0:プロローグ
その後、補修される事になった『ハートの女王』の石像はカバーに覆われ、残る石像や大通りの清掃に勤しむ事になった。登校時間を過ぎれば人通りは無いので、思ったよりはスムーズに進む。怒られたのが効いたのか、グリムも少しは手伝ってくれた。
『次は、購買から魔法薬学室に配達だよ~』
『実際に歩いた方が覚えやすいからね』
ゴーストたちと購買に向かう。見た目は洋風の、ちょっとお伽噺に出てきそうな一軒家だった。学校の敷地内にある事に違和感を覚えつつ中に入れば、内部は無数の棚が並び雑然としている。学内の購買部らしくノートやペンなど学用品があるかと思えば、用途不明の怪しげな薬瓶などが無秩序に置かれていた。
「はぁい、いらっしゃい、小鬼ちゃん。『Mr.Sのミステリーショップ』にようこそ!何をお探しかな?」
カウンターの男性が明るく声をかけてきた。褐色の肌に白いペイントの独特のメイクをしていて、衣装も個性的。一瞬呆気にとられたが、すぐに持ち直す。
「雑用係のユウと申します。魔法薬学室に配達する品を受け取りに来ました」
「そうか、キミが噂の雑用係。初めまして、かわいいメイドちゃん」
男性はサムと名乗り、ハットを脱いで恭しくお辞儀してみせた。反射的に自分も頭を下げる。
「ああ、その衣装覚えてるよ。イベントの売り子用の衣装で取り寄せたスナイパーモデルのメイド服のレプリカ品!サイズ合わせいらずの自動伸縮機能付き、着心地も運動性能も抜群だろう?」
「あ……はい、動きやすくて助かってますけど」
「スナイパーライフルは使える?」
「使えません」
「残念、そこまであったら完璧なのに!……使えなくても飾っておくのもアリだよ」
「いえ、お金無いので」
「分割払いも受け付けるよ」
「それより必要なものたくさんあるので!」
『サム、ユウを困らせないでおくれよ』
『遅くなったらクルーウェルに怒られちゃうよ~』
見かねたゴーストたちが助け船を出してくれた。サムさんは我に返ったように身体を引く。
「おぉ……済まないね、小鬼ちゃん。じゃあ依頼の品は裏の台車に乗せておくね。強い衝撃は厳禁だから、ぶつからないように気をつけて」
「ありがとうございます」
お辞儀をして、積み上げられた缶詰を見つめて涎を垂らしているグリムをひっつかんで外に出た。
「……長時間いたらいけない空気してる」
『サムは商売上手だからね~』
『でも必要なものなら何でも揃うよ。今日のお給金が出たら、必要なものを買いに行こうね。下着の替えとか日用品も必要だろう?』
「オレ様もツナ缶ほしい!」
『はいはい、また今度ね~』
駄々をこねるグリムをゴーストたちが宥めてくれる。……なんというか、人間の食べ物を平気で食べる事には驚いたけど、でも食べ物の好みは猫なんだなぁ。
言われた通りに台車を転がして魔法薬学室に向かう。
『そういえば、さっそく一年生と揉めたんだって?』
台車の隙間に寝っ転がり楽ちんだ~と上機嫌だったグリムの顔が一気に険しくなる。
「揉めたんじゃねえ、喧嘩売られたんだ!アイツ、オレ様の事バカにしやがった!」
『揉めてるじゃないか~。血の気が多いな~』
「そういえば、ここの新入生ってみんないくつぐらい?」
『だいたい十六歳くらいだよ。例外もいるけど』
という事は、つっかかってきたアイツも十六歳か。
「下手すると二つ年下か……」
『おや、ユウは十八歳なのかい?』
「今度の誕生日で十八歳だよ」
『誕生日っていつ?』
「九月だからまだ先の話」
「お前寝ぼけてんのか?もう九月だろ」
「…………え?」
後頭部を殴られたような衝撃を受けた。
ずっと今は四月だと思っていた。日本の九月なんて残暑で暑いくらいだし。
「……一年って、十二ヶ月だよね?」
「当たり前なんだゾ」
グリムが呆れた顔で答えた。じわじわと違和感が胸に広がっていく。
元の世界と暦がずれているのか、自分が五ヶ月間どこか別の場所にいたのか。
言葉にできない不安が広がっていくのを、必死でふりほどく。
『お誕生日はお祝いしなきゃ!で、いつなんだい?』
「……ごめん、いまの忘れて。ちょっと違う気がするから」
『違うって?』
「いまはちょっと、そういう気分になれそうにないや」
改めて気味が悪い。
さっきの『茨の魔女』の話であの女の事を思い出したからだろうか。
そもそもここに来る前、僕は何をしていたんだっけ?
三年生になってから登校はしたはず。進路の話をした記憶がある。憂鬱な気分になった覚えがある。誰もいない家に寂しさを覚えて家を出た。
考えれば考えるほど、景色がぐちゃぐちゃになる。
僕を迎えに来たという黒い馬車はどこで見たんだっけ?
そんな事を考えていると、ゴーストが顔を上げるのが見えた。
『ここが魔法薬学室だよ。荷物はこっちから入れるんだ』
ゴーストに案内されるまま台車を押す。扉をノックすると、入室を許可する声が聞こえた。
「失礼します、購買部からお荷物のお届けです」
「ご苦労、そこの床に積んでおいてくれ」
さっきと同じ声が近くからする。
声の主は白と黒の毛皮のコートをまとった男性だった。髪の色も白と黒のツートンカラーで、手足や服の要所要所を鮮やかな赤が彩っている。色彩の統一された服は洗練された雰囲気で、真っ直ぐで自信にあふれた立ち姿も相まって、高級ブランドの専属モデルのような人だと思った。よく知らないけど。
僕が荷物を運んでいる間に、グリムは室内をうろうろと見て回っている。
「ヘンテコなものがいっぱいなんだゾ」
グリムの視線の先には、多種多様な中身を湛えたガラス瓶がいくつも並んでいた。一見すると学校の理科室みたいなんだけど、乾燥した草や不思議な色の液体、ホルマリン漬けのような動物っぽいものが入った瓶や、黒こげの何かが詰まった瓶など、僕の世界では見かけない、ちょっと理解できないものも多数ある。正直おっかない。
「ふぎゃっ!」
全部運び終わった瞬間に、グリムの悲鳴が聞こえた。
「な、何するんだ!」
「不用意に触るな。魔法薬の素材はデリケートなんだ」
「も、申し訳ありません」
男性の構えた教鞭と、前足をさするグリムの様子を見るに、どうも何かに手を出そうとして叩かれたらしい。慌ててグリムを抱えるとじたばたと暴れた。
「何だよ、ちょっと触っただけだろ!?」
「その『ちょっと』がダメなの!薬品は中身知らないで触ると危ないんだから、わからないなら勝手に触ったらダメ!」
「……雑用係」
「はい!」
思わず背筋を伸ばす。ああまた怒られるんだな、と思った。
しかし、男性が差し出したのは棒付きのキャンディだった。ウサギと、猫の手の形をしたものが一本ずつ。
「ペットのしつけはなっていないが、その姿勢は評価してやろう。危険への警戒は薬学の正しい理解への一歩だ」
「あ、ありがとうございます」
「俺はデイヴィス・クルーウェル。魔法薬学を担当している」
「羽柴悠といいます」
「オレ様はグリム!」
「これからは荷運びでここに来る事も多いだろう。お前も気づいた通り、この部屋には危険な薬物も多数保管している。不用意に触ると命にも危険が及ぶ」
肝に銘じるように、とクルーウェル先生は釘を刺した。
「本当にすみません……」
「授業の見学はいつでも歓迎する。ただし、必ず二人セットで来る事。ペットだけを寄越す事がないように」
「はい!」
クルーウェル先生は満足そうに頷き背を向けた。話は終わり、という事らしい。失礼しました、と挨拶して部屋を出た。思わずため息を吐く。
怖かった。綺麗な顔してるけど絶対厳しい先生だ。意地の悪い引っかけ問題とか出してきて、できないと『こんな問題も解けないのか』とか正面から言ってくるタイプだ。
「おい、オレ様にも飴を寄越せ」
グリムは猫の手の形をした飴を受け取ると、台車にぴょいと飛び乗った。ウサギの飴はポケットに突っ込み、台車を押して歩き出す。
『クルーウェルには気に入られたみたいだね~』
「うぇっ!?」
『初対面で飴までもらっちゃって。さすがはプリンセスだ』
「そうかなぁ……」
先生たちがどこまで僕の境遇を聞いているかは不明だが、女装で働かされている事を不憫に思われた可能性もある。……それはそれでちょっとつらい。
「この飴うめーな」
人の気も知らず、グリムは上機嫌で笑っていた。