3:探究者の海底洞窟



 ジェイドに身体を預けて眠っているアズールを見れば、瞼がわずかに震えていた。フロイドが傍らにしゃがみこむ。
 程なくアズールの目が開いた。
「あ、目ぇ覚ました」
 フロイドの表情は少し安堵しているように見えた。
「アズール、この指は何本に見えますか?」
 ジェイドが変な角度でアズールの眼前に手を向ける。あれ何本って言ったら正解なんだろ。
「八……本?」
「うん、まだ気が動転しているようですね」
 しれっと言い放ちつつ、いつもより表情を緩める。
「でも、よかった。なんとかブロットの暴走は治まったようです」
 弱者をいたぶるイメージしかない双子だが、仲間の事はそれなりに大事にしているらしい。柔らかな表情でアズールに眼鏡を渡す。……あれ、もしかして近眼?今の確認、意味なくない?
 アズールが目覚めた事に気づき、キングスカラー先輩たちがじゃれあいを切り上げて戻ってくる。
「……ったく、手こずらせやがって」
「いやいや、レオナさんはそれ言っちゃだめっしょ」
 アズールはまだ事態を飲み込めていない様子だ。ジェイドの手を離れて起きあがったけど、不安そうな表情で周囲を見回している。
「僕は……一体、何を?」
「魔法の使いすぎでオーバーブロットしてしまったんです。覚えていませんか?」
「僕に力をくださいよぉ~って泣きながらみんなの魔法吸い上げてさぁ。ちょ~ダサかった。ちょっとゲンメツ」
 双子の言葉にアズールは愕然としている。やはりオーバーブロットで暴れている間の事は覚えていないらしい。
「そ、そんな……僕が暴走するなんて……信じられない……」
「ま、コツコツ集めてきたモンを台無しにされたらそりゃ怒るッスよね。オレだって、ずっと貯めてる貯金箱を他人に割られたら絶対許せないと思うし」
「……その中身があくどい手段で奪われた自分の金だったら、貯金箱そいつの頭でカチ割りたいですけどね」
「例えが物騒だな」
「……キングスカラー先輩に砂にしてもらわないで、そうすれば良かったのかな」
「契約書を?頭で破るの?どうやって?あ、いい。説明しなくていい想像できたわ」
 そんな僕たちの会話を聞いて、心なしかアズールが青ざめている気がした。
「…………実行したのがレオナさんで良かったッスね」
「そう……ですね、そうかもしれません」
「それはそれとして、やっぱ悪徳商法はダメなんだゾ。反省しろ」
「その前に、お前らは他人の作った対策ノートで楽しようとした事を反省しろ!」
 憮然として言うグリムに対し、ジャックが厳しく指摘する。エーデュースもばつの悪そうな顔になった。
「……まぁでも、あの対策ノート凄いですよね。グリムに八十五点取らせちゃうんだもん」
 アズールがきょとんとした顔になって僕を見た。
「僕、寮長さん三人分の力を借りても、どの教科でもグリムの点数に勝てなかったですし」
「確かに。あのテスト対策ノート見て一夜漬けしただけで、オレは九十点以上取れちゃったもん」
「ああ。まさに虎の巻、だったな」
 不機嫌な表情ながらも、ジャックはアズールに視線を向ける。
「アレは百年分のテスト出題傾向を自分の力で分析して作ったもんだと、学園長から聞いた。あんたの汚いやり口は認められねえが……その根性だけは認めてやってもいいぜ」
「あの対策ノートは、きっと貴方にしか作れないものだったんでしょうね」
 簡単に真似の出来るものではない事は僕にだって解る。それが、悪事を働いたからと言って簡単に否定できる功績ではない事も。
 アズールはしばらく呆気に取られた顔をしていたが、やっと見慣れた表情を取り戻した。
「……そんな慰め、嬉しくも何ともありませんよ」
「あれ~?アズール、ちょっと涙目になってね?」
「おやおや、泣き虫な墨吐き坊やに戻ってしまったんですかね」
「二人とも!その件については秘密保持契約を結んだはずですよ!」
「おっと、失礼しました」
 怒鳴られても、双子は機嫌良く笑っていた。笑顔なのはいつもの事だが、今日は殊更喜びが感じられる。
 ジャックは咳払いして、懐から取り出した例の写真をアズールに示す。
「あんたが取ってこいって言ってたリエーレ王子の写真。ちゃんと持ってきたぜ。まだ太陽は沈んでない。これで完璧に俺たちの勝ちだ」
 アズールは写真を見つめて、少し目を伏せた。負けを認めた、と見ていいだろう。
 キングスカラー先輩たちが、写真を覗きこみ眉を顰める。
「なんだ、この写真?……人魚の稚魚どもがわらわら写ってるだけじゃねぇか」
「エレメンタリースクールの集合写真……スかね?なんでこんなのが欲しかったんスか?」
「あっは、懐かしい。これ、オレたちが遠足の時に撮った写真だよね」
 フロイドは手早くジャックから写真を奪い取った。みんなが見やすいように上向きに広げて、写真を指さしている。僕はまだ座っているので見えていない。
「ココに、オレとジェイドも写ってる。そんで……一番隅っこに写ってるのが、昔のアズール」
「えっ!?」
 写真を見ている、フロイド以外の人の声が揃った。蒼白になったアズールを、ジェイドが羽交い締めにする。
「うわああああああああああ!!!!やめろ!!!!!!見るな!見ないでください!!」
「おやおやアズール、急に元気ですね。もう少し寝ていては?ここまできたら、諦めた方が気が楽ですよ」
「どれどれ?」
「隅って……」
「もしかして、控えめに見ても他の人魚の二倍くらい横幅がありそうなこのタコ足の子ども……」
 アズールの絶叫が響く中、みんなが驚きで顔を見合わせ、抑え込まれて尚暴れ足掻くアズールを見る。フロイドは僕の隣にしゃがんで、写真を見せてくれた。
 写真の中には尾の形も色も様々な、小さな人魚たちが整然とは言えない感じに並んでいる。フロイドが指さした隅っこには、確かに太ったタコの人魚が物憂げな表情で写っていた。癖毛の銀髪も薄青の瞳も、アズールの特徴と一致する。
「アズール、オメー昔こんなに丸々と太ってたのか!」
「……まんまるでかわいい……」
 アズールの絶叫が止まる。グリムをはじめ、みんなが理解不能、という顔でこちらを見た。双子だけ表情を明るくしている。
「……え?」
「もちもちというか、むちむちぷにぷに……?」
「小エビちゃん、タコ嫌いなんじゃないの?」
「嫌いですけど、でもちっちゃい先輩はあんまりにょろにょろした感じがないので、見るだけなら全く」
 子どもだからだろうか。確かに他の人魚に比べて二倍以上横幅はあるけど、元が整った顔立ちなせいか、膨らんだ頬も愛らしく見える。そもそも普通の魚と比べて広がった足だから、形にあまり違和感が無い。健康的には良くないのかもしれないけど。
「この頃の先輩なら、僕むしろ好きかもしれないです」
「……は、え………?」
 深く考えずにした発言だったが、アズールは呆気に取られている。
「でも、先輩にとっては消したい過去、なんですよね」
 今はどちらかというと細身で、太っていた過去など見る影もない。
 体型を変えるのは並々ならぬ努力がいる。向きは違えど、僕だって自分の見た目は好きじゃないし。ジャックぐらいムッキムキのバッキバキになりたい。ならないけど。あそこまでストイックにもなれないし。
「外野が残念がっちゃダメですね、すいません」
「あ、いえ……」
「アズールの気持ち、僕にはよくわかるぞ!誰にだって消したい過去はある!僕は何も見なかった!みんなも忘れてやれ!」
「お前、やたら真に迫ってるな」
 デュースの同情的な言葉に思わず苦笑する。
 しかし不本意な感じで同情を受けたアズールは表情を歪めた。
「くそぉ……モストロ・ラウンジの店舗拡大と、黒歴史抹消を同時に叶える完璧な計画だと思ったのに……!」
「二兎を追う者は一兎をも得ずってやつッスね」
 結果的にそうはなったけど、シュラウド先輩の指摘の通りというか、僕がサバナクローに逃げ込むのを許したのが悪手だったというだけで、そこが防げたら店舗拡大の方は叶っていたかもしれない。
 他の寮と無用に揉めたくない、という意識が今回は裏目に出たように思う。キングスカラー先輩とアズールが裏で仲良ければ、あっという間に売られて終わりだったし。仲が悪くて本当に良かった。
 アズールはフロイドから写真を受け取り、物憂げに息を吐く。
「同級生の卒業アルバムから写真屋のフィルムまで、昔の写真は全て取引で巻き上げ抹消したんですが……博物館に飾られたこの一枚だけがどうしても合法的に処理できずにいたんです」
「だからって、他人の手を汚させようとするんじゃねーんだゾ!」
 ぷんぷん怒っているグリムを無視して、フロイドはアズールの手の中の写真を見ながら首を傾げる。
「別にいーじゃん。オレ、この頃のアズール好きだけどな。今より食い出がありそうだし」
「そういう問題ではないんですよ!」
 ウツボ的にはおいしそうなんだ……。
 でも努力の証って言っていいくらいのものなんだから、そんなに隠さなくてもいいと思うんだけど。
「……ううっ、もういやだ。今すぐタコ壺に引きこもりたい」
 再びじめじめと落ち込んでいくアズールを前に、ジャックはとにかく、と話を切り出す。
「写真を持ってくるって約束は果たしたぜ。お前が出した条件を完璧にクリアした」
「ま、その前に契約書も砂にしちまったんだけどな」
「だが、俺はやっぱり盗みはしたくねぇ。アンタだって非合法な事はしない主義なんだろ。責任取って、元の場所に返してこいよ」
「あ、返しに行くなら、僕も一緒に行きたいです」
「そこまで付き合ってやる必要なくない?オレら被害者だよ?」
「でも実行犯だよ。警備員さんも騙しちゃったし連帯責任って事で、返す所まで見届けるよ」
「それなら、俺たちも一緒に行くべきだな」
 デュースもジャックに同調する。グリムとエースは面倒そうな顔だったけど、最後には頷いた。
「……わかりました。でも、どうか画像ソフトで僕を消した写真にこっそり差し替えさせてください……」
「往生際が悪いな」
「そうですよ。記録は大切なものですから」
「ねーねー、いつ行く?みんなで行くんでしょ?」
 フロイドはアズールにじゃれつきながら、笑顔ではしゃいでいる。
「エレメンタリースクールの遠足以来のアトランティカ記念博物館、楽しみだなー」
 ジェイドもフロイドも、心底から嬉しそうに笑ってアズールを見ている。初遭遇から今日まで、双子揃っていつも何を考えているかわからない表情ばかりだが、今日ばかりはそう思えた。計画の失敗さえ楽しんでいるみたい。
 アズールも双子の様子を見てうっとおしそうにはしているが、心から疎んではいないようだし。
 悪事を働かなければ、そこを除けば、三人の絆は友情ともさほど変わらないものなのかもしれない。


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