3:探究者の海底洞窟




「右よし、左よし。野郎ども、オレ様に続くんだゾ」
 こっそりとモストロ・ラウンジの中を進む。まさか本当に鍵が開いてるとは思わなかった。
 他のイソギンチャクに紛れて、という作戦だったけど、昼休み開始直後から呼び出されたイソギンチャクはいなかったようで、気持ち目立たないように気遣いながら進んでいる。防犯カメラとかあったら一発でアウトだけど、構ってる余裕はない。
 VIPルームも鍵はかかっていなかった。人の気配はないし音もしない。みんなのスマホのライトを頼りに、まっすぐ奥の金庫の前まで進んだ。
「金庫は暗証番号と鍵の二重ロックか。かなり厳重だ」
 船のハンドルみたいなものが真ん中に付いた、仰々しい金庫だ。よく見るとハンドルの部分が暗証番号を入力するダイヤルを兼ねていて、鍵穴が別の場所にぽつんと付いてる。とにかく頑丈そう。鍵や蝶番をピンポイントに壊すにしても、こっそり、は絶対に無理。
 そんな事を考えていると、ジャックが険しい表情で顔を上げた。
「……誰か来る!」
「えっ、ヤバッ。隠れろ!」
「どこに!?」
 調度品は応接用のソファとテーブル、偉い人の書斎に置いてそうな大きな机と椅子だけ。壁面の本棚も隙間がない。隠れられるような場所が無い。
「とりあえず机の下!!」
 言われるがままに潜り込む。学生が使うにしては立派で大きな机なんだけど、年頃の男子が四人潜り込むには狭すぎる。椅子もあるし息苦しいまである。
「狭……ジャック、でかいんだよお前」
「んだと?」
「ちょ、動くなって!」
 扉が開く音で、全員が息を飲む。誰かの足音が近づいてくる。
「さてと……」
 声でアズールだと判った。僕の位置からだと見えないが、ダイヤルのハンドルや鍵を回す音は聞こえてくる。
 ギィ、と見た目通りの重い音を立てて扉が開くと、隙間から金色の光が溢れてきた。
「あれは……俺たちと交わした契約書!」
「やっぱ金庫にしまってたんだ」
 エースとデュースが小声で呟く。距離が近すぎて聞こえないかと冷や冷やしたが、アズールが気にした様子は無い。
「一枚、二枚、三枚……」
「アイツ、札束数えるみたいに契約書数えてニヤニヤしてるんだゾ」
「陰湿な趣味だな……」
 大変に同感だが、距離が近いので感想は後にしてほしい。
「……ふぅ。そろそろ戻りますかね」
 アズールは満足したように呟いて、金庫を元通りに閉じた。足音が遠ざかり、扉の閉まる音がする。室内に人の気配が無くなった所で、全員が一斉に息を吐いた。
「もう少しで見つかるところだったんだゾ」
「戻ってきたりしないよね?」
「長居は無用だな」
「……待て!見ろ、テーブルの上に一枚契約書が置きっぱなしになってるぞ」
 立ち上がって振り返れば、応接テーブルに金色の紙が落ちている。見た目は例の契約書そっくりだ。
「マジか、ラッキ~♪拝借して破けるかどうか試してみようぜ」
「アズールのヤツ、意外とおっちょこちょいなんだゾ」
 不用意に触らない方が、と言い掛けた時にはエースが契約書に触れていた。
 次の瞬間。
「あばばばばばばばばば!!!!!!」
「ダバババババババ!!!!」
「ビャアアアアア!」
「シビビビビビ」
 室内に閃光が走る。契約書から距離があった僕でさえ手足に痺れが届いた。漫画だったら骨見えてる。
 エースの手から契約書が離れて、全員が痺れから解放された。ひらひらと風に乗った契約書は、VIPルームの入り口まで独りでに飛んでいく。いつの間にかそこに立っていた誰かがそれを拾った。
「アハハハハハハハ!!」
「おやおや。電気ナマズの攻撃でもくらったかのように震えて……無様ですねぇ、みなさん」
 アズールとリーチ兄弟が揃ってそこに立っていた。フロイドは爆笑してるし、ジェイドは楽しそうに笑っているし、アズールも明らかに嘲笑を浮かべている。
「てめーら、気付いてたのか!」
「当たり前でしょう。机の下から丸見えでしたよ、そのフサフサの尻尾がね」
 ぐぅ、とジャックが悔しそうに唸る。なるほど、尻尾は盲点だった。いややっぱあの机の下に四人は無理だわ。最初からダメだった。
「どうやら君たちは契約書を盗もうとしていたようですが……実は、僕以外が触れると電流が流れる仕組みになっているんです。残念でしたね」
「そ、そこまでするか!?」
「言ったでしょう?僕の契約書は絶対に破く事は出来ないと」
 アズールが勝ち誇った顔で言う。
「コイツらバカじゃん!なんで結果がわかりきってんのに挑んでくんの?」
「フロイド。そんなに笑ってはかわいそうですよ。彼らなりに、無い知恵を絞って頑張っているんですから」
「大事なものを盗もうとする悪い子にはお仕置きが必要ですね」
 無防備に笑っていた双子が、アズールの言葉で臨戦態勢に入る。顔は余裕の笑みのままだが、明らかに雰囲気が変わった。
「二度とこんな事を考えないようにしっかり躾けなくては」
「順番にゆーっくり絞めたげるからねぇ」
 頭数はこちらが多いが、三人は得意魔法を封じられている。相手は全員二年生、こっちは全員一年生。逃げようにも出口は相手に塞がれている。
「……あの三人、両脇のヤツ倒さないと真ん中のヤツにダメージ通らないボスみたい」
「気が抜けるからやめてくれね?そういうの」
 僕の感想にエースが律儀にツッコミを入れた。エースのこういう所好き。
 軽口を叩いているうちに、手足の痺れもだいぶ取れてきた。
 さてどう来るか、と思っていると、フロイドが正面から飛び込んでくる。前に転がって避けるのを追うように蹴りが飛んできた。狭くて逃げ場が無いが、どうにか避けた。更に突進してくるのをソファに転がり込んで避けて、追撃が来る前にソファからも離れた。フロイドの拳がソファの座面を殴る。
「……小エビちゃん面白ぇ~、強いってホントなんだ」
「あっはは、僕なんか大した事ないですって」
 右拳を払って、掴んでくる左手もいなした。フロイドは流した勢いのまま上半身を倒して蹴りを繰り出してくる。とっさに防御したけど痛い。手足が長い分、鞭みたいにしなって勢いが乗りやすいんだろう。もちろん本人の筋力もあるし。
 体勢を整える瞬間に合わせて蹴りを放つも思ったより復帰が速かった。掴まれる前にさっさと引く。
 蹴られた本人はと言えば、ご機嫌で自分の片割れを振り返った。
「ジェイド!すげえ!腕めっちゃ痺れる!」
「楽しそうで何よりです、フロイド」
「遊んでないでとっとと終わらせなさい」
 やはり向こうは余裕の表情だ。フロイドをこっちで抑えているというよりは、向こうが二人を抑えてくれてる、という印象。それもかなりギリギリ。
「……くそ、寮長クラスってのはこんなに強いのか!」
 ジャックも苦しそうにしている。
 せめて穴を空けて退路くらいは確保したいが、このままだと隙も作れない。
「これに懲りたら、契約書を盗もうなどと考えない事です」
「それより早くアトランティカ記念博物館に行った方がいいんじゃない?」
「タイムリミットは明日の日没まで。もう時間がありませんよ」
「ま、今からオレらにボコボコにされて保健室で寝てたら、もうタイムリミットかもだけどね」
 フロイドがマジカルペンを取るのを見て、構える前に踏み出した。手元だけを狙って蹴りを放ち、ペンを弾き飛ばす。フロイドはその瞬間だけ呆けていたが、すぐにニヤリと笑って僕の襟首を掴んだ。床に押しつけられ絞められる。
「ユウ!」
 エースの声が聞こえる。飛ばしたペンが独りでにフロイドの手許に戻った。おそらく、どちらかが魔法でフロイドに渡したんだろう。
「小エビちゃん、つーかまーえた。ペンだけ蹴るなんて器用だねぇ」
 流石に純粋な腕力だと勝てそうに無い。蹴りを入れようにも器用に脚で押さえ込まれてる。慣れてんな。
 万事休すか、と思った瞬間だった。
「出でよ、大釜!」
「おまっ、僕の真似するな!」
 聞き慣れた台詞がエースの口から飛び出す。デュースのツッコミも聞こえた。
「そんなん当たんねーよ!『巻きつく尾』!」
 フロイドの頭上に現れていた大釜が、何かに弾かれたように明後日の方向に飛んでいった。飛んでいった先には例の金庫がある。
 ぐわん、と結構な音を立てて大釜が金庫に激突した。それを見たアズールの表情が一変する。
「フロイド!!どこに向けて魔法を打ってるんだ!金庫に向けて逸らすやつがあるか!!」
「あ、ごめーん」
 フロイドはアズールの剣幕のせいか、魔法を放った隙に僕が抜け出した事も気にしていなかった。アズールは一年生を押し退けて金庫に駆け寄り、全体をへばりつくようにして確認している。
「ああ、扉に傷が!!ダイヤルや蝶番は馬鹿になってないな!?……良かった」
 一通り確認し、ほっと息を吐いたかと思ったら、再び目を吊り上げてフロイドを振り返った。
「ユニーク魔法を考えなしに使うのはやめろといつも言ってるだろう!何度言えばわかるんだ!?」
「ゴメンって。ちっせー傷がついたくらいでそんな怒んなくてもいいじゃん」
「壊れてからじゃ遅いんだよ!!」
「二人とも、落ち着きなさい。さもないと……彼らが逃げちゃいますよ」
「えっ?」
 アズールが怒鳴る中、全員が静かに出入り口まで動いていた。気付いていたはずのジェイドは何故か一切邪魔しなかった。まぁ理由はこの際どうでもいい。
「今がチャンス!アバヨッ、なんだゾ!」
 グリムの捨て台詞を聴きながら、一目散に外へ向かう。
「あっ、待ちなさい!ジェイド、フロイド、追え!」
 後ろからアズールの叫ぶ声は聞こえたが、モストロ・ラウンジを出て寮を脱出し鏡舎に至るまで、誰も追いかけてはこなかった。
 念のため、鏡舎の裏まで行って身を潜める。しばらく耳をそばだてたけど、やっぱり追っ手の気配はない。全員揃って脱力する。
「ふぅ、ヒヤッとしたな」
「もー、ジャックがデカいから」
「なっ……お前らより鍛えてるだけだろうが!」
 それに狼はもともと体がデカいもんなんだ、とよく分からない言い訳が続いた。まぁ体が大きいのはどうしようもないもんね。個人的には羨ましいけど。
「あの契約書、破れないどころか触れもしないとは……」
 魔法は無限じゃない。とはいえ、死角が著しく狭い魔法がない、という意味ではないのだと感じた。
 アズールの金庫への執着からして、あの契約書を破れれば大変なダメージを与えられそう、というのは理解できる。その手段が僕らに無さそう、というのが大問題だ。
『最後の手段』が頭をちらつく。いやでも本当に最後の最後に使いたいんだ個人的には。でもそんな時間無いかもしれないし。
「今日の所はここまでか」
「貴重な一日を棒に振っちまったんだゾ」
「本当に破る方法なんかあんのかよ~」
 悩んでる僕をよそに、いつの間にか解散の空気になってる。それはいい。
 でも何かが引っかかってる感じがした。うまく言葉に出来ないんだけど。
 何か重要な事を見落としている気がする。


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