心だ。好意を自分の目的のために利用したのが最低だっていうのも自覚がある。それで嫌ってくれて構わなかったし。
今まで僕に言い寄ってくる人間なんて、女の代わりが欲しいだけの奴か可愛い顔した男が好きな変態のどちらかだった。だから心の底から軽蔑出来たし拒絶も出来た。
先輩は、多分違う。それに女の代わりどころか、女も男もよりどりみどりだろう、あの顔と地位だったら。
外見は完璧、文武両道、声も良いしいい匂いするし、お金持ちだし権力もあるし、面倒見が良いし空気は読めるし意外と優しいし。どんだけ高望みしても許されるでしょあの人。
我に返り、頭を振って思考を追い出す。
あんなん絶対風邪みたいなもんだ。そうに違いない。
絶対に認めてやるもんか。負けてやるもんか。
「…………早く元の世界に帰りたい……」
じゃないと心臓が持たない。
僕の嘆きは冬の風に流されて消えていった。