0:プロローグ



 入学式直後は寮への帰り道に案内のゴーストがいるのが通例らしく、訊くまでもなく玄関まで行けば案内が出ていた。
『雑用係のモンスターが鏡舎へ走っていったよ~急いで急いで!』
 なんて教えてくれるゴーストまでいた。ありがたいけど止めてくれたらもっとありがたかった。
 教えられた建物に近づくと、入り口でグリムとエースが揉めているのが見えた。エースが建物に入って逃げようとしている。
「その人!罰当番の掃除をサボる悪い人です、捕まえてー!」
 走りながら指をさし叫ぶと、建物の周囲にいた生徒がこちらを見て、指さされたエースを見た。ちょうど建物に入ろうとしていた生徒がエースに押しのけられる。驚いた顔をしていたが、事態を飲み込んだらしく後を追いかけてくれた。
「捕まえるもの……えーと、えーと……な、何でもいいからいでよ、重たいもの!」
 生徒は胸元から取り出したペンを、鏡の並んだ広間にいたエースに向けた。次の瞬間、空中に大きな鍋が出現したかと思うと、重力に従って落ちてエースにのしかかる。悲鳴をあげてエースが潰れた。
「ぎゃはは、ペッタンコになってるんだゾ!だっせー!!」
 唐突に潰されたせいか、とっさに動けないらしい。グリムの爆笑にエースは悔しそうな顔をしていた。
「まさか大釜が出るとは……ちょっとやりすぎたか?」
「ありがとうございます、助かりました!」
「あ、いえ。どういたしまして」
 お礼を言うと、生徒は照れたように笑った。黒っぽい髪に真面目な着こなしの制服。目元のスペードのマークに違和感を覚えるくらい、優等生って感じの見た目だった。
 さて、いつまでも潰しておくわけにもいかないので、上に乗っていた大釜をどかす。さすがにこの重量がいきなり落ちてきたらパニックにもなるだろう。まぁ自業自得なんだけど。
 起きあがったエースはぶすっとした顔でこちらを睨んだ。
「窓拭き百枚くらいやっといてくれればいーじゃんよ」
「僕もそう言ったんだけどね」
「えっ」
「自分たちは真面目にやった上で、サボりをチクった方が愉快な事になりそうだから」
「……ホントいい性格してるわ、お前」
「学園長から言いつけられた罰掃除サボる人よりマシだと思うけど?」
「罰で窓拭き百枚って、いったい君たちは何をやったんだ?」
 スペードの生徒は呆れた顔で尋ねてくる。どうやらあの騒ぎの時には登校していたらしい。教室では話題にも上らなかった、という事だろうか。
「今朝そこの毛玉とじゃれてたら、ハートの女王の像がちょーっと焦げちゃって」
「『グレート・セブン』の像に傷を付けたのか!?」
 どうやら納得してもらえたらしい。真面目な風貌の青年にこうも驚愕されると、本当にあの像たちは尊敬の対象で大事なものなのだと実感する。
「せっかく名門校に入学できたっていうのに、初日から何をしてるんだか……」
「つーかお前、誰?」
「僕はデュース・スペード。クラスメイトの顔くらい覚えたらどうだ?」
「ふーん。お前はオレの名前覚えてんの?」
「…………えーと……」
「ダメじゃん」
 デュースは焦った顔で咳払いする。
「と、とにかく、学園長の命令なら真面目に取り組むべきだ」
「はいはい、分かりましたよ。…………って、ん?」
 エースが何かに気づく。気を逸らして逃げるつもりかと思ったが、自分も違和感を覚えて周囲を見た。
「毛玉がいない!」
 確かにグリムがいない。急いで外に出ると、道の先でグリムがこちらを振り返った。
「へっへーん、あとはオマエラに任せたんだゾ!」
 そしてさっさと走って逃げていく。
「アイツ、オレを身代わりにしやがったな!」
「今度はあっちか……」
「……はあああああ……」
「おい、ため息ついてる場合じゃな」
「いい加減にしろこのクソ猫がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!!」
 全力で叫び走り出す。障害物を避けながら、視界の奥に小さく見える灰色の毛玉を全力で追いかけた。大声に振り返ったグリムが一瞬怯えた顔をしたような気がしたが構わない。何なら途中ですれ違ったゴーストが悲鳴を上げた気がするけど無視をした。
 正直言ってどこを走っているかは分からない。でも無我夢中で追いかけ続けた。土地勘がないのはグリムも同じだから、とっさに飛び込んだ先が本来の目的地である大食堂と入る前には気づかなかったのだろう。追いかけて飛び込むと、グリムは壁を伝ってシャンデリアに登った所だった。
「捕まえられるもんなら捕まえてみろ!」
 身軽なグリムならではのルートなので、人間が同じようにしても登るのはまず無理だろう。周囲を見渡し投げられて且つ必要なダメージが与えられるものを探すが見当たらない。長椅子はシャンデリアも無事じゃ済まないし、フルーツではダメージが足りない。思わず舌打ちする。
「パンプスなら投げるのにちょうど良かったのに……いっそ机を立てれば届くかな」
「いやいやいや何言ってんの落ちつけって危ないから」
 肩を掴まれて振り返ると、いつの間にかエースとデュースが追いついていた。シャンデリアに登ったグリムを見上げ、呆れた顔をしている。
「シャンデリアに登るとは卑怯な……そこまでして罰当番がイヤなのか!?」
「……いや、追いかけてきたコイツが怖かっただけじゃね……?」
「べ、べべべ、別に怖くなんかないゾ!お、おおオレ様が子分を怖がるワケねーんだゾ!」
 言いながら、グリムはシャンデリアにしっかりしがみついている。尻尾まで絡まっていた。
「……説得力ねー……」
「怖くないんだったら降りてきなよ、親分。誰が掃除するか、正々堂々話つけよう、ね?」
「イヤだ!オレ様、顔面潰されるのはイヤなんだぞ!!」
「お前ホント何したの?」
「何もしてないよ、ゴースト殴ってスカっただけ」
「……本当に?」
「本当に」
 バカな話してたら頭が冷えてきた。
 何とか懐柔してシャンデリアから下ろさないと。ゴーストが掃除してるなら、高い所も掃除が行き届いてないって事はないだろうけど、それでもあそこにグリムがいるのは不衛生だ。食堂にも迷惑がかかる。
「グリム、いい加減にして!迷惑かかるから!」
「イヤだ!オレ様、掃除なんてしねえんだゾ!」
「めんどくせー奴……」
 意固地になってきてる。どうしたものか。
「飛行魔法はまだ教わってないし……挟んだり捕まえるもの……そうだ!」
 デュースがひとり俯いて何事か呟いていたが、何かに気づいた表情で顔を上げた。そしてエースを見て、胸元からペンを取りだした。
 今朝の光景を思い出す。エースが魔法を使う時、同じように宝石のついたペンを振っていた。あれがつまり『魔法の杖』なのだろう。という事は。
「お前を投げればいいんだ!」
 僕もエースも呆気にとられた。グリムも首を傾げていた。
「冗談でしょ!?」
 一番最初に我に返ったのはエースだったが、抗議もむなしくその身体が宙に浮いていく。
「いや、それはダメだって!」
「やめろマジで!」
「しっかり捕まえろよ!」
 僕とエースの制止を、デュースのかけ声が遮った。次の瞬間にはエースの身体が放物線を描き、シャンデリアの上のグリムめがけて飛んでいく。
 狙いはバッチリだった。シャンデリアの支柱に捕まっているグリムにエースが激突する。正確には、支柱にもぶつかった。未成年とはいえ高校生ぐらい、ほぼ大人の人間一人がぶつかって、巨大とはいえ照明を支えるためだけの華奢な支柱が無事で済むハズがない。
 支柱に受け止められる形でエースはシャンデリアの上に乗り、支柱の破損と同時にシャンデリアごと地面に落ちてきた。腕にしっかりグリムを抱いているのが大したもの、と言いたいがそれどころじゃない。
「大丈夫!?」
 地面までは相当な高さがあったし、シャンデリアがクッションになったとは思いがたい。
「信じらんねぇ……」
「怪我は?痛むところない?」
 目を回しているグリムを受け取り、手を貸そうとしたが振り払われた。自力で起きあがったエースは憤然とデュースに詰め寄る。
「お前バッカじゃねえの!?」
「捕まえた後の着地の事を考えてなかった……」
「それ以前の問題だわ、このバカ!!!!」
「ば……お、お前だって何も出来てなかっただろう!」
「こんな事しでかすぐらいなら何も出来てない方がマシだっての!」
「言い争うのは後!何ともなくても念のため保健室行って!」
「さっきまでブチギレて殺気だけぶち撒いて事態悪化させた奴が、偽善者ぶって指図してんなよ!」
「お前、心配してもらったのにその言い方は無いだろう!」
「そこはいいから!」
「良くない!!」
「お前にキレる権利ねーから!!」
「ふにゃあ……目が回るんだゾ~……」
「こんなんじゃグリム捕まえたって意味ねえだろ!学園長に知れたら」
「知れたら……なんですって?」
 冷たい声が聞こえて、怒鳴りあいが止まった。ぎこちなく振り返れば、いつになく怒りを滲ませた学園長がいた。
「あなたたちは、一体なにをしているんですかッ!!!!」
 雷鳴のごとき叱責に全員が同時に身を竦ませた。
「石像に傷を付けただけでは飽きたらず、シャンデリアまで破壊するなんて!」
 言い訳を出来る空気にない。騒動の元凶はグリムとエースだし、シャンデリアを壊した直接の原因はデュースだし、僕も冷静じゃなくて何も出来なかった。三人に責任を押しつけられないけど、自分が全部被ってやる事も難しい。
「もう許せません。全員、即刻退学です!」
 エースとデュースが揃って悲鳴をあげる。デュースが学園長に縋るように懇願する。
「俺はこの学校でやらなきゃいけない事があるんです!」
 その真剣さは僕にも伝わったけど、正面からそれを受けた学園長の表情は冷たい。
「馬鹿な真似をした自分を恨むんですね」
「許していただけるなら……弁償でも、何でもします!」
 学園長の冷たい表情は、少しだけ緩む。それは許しではなく諦めだ。取り付く島がないのは変わらないと、表情でも分かった。
「このシャンデリアはただのシャンデリアではありません」
 伝説の魔法道具マイスターの作品で、半永久的に動く道具だが、簡単に替えの利くものではない。学園創設当初から設置されていた事もあり、歴史的価値を考慮するととんでもない高額になる、らしい。通貨で言われてはピンと来ないけど、額を聞いた二人の様子からそれぐらいは察せる。
「で、でも、先生の魔法でパパッと直せたりとか……」
「魔法は万能ではありません」
 エースが状況を和らげたいのか笑って言ったが、学園長は厳しく切り捨てた。
「魔法道具の心臓となる魔法石が割れてしまった。魔法石に二つと同じものはありませんから、もう二度とこのシャンデリアに光が灯る事はないでしょう」
「そんなぁ……」
「……ちくしょう、何やってんだ俺は……」
 肩を落とす二人の様子に心が痛む。壊れてしまったシャンデリアにも申し訳ない気持ちが浮かんだ。これを大事にしてきた人たちの思い出だけでなく、これから先もこの学校で積み重ねるはずだった思い出まで、自分たちが壊してしまったのだと思うと、謝っても謝りきれない。
「……そうだ、一つだけ。シャンデリアを直す方法があるかもしれません」
 二人が顔を上げる。
「このシャンデリアに使われた魔法石は、ドワーフ鉱山で採掘されたもの。同じ性質を持つ魔法石が手に入れば、修理も可能かもしれません」
「僕、魔法石を取りに行きます!」
 ほぼ反射的に答えたデュースに、学園長は厳しい視線を向けた。
「ですが、鉱山に魔法石が残っている確証はありません。閉山してしばらく経ちますし、魔法石が全て掘り尽くされてしまっている可能性も高い」
 無駄足になる可能性の方が高い、という事らしい。でもデュースの視線は揺らがなかった。
「退学を撤回してもらえるなら、何でもします!」
 学園長は無言でデュースを見つめ、小さく頷いた。
「では、一晩だけ待ってさしあげます。明日の朝までに魔法石を持って帰ってこられなければ、君たちは退学です」
「はい……ありがとうございます!」
「しょうがねえな……」
 直角になる勢いで頭を下げるデュースに対し、エースはめんどくさそうな顔だった。多分とばっちりだと思ってるんだろうな。
「君たちはどうしますか?」
 グリムは現状が把握できていない顔だ。それは置いておくとして。
「グリムを制御できなかった責任があるので、手伝える事があるならついていきたいです」
「……それがいいでしょう」
 学園長が杖を振ると、シャンデリアから何かが飛び出した。学園長の手のひらに乗ったそれは、砕け散った魔法石のようだった。澄んだ水晶のようだけど、今は光を通さず暗く沈んで見える。
「これが魔法石です。これと同じくらいの大きさのものを探してきてください。同じ土地で採れた魔法石は能力が似通うので、条件が同じなら能力もほぼ等しい」
 両手で何となく象って大きさを測る。多分、両手で包んでちょっと余るぐらいの大きさがあれば良さそうだ。
「君にはもう一つ。……退学の手続きを進めるとは言え、彼らはまだ生徒です。くれぐれも危険な行為はさせないでください」
「……努力します」
 僕の返答に頷くと、学園長は食堂から出て行くように指示した。やる気満々で早足で出て行くデュースを、やる気なさそうにエースが追いかけていく。
「……ふな、何がどうなってるんだ……?」
「……ずっと目を回してた方が幸せだったかもね」
 思わずぽつりと呟いてしまった。

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