トキ春

二人の男が見守る前で、先ほどから春歌が一人百面相を繰り広げている。
それはそれでいつまでも見ていて飽きないが、折角拐ってきたのでそろそろ中断させたほうがいいだろう。

「レディ、こんな良い男が目の前にいるんだから、俯いてないで顔を上げてごらん?」
「え…えっ、と…」

彼女が戸惑ううちに、レンの彫刻のような指先が細い顎を捉えてくい、と持ち上げている。

「そう、レディの美しい目は俺だけを写していればいいよ…」

歯の浮くようなレンの台詞に、春歌が目を見開いて顔を真っ赤にしている。
これには、彼女を挟んで反対側に座っていた翔のほうが耐えかねて、固まる彼女の代わりにレンの腕を払いのける。

「だあー、やめやめ!」
「なんだ、羨ましいのかい?」
「違うわ! こいつが固まってるだろ!?」
「あ…う…」

からかい口調のレンに翔が反論する間も、真っ赤になった春歌が今にも湯気を吹き出しそうな気配をみせている。
翔が話題をふった。

「な、ほら。せっかく日曜だし、気晴らしにさ、遊ぼうぜ! どれから乗りたい?」

春歌もトキヤも真面目過ぎるのだ。
トキヤは完璧主義だし、そんな彼と組んだ春歌も休日だろうとなんだろうと音楽の勉強ばかり。

一時期の二人は周りをやきもきさせる雰囲気だったが、トキヤの方に多大な心境の変化があったらしく、今は随分と落ち着いた。そしてお互い想い合っているのは明白なのに、それらしい事を欠片もしている様子がない。
挙げ句、今日も二人で真面目にレッスンだ。

あと僅かで卒業となってしまうのに、それではつまらない。
と、いう訳で。
レンの提案により、寮を出てきた春歌を誘拐の要領で遊園地まで連れてきたのである。

「え…あ、でも…」

オロオロと何かを訴えようとする春歌。
言わんとしている事はわかっていたが、なんだいレディ、と訊きかけたレンのスマホが着信を告げた。

表示された名前と、そのタイミングの良さに苦笑を漏らし、数コール目で「はい」と応答する。
予想を裏切らない不機嫌な声が流れてきた。

『レン…彼女を解放してください』
「うん?なんのこと?」
『白々しいですね。あなたが春歌を誘拐していったという証言は得ています』
「たまには良いだろ? 誰かさんのせいで根を詰めすぎなレディの為には、こういう気晴らしが必要さ」

応じるレンの態度で、相手がトキヤだと分かったらしい。春歌が更に狼狽え出した。
春歌にウインクを投げ、レンは会話を続けた。

「なんならイッチーもこっちに来ればいい。悪くない提案だと思うけど?」
『お断りします。卒業まで日がないのですよ。練習時間を削っている場合では、』
「そう? じゃあ…レディに聞くけど、イッチーが来たら嬉しい?」

わざとらしく電話口に語りかけつつ、春歌に訊ねる。
問いを投げられた春歌は、え、と言葉を詰まらせてしまった。
だが、先ほどレンの提案を聞いた時に嬉しそうな顔をしたのを、彼は見逃していなかった。

「イッチーもここに来て、一緒に遊んでくれたら嬉しいよね、レディ?」
「え、と…それは…嬉しいですけど、でも…」
「嬉しいってさ、イッチー」
『………』

電話の向こうで、トキヤが溜め息をついた。
勝ったな、と口角をあげるレン。やはり彼も、可愛い春歌の意見には抗えないのだ。

やがて耳に届いたトキヤの台詞は淡々としたものだった。

『…わかりました。では、彼女にかわってください』
「はいはい。かわってだって、レディ」
「は、はいっ…」

ぎこちなく電話を耳にあてる春歌。緊張しながら「七海です…」と応答している。

「あの、一ノ瀬さ…っ」

ガタタッ!!

再び真っ赤になった春歌が突然立ち上がった為、彼女の座っていた椅子が派手に倒れる。
ビクッと翔が震え、レンも何事かと身構える。

「は、はいっ! あ、すす、すぐ、すぐに向かいます!! はい! 帰ります!!」

ペコペコと頭を下げ、吃りながら帰宅を宣言する春歌。

「ごめんなさい!!」

そして神餞でも捧げるかのように恭しい所作でレンに電話を返すと、一目散に走り出した。

「え、おーい春歌!? っていうかあいつ、あんなに速く走れるのか…っ」

翔が目を丸くして思わず呟く。
それくらい、今の春歌はすさまじい勢いだったのだ。現にもう、見えなくなってしまった。
レンは舌打ちしたい気分で電話を耳にあてる。

『返して頂きましたよ。あと、今後このような気遣いは不要です。では』
「……」

通話が終わり、無言になること暫し。
翔が青ざめながら切り出した。

「あいつの慌てっぷり…トキヤのやつ何言ったんだ? やっぱ怒ってたか?」
「いや、違うだろう」

あの春歌の過剰な反応を見る限り。
レンは慣れた手つきでスマホを弄り、こっそり作動させていた録音記録を再生させる。

「ちょ、それ犯罪…」
「シーッ」

――は・る・か・ちゃ~ん♪ 僕が誰だか分かるかにゃ?

ピッ。

まだ続きそうだったが、レンは無言で停止させた。翔も抗議しないから同じ気持ちのようだ。
彼はわなわなと全身を震わせ、レンのスマホを指差した。

「な、なっ!? あいつあんなにHAYATOのこと嫌がってたのに…っ」
「ハァ…確かに最強の切り札だな」

何となく予想はついていたが、まさか本当にやるとは。
残念ながら春歌は帰ってしまったが、なかなか面白いネタが手に入った。
なりふりかまっていられない程度には、あの男も春歌に執着心を持っているらしい。
いや、むしろあれは、かなり独占欲が強いのかもしれない。

「で、どーすんだよ? 学生のうちに二人の思い出作ってやろうって計画」

それもあるし、トキヤが来なければ来ないで春歌と遊ぶつもりだったのは確かだ。
とにかく今はもう、男二人で遊園地にいてもしょうがない。

「余計な世話だとさ。ま、あの二人は今のままで良いってことじゃない? 帰って練習するかな…たまには」
「はあ?」

なんだよそれと不満を溢す翔を横目に、レンは満足気に微笑むと、優雅な手つきで録音記録を消去したのだった。




20130406
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