3:探究者の海底洞窟




 僕たちは無言のまましばらく海の中を歩き続ける。十分に距離は取っただろう、という所で眼鏡をかけ直した。
「そんで。写真は?」
 デュースが懐から写真を取り出す。エースはニヤリと笑った。
「大成功じゃん!警備に連れられて出て来た時はどうしたのかと思ったけど」
「まさか、子分の嘘泣きが通用するなんて……」
「いや、本当に迫真の演技だった……普段を知らなかったら、気弱な子にしか見えなかったぞ」
「僕もまだまだ捨てたもんじゃないなー」
「……眼鏡外したのは、顔で油断させるためか」
「第一印象は大事だからね。もっさり眼鏡くんより可愛い子の方がインパクトあるでしょ?」
「自分で言うのか……」
 ジャックが呆れた顔をする。
 この顔に迷惑かけられ通しの人生なんだから、少しくらい利用しても良くない?
「前から思ってたんだけど」
「うん?」
「ユウってさ、元の世界にいた時、なんかやってた?演劇?とか」
 少し答えを考える。まあ言ってもいいか。
「一応、少しだけ子役やってた事があるよ。ドラマにちょっと出させてもらったりした」
「マジかよ」
「本当に経験者なんだな……」
「今でもお芝居は好きだよ。見るばっかりだけどね」
「……見るばっかり?なんで?」
 ちょっとね、と言葉を濁そうとした瞬間、何かの影が頭上を通り過ぎた。嫌な感覚が肌を撫でる。
「あ~~~……いたぁ、小エビちゃん」
「ごきげんよう、みなさん。また性懲りもなく海の底へいらっしゃったのですね」
「出たな、ウツボ兄弟!」
 道を塞ぐリーチ兄弟を、ジャックが毛を逆立てて威嚇する。対する双子の人魚は涼しい顔だ。
「どうやら写真を手に入れられたご様子」
「偉いねぇ。いい子いい子。でも……」
 じわりと嗜虐が笑顔に滲む。双子は捕食者の表情でこちらを見つめていた。 
「それ、持って帰られると困るから、オレたちと日没まで追いかけっこしよっか」
 エースが不機嫌な顔で舌打ちする。
「やっぱそうくるよね~。こんな楽勝でクリアできるわけないと思った」
「やっぱり?」
「オレらを日没まで追いかけ回してタイムアウトさせてから、ボコって写真も頂こうってんだろ?」
 水中では人魚が圧倒的に有利。その事実は覆らない。
 初日に恐怖を印象づけつつも、後がなくなった僕たちを敢えて邪魔せず写真を取りに向かわせる。
 アトランティカ記念博物館の休館日を、人魚であり珊瑚の海に通じた彼らが把握していないとは考えにくい。開館日と比べ人目が少なく、時間に追いつめられた僕たちが侵入し写真を盗んでくるには好都合の状況である事も知っていただろう。
 万が一失敗して捕まっても、結局契約は果たされない。写真を獲得し学園に無事戻る、という道筋だけを彼らは確実に阻止すればいいのだ。
「そうすりゃイソギンチャクは解放しなくていいし、この写真も手に入るもんな!」
 憮然としたこちらに対し、ジェイドは余裕の笑みを返す。
「最小限の手間で、最大限の利益を得る。それが賢いビジネスというものですから」
「……本当にあくどいな、てめーら」
「で、ユウ。こっからどうする気だったわけ?」
「お前の事だから、考えナシに来たわけじゃないんだろ?」
「……とにかく写真を守ろう。これだけは絶対に渡せない」
「いや何も考えてなかったな!?」
「そうか?単純でいいじゃないか」
 こちらの考えを見通してツッコむエースとは対照的に、デュースは優等生らしからぬ好戦的な笑みを浮かべた。水の中なのにバシッ、と音がするぐらい拳で手のひらを打つ。
「得意魔法ナシにどこまでやれるかわからないが……」
「ここまできたら、やるっきゃねえだろ!」
 ジャックがマジカルペンを手に吼える。
 双子も笑みを深めた。まずは写真を持ってるデュースに狙いを定める。
「デュース、こっちに!」
 ジャックが写真を受け取り、風の魔法を地面に向ける。砂が巻き上げられて辺りを薄く覆った。僕たちの視界も遮られるわけだけど。
 双子はものともせず猛然とジャックに向かう。ジャックがかわすと、ジェイドが目を見開いた。
「写真は?」
 ジャックがニヤリと笑う。彼の両手にマジカルペン以外の物は無い。
「ふなぁ~~~~!!!!」
 その隙にグリムが雄叫びを上げて走っていく。首輪に丸めた紙が括り付けられているのを見つけたフロイドがすぐに前を塞いだ。
「はい捕まえたぁ!」
「ふぎゃー!」
 グリムの首を掴んで、フロイドは紙を取り出す。
「……あれ?」
 挟んであったのはアトランティカ記念博物館の案内のチラシだ。さっき中に入った時、至る所にあったので一枚もらっておいた奴。
「ゴミじゃん」
「へへーん、騙された~!ダセーんだゾ~」
「あ?」
 煽られてフロイドが殺気立つ。ぴゃっ、とグリムが怯えた声を上げた。
「まぁいいや。アザラシちゃん人質って事で」
「ふぎゃーっ!?子分、この作戦ダメなんだゾー!!」
 フロイドにジャックが飛びかかる。風の魔法を利用した跳躍だが、フロイドは途中まで余裕の表情だった。水の中では陸の獣も素早くは動けない。
 正しくギリギリの所で、フロイドはジャックの拳を避ける。その速度はどう見ても、地上で繰り出すのと同じものだった。フロイドの手を離れたグリムをジャックが捕まえて降りてくる。
 フロイドは戸惑った顔をしていた。地上と同じ速度で殴られかけた事を理解出来ずにいる。
「は?何で?」
「簡単な話だ。水の中にいる間の身体強化の維持が難しいなら、使う場所を絞ればいい」
 フロイドを殴るその瞬間だけ、ジャックは自分に身体強化を施した、という事らしい。身体能力が高く魔法士としても優秀な彼に相応しい合わせ技だ。
「厄介ですね、そう何度もできるモノとは思えませんが」
 ジェイドはちらりと僕を見た。僕は余裕の笑みを浮かべておく。
 そう、今のジャックの身体強化と同じ事が僕に出来れば『肉弾戦しか出来ないので水中では役立たず』ではなくなるのだ。全く予想外の所から攻撃が飛んでくる可能性が増えた事になる。
 まあ僕は別の理由で既に戦力外なんだけどね!!!!
「ていうか、結局写真持ってるの誰なワケ?」
「訊かれて答えるワケないだろ」
「誰が持っていようと全員ボコれば同じ、でしょう?」
 双子が言いそうな事を、僕が先回りして笑って言う。
 例えただの事実でも、言った人間と言い方によっては簡単に疑心を生む。別に隠してもいない、少し考えれば解る事でも、敢えて含みを持って口に出される事で、それを逆手に取った作戦が展開されているのではないかと、察しの良い人間ほど勘ぐってしまう。
 警戒を広げるという事は、負担が増えるという事だ。警戒しなければいけない事項が不明瞭であればあるほど雪だるま式に増えていく。
「ジェイド、考えすぎだって。さっきこいつら、自分で何も考えてないって言ったじゃん!」
 フロイドがジャックに狙いを定めるが、ジャックは風の魔法を使いこなして水流を自在に操って避けている。優秀すぎないかマジで。
「……エースも風の魔法戻ってきたらアレ出来る?」
「出来るに決まってるでしょ」
「二人とも!」
 後ろから水流に押されて、エースと二人揃って顔から倒れた。地上ほど痛くはないけど、砂に顔面が埋もれる。
 振り返ると、ジェイドが悠然とターンした所だった。デュースが風の魔法で押して避けさせてくれたらしい。
「……口に砂入った」
「ご、ごめんねデュース。ありがとう」
「すまない、まだ調節が不慣れで」
 フロイドとジェイドが少し距離を取って合流する。体力的に疲れた様子はないが、フロイドは既にうんざりした顔になっていた。
「あー、追いかけっこもいい加減飽きてきた」
「あと少しですよ。楽しみましょう」
 ジャックとグリムがこちらに合流する。二人も疲れてはいないようだけど、表情には焦りが見える。
「時間は稼げてるが、このままじゃ陽が落ちちまうぞ!」
「本当にこの作戦で大丈夫なのかぁ?」
 エースとデュースも少し不安そうだ。
 僕も正直、この場に関しては確定的な事を言える立場ではない。
 でも、これだけは確信を持って言える。
「絶対に大丈夫、あの人たちなら!」
 励ますように、力を込めて言い切った。
 その瞬間、目映い光が一帯を照らした。一瞬視界を奪われ、すぐに元に戻る。
「……なんだ?今の光は」
 ジャックが首を傾げる。ジェイドとフロイドも戸惑った様子だった。
「……ん?あっ!デュース、お前、頭のイソギンチャクが消えてんぞ!」
 エースが声を上げた事で、全員が気づいた。デュースは自分の頭を撫でて表情を明るくする。
「本当だ!」
「オレ様のも、エースのも消えてるんだゾ!」
 グリムがぴょんぴょん飛び跳ねて喜びを露わにする。
「やった!レオナたちがやってくれたんだ!」
 グリムの言葉を、双子が耳ざとく拾う。
「……なんですって?」
「どーゆーことだよ、それ」
「オレ様たち、作戦に協力してもらうためにレオナたちを脅迫したんだゾ!」
 グリムが勝ち誇ったように胸を張ると、双子はますます理解不能、という顔になった。
「いつもトドみたいにダラダラ寝てばっかのアイツが、脅迫されたくらいでお前らに協力なんかするワケないじゃん」
「彼は同じ寮長であるアズールと揉める事は避けたかったはず。一体どんな手を使ったんです?」
「レオナにな、協力してくれないなら、毎日二人で朝まで大騒ぎして睡眠を妨害してやる、って言ったんだ。んで、どんだけうるさくなるか実演してやったんだゾ」
「……もしかして、夜中に聞こえた変な音は」
「子分の歌声と、サバナクローの連中の断末魔だな」
 これを聞いたエーデュースが顔をしかめる。
「ユウ、歌ったの?マジで?」
「メガホン使って全力でいきました。二番に入る前に止められたよ」
「……サバナクローの連中に同情するな……ただでさえ耳もいいだろうに……」
「オレ様、子分の声が聞こえないように必死でタンバリン叩いて叫んで、めちゃくちゃ疲れたんだゾ……」
 僕らの会話を聞いたジャックが引いている。今度目の前で歌ってやろうかな。
「小エビちゃんそんな音痴なの?ジェイド知ってた?」
「ええ。音楽の授業で歌い始めて三秒という歴代屈指の速さで消音魔法をかけられて、歌のテストの分は別途レポート提出の温情措置が取られたとか」
「ガチじゃん」
「それがまさか……こんな状況を招くとは」
 さっきまで余裕の表情だった人魚が、悔しそうな表情を浮かべているのを見るのは気持ちがいい。
「ま、こっちも奴隷になんかなりたくないですし、どんなものでも使いますよ。自分の特技も、弱点もね」
「卑怯には卑怯を、悪党には悪党を、って事だな」
 こちらが揃って臨戦態勢を取ると、双子は顔を見合わせる。
「戻りましょう、フロイド。彼らの頭のイソギンチャクが消えたという事は……」
「うん、なんか、ヤな予感」
「おっと、待てよ。こちとらやっと本調子なんだ」
「すぐ帰るなんてつれない事言わないで、もう少しオレたちと遊んでけよ」
 エーデュースの挑発的な物言いに、フロイドが反応する。
「うるさい小魚だな。秒で片づけてやる」
「フロイド、今は放っておきなさい。……ああ、もう」
 ジェイドの諫める声を無視して飛び込んでくる。デュースが見計らって大釜を呼び出すが、軽々と避けた。エースのマジカルペンが光る。勢いを無くし落ちていく大釜が、唸りをあげる勢いで後ろからフロイドに迫った。
「フロイド!」
「『巻き付く尾』!!」
 ジェイドの声で気づき当たる前に逸らされたが、その間にも海中にはデュースの呼び出した大釜が至る所に増えていく。
「……まさか、これ」
「水の中でも、痛ぇもんは痛ぇよな?」
 エースが笑う。風の魔法が大釜を押し、四方八方から弾丸のようにフロイドを狙う。大釜の召喚魔法が切れても、デュースにとっては得意魔法なので補充は早い。
 いくら尾が長く太いと言っても、打ち返すのだってそう何度もはいかないだろう。
 相手が早すぎるのでさすがに決定打というほどにはならないが、それでも十分に応戦できていた。フロイドを集中的に狙っている所からして、エースは先を見越して挑発している。
 避けるより攻撃している奴を狙った方が早い、と判断して向かってくるのを、的が一カ所を目指してくるのを待っているのだ。
「あ~っ、もう!こいつら、ウザい!」
 まさしくそうなるだろう、という雰囲気になった時、ジェイドが片割れの肩を掴んだ。
「ここは引き上げましょう、フロイド。彼らと遊んでいる場合ではなさそうです」
「……わかったよ。行こう」
 フロイドは舌打ちしながらも、その言葉を聞き入れた。追いかけてくる大釜を避けながら、遠くに消えていく。
 全員の表情が喜びに緩む。グリムが再び飛び跳ねた。
「やった!アイツら逃げていくんだゾ!」
「俺たちも学園へ戻るぞ」
 ジャックが懐から写真を取り出す。……体格が大きいと、隠れる所はないけど隠す所は多いよな、などと下らない事を考えてる僕に、屈託のない笑顔を向けた。
「この写真をアズールに叩きつけて完全勝利だ!」


38/53ページ