3:探究者の海底洞窟




 大慌てて鏡を通り、鏡の間へと戻る。ちょうど魔法薬の効果も切れたようだが、呼吸はしばらく落ち着かなかった。固い床にへたり込む。
「……お、お前ら無事か?」
「なんとかね……」
「まさかアイツらが人魚だったなんて……」
「魔法も全然当たらねえ!あんなに泳ぐの速いなんて卑怯なんだゾ~!」
「……ユウ、大丈夫か?」
 エースが恐る恐るという感じで声をかけてくる。全力で首を横に振った。
「……だよねー」
「よりにもよって、子分の苦手なニョロニョロの魚の人魚だもんな……」
「そりゃ水の中だから、肉弾戦は元よりあまり期待できない所ではあるけど……」
「アトランティカ記念博物館に行く度にあの双子が出てくると考えると……」
 みんなからの視線が痛い。自分の心も痛い。
「でもさぁ、正直魔法が使えても、人魚に水の中で勝てるワケねぇじゃん。あんま関係ないって。な?」
 エースは励ますように明るく言ってくれたけど、グリムはしょんぼりとうなだれている。
「……でも早く写真を取ってこないと、オンボロ寮まで取り上げられちまう」
「……もうダメかもしれない……」
 あまりにも絶望的な状況に思えて、思わず口から漏れた。エースが肩を叩いてくる。
「諦めるのは早いって!まだ二日もあるし!」
「とにかく、作戦の練り直しだな」
「そーね。自称情報通のケイト先輩とかにも話聞いてみよーぜ」
「俺もラギー先輩たちに相談してみる」
「……ごめんね、みんな」
 四人とも気にするなと笑ってくれたが、内心は穏やかではない。
 自分が一番足を引っ張っているという状況は、どうあっても気持ちが落ち込むものだった。
 それからああでもないこうでもないと話し合ったが、建設的な意見は何一つ出ないまま昼休みを迎えてしまった。
 どうしても食欲が湧かないので、グリムをエーデュースに任せ時間を潰す事にした。自分の苦手が大きな不利を作っている現状、一緒にいるのもちょっと心苦しい。
 中庭ではいろんな生徒が穏やかに過ごしている。僕もベンチに腰掛けてぼんやりと空を見上げていた。
 このままだと負けてしまう。どうにかして勝つ方法を考えないといけない。でも何も浮かばない。
 頭にイソギンチャクを生やされた自分を想像しただけで吐きそう。これだけは何としても避けねばならない。でも何も浮かばない。絶望するほど何も浮かばない。泣きたくなってきた。
『ハシバ氏、ひとりでなにしてんの?』
「うわぁ!?」
 真後ろからいきなり声がして、思わず飛び退いてベンチから転げ落ちてしまった。振り返るとタブレット端末が浮いている。
『そ、そんな驚く?』
「す、すみませんちょっと考え事してまして」
『グリム氏は?今日は一緒じゃないの?』
「はい、グリムは食堂で昼ご飯食べてるので……」
 答えてから、タブレット端末をまじまじと見つめる。
「シュラウド先輩?」
『そうだけど?あれ、気付かずに返事してたの今まで?』
「いや声でそう思ったんですけど……タブレットでお会いするのは初めてですし、ギャップで思わず確認しちゃいました」
『拙者これがデフォなんで、ハシバ氏の方がレアですぞ』
 僕がベンチに座ると、当然のように正面に浮かんで止まった。
『それで?』
「はい?」
『グリム氏と並ぶ食欲の権化であるハシバ氏は何で食堂行かないの?』
「そこまでじゃないです!!今日だって食欲出なくて、のんびりしようかなって思っただけです!」
『マジギレで草』
「イグニハイド寮まで行って殴りますよ」
『暴力反対~脅迫で通報しますた』
「スーパーハカーの友達に頼んでお前のパソコンハッキングしてもらうからな」
『ぼっちが顔真っ赤にして必死だな』
 ここで吹き出してしまった。タブレットからも楽しそうな笑い声が聞こえる。
『……元気出た?』
「はい。先輩って楽しい人ですね」
『そんな事を言ってくるのは君ぐらいだよ』
 向こう側で呆れた笑顔をしているだろう事がすぐにわかる。
「ありがとうございます、先輩」
『うん、……それで?』
「はい?」
『馬鹿の考え休むに似たり。……暇だから話ぐらいは聞いてあげるよ』
 グリムの頭にイソギンチャクが生えてるのは、シュラウド先輩にも無関係じゃないだろう。少し迷ったけど、かいつまんで事情を説明した。
 解っていた事だが、反応はキングスカラー先輩たちと似たようなものだった。
『それはもうなんというか……ご愁傷様』
「こっちとしても逃げ場が無かったので……」
『さすがアズール氏。相手を無策の状態で契約まで持ち込んだ時点で普通なら即詰み確定のヌルゲーですわ』
「普通なら?」
 タブレットの向こうで、先輩がニヤリと笑った気配がした。
『そりゃあ、ハシバ氏が孤立無援ならもうどうにもならないだろうけど。キミにはサバナクローが、引いてはレオナ氏がバックについてる。これを許したのはアズール氏の油断だよ。間違いなく悪手』
「つ、ついてるという程では……」
『レオナ氏は現実的な損得勘定も出来るけど、獣人属だし身内感情もそこそこ強いタイプでしょ。どんな経緯であれアズール氏と対立した君を受け入れたって事は、アズール氏よりは君に傾いてるって事だよ』
 他人からそう言われると、少し確信が持てそう。僕が機嫌を損ねなければ心強い味方だ。
『傍から見ればほぼ詰みだけど、レオナ氏が味方ってだけで勝ち筋が無いとは言えなくなる。それぐらい強いカードだから』
「そんなに!?」
『そんなに。だから、諦めるにはまだ早い。負けを認めなければ、まだゲームは続けられる。ゲームが続く限り、盤面をひっくり返すチャンスはあるかもしれない』
 何だか意外だった。この人の口からこんな前向きな言葉が出てくるなんて。
『……まぁ、アズール氏は拙者にとっては部活の後輩なんで、過度な助言は控えるけど』
「そんなぁ!」
『世の中そう甘くはないって事ですなぁ』
 フヒヒ、と画面の向こうで笑っている。
『とりあえず、期限までは頑張ってみなよ。脳筋は無駄な努力得意でしょ?』
「……そうですね、確かにこのまま負けるのは嫌ですし!」
『その意気ですぞ~。では拙者はこれで』
「あ、はい。ありがとうございました!」
 タブレットはふよふよと中庭を横切って去っていく。柱の影に見えなくなった所で、僕も立ち上がった。
 その瞬間、腹から音が鳴る。食欲も戻っていた。中庭の時計を見ると、昼休みはもう半ばを過ぎている。これから食堂に入っても、多分何も残ってない。購買に行って買ってくるしかないな。
『ハシバユウさーん!』
「オルト?」
 声に振り返ると、オルトがふわふわとこちらに飛んでくる所だった。腕には購買の紙袋を幾つか抱えている。
『まだ中庭にいて良かった!はいこれ』
 差し出された小さめの紙袋を思わず受け取った。
「これは……?」
『兄さんからの差し入れだよ。ゼリー飲料と、栄養補助食品のチョコバー』
「え?え?」
『食欲無いって言ってたから手っ取り早く食べられるものがいいってメールに書いてあったよ。兄さんがいつも食べてるから味は悪くないはず』
 つまり僕と話してる間に、オルトに連絡して買ってきてもらったという事らしい。
「ありがとう。えっと、お代は……」
『受け取らないよ。ボクはおつかいのついでだし、兄さんはグリムさんをもふもふさせてくれるお礼って言ってたし』
 もふもふさせる事が出来てるのはグリムの我慢の賜物だし、励ましてもらった上に差し入れまで貰うなんて、何というか貰いすぎてる。
 ……でも今はお言葉に甘えさせてもらおう。お礼は後日、ごたごたが片づいたらいっぱいすればいい。
「改めて、ありがとう。シュラウド先輩にもお礼と、喜んでたって伝えてもらえる?」
『もちろん。また兄さんと遊んでね』
「次はオルトもグリムも一緒にね」
『うん!それじゃあね!』
 オルトは来た時と同じようにふわふわ飛んでいってしまった。このままイグニハイドに戻るのだろう。
 思わぬ応援を貰ってしまった。おかげで気持ちが上向きになった。お礼を考えておかないと。
 ……それにしても、シュラウド先輩とアズールが同じ部活とは。何だか意外。まだまだ知らない繋がりが多いなぁ。


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