3:探究者の海底洞窟
「ユウ、こっちだこっち!遅いんだゾ!」
慌てて着替えて食堂まで行くと、グリムは既にサバナクローの生徒たちと同じテーブルで食事していた。ご機嫌な所を見る限り、手厚くもてなされてるらしい。
嫌な予感がしつつ近づいてみれば、キングスカラー先輩の隣があからさまに空いている。
「ユウさんの分も持ってきたんで、座ってください」
ブッチ先輩を含め他の寮生はニコニコ顔でこちらを見ていた。大人げないのを承知で踵を返そうかとも思ったが、時間が無いのは解っているので大人しく席に座る。礼を言って食べ始めると、周りがホッとしているのが感じられた。
仕方ない、朝食に罪はない。
「それにしても、さっきのシュートは痛快だったんだゾ。来年の寮対抗マジフト大会で披露するのが楽しみだ!」
「来年も出るつもりなのかよ」
「気の長い話ッスねぇ」
「オマエらだって、マジフト大会に向けて練習してるんだろ?」
「違う違う、その前にもっとでっかい大会があるんスよ」
「でっかい大会!?」
グリムの目が輝いた。
「そ。来年の五月に開催される、学園対抗戦!」
つまり、学園同士の戦う大会。この間のマジフト大会が元の世界で言う所の体育祭なら、そっちの大会は地区予選、あるいは全国大会、といった感じだろうか。
「学園対抗戦では、ナイトレイブンカレッジの生徒全員からメンバーを選抜する事になる。所属寮は関係ない」
「……って事は、チームには足りないオンボロ寮でも選手になれる!」
「選ばれれば、ね」
今の状態じゃ望み薄だ、と言いたげにブッチ先輩は笑っている。グリムがそんな事を察するわけがない。
「うちの対戦相手はロイヤルソードアカデミーだ」
「ああ……えっと、この島にある別の学校、でしたっけ」
「百年負け続けてる相手なんだゾ?」
「九十九年だ」
ちょっと空気がピリッとした。そこは大事らしい。周囲の寮生は『いけすかないお坊ちゃま学校』だの『制服が白くてダサい』だの口々に言っては互いに同調している。
「ロイヤルソードアカデミーとの去年の試合は、俺もテレビ中継で見てた。選手の能力が高いのは勿論だが、連携が上手かった印象がある」
「こっちはポジションで揉め、試合前に乱闘騒ぎ……惨憺たる有様だ」
こう聞くとなんだか、ライバルと言うほど拮抗してなさそう。ナイトレイブンカレッジの生徒だって能力が高いのは間違いないと思うんだけど、『負けん気が強い』が悪い方向に出てるんだろうな。世界で五本の指に入る魔法士が在籍しているのに挽回できないなんて相当だ。
そこでさっきの模擬戦が頭を過る。
「あー……だからさっきの……」
サバナクローの寮生たちが一斉にこっちを見たので心臓が止まるかと思った。思わず口を噤む。
「な、なに!?」
「いや、先を!」
「続きをどうぞ!!」
思わず隣のキングスカラー先輩を見たが、我関せずで涼しい顔をしていた。
「いやあの……連携の練習じゃないけど……そういう意味もあったのかなって……」
チーム競技において連携は必須項目だ。多分だけど、自分の技量よりも周囲を見る力が必要になる。
グリムと僕という共通の的を狙うにあたり、あの多すぎるぐらいの人数で、周囲の動きを見て魔法を使った奴がいたのか、という話だ。
僕たちは寮の皆がどんな魔法を使えるのか知らない。僕は魔法を使えないのだから、着地や回避の誘導が出来ていればディスクを奪うのはさほど難しくなかったはずだ。僕とグリムが『曲芸』する隙など無かっただろう。
「そういや、危ない!と思った所に他の魔法が飛んできて当たらなかった事もあったな」
「アレかなり無駄だよね。勿体ない」
寮生たちは割と真剣に聞いている。ブッチ先輩も興味深そうな表情だ。ジャックもうんうん頷いている。
「他人を利用するにしても協力するにしても、周囲を見て何をしようとしているか把握するのは大事な事だと思う。それが出来るか見るために、あんな変な練習提案したんじゃないかと、思ったんだ、けど……」
不意に、腰の辺りに何かぶつかった気がした。振り返ると、獅子の尾がぱたぱた揺れてぶつかっている。顔を見ると思いっきり目が合った。満足そうに笑っている。
「素人でもこれくらいは解るって事だ。肝に銘じろ」
寮長の言葉に対し、寮生たちは元気に返事した。食堂にいる人たちの視線が集まった気がする。居づらい。
「これならウチに転寮してもうまくやってけそうッスね」
「どさくさに紛れて何言ってるんですか」
ブッチ先輩は独特の笑い声をあげつつ上機嫌に話す。
「だってオンボロ寮、オクタヴィネルに取られるかもしれないんでしょう?行き場が無いならウチに来ればいいじゃん」
「そうならないために動いてるのでご心配なく」
「そもそも、なんでアズールなんかと契約したんだ?」
キングスカラー先輩が気怠げな態度で尋ねてくる。一応、興味はあるらしい。
「イソギンチャク駆除のためです」
「……毛玉のソレか」
「同居人の頭にこれから四六時中これが生えてるかと思うと気が狂いそうで」
「そんなに!?」
「……アズールの狙いはオンボロ寮の立地だったみたいなので、僕が契約しなければ、学園長に直接話が行って追い出されてるか、最悪の場合は抵抗も許されないまま奴隷ルートだろうなと思ったのもありますけどね」
学園長にアズールの企みを止めるよう依頼された事、昨年も同じような経緯で取引が行われた事も説明した。ブッチ先輩でさえ同情するような視線を向けてくる。
「こないだも学園長に頼みごとされてたじゃないスか。その、そんなに守ってもらえないんスか?」
「僕が肌でそう感じてるだけなので、実際どう判断するかは知りませんけど。僕一人なら勝ち目の薄い契約なんかしないでとっとと逃げてます」
言ってから、ご機嫌な顔でドーナツを頬張るグリムを見た。ブッチ先輩が小さく声を漏らす。
「お人好しなこった」
「どうとでも言ってください」
「それで、契約の内容は?」
ぺしぺし、と尻尾が身体を叩いて催促している。本当に器用な尻尾だな。
少し内容を思い返して、まぁ他言無用も言われてないし、と内容を明かした。ブッチ先輩の顔がひきつり、キングスカラー先輩は面白くなさそうな顔になってる。
「三日後の日没までに、珊瑚の海にあるアトランティカ記念博物館から写真を奪ってこいって?」
「なんというか……ご愁傷様ッス」
「まだ始まったばかりなのになんてコト言うんだ!」
グリムが思わず抗議するが、二人の表情は変わらない。
「逃げ道が無いったってエグすぎるっしょ。無理難題押しつけられたって自覚ある?」
「それはまぁ……そうなんですけど。今更しょうがないというか」
「そもそもアトランティカ記念博物館って海の中じゃないスか。どうやって行くつもりなんスか?」
「アイツら、水の中で呼吸が出来る魔法薬をくれたんだゾ」
「効き目のほどはわからねぇけどな」
グリムの言葉にジャックが補足を添える。
「アズールくんがくれたなら、効き目は間違いないとは思うッスよ。あの人のプライド的にせこい魔法薬を掴ませてくるとは思えないし」
「そうなんですね」
じゃあ魔法薬の不備を理由にいちゃもんつけるのは難しそうだ。一応は正攻法で向かうしかなさそう。
「そういや、レオナたちはアズールのテスト対策ノートを使おうとは思わなかったのか?」
「あ、それは確かに。楽できるならやりそう……あ、いや、すんません」
ジャックは慌てて謝ったが、二人は特に気にしてなさそうだった。
「誰が好き好んであんなインチキ野郎と何度も取り引きするか」
不愉快そうに歪む表情は、ジャックではなくアズールに向けられたものなのだろう。よほど気が合わないらしい。
「背に腹は変えられなくて取引したことはあるが……毎度ロクな条件じゃなかった」
「進んで力を借りたい相手じゃないッスよねぇ」
ブッチ先輩も同調する。嫌悪混じりの畏怖、というのだろうか。出来れば関わりたくない、という感情が見て取れる。
「ちょっと無茶なお願いもホイッと叶えてくれるし、実力がある魔法士なのは確かなんスけど」
実力がある、という点についてはキングスカラー先輩も異論は無さそうだ。……この人自身も何でも出来るタイプだろうに、それでも取引したって、一体何を叶えてもらったんだろう。
「そもそも取引ってのは、欲しいものがある方が不利に決まってる。頭の回らない草食動物が軽い気持ちで契約すりゃ、あの手この手でカモられるのがオチだ」
後半は軽率な行動を責められてるような気分だった。尻尾の当たりもなんとなく強い。
「グリムはともかく、ユウは結構言い返してましたし、軽い気持ちってワケじゃ……」
「契約してるんじゃ結局あのタコ野郎の手のひらの上だ」
ジャックは落ち込んだ様子で口を閉ざす。
「そうですね。出来る限りご迷惑はおかけしませんので、先輩もどうかお気遣い無く」
椅子から立ち上がる。何人かの生徒が慌てた顔になった。
「食器は俺たちが片づけときますから!」
「もう少しゆっくりしても!」
「いえ、今は時間が惜しいので」
「そうだな、ユウ。早くアトランティカ記念博物館に出かけるんだゾ!エースとデュースも道連れだ!」
「そういう事なんで失礼します」
グリムの分まで食器を手早く集めて愛想良く挨拶し、とっとと返却口に届けた。
確か長距離移動は闇の鏡を使う必要がある。もうエースたちは教室にいるだろうから、行きがけに声をかけていけばいい。瓶は大きいし量もなみなみとあったから、二人増えるぐらいどうにかなるだろう。
「ユウ!」
振り返るとジャックが走ってくる所だった。
「どしたの?」
「え?」
「もしかしてついてくる気でいたの?」
「当たり前だろ。お前がアズールに勝ってくれないと困る。……お前らに加えて連れがあの二人だけじゃ不安だ」
エーデュースが聞いたら怒りそうだな。言わんとする事は解らなくはないけども。
グリムの視線は訝しげだ。
「またレオナにキレられて逃げてきたのか?」
「レオナ先輩はキレてねえ!むしろしょぼくれてたくらいで……」
反射的に言い返して、失言に気づいて口を噤む。筋骨隆々って感じの体躯で顔も声も迫力があるのに、こういう所は年相応だ。
「しょぼくれる?レオナが?」
「言葉のあやだ。忘れろ」
「取引は欲しいものがある方が不利、だからね」
僕の言葉に、グリムは首を傾げている。ジャックは複雑な顔だ。
「本当に先輩の事が嫌いなわけじゃないよな?」
「嫌いではないよ」
お付き合いとかはしたくないけど。
浮かんだ言葉は飲み込んでおいた。僕の都合の話だし。
本当に勝ち目がない勝負をしている現状、使えるものは何でも使いたい。負けたら奴隷にされるとあっては、手段を選んでる場合じゃない。尊厳を守ろうと自由が奪われれば何の意味も無いんだ。
キングスカラー先輩の好意とサバナクローの助力は有効なカードだ。後の生活の事を考えると最後の切り札にはしたいが、それまでは使おうと思えば使える位置を維持しておく必要がある。
……ただ、キングスカラー先輩もアズールとはあまり関わり合いになりたくなさそうだった。動かすには相当大きな代償を払う覚悟がいる。あまり考えたくないけど、それこそしばらく言う事を聞くぐらいの事は必要になるだろう。
それでも、グリムと二人揃って頭にイソギンチャクを生やされて、アズールの奴隷にされるよりは遙かにマシだ。マシだと思いたい。
先は思いやられるが、今はそれよりもやるべき事がある。人知れず気を引き締める。
「とりあえず、僕とグリムはエーデュースに声かけてくるから、ジャックは学園長から闇の鏡を使う許可を貰ってきてよ」
「わかった。……置いていこうとすんなよ」
「しないよ。イソギンチャクに囲まれるのしんどいもん。一緒に来てくれるならそれはそれで有り難い」
ジャックは納得した顔になって頷き、学園長室に向かっていった。
「よし、僕たちも急ごう。授業始まってからじゃ出てこれないし」
「おう!珊瑚の海に出発だ!」