3:探究者の海底洞窟
校舎のあるエリアは、夜となれば静まりかえっている。何となく歩き続けて、気付けばオンボロ寮の前にいた。
見覚えのない工事器具などが庭先に見える。明日の日没以降、すぐにでも作業が出来るように、という事だろうか。気の早い事だ。
そんな事を考えつつ、脳内は先ほどの光景でいっぱいだった。
やっちまった。
いや僕に非はない。絶対に無い。脚が自由な状態で、腕力的に優位の相手にあの姿勢にされたら、狙う所はもうあそこしかなかった。正当防衛だ。それは自信がある。
しかし、正論だけで物事が良い方向に動くとは限らない。
僕は今、最後の切り札を自ら捨てた状態だ。
あれだけ明確に拒絶しておいて、やっぱり助けてください、は通らない。
ただでさえ違和感の事も解決していないのに。本当にどうしよう。
思わず頭を抱えてうずくまった。そんな体勢になった所で、解決策が湧いて出てくるわけでもないのに。
不意に、視界の端に光が見えた。比喩でなく、水中呼吸の魔法薬と同じ、黄緑色の光。
顔を上げれば、辺り一帯に小さな光が無数に漂っていた。蛍よりは確かな、でも優しい光。
「わあ……綺麗だなぁ……」
なんだか慰められているような気がした。もっと近くで見たくなって立ち上がる。
「……ん?お前は……」
不意に声がして振り返った。
石膏像のような白い肌、整った顔立ち、縁取る黒髪と、わずかな光に照らされる大きな二本の角。
「あなたは……、ツノ太郎!」
「ツノ太郎?ツノ太郎とは、……まさか、僕の事か?」
「あ、えーと……グリムが……つけてくれたんですけど……」
ツノ太郎は驚いた顔をした後、心底から楽しそうに笑い出した。
「この僕をツノ太郎とは!本当に恐れを知らないと見える」
まぁ、命名したグリムは実物見てないからね。本人を前にしたら改める、かもしれない。改めないかもしれない。
「まあいい。好きに呼べと言ったのは僕だ。その珍妙なあだ名で僕を呼ぶ事を許す」
ツノ太郎はご機嫌だ。黙っていると怖いぐらいの美貌だが、意外と表情豊かに思う。明るい所で見ればもっと親しげな雰囲気なのかもしれない。
「……ところで、ここ数日この寮の中が騒がしいようだ。お前たち以外にも寮生が?」
「あー……それはですね」
かくかくしかじか、と事情を説明する。
「……なるほど、そうか。……それで転寮先のサバナクローの寮服を着ていると」
「いや、これはなりゆきというか、パジャマが持ち出せなかったので借りてるだけです。転寮なんかしませんし」
一応説明したけど聞いてるのか聞いてないのか、ツノ太郎はひとり頷くばかりだった。
「きっと明日の日没後にここはアーシェングロットの所有物となり、騒がしい生徒たちの社交場となるのだろう」
物言いからして、アズールの事は見知っているようだ。とはいえ確信を持った言い方はちょっと傷つくものがある。
楽しそうな笑顔だったツノ太郎が、興味深そうに目を細めた。
「……何やら異議がありそうな顔だ。お前が負ける前提で話しているのが気に入らないか?」
「……そりゃあまぁ、勝ち目がないとはよく言われてますし、誰の目から見てもそうでしょうけどね」
諦めるな、と言ってくれた外野はシュラウド先輩ぐらいだし。
これだけ勝ち目が無い状況でも、まだ諦めきれない。悪足掻きのつもりはない。
「何か見落としてる気がするんです。それさえ見つけられれば、まだチャンスはある気がする。……勘、ですけど」
でも僕自身は、自慢じゃないけどその勘に何度も助けられている。本当に諦めきれない時は、絶対に何かが残っている時だった。今回も同じものを感じている。
ツノ太郎はしばらく考え込んでいた。不意に口を開く。
「ところで、この寮の壁には、見事な彫刻のガーゴイルがあるな」
話題転換下手か。
「ガーゴイル……って、モンスターの石像の事ですか?」
たまにゲームに出てくる、物理攻撃が効かない奴のイメージがある。
しかしツノ太郎はちょっと物足りない顔だった。
「ガーゴイルというのは、一見禍々しい姿を見た怪物の彫刻に見えるが、実は、雨水が壁面を汚さぬよう作られた雨樋の一種なんだ」
「雨樋……あれが?」
思わず寮の壁に目を凝らしたが、夜なのでよく見えない。
「見た目こそ恐ろしいが、あれらは屋敷を大切に慈しむ存在……という事だな」
「そういえば、たまにゴーストが磨いていた気がする……それでかぁ……」
てっきりモンスター同士で何か思うところがあるのかと思っていた。……よくよく考えたら、ゴーストは元人間か。
「目に見えるものとその実態は、時として真逆な事もある」
「……見た目と実態が、真逆……」
「この場所が毎夜騒がしくなるのは僕も遠慮願いたい。せいぜい足掻いて、寮を守ってみせるがいい」
楽しそうな笑みを浮かべたと思った次の瞬間、光が弾けてツノ太郎の姿が消えた。いつの間にか黄緑の光も無くなっている。アレなんだったんだろう。
それにしても。
「……ツノ太郎って本当に偉そうだなぁ」