3:探究者の海底洞窟
午後の授業は出て、ひとまず放課後は各自で情報収集に当たる事になった。エースたちはハーツラビュルの先輩たちに、僕とジャックはサバナクローの人たちに、それぞれ双子の人魚攻略の情報を集めて、明日の朝にでも作戦を考えよう、という感じ。
……もっとも、放課後すぐにイソギンチャクは呼び出されていったので、あちらの情報収集にはあまり期待出来ないかもしれない。
「お、ふたりともおかえりッス」
サバナクローの鏡をくぐると、ブッチ先輩が待ってましたとばかりに近づいてきた。
「あ、寮の雑務のお手伝いですか?」
「ん?んー、まぁそれもあるけどね」
おいでおいで、と促されて談話室まで連れてこられた。何人かの寮生に会釈を返していると、草食動物の獣人属が部屋の隅からこちらまで駆け寄ってくる。同じクラスの子だ。
「ブッチ先輩、ご用意できてます!」
「サンキュー、じゃあユウくんはこれに着替えてきてね」
ブッチ先輩は受け取った荷物をそのまま僕に手渡した。見た所サバナクローの寮服のようだけど、ジーンズは無さそう。
「えっと、これは……?」
「うちの寮服。似合うように小物とか揃えてもらったから、試しに着てみてよ」
「着替えのお手伝いするね!こっちこっち」
ぐいぐいと引っ張られるままに脱衣所まで移動する。指示されるままに服を着替えると、飾り紐や髪のセットまでされた。
最初に与えられた大きすぎるシャツはそのままに、丁度いいサイズのTシャツを重ねて露出を下げる。下は黒のレギンス、ブーツはみんなと同じデザイン。飾り紐をベルト代わりにしてシャツの丈を調整。ジャケットもちょっと大きいけど、袖がないデザインのおかげか不格好なほどではない。バンダナは魔法で細いリボンに様変わりして、髪の毛に編み込まれた。
「あ、メガネは外してね!」
明るく言われたが、断りにくい圧力を感じた。素直に従っておく。
「これなら寮長もイチコロだね~」
「そ、そんなもんですかね……?」
「うんうん、大丈夫だって!」
少年は強引に僕を立たせて、再び談話室まで引っ張ってきた。僕の姿を見た寮生たちは笑顔になっていたので、多分変では無いんだろうけど。
「寮長、ユウくんの着替え終わりましたー!」
言われて、談話室にキングスカラー先輩が来ている事に気付いた。
中央の岩に座っていた先輩は僕の姿を見て笑みを深め、手招きする。馬鹿正直に傍に行くと軽く抱き寄せられた。寮生の口笛がサムイ。
「悪くないな」
「そ、それはどうも」
「こうして寮服に袖を通したなら、仲間として迎える宴くらいはしてやらねえとな?」
そういうのは別に、という文句が寮生たちの歓声にかき消された。
「買い出し行ってきます!」
「バーベキューコンロの準備してきます!」
寮生たちは口々にやる事を宣言しながら談話室を出ていく。助けを求めてブッチ先輩を見るが、上機嫌に笑うばかりだ。
「あの、僕も何かその、お手伝いとか……」
「もちろん、買い出し組が帰ってきたら、食材の準備ぐらいは手伝ってもらうッスよ」
「他の雑用とかは、その」
「寮長のご機嫌取りも立派なお仕事ッス。いやー助かるッスよー、部屋の掃除してる間はそうしといてね」
「そ、そんなぁ……」
「別に取って食いやしねえよ」
岩から降りたキングスカラー先輩が、僕の髪に指を絡める。悪戯っぽく細められた緑の目は、獲物を逃す事はないと語っていた。
「一年のガキどもとどんな時間を過ごしたんだ?教えてくれよ、プリンセス」
「プリンセスじゃないです」
「律儀なこった」
こまめに否定しておかないと定着しそうで嫌なんだよこっちは。
ふと思い立って先輩の顔を見上げる。
「先輩は人魚って見た事あります?」
「うちの学校にもいるだろ」
……っていう事は、知ってたんだろうな。リーチ兄弟の正体。朝食の時にもう少し話を聞いておくべきだったかな。……でもあんまり借りは作りたくないし、あの時点で知った所でもどうにもならない。これは忘れよう。
「珊瑚の海まで行って、リーチ兄弟に追い回されて帰ってきました。収穫は、鏡からアトランティカ記念博物館までの距離、ぐらいですかね」
「それはそれは」
とても楽しそうな忍び笑いが聞こえた。ムカッと来たけど黙っておく。相手のペースに乗せられてはいけない。
「魔法薬は水圧の抵抗までは消してくれないから、物理攻撃は不利。炎の魔法も使えない。人魚相手に水中で勝つのは絶望的、というのも学びといえば学びでした」
「ほぅ」
「……後はそうですね。博物館の周りは、人魚がいっぱいいました。観光名所だけあって人の出入りは多そうでしたね」
「二本足の人間の姿はあったか?」
言われて思い返す。
「……無かったと思います」
「珊瑚の海出身の人魚が陸の学校に通う事が出来ても、未だに両者の間の行き来は盛んじゃない。鏡から博物館まで道や案内も無かったろ」
「……無かったですね、そういえば。目印付けながら歩いてました」
「道がないって事は、使う者がいない。そこまで行く陸の人間は多くない、ほぼいないって事だ」
「……そんな状態で僕らが博物館に入ったら」
「門前払いって事はないだろうが、目立つな。よほどうまくやらなきゃ盗みなんて出来やしねえ」
情報が整理されていく。……先輩に話して良かったかもしれない。
「写真パネルは博物館の入り口近くって話だし、見られずに盗むのはほぼ不可能。素早く取ってすぐに逃げたとしても……」
「水中で追いかけられたら人魚にまず勝てない。一年生程度じゃ、これを覆すような強力な魔法は使えない」
「情報が出れば出るほど不利になってるなぁ……」
とはいえ、正攻法の手段は残されている。盗みなんか働くよりずっと健全でまともな方法。ただし、その余地が残されているかはまだ解らない。博物館に行って確認する必要がある。
問題は、双子がその『確認』すらさせようとしない雰囲気である事だ。それはつまり、接触さえ出来れば動かせる可能性がある事を示している。
双子がアトランティカ記念博物館に妨害に来るのを防げれば、勝機はまだ残されている。
……でもあの圧倒的な泳ぎの速さを見るに、向こうは鏡を経由してもしてなくても即時こちらに追いついてくるだろう。考えれば考えるほど難しい。
「……無い知恵絞ってもたかが知れてるだろうに、お前は本当に諦めが悪いな」
「そりゃ、イソギンチャク生やして奴隷にされるなんて嫌ですよ。故郷にも帰りたいですし」
「……闇の鏡も帰せないド田舎の秘境、だったか」
「はい」
キングスカラー先輩は目を細める。訝しむような雰囲気だが、その疑念は僕に向けられていない。
「……そんな所まで、黒い馬車はどうやってお前を迎えに行ったんだ……そもそも魔力のないお前を、どうして連れてきたんだ?」
純粋な疑問、だと思う。僕に対しての個人的な感情は何も感じない声音だった。
先輩の手が頬に触れてくる。緑の目が、僕を透かして何かを探すようにこちらを見つめていた。思わず見つめ返す。
「買い出し班戻りましたーっ!!」
どやどやと賑やかな声が談話室に雪崩れてきた。先頭にいた寮生たちが、入り口を振り返って固まっている僕とキングスカラー先輩を見て固まる。
「あ」
「し、失礼しました!!!!」
「いや、何も失礼してないよ!!??」
「俺たち出ていくんで!!ごゆっくり!!!!」
「なんだー。せっかくいい雰囲気だったのに」
キングスカラー先輩の部屋の方から、ひょっこりとブッチ先輩が顔を出す。逃げていった買い出し組に向かって声を張り上げた。
「ほら、買い出しの次は談話室の掃除ッスよ。料理出来るヤツは食材の準備手伝って!……ユウくんも料理できる?」
「あ、実質一人暮らしだったので、多分一通りは」
「包丁使えれば大丈夫ッス。キッチンはこっちね」
ブッチ先輩に手招きされて駆け寄る。キングスカラー先輩を振り返ると、ふらふらと自室に帰っていく所だった。
「レオナさんなら気にしなくて大丈夫ッスよ。ちょっと頭冷やすと思うんで」
ブッチ先輩はシシシ、と悪戯っぽいいつもの笑いを浮かべる。
「ホント、変な所で不器用ッスよね。あの人」