『COMPANY's Pawn』短編・番外編

いつも通りの風景に、その淑女は、現れた。

老若男女問わず、今日みたいな天気の良い日には賑わう、この緑化公園にて。
ワインレッドをベースにした色味の、豪奢なリボンフリルで飾られた日傘を差して。リボンと同じ色味のドレスと、そこから覗く白色のハイソックスの脚線美が眩しい。わざと晒されたクリノリンが、淑女の優雅な装いの中に、一縷の退廃的な味付けを加えている。
豊かな髪の毛は、黒色と緑色のグラデーション。よく見ると、その双眸も、髪のグラデーションと同じ、翡翠の色。左頬の古傷は、特殊メイクにしては、妙なリアリティ。

淑女は、どよめく周囲のことは、一切、気に留めず。日傘を差して、豊かな髪の毛を揺らして、ゆったりと公園内を散策している。その翡翠の眼は、しかと前を向いているはずなのに、何処を見ているのかが分からないうえに、行き交う誰とも視線が全く合わない。その様子は、淑女自身が持つ圧倒的な美貌と同じく、浮世離れした存在感を放っている。

淑女は独りで歩いているが。誰も声を掛けようとしない。ナンパも、写真家も、SNS目的の一般人すら一匹も、寄せ付けない。
ただ歩いているだけだというのに、淑女から匂い立つ有り様が、まさに孤高にして、至純の美。

間も無く。淑女は、緑化公園の長い道を、始終、ゆったりとした靴音で歩き、そして去って行った。
途端。我に返る、周囲の有象無象。

淑女に見惚れて完全にスルーしてしまった、会社からの急ぎの電話。
淑女に鼻の下を長くした、パートナーへの叱責。淑女に気を取られた隙に、溶けてしまったソフトクリームで汚れた洋服と靴。
歩く淑女に相反して、歩みを止めてしまったがために散歩中の愛犬に吠えられてしまっている、その飼い主。
その他。淑女が去った後に散らばる、諸々の緊急事態。ある種の、地獄絵図、とも言えるだろうか。


緑化公園を出た淑女は、自分のスマートフォンが着信を告げるのを感じた。画面に表示された名前を見て、淑女はワインレッドのアイシャドウを引いた眼を、細めてから。日傘を差していない方の手で、画面の『受信』をタップしてから、スマートフォンを耳に当てる。

「ソラだ。…どうした?何かあったのか?」

低い男性の声が、淑女の唇から飛び出してきた。―――そう、この淑女。『ソラ』という名前の、れっきとした男である。

ソラは、今日は有給休暇を使って、会社を正式に休んでいる。せっかくの、平日休み。普段とは全く違う装いをして、出掛けてみたかった。だから、本気を出した。
会社にいるときの自分とは、全くの別人に、己を仕上げてみせた。そう例えば。会社では常に身に着けているグレーのスーツもベストも。装備品のバタフライナイフも、バトルアクスも。全部を、一旦、リセットする勢いで。三級高等幹部専属秘書官という、仰々しい肩書きに恥じぬ、その大きな立場も。それに付随するべき責任も。そして、何より。それらを丸ごと、難なく背負えてしまう、自分自身そのものを。
このワインレッドのドレスとリボンで、包み隠すと同時に。一度、忘れてみることを、試みた。

だが、スマートフォンを向こうにいるソラの恋人は、どうやら、自分に構って貰えないことが不満らしい。わざわざ、電話を掛けてきてまで、「構って攻撃」を仕掛けてきた。何よりも可愛いと思えた。そう、今の自分よりも、ずっと。

「分かった。すぐにそちらに行こう。…俺?俺はもう十二分に、自分の『散歩』を満喫した。
 今日これからの時間は、お前に使おう。約束する」

ソラがそう言うと、電話の向こうの恋人が納得した返事を寄こしたので、ソラは「またあとで」と残して、通話を切る。

この衣装のまま、恋人と落ち合うのも、別に悪くはないが。『いつものソラ』に戻った方が、混乱が少ないだろう。恋人に見せてしまったら、それこそ卒倒してしまうかもしれない。
本気でめかしこんだとはいえ。その状態で、ただ黙って、誰とも視線を合わせずに、公園内を歩いただけなのに。その場の全てを魅入らせて、狂わせて、傾かせたのだから。

―――…これは、ほんの少し、クセになってしまいそうだ。

…なんて思ってしまった自分の我欲の強さと。そんな自分の本性など露ほども知らずに、『淑女』に心の底から見惚れてしまっていた外野の浅はかさに対して。思わず、仄暗い微笑みを零してしまったソラであった。
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