3:探究者の海底洞窟
夕食時までにはすっかり準備が整い、特に問題なくバーベキューは始まった。
サバナクロー寮はそのままの岩とむき出しの土で出来てるっぽい野性味溢れる建物だが、そのおかげか屋内バーベキューも問題ないらしい。本来はこういう建物で懸念されるべき気温やら湿度も魔法で管理されていて不快感はない。彼らの暮らしに適した建物という事になるだろうか。
桁外れの肉の量に準備はもはや修行の域だったが、始まってみれば焼いたそばから肉が消えていく様子は圧巻である。肉食の食べ盛りは凄まじい。
ちょうど焼き始めた頃にグリムも帰ってきて、お肉の匂いで疲れが吹き飛んだと大喜びだった。寮生も結構気遣ってくれて、和気藹々と食事が進む。
「大食堂のメシもうめーけど、バーベキューも最高なんだゾ!」
「そうだねー」
きっと高い肉なんだろうな。キングスカラー先輩の出資っぽいし、先輩も肉ばっかり食べてるし。
「のんびり食べてると無くなるッスよ。早いもの勝ちなんで」
「ふなっ!負けるワケにはいかねえ!」
「お行儀悪い事しないの。危ないでしょうが」
グリルに飛びかかる勢いのグリムをギリギリの所で捕まえる。
「オレ様は珊瑚の海でソックリ兄弟に追いかけられた上に、アズールにこき使われてへとへとなんだゾ!いっぱい食わねえと力が出ねえ!」
「そういや、先輩たちはリーチ兄弟が人魚だって知ってたんスか?」
「ああ」
「まあ、オレは同じ学年スからね」
ジャックは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。ちゃんと聞いておけば良かった、とその目は語っている。
「水泳の合同授業でフロイドくんが元の姿になってるトコ見たけど……あれに水中で追いかけられたら一巻の終わり感あるッスね」
「今日ちょうど、その一巻の終わり感を体験して来たんだゾ……」
「ご苦労なこった」
こちらも苦笑するしかない。
「正直、妨害までしてくるとは思ってませんでした。公的機関の備品を盗んでくるだけでも難しい事だと思うんですけど」
「念には念を入れて、って事でしょーね」
骨付き肉に骨ごとかじり付きながらブッチ先輩が言う。
「リーチ兄弟はアズールくんの手下で、契約者から担保と代償をきっちり取り立てる事で有名ッス。契約の達成条件をクリア出来ないよう邪魔をしてくるって噂もね」
「アズールのヤツ、最初から邪魔するつもりで契約条件を出してるって事か?」
「当たり前だろーが」
ジャックが苛立った顔で唸る。どうどう。
「……最悪、盗めなくても事情を話して借りてくるぐらいは出来ると思ったけど、まず辿り着けないんじゃなぁ」
「借りてくる?盗むんじゃねーのか?」
「よくよく考えたら『奪ってこい』とは言われたけど『バレないように持ち出せ』とも『盗んでこい』ともアズールは言ってないよ」
それを言ったら自身の責任になる事は逃れられない。だから明言をしていない。契約書という証拠にも残さない。だけど、こちらから『盗む』という手段を提示する分には否定はしない。
多分、慣れてるんだろうな。こういう言葉遊びというか、クソ揚げ足取りの話術というか、そういうの。
「それ、奪ったって言えるのか?」
「借りた後、返さなければ『奪った』事になるでしょ」
「……お前、本当にいい性格してるよな……」
「ユウくん、人の事を卑怯とか言えないッスよね」
「いいじゃねえか。アズールとやり合うにはそれぐらいの気概が要る」
呆れている視線を無視してグリルに向かう。炭になりそうなブロッコリーとピーマンを救出し、辛口のバーベキューソースをかけた。ついでに食べ頃のタマネギとコーンを確保。
「あ、この辺の肉、焼けてますよ」
「やったー、ありがとうございまーす」
いい感じのお肉もいっぱい貰って席に戻る。当然の顔で隣のライオンに一切れ取られた。睨んでもこういう時だけ視線が合わない。
「博物館に入れればどうにかなるとしても、……それをリーチ兄弟が見過ごすワケがない」
「どうにかして足止めするか、こっちがそれよりも早く動くか、別の手段で出し抜くか」
「アイツら、鏡の間に見張りでも置いてるのか?」
「人手は向こうの方が圧倒的にあるからね。約二百人のイソギンチャクはもちろん、寮生だって寮長には逆らえないだろうし。同じクラスの誰かがいないと報告すれば、察しはつくんじゃない?」
「出し抜くのは厳しそうだな」
「じゃあアイツらを足止めか……どうやって?」
「……今のところは何も思い浮かばないなぁ。あの二人を制御できるのはアズールだけ、と思うと、そう簡単には動いてくれなさそうだし」
「……後は、水中でアイツらより速く動くしか……」
「無理でしょ」
「無理だろ」
「例えば、身体強化の魔法を使うとか……」
「体感だけど、地上と同じ速度で動けるようにするだけでもかなりの補助がいると思う。先輩が僕にかけたのの何倍も強力じゃないと、あの速さには対抗できないよ」
それを五人分も、一年生に出来るとは思えない。キングスカラー先輩は気楽に使ってるように見えたけど、この人の能力の高さを踏まえると、下級生も同じように使えると考えるべきではないだろう。
「水中で人魚と真っ向勝負するなんざ、どう足掻いても勝ち目がねえ。わざわざ食われに行くようなもんだ」
キングスカラー先輩は意地の悪い笑みを浮かべて言う。尻尾がご機嫌に揺れてべしべし当たっている。同意見、って事だと思う。多分。
「打つ手ナシ、なんだゾ」
グリムがしょんぼりとうなだれる。気持ちは分かる。
無理難題を押しつけられ、それを正面から攻略して勝ちたい、というのは最上の理想。真正面から殴って効く相手かは別として、一番正当で誰にも恥ずかしくない手段だ。
それが叶わないのなら、自分を守るためには手段を選べない、という事。
「……俺がお前らの立場なら、まず何とかして契約書を破る方法を考えるな」
やっぱそれしかないよなぁ。
グリムがきょとんとした顔でキングスカラー先輩を見上げる。
「でも、あの契約書は無敵なんだゾ?」
「……本当に脳みそが小せえな」
「詐欺にあっさり引っかかるタイプッスねぇ」
「ふなっ!?」
呆れた顔の先輩たちに、グリムは不満そうな顔になる。
「そもそも、なーんでアズールくんの『絶対に破れない』って言葉を素直に信じ込んでるんスか?」
「えっ?でも、攻撃はマジで効いてなかったし……」
「その場限りのパフォーマンス……言っちゃえばハッタリの可能性だってあるじゃないスか」
この世界には魔法がある。
普通なら考えにくい事も、魔法でどうにか出来てしまう。
「契約書に攻撃が効かないのは契約書が無敵だから、とは限らないよね。あの場にはアズールもリーチ兄弟もいた。誰かが、あるいは全員が交代で、魔法を使って守ってたのかも」
「……確かにそうだな。イソギンチャクどもが暴れるのも折り込み済みで、あの乱闘騒ぎも『契約書は破れない』って印象づけるためだったのかもしれねえ」
「あの契約書自体も魔法……なんですよね?」
キングスカラー先輩が頷く。
「アズールのユニーク魔法『黄金の契約書』。特別な契約書にサインを取り付ければ、その対象から能力を一つ取り上げられる」
取引対象が魔法じゃないといけない、という縛りはなさそう。そうでなければ魔力の無い僕とは契約できないワケだし。
「しかも、契約違反が生じた場合、違反者はアズールに絶対服従状態にされちまうって話だ」
「発動条件が難しい魔法ほど、効果は大きいって言うけど……タチ悪いッスよね~」
実際に契約違反をしたイソギンチャクが俯いている。効果は身を持って知ってる、という事だ。
「取り上げた能力は契約書に封印されていて、アズール本人はいつでも使えるらしい」
「じゃあ、アズールが難易度の高い魔法を何種類も使いこなしてたのは、まさか……」
「十中八九、契約者から担保として奪った能力でしょーね」
ジャックが唸る。
「なんて奴だ!何から何までインチキって事じゃねえか!」
「ユニーク魔法自体が超レベル高いんで、全部インチキとも言い切れないッスけど」
ブッチ先輩が諫めるように言うと、ジャックはすぐに落ち着いた。
他人から能力を奪い、それを自在に扱う。
契約書を介して取引をするという前準備が必要だし、確かに難しそう。
「制約が存在する魔法ってのは、それで能力を引き上げてる場合がほとんどだ」
「……と言いますと?」
「おそらく、アイツの契約書は能力を奪うという強力な魔法を実現する制約であると同時に、奪った能力をアズールが使いやすいものに調整する役割も兼ねてる」
「優秀な魔法士から強力な魔法を奪ったとしても、アズールの能力では必ずしも完璧に再現出来ない可能性がある、って事ですかね」
「俺も能力を担保に取引した事が無いからどういう理屈かはよく知らねえがな」
「え?それなら、レオナ先輩は何を担保に取引を?」
「……なんだっていいだろうが。思い出させるんじゃねえ」
まぁ、この人ならお金と権力でどうにか出来る範囲なら何でも用意出来そう。アズールもこの人相手に無茶な交渉はしないだろうし。そういう見極めも巧そうなんだよなぁ。
……本当、くせ者ばっかりだよ、この学校。学生の身分でこんな日常あってたまるか。
「……で、だ。契約書がある限り、アイツとの契約は継続する。だからアズールは言葉巧みに契約を持ちかけ……」
「達成不可能な条件でサインをさせる……ってわけッス」
「アズールに勝つ一番の方法は『契約しない』って事だな」
「ふなぁ~……どうしたらいいんだぁ……」
グリムが頭を抱えるのを、キングスカラー先輩は鼻で笑った。
「もっと頭を使えよ。自分より強いヤツに勝つために頭があるんだろ」
僕とグリムの頭じゃたかがしれてるんですよ、という言葉は飲み込んでおいた。
「どんな魔法にだって弱点はある。魔法を封じる赤い坊ちゃんのユニーク魔法だって一見無敵だが穴はあっただろ」
ローズハート先輩のユニーク魔法『首をはねろ』。首輪をかけた相手の魔法を封じるという強力な魔法ながら、発生の早さ、射程の自在さ、対象数の融通が利く、身体的・心理的に衝撃を与えられる、といった多くの長所も持つ。
しかし、クローバー先輩の『薔薇を塗ろう』のような性質変更の魔法に先手を取られれば抗えず、魔力封じの象徴を『首輪』に固定する事でイメージを固めやすくしている反面、攻撃箇所が判るので防衛魔術が卓越した魔法士ならば防ぐ事も不可能ではない。あと単純に、キングスカラー先輩のような魔力が豊富な魔法士なら、暴走覚悟で抵抗する事も出来なくはない。
魔法は万能ではない。
そしてどれほど優秀な魔法士でも、魔法は無限に使えない。
「だから、アズールの『黄金の契約書』がずっと無敵であり続ける事なんて、それこそ『絶対に』あり得ないんだよ」
「あの『黄金の契約書』にも必ず弱点はある……海の中でリーチ兄弟に挑むより、地上で契約書の『弱点』を暴く事を目指した方がまだ勝算は高い……って事か」
ジャックは納得した顔だったが、すぐに耳が垂れる。
「……でも、なんかそれって反則くせぇな」
「あのねぇ、ジャックくん。意識高いのは結構ッスけど、君ら地上でもアズールくんたちに歯が立ってないじゃないスか」
「うぐっ……」
図星を突かれたジャックが呻く。
「大体なぁ、アイツらは何も知らない草食動物を騙して、身ぐるみ剥ごうって悪党だぜ。遠慮する必要がどこにある?」
先輩の視線がこちらを向く。とても楽しそうな笑顔だ。
「卑怯だろうが、場外乱闘だろうが、契約が無効になればこっちの勝ちだろうが」
「くぅ~っ、さっすがレオナさん!骨の髄まで卑怯者!」
「全く褒めてませんよね、それ」
思わずツッコんだが、キングスカラー先輩が気にした様子はない。一方、ジャックは少し考え込んでいた顔を上げた。
「……目には目を、歯には歯を、か」
決意も新たに、真剣な表情で僕を見る。
「よし、残り二日、全力でアズールに張り付いて、契約書を破くチャンスを狙うぞ!」
「そんなガッツリ宣言しなくても……」
「じゃ、せいぜい頑張れよ。一年坊主ども」
キングスカラー先輩の突き放した物言いに、グリムは目を丸くする。
「あそこまでアオっといて協力はしてくれねーのか!?」
「なんで俺が。サービスでヒントは与えてやったろ」
あとはテメエらで勝手にやれ、ととりつく島もない調子だ。まぁそんな協力的だったら逆に怖いけど。
「ユウ、何とか言ってやれ!」
「えー……」
「めちゃくちゃ面倒くさそうな顔しやがった!」
「そりゃ、サバナクローの人たちが協力してくれるなら助かるけど……ねえ」
「オレたちをタダで動かそうなんて考えない事ッスね」
「お前らみたいなお人好しじゃねえんだよ」
もっとも、と言いながら、キングスカラー先輩は僕に視線を向ける。
「魅力的な対価を示すなら、検討の余地はあるけどな」
「じゃあ無理ですね。自力でどうにか頑張ろう、グリム」
「ふなぁ……」
すぐさま視線を外し、グリムを励ます。ブッチ先輩が声を出さずに爆笑し、ジャックがおろおろと僕とキングスカラー先輩を交互に見ている。無視して席を立った。
キングスカラー先輩に力を借りるのは最後の手段だ。本当にどうにもならなくなって、自分だけじゃどうしようもなくなってから。
他人の好意を利用するなんて、それこそ卑怯者のやる事だ。今の僕がキングスカラー先輩にどんな対価を示して頼ったとしても、その事実は変わらない。
つまらない意地だけど。