トキ春
お互いの休みが重なる時は、必然的に二人の時間になる。
が、最近ではそれも奇跡のような確率で、一日休もうと思うと意図的にスケジューリングしない限り二人一緒は難しかった。
勿論、仕事に不満はないが、プライベートだって充実させたいと思ってしまうのは、アイドルである以上我儘に分類される欲求だろうか。
彼女が隣の部屋にいるのは分かっているし、作曲に没頭しているのを邪魔してはいけないと何度も言い聞かせてみたものの、余計に辛くなるだけ。
(いつからこんなに弱くなってしまったんでしょう)
独りに慣れていた頃は、こんな気持ちで夜を過ごした事などなかった。毎日がもっと殺伐として、野生動物のごとくずっと警戒していた。
それが、早乙女学園に入ってからガラリと変わった。
部屋では音也がいつも能天気に騒いでいて、教室ではレンや翔を中心に物事が回っていて、何より春歌と、彼女の作る曲が鮮やかに世界を染めて、トキヤを導いてくれた。
(今まで私の見ていた世界がいかに狭かったか…ということでしょうか…)
強いふりをしてきただけで、誰よりも孤独に怯えていた。
世界の隅で立ち止まり、消えそうになっていた『一ノ瀬トキヤ』を救い上げたのは間違いなく彼女。
以来、彼女にずっと支えられている。そして、彼女なしでは生きられない程、彼女に溺れている。きっともう、そこから抜け出す事なんてできない。
不意に、携帯が着信を知らせる。起き上がって、トキヤは驚きに目を見開いた。
『もう眠っていますよね。夜分にごめんなさい。作曲が終わったので声だけでもと思いましたが、こんなに遅くなってしまいました。もしよければ、朝私の部屋に寄っていただけませんか? 一緒に朝食をとりたいです』
春歌からのメール。すぐに携帯電話を操作し、送信ボタンを押す。
『今から行きます』
行ってもいいですか、と訊ねる余裕はなかった。
直ぐ様起き上がると、軽く着替えてトキヤは走り出す。
廊下に出て数歩、目指していたインターフォンに指を向ける。
押す前に、扉が開いた。
「一ノ瀬さん…っ」
春歌が出迎えてくれたのだ。携帯を握りしめているから、こちらの返信を見て走ってきたようだ。
「春歌…」
衝動のまま掻き抱く。
後ろで扉の閉まる音を聞き、トキヤはそちらを見もせず素早く鍵をかけた。
「あ、一ノ瀬さ…」
「黙って」
「でも…」
春歌には申し訳ないが、きつくきつく抱き締めて、春歌の感触に浸る。
恥ずかしさからかトキヤの肩に顔を沈め、弱々しい、可愛い声が抗議した。
「…ちょっとだけ…く、苦しいです」
トキヤは苦笑してほんの少し腕の力を緩めた。
「…すみません。突然押し掛けてしまったことも」
それはいいんです、と顔をあげた春歌が首を横に振る。
「会えると思っていなかったので嬉しいです」
「……私もですよ」
「ふふ。一緒ですね」
春の木漏れ日のような彼女の微笑みに、心がポカポカと暖かくなる。
「しばらく、一緒に居ても良いですか?」
ソファに腰を下ろすと、嬉しそうに春歌が頷いた。
「はい、勿論です! 何か飲み物用意しますね。えっと…この前四ノ宮さんに紅茶を頂いたんですよ。一ノ瀬さんと一緒にどうぞって。あ、ですが夜ですし眠れなくなってしまいますかね…」
「いえ、それをお願いします」
彼女と居られるなら、むしろ眠れなくなった方が良い。
トキヤは嬉々として紅茶を所望した。
春歌が棚から真新しい缶を取りだし、丁寧に封を切る。
「わぁ…良い香り」
「ええ、ここまで香ってきました。珍しい香りですね。なんという銘柄ですか?」
「えっと…うう、英語がたくさんで…」
「貸してください。ああ…淹れ方も書いてあるんですね」
「ぜひ教えてください!」
結局、トキヤも一緒に紅茶を淹れて、二人でソファに戻った。
時計はとうに深夜の時間を指し示していたが、トキヤは久しぶりに充実した気持ちになっていた。
今は睡眠より、他愛もない話をして、二人で寄り添う時間のほうが大事だ。
「おや? この楽譜は…」
「あ、それはっ」
ふと、手に取った音楽雑誌の下から、一枚の楽譜が出てきた。
「その…一ノ瀬さんの新曲に…どうかと」
「……君という人は」
他の仕事中に、思いついて書き留めたのだろう。
既に何度か直された痕のある譜面を目で追い、春歌の頭を撫でる。
「ありがとうございます。これはバラードですか?」
「はい…アレンジ次第ですが、実はロックバラードにしたいなと」
「歌ってみても?」
「は、はい!」
目をキラキラ輝かせて、春歌が何度も頷く。今日一番の良い笑みを前にして、トキヤは苦笑した。
「では…こうしましょうか」
「え、え?」
春歌を持ち上げ、足の間にストンと落とす。後ろから抱え込む体勢になった。
戸惑う春歌が振り返ろうとしていたが、トキヤの腕が身体を押さえているのでうまくいかないようだ。
「これで良く聞こえるでしょう?」
「ひゃ…」
ビクリと震える春歌を満足気に見下ろし、耳元で囁くように歌い出す。
耳に息がかかるたびに春歌が肩を震わせるのを横目に見ながら、ワンコーラス歌いきった。
「は、ぅ…」
「如何でした?」
「い、一ノ瀬さん意地悪です…」
拘束を緩めたのに振り返らないのは、真っ赤な顔をしている自覚があるからだろう。
「心外ですね。では、試しにもう一度…」
「ええっ」
今度は至極真面目に、きちんと発声して歌い上げる。
春歌はじっと聞いていた。
やがてトキヤも、歌ううちに彼女の音楽そのものに没頭していく。
歌い終わってしばらくしてから、トキヤは部屋の中が静かになっているのに気付いた。
「……春歌?」
見ると、トキヤの肩に頭を預け、春歌が幸せそうに目を閉じている。
どうやら眠ってしまったようだ。
疲れきっているのにトキヤが訪ねてきたものだから、無理して起きていたのだろう。
「…良い子守唄になりましたか?」
頬を撫でると、吐息を漏らしながら甘えるようにすり寄ってくる。
吸い寄せられるように唇を重ねかけて、
「トキヤくん…」
「!」
聞こえてきた呼び掛けにハッとして春歌を見るが、彼女にとっては夢の中の出来事のようで、むにゃむにゃとまだ何か言っている。
「まったく君は…夢の中の私の事は、名前で呼べるんですね?」
夢の中の自分に嫉妬するのは、これで何度目だろう。
すっかり寝入ってしまった春歌を寝室に運び、優しく横たえる。
隣に身を滑り込ませ、こつんと頭を合わせると、トキヤもそっと目を閉じた。
20130816
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純情な春歌ちゃんを前に変態発揮するにはもう少しトキヤが吹っ切れないとダメですかねー←
変態おめでとうにする予定がなんとなくほのぼので終わってしまった……ていうか寝てばっかりだなこの二人
が、最近ではそれも奇跡のような確率で、一日休もうと思うと意図的にスケジューリングしない限り二人一緒は難しかった。
勿論、仕事に不満はないが、プライベートだって充実させたいと思ってしまうのは、アイドルである以上我儘に分類される欲求だろうか。
彼女が隣の部屋にいるのは分かっているし、作曲に没頭しているのを邪魔してはいけないと何度も言い聞かせてみたものの、余計に辛くなるだけ。
(いつからこんなに弱くなってしまったんでしょう)
独りに慣れていた頃は、こんな気持ちで夜を過ごした事などなかった。毎日がもっと殺伐として、野生動物のごとくずっと警戒していた。
それが、早乙女学園に入ってからガラリと変わった。
部屋では音也がいつも能天気に騒いでいて、教室ではレンや翔を中心に物事が回っていて、何より春歌と、彼女の作る曲が鮮やかに世界を染めて、トキヤを導いてくれた。
(今まで私の見ていた世界がいかに狭かったか…ということでしょうか…)
強いふりをしてきただけで、誰よりも孤独に怯えていた。
世界の隅で立ち止まり、消えそうになっていた『一ノ瀬トキヤ』を救い上げたのは間違いなく彼女。
以来、彼女にずっと支えられている。そして、彼女なしでは生きられない程、彼女に溺れている。きっともう、そこから抜け出す事なんてできない。
不意に、携帯が着信を知らせる。起き上がって、トキヤは驚きに目を見開いた。
『もう眠っていますよね。夜分にごめんなさい。作曲が終わったので声だけでもと思いましたが、こんなに遅くなってしまいました。もしよければ、朝私の部屋に寄っていただけませんか? 一緒に朝食をとりたいです』
春歌からのメール。すぐに携帯電話を操作し、送信ボタンを押す。
『今から行きます』
行ってもいいですか、と訊ねる余裕はなかった。
直ぐ様起き上がると、軽く着替えてトキヤは走り出す。
廊下に出て数歩、目指していたインターフォンに指を向ける。
押す前に、扉が開いた。
「一ノ瀬さん…っ」
春歌が出迎えてくれたのだ。携帯を握りしめているから、こちらの返信を見て走ってきたようだ。
「春歌…」
衝動のまま掻き抱く。
後ろで扉の閉まる音を聞き、トキヤはそちらを見もせず素早く鍵をかけた。
「あ、一ノ瀬さ…」
「黙って」
「でも…」
春歌には申し訳ないが、きつくきつく抱き締めて、春歌の感触に浸る。
恥ずかしさからかトキヤの肩に顔を沈め、弱々しい、可愛い声が抗議した。
「…ちょっとだけ…く、苦しいです」
トキヤは苦笑してほんの少し腕の力を緩めた。
「…すみません。突然押し掛けてしまったことも」
それはいいんです、と顔をあげた春歌が首を横に振る。
「会えると思っていなかったので嬉しいです」
「……私もですよ」
「ふふ。一緒ですね」
春の木漏れ日のような彼女の微笑みに、心がポカポカと暖かくなる。
「しばらく、一緒に居ても良いですか?」
ソファに腰を下ろすと、嬉しそうに春歌が頷いた。
「はい、勿論です! 何か飲み物用意しますね。えっと…この前四ノ宮さんに紅茶を頂いたんですよ。一ノ瀬さんと一緒にどうぞって。あ、ですが夜ですし眠れなくなってしまいますかね…」
「いえ、それをお願いします」
彼女と居られるなら、むしろ眠れなくなった方が良い。
トキヤは嬉々として紅茶を所望した。
春歌が棚から真新しい缶を取りだし、丁寧に封を切る。
「わぁ…良い香り」
「ええ、ここまで香ってきました。珍しい香りですね。なんという銘柄ですか?」
「えっと…うう、英語がたくさんで…」
「貸してください。ああ…淹れ方も書いてあるんですね」
「ぜひ教えてください!」
結局、トキヤも一緒に紅茶を淹れて、二人でソファに戻った。
時計はとうに深夜の時間を指し示していたが、トキヤは久しぶりに充実した気持ちになっていた。
今は睡眠より、他愛もない話をして、二人で寄り添う時間のほうが大事だ。
「おや? この楽譜は…」
「あ、それはっ」
ふと、手に取った音楽雑誌の下から、一枚の楽譜が出てきた。
「その…一ノ瀬さんの新曲に…どうかと」
「……君という人は」
他の仕事中に、思いついて書き留めたのだろう。
既に何度か直された痕のある譜面を目で追い、春歌の頭を撫でる。
「ありがとうございます。これはバラードですか?」
「はい…アレンジ次第ですが、実はロックバラードにしたいなと」
「歌ってみても?」
「は、はい!」
目をキラキラ輝かせて、春歌が何度も頷く。今日一番の良い笑みを前にして、トキヤは苦笑した。
「では…こうしましょうか」
「え、え?」
春歌を持ち上げ、足の間にストンと落とす。後ろから抱え込む体勢になった。
戸惑う春歌が振り返ろうとしていたが、トキヤの腕が身体を押さえているのでうまくいかないようだ。
「これで良く聞こえるでしょう?」
「ひゃ…」
ビクリと震える春歌を満足気に見下ろし、耳元で囁くように歌い出す。
耳に息がかかるたびに春歌が肩を震わせるのを横目に見ながら、ワンコーラス歌いきった。
「は、ぅ…」
「如何でした?」
「い、一ノ瀬さん意地悪です…」
拘束を緩めたのに振り返らないのは、真っ赤な顔をしている自覚があるからだろう。
「心外ですね。では、試しにもう一度…」
「ええっ」
今度は至極真面目に、きちんと発声して歌い上げる。
春歌はじっと聞いていた。
やがてトキヤも、歌ううちに彼女の音楽そのものに没頭していく。
歌い終わってしばらくしてから、トキヤは部屋の中が静かになっているのに気付いた。
「……春歌?」
見ると、トキヤの肩に頭を預け、春歌が幸せそうに目を閉じている。
どうやら眠ってしまったようだ。
疲れきっているのにトキヤが訪ねてきたものだから、無理して起きていたのだろう。
「…良い子守唄になりましたか?」
頬を撫でると、吐息を漏らしながら甘えるようにすり寄ってくる。
吸い寄せられるように唇を重ねかけて、
「トキヤくん…」
「!」
聞こえてきた呼び掛けにハッとして春歌を見るが、彼女にとっては夢の中の出来事のようで、むにゃむにゃとまだ何か言っている。
「まったく君は…夢の中の私の事は、名前で呼べるんですね?」
夢の中の自分に嫉妬するのは、これで何度目だろう。
すっかり寝入ってしまった春歌を寝室に運び、優しく横たえる。
隣に身を滑り込ませ、こつんと頭を合わせると、トキヤもそっと目を閉じた。
20130816
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純情な春歌ちゃんを前に変態発揮するにはもう少しトキヤが吹っ切れないとダメですかねー←
変態おめでとうにする予定がなんとなくほのぼので終わってしまった……ていうか寝てばっかりだなこの二人
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