3:探究者の海底洞窟
夕暮れと呼ぶにはまだ明るい、真昼と呼ぶには少し過ぎた時間。
双子の姉に手を引かれて校舎を出る。門までの妙に長い道のりを歩き、門の前で母の姿を見つけて姉が笑った。
「おかあさん!」
母も僕たちを見て笑った。笑って抱きしめて、労いの言葉をくれる。
「さ、帰りましょ。車に乗って」
母に促され、後部座席に座る。脳裏に浮かんだ恐怖を必死で押し込んだ。ちらりと姉を見れば、いつもの調子のままシートベルトを締めている。姉の落ち着きが、少しだけ羨ましかった。
運転席に母が乗り込む。まるで見計らったように、誰かが車に駆け寄ってきた。母の顔が険しくなったのが、車のミラー越しに見える。
『羽柴さんですよね?例の誘拐事件についてお話を……』
「お話しする事は何もありません!」
母は強く言い切り、車を動かす。後方を警戒しながら、見慣れない道を走っていく。
昨晩、父とホテルを変えると話していた。今日も違うホテルに泊まるのだろう。
『一体いつまでこんな暮らしが続くの』
母の嘆く声が脳裏に響く。父の宥める声がする。
『落ち着け。悠も怜も被害者だ。僕たちだってそうだ。何も恐れる事はない』
『何でこんな事になったの。私たちが何をしたって言うのよ』
『大丈夫だよ、警察も協力してくれるし、弁護士だって付いてるんだ。僕たちは何も悪くない。もう少しの辛抱だ』
泣きじゃくる母を、父が抱きしめていた。
母が泣いた所なんて、あまり見た事がなかった。頼れる優しくて強い母だと、ずっと思っていた。
景色が変わる。
夕暮れ時、見慣れたマンションの一室。
鳴り止まない電話。出続けるファックスの紙。何度も鳴らされるチャイム。
リビングの真ん中で、母が僕と姉を抱きしめていた。
『大丈夫よ。怜も悠も、お母さんとお父さんが守るからね』
言いながら、母の手は震えていた。目が赤かった事も覚えている。
裁判やら何やらの決着がついたのは、今住んでいる地域に引っ越す直前だったと後から聞いた。父も母もあらゆる手を尽くし、仕事の人脈や親戚の力も頼って、物見高い連中や便乗して嫌がらせをしていた連中を黙らせたらしい。本当に嘘みたいに静かになった。
家を買う事にしたのは、引越し先の周囲の人たちが両親に協力的だったからだと聞いた事がある。
それ以降は、これまでの苦しみが嘘のように落ち着く事が出来た。帰ってきて安堵する家が出来た。
……帰りたいなぁ。