『極寒の果てで』小説

イザヴェラが傾けていたティーカップに、ピシリ、とヒビが入る。しかし、それを見た彼女は、フッと笑っただけで。気にも留めていないかのように、変わらずに紅茶で喉を潤していた。…そこへ。

「帰り道の切符を、渡して貰おう。
 人間がふたり、長生きすぎる奴がひとり、シュゴッド1体で、計4枚だ」

淡々とした声が響く。イザヴェラがそちらを向くと、花嫁を隣に立たせたソラがいた。

「生憎、ハーカバーカでは、招く際の片道分しか配っていない。他の道の分が欲しければ、自分で何とかすることだ」

イザヴェラは飄々とした様子で、そう返す。そして、空になってしまったティーカップをソーサーに静かに置いてから、口を開いた。

「心の底から愛している…、それ故に、相手が間違った道を進もうとするときは、殺してでも止める…。
 愛するものの命を背負い、それを奪った業と、その結末に至った愛を抱えて、己の道を歩む未来を選ぶ、か…。実に、美しく洗練された、愛。
 確かに、お前たちふたりの間には、舞台で歌い手が奏でるような、安っぽく甘い台詞などは、必要なさそうだ」

感慨深そうにイザヴェラが呟く。どうやら、先ほどまでソラと花嫁の身に起こっていたことを、掌握しているようだ。…やはり、イザヴェラがこの事件の黒幕、ということである。

「ジジィはどうした?
 そこに奴の剣が突き刺さっているのは見えるが、…肝心の持ち主の姿が何処にも見当たらないことは、看過できない」

ソラはそう問いながらも、胸の渦巻く嫌な予感が、既に確信に変わっていることを察していた。

「魔王伯爵は、死に国の虜となった。もう、永遠に戻らぬ。奴の命は、この地で安らかに眠るのだ」

イザヴェラは、ソラの予想した通りの回答をした。ソラの隣の花嫁が、息を呑んだ気配がする。
ハーカバーカの虜になった、永遠に戻らない、安らかに眠る。そして、地面に突き刺さった、魔王伯爵の剣。剣には蔦薔薇が絡みついている。それはまるで、剣の持ち主を弔う、墓標だ。

「……、魔王伯爵を、…お前のかつての友を、手に掛けたのか?
 そして、奴の墓標と、俺たちに吹っ掛けた逆境を茶請けに、ひとりで茶会か?」
「…いかにも。されど、何とする?ソラ王」

間違いない。イザヴェラは、ソラと花嫁に一方的な試練を与えたうえに、魔王伯爵を殺した。震え上がるような恐ろしい案件だが。ソラにとっては、その事実さえ確認できれば、十分だった。

「イザヴェラ。お前の所業、ゴッカンへの侵略行為とみなす。…速やかに、我が前に跪け」
「私が、お前の国に侵略行為をしたと?」

ソラの宣告を、イザヴェラは一笑に付す。しかし、それで引くようなソラでもない。

「俺の花嫁を拐かし、王の俺をハーカバーカへ引きずり込んだ。
 ジジィは、ゴッカンに自分の城と領地を保持している。いわば、ジジィは俺の国の民だ。…花嫁と民に、手を出した。お前の行為は、ゴッカンへの立派な侵略行為だ。
 ―――イザヴェラ。俺はお前の罪を、必ず裁く」

静寂に包まれた死の国に、ソラの声がよく通る。しかし、それを聞いているイザヴェラの余裕の笑みは、崩れない。

「伯爵は帰らぬ。そこの墓標が見えないか?ソラ王。
 ゴッカンへの片道切符は、王と花嫁のふたりと、シュゴッドの分で、終わりだ。
 ……、手に入れることができれば、なあ?」

フッとイザヴェラは、不敵に笑った。彼女の背中に生えている赤い羽根が、揺らめく。

「切符はもう一枚、是が非でも貰い受ける」
「なれば、なんとする?失われたモノは、二度と戻らぬ。伯爵は、その剣の下だ。永遠に、この死の国で眠る運命にしか、ありえない」

そう。魔王伯爵は、ハーカバーカの土の中。それを取り戻す、となると、レベルの違う話になってくる。失った命は二度と戻らないのだから。だが、ソラの瞳から、希望は消えていなかった。

「イザヴェラ。お前は俺にこう言ったな。
 …ここでは、赤は青、裏は表、闇は光。全てを、受け入れるのだ、…と」
「ああ、確かに言った」

イザヴェラが肯定すると同時に。ソラが天を見上げた。そこには、青紫色の空間に浮かぶ、巨大な砂時計。

「ハーカバーカは行き止まり。来るのは、片道切符。ここで死人となれば、皆が友。赤は青、裏は表、闇は光となる…」

ソラが独り言のように呟く。花嫁は彼が何を言っているのかを咀嚼しようとしているが。反面、イザヴェラは、何かに気がついたようで。その顔に浮かんでいた笑みが、初めて消える。そして、彼女のその反応を見たソラは、確信を得た。

ペンダントの蒼水晶をグッと握り、開く。すると、水晶から仄かな光が放たれていた。
ソラが息を吸い込み、口を開く。


―――『おいでおいでと 声がする ハーカバーカへいらっしゃい』


例の歌が、響き始めた。イザヴェラが歌っていたものと同じだが、いま奏でているのは、ソラの声だ。


―――『死人が踊り 闇光る 地から天へと砂時計 辛いは幸い 痛くて楽しい 表は裏であべこべ』


ソラの歌声が、天へと吸い込まれるように共鳴すると。グラリ、と巨大な砂時計が、身じろぎを始めた。


―――『おいでおいでと 声がする ハーカバーカへいらっしゃい』


砂時計が、緩慢な動作で、されどしっかりと。その胴体を、ひっくり返す。上下で色の違う砂が落ち始めると。天に浮かんでいた半透明のモノたちが、次々と地へと力尽きたように落ちていった。
青紫色だった天空は、朝焼けを想起させる暁色に。魔王伯爵の剣に絡みついていた真っ赤な蔦薔薇は、先ほどとは相反する紺青と、それぞれがみるみるうちに染まっていった。そして、何より。
いつの間にか。ソラの後ろ、花嫁のすぐ傍に。…魔王伯爵が、立っている。
それに気が付いた瞬間に、驚いた花嫁の声を聞いて。伯爵はハッと我に返ったかのように、自分自身と、周囲をきょろきょろと見た。

「…、…あ、あれ…?僕は…、死んだ流れじゃなかった…?」
「安心しろ、生きている。お前も一緒にゴッカンへ帰るぞ」
「あ、うん、そうだね。…じゃなくて!死んだモノを生き返らせたのと同義だよ?!
ゴッカン王?何をしたのか、ちゃんとじぃじに説明してくれる?」

伯爵のごく当たり前の疑問に、ソラが答える。

「ルールを書き換えただけだ。
 赤を青に塗り替え、裏を表へひっくり返し、闇を光へ差し替えることで、この地で漂うモノとなった存在を、逆転させた。
 死の国の虜になったモノたちは、今やこの国では漂うことの叶わない、あべこべの存在。…すなわち、ハーカバーカに囚われることのない存在となった。
 だから、この国で死者になったジジィも、こうして帰ってこれたということだ」

ソラがそこまで説明したときだった。

「ソラ王ッッ!!貴様、正気かッ!?なんてことをしてくれたんだッ?!」

イザヴェラの怒号が響く。今まで品良く振る舞い、余裕綽々としていた彼女からは、想像ができないような激情が垣間見えた。
ソラが涼しい顔で黙すと、対するように、イザヴェラが怒鳴り始める。

「ハーカバーカに漂うモノたちは、皆、地上で死したモノたち!死者なのだ!彼らは死んでいるからこそ、この国にいられる!
 それなのに!お前が砂時計をひっくり返したせいで!生死の理そのものが、裏返しになった!!この意味が分かるか?!
 生と死が逆になるということだ!!今に地上は…、お前たちの国が、死者で溢れ、入れ替わりに、生者がハーカバーカに落ちる羽目となるのだぞ!?」
「心配は無用だ。俺は常に先を読んでいる」
「そんな訳があるか!!最高裁判長たるものが聞いて呆れる!!短絡的な私情で、自らルールを書き換えに行く法の番人など、あってなるものかッ!!
 情を捨てきれぬ天秤など、チキューには不要だ!ソラ王…お前に最高裁判長は、…ゴッカンの玉座は、相応しくない…!!
 私の全てを賭してでも、今ここで、お前を断罪する…!!」

イザヴェラが勢いのままに、自らの両刃剣を取り出した。柄についた蝶飾りが、妖しく光る。

「雪げぬ罪を受け入れて、赦されぬモノたちを斬り捨てる…。
 ―――死蝶往来、…王骸武装…!」

イザヴェラが唱えると。灰色の靄が彼女の全身を覆う。それが晴れると、そこに立っていたのは、―――…色違いのパピヨンオージャー。

ソラがそれを見据えながら、オージャカリバーの紫の羽根を弾いた。


――『Pop It On!』


「王鎧武装」


――『You are the KING! You are the, You are the KING!』


パピヨンオージャーが顕現する。それが、ソラがゴッカン王のとして君臨する証だ。

イザヴェラの周りの土が、ボコボコ、と小さく隆起すると。そこから骸の戦士たちが、這い出るかのように湧いてきた。
そして次いで、ソラが己の王剣を軽く振る。と、今度はソラの周囲へと、天から半透明の兵士たちが集ってきた。
魔王伯爵が、地面に突き刺さっていたままの愛剣の柄を握る。絡みついていた蔦薔薇がひとりでに剥がれ落ちて、輝く銀色の刃が現れた。

花嫁はそれを見守りながら、もうソラから離れている。彼女は魔王伯爵の後ろにて守られる形に入った。

「新雪の王・ソラ。お前と私…、互いの咎を断罪する戦いを、始めるとしようか…」

イザヴェラがそう宣告する。と、同時に。
両陣営がいきなり動き始めた。イザヴェラと骸の戦士。ソラと半透明の兵士。互いに斬り結び合う。刃が擦れ、鍔迫り合いの音が響き始めるだった。


to be countinued...
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