トキ春
何年か前まで通っていたのに、卒業してしまうと、途端に自分が場違いな存在になってしまう。
それが学校という存在の不思議なところだろう。
ただし、今日という日だけは、あらゆる人々を受け入れる為に門戸が開いている。
学園祭である。
眼鏡に帽子という単純な変装ではあるが、この時期に厚着をしたり厳重に顔を隠す方がよほど目立つので、この格好で堂々としているより他ない。
第一、卒業生なのだから。
と何度目になるかわからないが自分自身に言い聞かせて、トキヤは遠巻きにステージを眺めていた。
後輩にあたる、未来のアイドルたちがそこで歌や踊りなどのパフォーマンスをしている。
トキヤの左隣には春歌がおり、キラキラとした目でステージを見詰めている。
既に校内を回って、ひと通り学園祭というものを見てきたところだ。
「この曲とっても素敵ですね!」
「ええ。昔のあなたのようです。才能がありますね」
「そ、そんな私なんて……この生徒さんの方がよほど凄いです」
春歌がようやくトキヤの方を向いた事に密かに胸を躍らせつつ、彼は静かに微笑んでみせた。同時に、繋いでいた手に少しばかり力をこめる。途端に春歌が頬を染めながらステージに目を戻したが、もうパフォーマンス内容は頭に入っていないに違いない。
在籍していた時は、あのステージに立つことが出来なかった。裏切って泣かせてしまった。
そんな罪悪感ばかりが残っていて、本当は、春歌と二人で学園祭に来るのは怖かった。
しかし、日向から「行ってこい、リベンジだ!男だろうが!!」と良くわからない台詞で焚きつけられて、結局休みを作り学園祭に訪れていた。
敷地内なのだから本当はいつだって来られる。しかし学園祭はやはり特別なのだと、独特の空気を感じて、無意識にため息をついていた。
春歌は素直に楽しんでくれているように思うが、それを見る度トキヤの罪悪感は増していく。
今まで、あの時もし間に合っていればと、何度後悔してきたことか。
ふと、演奏されていた曲が終わった事に気付き、顔を上げた。
先程春歌に、この作曲家候補に才能があると言ったのは本音である。歌い手の技量も今までの中で抜きん出ていて、歌い終えた生徒に惜しみない拍手が送られている。その生徒と入れ違いで、日向がステージ袖に立った。司会進行役なのである。
かなり距離があるはずだが何となく目があった気がして、トキヤは反射的に春歌の手を離した。後から思えばそれは予感があったからなのだろう。
「本当は、さっきの生徒で一旦休憩時間になるんだが、ちょっとだけ俺の気まぐれに付き合ってくれ」
場内がざわつく。
ニヤリと笑った日向が、トキヤに向かって真っ直ぐ指を差した。
「そこの帽子眼鏡。ステージに上がってこい」
「!」
トキヤに、一気に視線が集まる。ざわつきが更に大きくなった。
「……仕方ありません。行ってきます」
既に、彼の正体に勘づいた人々が騒ぎ始めている。
春歌に小声で告げて、小走りにステージに上がると、日向が驚くべき早業でトキヤの帽子と眼鏡を取り払って、すぐ様、悲鳴に近い歓声が空気を震わせた。
「知ってる奴も多いと思うが、こいつは俺の教え子でな。特別ゲストとして招いた」
どこか他人事のように聞きながら、春歌はどうしているだろうと目を向けると、スタッフらしき生徒に話しかけられどこかに移動を始めていて、トキヤの方を全く見ていない。
行き先を目で追いたかったのだが、日向が肩を組んできたので仕方なく隣の恩師に顔を向ける。
「日向さん……確かに学園祭に来るように言われていましたが、ゲストという話は聞いていません」
「今、言っただろうが」
しれっと言い放つ日向。マイクにしっかり拾われていたその会話で、場内に笑いが起こる。
それが収まる頃合いを見て、日向がまたマイクで呼びかけた。
「皆、せっかくだからこいつの歌を聴いてやってくれ」
また歓声が上がる。歓迎されているのは嬉しく思うが、あまりにも突然すぎる。
「日向さん!?」
「社長の許可はちゃんと取ってある。感謝しろよ」
「……」
リベンジ。
ようやくその意味が分かって、トキヤは複雑な気持ちで日向を見つめる。
彼は無言で新たなマイクを差し出してきた。トキヤもまた、無言でそれを受け取る。彼の背後に目をやると、いつの間にか春歌が立っていた。
「あー、音源がないから、ピアノ任せたぜ」
日向に呼び掛けられ、春歌が飛び上がる程驚きながら、慌てて頷いている。
トキヤたちが見守る中、彼女がガチガチに緊張しながら、ステージに置かれていたピアノの前に腰かけた。
「曲は二人に任せる」
それはマイクを通さず、トキヤと春歌にだけ向けられた言葉だった。彼はそのままステージから去ってしまう。
春歌と目が合う。
何を歌うか、心は決まっている。春歌も同じ気持ちでいる事を確信して、トキヤは観客席に向き直った。
「すみません。自己紹介がまだでしたね。一ノ瀬トキヤです。この、早乙女学園の卒業生で、在籍中は日向先生のクラスで学んでいました。皆さんの休憩時間を奪ってしまいますが…」
ざわめきが大きくなったので一旦そこで言葉を切り、場内が鎮まるのを待つ。
「絶対に後悔はさせません」
心地好い、生き生きとしたピアノの音が響いてくる。
彼女の作った曲を、彼女の演奏で、歌うことができる。
それの、何と幸福なことか。
あの頃はそれが奇跡のような幸福をもたらす瞬間だと、分かっていなかった気がする。
そして、たくさんその奇跡を逃してきた。
学園祭も、その一つだった。
最初の一音を発した瞬間、トキヤの心は学生時代に戻っていた。
20160117
それが学校という存在の不思議なところだろう。
ただし、今日という日だけは、あらゆる人々を受け入れる為に門戸が開いている。
学園祭である。
眼鏡に帽子という単純な変装ではあるが、この時期に厚着をしたり厳重に顔を隠す方がよほど目立つので、この格好で堂々としているより他ない。
第一、卒業生なのだから。
と何度目になるかわからないが自分自身に言い聞かせて、トキヤは遠巻きにステージを眺めていた。
後輩にあたる、未来のアイドルたちがそこで歌や踊りなどのパフォーマンスをしている。
トキヤの左隣には春歌がおり、キラキラとした目でステージを見詰めている。
既に校内を回って、ひと通り学園祭というものを見てきたところだ。
「この曲とっても素敵ですね!」
「ええ。昔のあなたのようです。才能がありますね」
「そ、そんな私なんて……この生徒さんの方がよほど凄いです」
春歌がようやくトキヤの方を向いた事に密かに胸を躍らせつつ、彼は静かに微笑んでみせた。同時に、繋いでいた手に少しばかり力をこめる。途端に春歌が頬を染めながらステージに目を戻したが、もうパフォーマンス内容は頭に入っていないに違いない。
在籍していた時は、あのステージに立つことが出来なかった。裏切って泣かせてしまった。
そんな罪悪感ばかりが残っていて、本当は、春歌と二人で学園祭に来るのは怖かった。
しかし、日向から「行ってこい、リベンジだ!男だろうが!!」と良くわからない台詞で焚きつけられて、結局休みを作り学園祭に訪れていた。
敷地内なのだから本当はいつだって来られる。しかし学園祭はやはり特別なのだと、独特の空気を感じて、無意識にため息をついていた。
春歌は素直に楽しんでくれているように思うが、それを見る度トキヤの罪悪感は増していく。
今まで、あの時もし間に合っていればと、何度後悔してきたことか。
ふと、演奏されていた曲が終わった事に気付き、顔を上げた。
先程春歌に、この作曲家候補に才能があると言ったのは本音である。歌い手の技量も今までの中で抜きん出ていて、歌い終えた生徒に惜しみない拍手が送られている。その生徒と入れ違いで、日向がステージ袖に立った。司会進行役なのである。
かなり距離があるはずだが何となく目があった気がして、トキヤは反射的に春歌の手を離した。後から思えばそれは予感があったからなのだろう。
「本当は、さっきの生徒で一旦休憩時間になるんだが、ちょっとだけ俺の気まぐれに付き合ってくれ」
場内がざわつく。
ニヤリと笑った日向が、トキヤに向かって真っ直ぐ指を差した。
「そこの帽子眼鏡。ステージに上がってこい」
「!」
トキヤに、一気に視線が集まる。ざわつきが更に大きくなった。
「……仕方ありません。行ってきます」
既に、彼の正体に勘づいた人々が騒ぎ始めている。
春歌に小声で告げて、小走りにステージに上がると、日向が驚くべき早業でトキヤの帽子と眼鏡を取り払って、すぐ様、悲鳴に近い歓声が空気を震わせた。
「知ってる奴も多いと思うが、こいつは俺の教え子でな。特別ゲストとして招いた」
どこか他人事のように聞きながら、春歌はどうしているだろうと目を向けると、スタッフらしき生徒に話しかけられどこかに移動を始めていて、トキヤの方を全く見ていない。
行き先を目で追いたかったのだが、日向が肩を組んできたので仕方なく隣の恩師に顔を向ける。
「日向さん……確かに学園祭に来るように言われていましたが、ゲストという話は聞いていません」
「今、言っただろうが」
しれっと言い放つ日向。マイクにしっかり拾われていたその会話で、場内に笑いが起こる。
それが収まる頃合いを見て、日向がまたマイクで呼びかけた。
「皆、せっかくだからこいつの歌を聴いてやってくれ」
また歓声が上がる。歓迎されているのは嬉しく思うが、あまりにも突然すぎる。
「日向さん!?」
「社長の許可はちゃんと取ってある。感謝しろよ」
「……」
リベンジ。
ようやくその意味が分かって、トキヤは複雑な気持ちで日向を見つめる。
彼は無言で新たなマイクを差し出してきた。トキヤもまた、無言でそれを受け取る。彼の背後に目をやると、いつの間にか春歌が立っていた。
「あー、音源がないから、ピアノ任せたぜ」
日向に呼び掛けられ、春歌が飛び上がる程驚きながら、慌てて頷いている。
トキヤたちが見守る中、彼女がガチガチに緊張しながら、ステージに置かれていたピアノの前に腰かけた。
「曲は二人に任せる」
それはマイクを通さず、トキヤと春歌にだけ向けられた言葉だった。彼はそのままステージから去ってしまう。
春歌と目が合う。
何を歌うか、心は決まっている。春歌も同じ気持ちでいる事を確信して、トキヤは観客席に向き直った。
「すみません。自己紹介がまだでしたね。一ノ瀬トキヤです。この、早乙女学園の卒業生で、在籍中は日向先生のクラスで学んでいました。皆さんの休憩時間を奪ってしまいますが…」
ざわめきが大きくなったので一旦そこで言葉を切り、場内が鎮まるのを待つ。
「絶対に後悔はさせません」
心地好い、生き生きとしたピアノの音が響いてくる。
彼女の作った曲を、彼女の演奏で、歌うことができる。
それの、何と幸福なことか。
あの頃はそれが奇跡のような幸福をもたらす瞬間だと、分かっていなかった気がする。
そして、たくさんその奇跡を逃してきた。
学園祭も、その一つだった。
最初の一音を発した瞬間、トキヤの心は学生時代に戻っていた。
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