3:探究者の海底洞窟




 長期休暇が近づき、授業も何となく速度が緩んでいる。
 イソギンチャク騒動も決着がついたワケだけど、学内ではアーシェングロット先輩が今度は何を始めるのかと噂になっていた。
 というのも、前回……去年の時は、同じようにイソギンチャクを生やした生徒がいなくなった後にモストロ・ラウンジがオープンしている。今回も学園長と何か交渉したんじゃないか、と、去年の騒動を知っている物見高い人たちが話し、それが広まっていたのだ。
 実際は学園長と交渉どころか、長年集めてきた契約書を全て砂にされて万能に近い力さえ失っているというのに。
 そんな事を考えていると、玄関の方からとんでもない打撃音が響いた。誰かが扉をぶっ叩いている。
「はいはいはい今出ますから!」
 急いで駆けつけて扉を開ける。長身の双子が横並びで立っていた。
「小エビちゃんおはよー」
「おはようございます。壊れるんでもう少し優しく叩いてください……」
「えー。このドア内側に誰かが蹴った跡あるじゃん」
「これは!不可抗力なんで!!」
「蹴ったのはユウさんだったんですね」
『オイラたちが脅かした時のだね~』
『あの時のキックかっこよかったなぁ!式典服の裾が翻ってドレスみたいで!』
「え、マジで?見して見して」
 こないだアンタにやった奴だよ、と言う前にジェイド先輩が相方を窘める。
「フロイド。それはまた今度にしましょう」
「そだね。いま式典服じゃねーし」
「来たなソックリ兄弟!」
 遅れてやってきたグリムに、フロイド先輩が微笑みかける。
「あー、アザラシちゃんおはよー。迎えにきたよー、お出かけしよ」
「……オマエらが来ると、また何か取り立てられそうでドキッとするんだゾ」
「いやですねぇ。僕らだって、契約違反をしない方に手荒な真似は致しません」
 ジェイド先輩は咳払いして姿勢を正す。
「さて、本日は見事な晴天。絶好の遠足日和。という事で」
「アトランティカ記念博物館へ、遠足に行こ~!」
「アズールの手配でアトランティカ記念博物館は僕たちの貸切となっております。アズールは先に出発し、現地で僕たちを待っているそうです」
 写真を返すだけ、とは言うものの。大事にしたくないらしく、こういった形を取った。
 そもそも写真が無くなった事に、アトランティカ記念博物館も来場者も気づいていないらしい。確かに日付の並びも飾り方もテキトーだったけど、あまりに扱いがひどい。今となっては良かったのか悪かったのか。
「……アーシェングロット先輩、大丈夫そうですか?」
「ええ、張り切って手配してましたから」
「そうでなくて。……加工、してないですよね?」
「大丈夫ですよ。アズールを信じてください」
「小エビちゃんは真面目だな~。アズールだってわかってるって」
 リーチ先輩たちは揃って笑っている。含みはないし、嫌な気配は感じない。今はそれを信じるしかない。
 今日の遠足の参加者はオンボロ寮と、エーデュースにジャック。闇の鏡の前で待ち合わせてから出発した。
 ……また魔法薬を飲む羽目になったワケだけど。さすがに三回目ともなればちょっと慣れるかなと思ったけどそんな事はなかった。もう飲む機会は無いと信じたい。
 今度こそ海底散歩を観光気分で楽しみながら、アトランティカ記念博物館を目指す。リーチ先輩たちはいつの間にか人魚の姿になっていて驚いたけど、制服をどうしたのかは訊いても教えてくれなかった。
 不思議と、敵対していない今は、人魚姿の彼らがあまり怖くない。イソギンチャクだって視界に入れるのも嫌だったけど、それでもグリムやエース、デュースとは時間が経てば割と普通に接していられた。騒動の終わり頃にはイソギンチャクの存在を忘れかけた時もある。
 いつか、慣れれば克服も出来るのかもしれない。
 アトランティカ記念博物館は今日の貸し切り営業が知られているのか、人魚が周囲を泳いでいなかった。ちょっと残念には思いつつ、みんなに続いて中に入っていく。
「うわー、すげぇ。中はこんな風になってんだ」
「伝説の海の王の像か……海の魔女以外にも海底にはいろんな偉人がいたんだな」
「この王様、なかなか鍛えてるじゃねえか」
 エントランスに入るなり、みんな興味深そうにはしゃいでいた。前回は休館日だから暗かったけど、今日はちゃんと照明がついてる。他に人がいないからゆっくり見れそう。
「皆さん、ようこそアトランティカ記念博物館へ」
 建物の奥から人が出てくる。
「本日はモストロ・ラウンジの研修旅行……という名目で貸切営業となっておりますので、ゆっくり楽しんでいってください」
 アーシェングロット先輩が支配人面でやってきた。
「ふなっ、出たなタコ足アズール……と、思ったら、オマエは人間の姿のままなのか?」
 言われて見れば、確かに人間の姿のままだ。水の中に入ったら強制的に戻ってしまう、という事はないらしい。不思議だなぁ、人魚って。
「ええ。僕のようにタコ足の人魚はこの辺りではとても珍しいので……こっそり写真を戻しに来たのに、変に印象に残っても嫌ですから」
「そんなに気にしなくても。写真に写っているまんまるおデブな人魚が貴方だとは、誰も気づきませんよ」
「せっかく帰ってきたんだから、そんな不便な姿じゃなくて、元の姿に戻って泳ぎ回ればいいのに~」
「放っておいてください」
 アーシェングロット先輩は、咳払いして営業スマイルを取り戻す。
「じゃあ僕は写真をそっと元に戻してきますから……みなさんはどうぞ館内をご覧ください」
「あっちに人魚姫の銀の髪すきとか展示してあるよ」
「さっきパンフで写真見たけど、あれどう見ても櫛じゃなくてフォークじゃね?」
「ふふふ……陸の人間にはそう見えるかもしれませんね」
 フロイド先輩たちの誘導に、エースたちはついていく。グリムも行ってしまった。
 動かない僕に気づいて、アーシェングロット先輩が首を傾げる。
「……あなたは行かないんですか?」
「本当に写真を返すまで見張ります」
「疑り深いですね。ちゃんと戻しますよ」
 ちょっと不満そうに唇を尖らせて抗議してから、壁に向き直る。どこから写真が取り除かれたかがわからないくらい雑然とした壁だけど、先輩はまっすぐに、写真が貼られていた場所を目指した。
 元通りに写真が貼られる。確認すると、ちゃんと隅っこに小さいアーシェングロット先輩がそのままの姿で写っていた。
「……昔の写真を全て消去すれば、僕がグズでノロマなタコ野郎と馬鹿にされていた過去も、消えるような気がしていたんです」
 写真を、恐らくは昔の自分を見つめて、アーシェングロット先輩は呟く。
「海の魔女は、悪行を働いていた過去を隠す事はせず、その評判を覆す働きをして人々に認められた。僕は、彼女のようになりたいと言いながら……結局、過去の自分を認められず、否定し続けていただけだった」
 陸の世界にまで知られる、海の魔女。
 国が変わると評価が変わる偉人なんて、元の世界でもたくさんいた。彼女の特異な外見や経歴も、陸で名を知られるようになった一因なのかもしれない。
 同じタコの人魚でありながら、陸でも功績を知られた彼女に、彼が憧れを抱くのは当然だろう。
 きっと、憧れの人と自分の違いに気づき道を改めるのも、成長の証だ。
「僕から見たら、他人から能力を奪わなくても、あなたは充分凄い人です」
「え……?」
「どんな理由があったって、どんなに悔しがったって、出来ない奴には出来ない事を、あなたは成し遂げてる。人の力に頼っちゃうイソギンチャクどもには、とても真似できない事をね」
 理解できない、という顔でアーシェングロット先輩は瞬きを繰り返している。
「学園長を困らせた稀代の努力家、ってトコですね」
「努力……僕が?」
 しばらく唖然とした後、先輩は口元に笑みを浮かべた。
「勝手に美談にするのはやめていただけますか?僕はただ、僕を馬鹿にした奴らを見返してやりたかっただけですから」
 先輩は胸を張って言い切る。何を言ってもうまくかわされそうなので、とりあえず微笑んでおいた。
「ユウ~!向こうにでけぇ恐竜の骨みたいのが置いてあったんだゾ!」
「あれは恐竜ではなく、シードラゴンという海のモンスターですね。海の魔女の洞窟の入口は、シードラゴンの骨で出来ていた……という言い伝えがあります」
 別のエリアを見に行く通り道なのか、一行がどやどやとエントランスに戻ってくる。
「あっちに海の魔女の大釜のレプリカとかもあるよ」
「海にも大釜があるのか!」
「海ん中でどうやって温めんの?」
「えー、わかんね。アズール、説明してー」
 フロイド先輩に声をかけられて、アーシェングロット先輩は笑う。
「いいでしょう。僕のツアーガイド代は高くつきますよ」
 僕を振り返り、いつになく柔らかく目を細めた。
「見張りのお仕事は終わりでしょう?行きますよ。見所はたくさんありますから」
「はい、ガイドよろしくお願いします」


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