『COMPANY's Pawn』短編・番外編

地獄の10連勤が終わった。最後の2日間は、会社に泊まり込んでしまった。まあ、いいよ。どうせ家に帰っても、ひとりだもん…。

会社から出た私は、お腹が空いて、仕方がなかった。連勤中はシリアルバーやパウチゼリー、カップ麺ばかり。飲み物も、ひたすらコーヒーとエナドリのループだったから、カフェインもいらない。ろくなものを口にしていない。
…そうだ!地獄の10連勤を頑張った自分に、ファミレスのモーニングをご馳走してあげよう!


朝一番のファミレスの店内は、お客さんは少なく、ガラガラ。なので、贅沢に、角のボックス席を占拠することが出来た。大きな声で会話しているグループもいないし、皆がそれぞれの食事と世界にはまり込んでいるから、誰も私のことを氣にしていない。とても居心地が良さそう…。モーニングを食べ終えたら、少しだけゲームしてもいいかな…?連勤中は、ずっとログインすらも出来なかったから…。隣の2名様用の席に座っている男のひともひとりみたいだけど…、このひとも自分の食事をしながら、タブレットを眺めているし。…たぶん、大丈夫だよね。てか、この隣のひと、凄いイケメンだ…。一度見たら、もう忘れられないような美貌…。髪の色、グラデーションだあ…。綺麗だなあ…。

そんなことを考えていると、配膳ロボットが私の注文したモーニングを持ってきてくれた。スクランブルエッグとサラダのセット、そしてパンケーキ。パンケーキは追加料金を払わないといけなかったが、構わない。だってこれは、仕事を頑張った自分へのご褒美だもん。
いただきます、と手を合わせてから。早速、スクランブルエッグにケチャップをかけて、食べる。…美味しい…!とろっとろ…!卵のコクも感じる…!
次はサラダ。…うわーっ!レタスがシャキシャキだ…!ドレッシングも美味しい!
そして、お待ちかねのパンケーキ。ふわふわふわ〜っ!甘みがしつこくないうえに、付属のバターを付けると、微かな塩っけが追加されて…!ああ、まさにマリアージュ…!
モーニングを注文するとサービスでついてくるドリンクバーで貰ってきた、野菜ジュースを飲む。冷たくて、甘くて、でもほんのちょっと薄くて。でもでも、こういうのが良い。
ああ、幸せだ…。2日の連休の後は、鬼の5連勤が待っているから…。それが終わったら、また来ようっと。連勤明けの朝帰りに来る、ファミレスのモーニング、いいね!


【1週間後】

鬼の5連勤を終えた私は、やっぱり泊まり込む羽目になった会社から出て。伸びをした。今回の休みは1日だけでも、憂鬱なんかじゃない。だって私には、楽しみがあるんだから!

先週も来たファミレスを訪れる。同じように店内は静かで、穏やかだ。心なしか、顔ぶれも同じ…?まあ、それは気のせいかもしれない。
私は前回も座った角のボックス席へ向かった。あ、空いてる!ラッキー!もしかして、穴場なのかも?
…あ。隣の2名様用の席。前もいた、あの男のひとだ…。この美貌は、忘れられない。このひとも、この時間帯を狙っているのかな?今日はもう食事は終えているみたいで、綺麗に積み上げた食器を傍らに寄せている。今日もタブレット端末を広げているが、接続しているらしいキーボードを叩いていた。…もしかして、所謂、カフェワーカー?

そんなことを考えながら、自分のモーニングを注文する。今日もスクランブルエッグとサラダのセットと、追加料金でパンケーキ。ふふ、厳しい仕事に揉まれても、それが終わると楽しみがあるって、本当に素敵だなあ。

連勤中にログイン出来なかったゲームを立ち上げて、ログインボーナスを貰い、デイリークエストをちまちまと消化していると。配膳ロボットが食事を持ってきてくれた。ここって、料理の注文から提供までの時間が、個人的にちょうどいい気がするんだよね。

先週と同じく、スクランブルエッグにケチャップをかけて、食べる。うん!やっぱり美味しい!卵はとろとろ!サラダもシャキッとしてる!パンケーキもうまうま〜!

はあ、満たされる~!仕事の後に楽しみがあるって、本当に素敵なんだな。
明後日からは、悪魔の7連勤だけど。また頑張って、ここにモーニングを食べに来よう!

そう意気込んだ私は、ドリンクバーで貰った野菜ジュースを、ぐいっと飲み干した。よしっ!今日も冷たくて、甘くて、美味しい!


【1週間後】

悪魔の7連勤を終えた私は、重い足取りで会社を出た。うう…、心がつらいよ。しんどいよお…。

実は私は、大切な社員証を紛失してしまった。そのことで、上司からこっぴどく叱られたうえに、社員証の再発行の手続きをする際には、事務方のお局さんからは嫌味ばかりを言われた。こっちだって、失くしたくて失くしたわけじゃないもん…!
それのせいか。この連勤中は、上司の機嫌がすこぶる悪くて。私の周囲の同僚たちも、上司に怯えたり、同調したりで。職場全体がピリピリしていた。
皆が皆、「お前のせいだ」と言わんばかりの視線を私に寄越してきていた。うう、ごめんなさい…。
ああ、でも、やっと解放されたんだ…。いつものファミレス行きたい。あのモーニングが食べたい。そう思いながら、私はしんどい心を引き摺りながら、歩みを進めた。

いつもの角のボックス席。空いてた。良かった。最早、ここが実家な気分ですらある。…隣の席には、あの男のひとも、いる。今日は、紙の資料を眺めながら、それにペンを走らせているみたい。やっぱり、カフェワーカーなんだろうな…。そして相変わらず、イケメンだ。今日は眼鏡まで掛けてるし。

お馴染みのスクランブルエッグとサラダのセット、そしてパンケーキ。いただきます。

とろとろの卵、シャキシャキのレタス、ふわふわのパンケーキ。いつもの味。美味しい味。…なのに、どうして?心が全然、弾まない。嬉しい気持ちになれない。それどころか、食べれば食べるほど。悲しくなって、涙が零れそうになる。どうして?ここのモーニングは、こんなに美味しいのに…。
胸につかえが出来たような、息苦しい気分になってきて。食べかけなのに、フォークを置いてしまう。まだ食べたいのに、もう食べたくない。
だって、これを食べ終えちゃったら。休みが来て。それが明けたら、また、連勤が始まって、そして―――、

―――ぽろ、と零れた涙が、食べかけのスクランブルエッグの上に落ちたのを見た。やばい、こんなところで泣くなんて…!と、慌てた瞬間。

頬に、肌触りの良い布地の感触。

びっくりして、横を向くと。隣の席の、あのイケメンさんが、私に向かって、ハンカチーフを差し出してた。というより、もう涙を拭ってくれている。え、え…?どういう状況…?

「…すまない。気になって、つい…」

イケメンさんは少しバツが悪そうに言いながらも、ハンカチーフで私の目尻まで優しく触れたうえに、何故か口元も拭ってくれた。紺色の布地に、黄色が混じる。…卵だ。私が食べていたスクランブルエッグが、口元に付いていたんだ…。
謝ろうとした私を遮るかのように、イケメンさんは話し始めた。

「先週、ここで社員証を落としていかなかったか?…これなんだが」

彼はそう言うと、自分のスーツの懐から、ビニール袋に入れられた社員証を取り出した。…!間違いない!私が失くした社員証!そうか、ここに落としていっちゃったんだ…!

「弊社の支店の社員証のため、俺の所属する部署で預かっておいた。直接でも返しに行きたかったんだが、拾った後で俺のデスクから調べると、既に再発行の手続きがされていたから。これはもう実質、ただのプラスチックごみだ」

弊社?俺の所属する部署?預かる?デスクから調べた?

イケメンさんから発せられる単語の意味が分からず、混乱していると。彼は、「すまない。自己紹介から、させて貰おう」と言って、社員証(だったもの)を一旦、置いてから。今度は自分の名刺を出してきた。

「ROG. COMPANY本社勤務、特殊対応室のソラだ。この名刺は持っているといい。役に立つことがあるかもしれない」

ソラさん、って言うんだ。顔立ちと一緒で、名前の響きも美しい。
……………あれ?今、「ROG. COMPANY」って言った?「本社」って言った?…言ったよね?!

「す、すすっすみません…!本社の社員さんとは知らず…!あの、その、私…!大変失礼いたしました…!」

私は、勢いよく頭を下げた。
ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!!!!こんな大失態、上司に知られたら!!!!また叱られる!!!!

「落ち着いてくれ。俺からあなたへは、何も咎めはしない。
 …その代わりと言っては何だが、少しだけ、あなたの勤める支店の話を聞かせて欲しい」

ソラさんの落ち着いた声を聴いて、私も冷静さを取り戻す。彼は、私に支店での勤務状況に関する質問を、いくつか投げてきた。
包み隠さず、全てを正直に答えると。ソラさんの翡翠の瞳が、僅かに細くなり。「なるほど。そういうことか」と、色素の薄い唇から、独り言が漏れていた。

ソラさんは掛けていた眼鏡を取ると、今一度、私に向き合ってくれる。

「7連勤の後で、休みは今日の1日だけか。それは宜しくない。有休は余っているか?」
「はい。…でも、先ほど言いました通り、上司は有休は取らせてくれないし…。自分は取るのに…」
「心配するな。その無能な上司より、遥かに上の立場の存在が、あなたの休みを確保すると約束しよう」

そう言うと、ソラさんはスマートフォンを高速でタップし始めた。メッセージを打ち込んでいるのだろうか。一体、何処に?

「俺の上司は、レスポンスと仕事は早い。すぐに成果を挙げてくる。
 って、あ、もう来た。…暇か?暇なのか?俺がいないからって、サボってるんじゃないだろうな、あのポンコツポニテ…」

ソラさんは私の会話しようとしながらも、スマートフォンの画面を見つめて、独り言も呟く。忙しいひとだ。でも、仕事が出来るひとなんだと思う。今は何をしているのかが、さっぱり分からないけれど…。

すると。今度は私のスマートフォンが震えた。着信画面には上司の名前。…え、嘘!イヤだ…、仕事はもう終わったのに…!

「大丈夫だ。悪い知らせじゃない。切れる前に、出てくれ」

宥めるかのようなソラさんの声音に背中を押されて、私は電話を取った。すると、信じられない内容を告げられて、私は思わず、ぽかん、とした。相槌を打ちながらも、脳が与えられる情報を何とか受け止めようとする。
すると、電話を切り上げようとした上司の気配を察知したソラさんが、「変わってくれ」と言ってきた。反対する理由もないので、上司に「変わります」と告げてから、スマートフォンをソラさんに渡した。

「お疲れさまです。特殊対応室、ルカ三級高等幹部専属秘書官のソラです。
 先ほど、ルカ三級高都幹部より、東方支店様には通達があったと思います。くれぐれも、指示の通りに動くよう、宜しくお願い致します」

それだけ言うと、ソラさんは通話を切ってしまった。まだ信じられない…。私の会社が―――ROG. COMPANYの東方支店が、1週間の全面営業停止なんて…。そのうえ、本社から勤務状況に対する監査が入るって…。

これもう、実質。いや、事実。

「や、休み…?1週間の、おやすみ…?」

夢みたいだ。入社してから一度も、2日以上の休みを貰ったことが無かった。有休は通らず、風邪を引いても、インフルエンザにかかっても、朝どうしても起きられない日も。全然、休ませてくれなかった、あの東方支店が…。営業停止のうえに、本社から監査が入る。
思わず、顔を上げると。翡翠の両目と視線が合った。

「もう安心してくれ。これからは、理不尽な激務を、ここのモーニングで上書きする必要はない。
 これからは、好きなときに、好きなタイミングで、好きな食事を取れるだろう」

…。あ、そうか…。私、誤魔化していたんだ…。このファミレスのモーニングは、とても美味しい。でも、それを蓋と見立てて、自分のつらい現状を塞いで、見て見ぬふりをしようとしてたんだ…。
気が付いて、良かった。気が付かせてくれて、本当に、嬉しい。

私はソラさんにお礼と謝罪の言葉を繰り返しながら、泣いて泣いて。宥められて、落ち着く頃には、もうすっかり、モーニングの時間は過ぎ去っていた。
冷めてしまった私のモーニングの代わりと。ソラさんは食べかけだった私の皿を店員さんに下げさせて。ランチメニューをご馳走してくれた。久しぶりに食べた、出来たての温かいハンバーグと、ポテトフライは。人生で一番、美味しかった。


【1ヶ月半後】

私が勤めていた東方支店は、本社の監査が入ったことにより、本格的に営業停止となった。パワハラ三昧だった上司は解雇され、幅を利かせていた事務方のお局さんは、本社監修の研修を受けた後、本土の下請け企業に左遷されることが決まった。
そして、私はというと。フルリモートの事務員として、ROG. COMPANY本社に栄転することが出来た。週休3日。1日の実働時間は7時間。勿論、仕事さえきちんと済ませれば、もっと短い時間で解放される。
家でまったりと仕事をするのも良いけれど、私のお気に入りの場所は。やっぱり、あそこ。

今日も、朝からいつものファミレス。いつもの角のボックス席。店員さんには顔を覚えられていて、にこにこ笑顔で挨拶される。配膳もロボットではなく、店員さんが手ずから行ってくれて、何なら世間話なんかもしてくれる。もうすっかり顔馴染みの常連さんだ。でもそれは、私だけじゃない。
隣の2名様用の席に座っている、ソラさんも同じ。

…あのとき。本社で高等幹部の秘書官をしているソラさんが、何故、朝のファミレスで仕事をしていたのかというと。
どうやら、「会社で働きすぎた」らしい。タイムカードに打刻された労働時間がえげつないことになっているんだとかで、直属の上司が「出勤時間を調整しないと、仕事そのものを取り上げちゃうんだから~!」と、ぷんすかと怒ってきたらしい。
だから、本当は家できちんと休んでから、昼から出社すればいいのに。好きで仕事をしているソラさんは、朝にファミレスで、ある程度の量の仕事を済ませてから、昼に本社へ出勤する、というルーティーンを繰り返していた、ということ。
しかし、どうやらそれも上司にバレて、本当に全ての仕事を取り上げられそうになったらしいので。今は大人しく、このファミレスで朝のモーニングを食べ、コーヒーを飲み。昼に出社している毎日。

お互いに隣り合わせの席で。私は、スクランブルエッグとサラダのセット、そしてパンケーキ。ソラさんは、ハムエッグとサラダのセット、そしてソフトフランスパン。それらをゆっくりと食べながら、なんてことない話に花を咲かせる。

仕事は、まだお預け。この美味しいモーニングを食べて、ドリンクバーの飲み物を飲んでから。

こんな幸せな日々が待っていたなんて。少し前までの自分に、教えてあげたい。これも全部、ソラさんのおかげ。そう言うと、ソラさんは、少し違う、と訂正を入れてきた。

「お前が、ここに社員証を落としていったのが、全ての始まりだ。変わるきっかけを作ったのは、お前自身だろう」
「んー、でも。席が隣だからって、他人が落とした社員証を拾うって…、やっぱり、なかなか出来ないですよ。ソラさんって文字通り、視野が広いんですね!」
「視野が広いも何も…、最初からずっと、見ていたからな」
「え…」

飲みかけの野菜ジュースが、少し零れる。机が汚れてしまった。でも、今はそれどころじゃない。
呆ける私を眺めるソラさんは、自分のコーヒーの入ったマグカップ片手に続けた。

「経緯はどうあれ、幸せそうにファミレスのモーニングを食べる姿が、本当に愛おしかった」

え、あの?それって、あの…?!

「明日からは、そっちのボックス席の向かい側に、座ってもいいか?」

ソラさんはそう言うと、フッと微笑んでみせる。
彼の発した言葉の意味の全部を理解した私は、思わず、野菜ジュースを一気飲みしてしまった。

それを見たソラさんは、やれやれと言わんばかりに、スーツのポケットからハンカチーフを取り出すと。
おもむろに身を乗り出してきて、私の口元を拭う。…あ、野菜ジュースの跡が、ついてたってこと…かな…?

「こっちだと、拭いにくい。やはり、明日と言わず、今からそっちへ行く」

諸々が恥ずかしくなってきて、赤面する私を見ながら。ソラさんは、更に笑った。
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