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蘭春


予定よりだいぶ早く仕事が終わった。
明日の朝一から撮影だが、今日はもう仕事はない。

夕方とは言えまだ空は十分に明るく、こんな時間に帰れるのは久しぶりだった。

…あいつ、一日オフだったよな。帰ってメシ食って、ゆっくり新曲の話するか。

そう思った途端、自転車のスピードがぐんと上がる。

単純だってのは分かってる。だが、あいつに会えるってだけで実際疲れが吹き飛ぶんだから仕方ねぇ。

――~~♪

「ん……?」

聞き覚えのある旋律を耳にした気がして、おれは足を止めた。

少し左右を見渡して近くの公園へ目を向けると、学生らしき少年がギターをかきならしていた。

やっぱり。あいつが作った、おれの曲だ。

全体的に拙いが、一生懸命に弾いている。音に愉しそうな光が溢れていて、微笑ましく思う。

おれにも勿論、あんな頃があった。

どこか懐かしくさえ感じながらその少年の視線の先を追って、おれは目を見開いた。

「……あ」

ベンチにあいつがいた。
何でこんなところにいるのか分からないが、キラキラした笑顔で手拍子を打っている。

暫く様子を見ていると、一曲引き終えた少年はあいつと二言三言交わした後、手を振って去っていった。

行ったか…。

自転車を押しておれが近付くのと、あいつが振り返るタイミングが重なる。

「えっ…あ、く、黒崎先輩…!?」
「随分楽しそうだったな」

突然現れたおれに目を白黒させ、春歌が立ち上がる。

「今の、見て…?」
「途中からな」
「そ、そうだったんですか…あの、今の子は先輩のファンで、それで、私が作曲家になったのを知って…」
「あー待て。つまり…知り合いか?」
「はい! ご近所さんです。私、実家がこの近くで…」

なるほどな。
人見知りの激しいこいつがあんな風に話せるなんておかしいと思ったが、知り合いの上、知ってる音楽の話になって盛り上がってたって訳か。

「先輩、お仕事終わりですか?」
「ああ」
「ふふ。おかえりなさい、ですね」

一応「ただいま」と返すと、春歌は嬉しそうに笑う。

なんだってこいつはいちいちこういう反応するんだろうな…。

おれの葛藤なんざ全く気付かないまま、こいつはおれの背後に目を向け、「あっ」と声を上げた。
つられて振り返り目に入ったのは、買い物袋を持った………もしかして、こいつの母親か?

どことなく雰囲気や顔立ちが似ていて、おれは再び春歌を見た。

…すげー似てる。

「あ、うちの母なんです」

ちょっと失礼します、と言い置いて、春歌が母親に駆け寄っていく。
やっぱり親か。
呼び止められた母親は少し驚いた後、嬉しそうにあいつを抱きしめた。

そうだよな。
久々の再会って事なら、おれよりずっと会ってないはずだ。積もる話もあるだろう。

…一人で帰るか。

ベースを背負い直し、自転車に跨がる。

「あ…先輩! 待って下さい!」

漕ぎ出そうというところで、慌ててあいつが戻ってきた。

「お前、せっかくのオフだろ。たまには実家でゆっくりしろよ」
「は、はい…あの、宜しければ先輩も…」
「は?」
「晩御飯、召し上がって行きませんか? 母が是非にと。あの、私の母はとっても料理上手なんですよ!」

ニコニコ笑って春歌が言う。
その奥で、母親も同じ顔をしていた。
返答に詰まっている間に、おれは母親に腕を掴まれ連行されていた。

似てるとは思うが、娘より母親のほうが逞しいかもしれねぇな。

「部屋に案内したら飲み物取りにいらっしゃい」
「いや、お構い無く…」
「あ、あの、晩御飯の準備手伝…」
「二人とも気にせず寛いでいて頂戴ね!」

こっちの話なんて聞いちゃいねー。

キッチンへ続くであろう扉が閉まり、おれたちは廊下に取り残された。

自然と顔を見合わせることになり、あいつは顔を真っ赤にしながら扉の一つを指差した。

「え…と…こちらです」
「あ、ああ…」

事務所寮の部屋は何度か行ったことがあるが、まさか実家に来ることになるとはな…さすがのおれもいきなり過ぎて心の準備ができてねぇ。

通されたあいつの部屋は綺麗に片付いていた。本人がいない間にも母親がちゃんと掃除しているのだろう。

「すみません、狭くて…このクッション、使ってください。今、飲み物持ってきますね」
「ん…サンキュ」

あいつが出ていく足音を聞きながら、悪いと思いつつ部屋の中を見させて貰う。

部屋の半分をピアノが占めている。あとベッドとテレビがあって、本棚は遠目でも分かるほど音楽関係の物で埋まっていた。

女の部屋ってのはもっと色んな物がありそうに思うが、さすがと言うか、音楽以外は本当に無頓着なんだなあいつは。

本棚の前に立つ。
教本やCDが並ぶ中、下の方にいくにつれファイルばかりになっている。
上から覗くと五線譜が見えた。

興味が湧いて一つ手に取ると、飲み物を持ったあいつがちょうど戻ってきた。
おれとファイルとを交互に見て、事態を察したらしい。

驚愕、としか言い様のない表情は見物だった。

「ダメです!! それはあの、恥ずかしいです!!」
「別にいいじゃねぇか、作曲したやつだろ」
「でも昔ので…ああっ」

飲み物の盆が手にあるから、すぐには取り返しに来れない。
その間に、おれは立ち上がってあいつの手の届かない場所へファイルを掲げた。

「先輩…っ」
「待て、何もダメ出ししようって訳じゃねーよ」
「それは確かにされたら落ち込みますが…そういうことじゃないです…っ」

ぴょんぴょん跳ねるのを交わして部屋を歩き回る。
動いてたんじゃ楽譜が読めねー!

「……っと、うわ」

楽譜に気を取られた瞬間、おれはベッドの足に躓き倒れこんだ。
何故か、追い掛けてきた春歌も躓いておれの上にダイブしてきた。

「うぐっ」
「ご、ごめんなさいっ」

二人分の体重でベッドのスプリングが軋む。
起き上がろうとするのを、片腕で抱き込んだ。

「先輩っ…」
「追い掛けっこは終わりだ。じっとしてろ」
「でも…」
「大人しくしねぇと襲うぞ」
「…………」

勿論冗談だったんだが、真に受けたのか腕の中のあいつは急激に大人しくなった。

まぁいいか。

暫く、おれがファイルを捲る音だけが部屋に響く。

五線譜に並んだあいつの手書きの旋律は確かに拙いものの、どれもこれも今のあいつにつながるもので、作曲している姿まで見えてきそうなくらい生き生きしていた。

曲を作るのが楽しくてしょうがねぇ。自分の曲を弾けるのが楽しくてしょうがねぇ。

そんな思いで溢れている。

その中の一つに目が止まり、気づくとおれはあいつに言っていた。

「この曲、弾いてみてくれよ」
「え…」
「ほら、早く」
「は、はい!」

楽譜を受け取り、ピアノの前に座る。
おれはベッドに腰掛け、静かにその時を待った。

が、なかなか始まらない。

「おい、どうした」
「やっぱり恥ずかしいです…昔のだし、改善点が一杯で」
「なら、アレンジしてみろよ。出来るだろ」
「はい…」

楽譜へ向ける視線が真剣なものに変わる。
程なく、優しいピアノの旋律が始まった。

へえ、あれがこうなる訳か。

才能があるのは知ってるが、即興のアレンジでここまで化けるとなると、こいつも成長しているのだと強く実感する。

それにおれも一応、昔ピアノを弾いたことがあったが、こんな音色ではなかったと思う。
ただ鍵盤を押すだけなのに弾き手によって音色が変わる。ピアノに限らず楽器ってのは不思議だ。
優しさと強さに溢れた、心地よいメロディが部屋に響き渡る。

「…お前そのものだな…」
「?」

思わず零れたおれの呟きは、聞き取れなかったらしい。

なんでもねーよ。

口の動きだけでそう伝えて、おれはベースを取り出す為ベッドから立ち上がった。





20130602
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ゲーム春歌ちゃんの家族構成が謎。実家がわりと近いという事しか情報がないのですが…
そして蘭丸視点にすると全然春歌って呼んでくれないって気付いた…!

この後夕飯一緒に食べて、片付け手伝ってる春歌ちゃんに母親が「素敵な彼氏さんね」とか言って春歌ちゃんが真っ赤になったり真っ青になったりするんです。「どうして分かったのお母さん!」「母親だから♪」的な展開があるのです。書かないけど。
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