『極寒の果てで』小説

ゴッドパピヨンを適当な場所に止めておき、ソラと魔王伯爵は、ハーカバーカ内を歩いていた。見知らぬ場所であるが、宛のない路ではない。その証拠に、ふたりの周囲には、あの赤い薔薇蝶が絶え間なく舞い続けている。この蝶を頼りに進めば、目的に近づけるはずだ。

青紫色の天。寂れた石畳の地。そこかしこに建っている墓標。空中を浮遊する半透明のナニかたちは、時折、クスクス、キャッキャ、と微かな笑い声をあげる。それでも、ひと際目を引くのは、天を覆うばかりに巨大な砂時計。

「…景色だけ見れば、神秘的で、退廃的で、且つ、幻想的なものだ…」

魔王伯爵が関心か呆れか、どっちつかずの声で呟いた。すると。

ふたりの目の前に、突如、扉が現れた。骨で表現された蝶のレリーフが彫られたそれは、静かに開く。灰色の靄と共に、扉の向こうから、人影が出てきた。それは―――…

「パピヨン、オージャー…?」

伯爵が呆然と零す。

黒塗りの鎧。赤色の蝶型の複眼。マントは無い。しかし、その代わりとばかりに、背中から、大きな赤色の蝶の羽根が生えている。

全くの色違いだが、間違いない。―――パピヨンオージャーだった。

『ようこそ、死の国・ハーカバーカへ。歓迎しよう、新雪の王』

色違いのパピヨンオージャーが喋る。その声は、ザイバーン城の中庭で聞いた、あのノイズ混じりのそれと一致した。

「用件を話せ」

ソラが簡潔に問う。氷のように冷たい声と、眼差し。だが、色違いのパピヨンオージャーは、フッと笑うと、腰から下げていた剣を抜く。オージャカリバーではない。色味も装飾も明らかに違う、大ぶりの両刃剣。柄の部分には蝶を象った飾りが、刀身には薔薇の細かな彫刻が施されているのが見えた。

ソラが背中からオージャカリバーを引き抜く。魔王伯爵も自身の剣に手を掛けようとして、…数秒の後、その手を元に戻した。それから、その場から少しだけ距離を取る。どうやら伯爵はソラの助太刀するのを止めて、見守ることにしたらしい。
ソラがオージャカリバーの紫の羽根を弾いた。


――『Pop It On!』


「王鎧武装」


――『You are the KING! You are the, You are the KING!』


紫色のパピヨンオージャーが顕現する。ソラが王である証。しかし、その色違いのモノが、いま彼の眼前に立っている。この光景は、一体、何を意味するのか。

両者、睨み合ったのも、刹那の間だけ。瞬時に、斬り結ぶ。刃がぶつかり、擦れる甲高い音が、死の国に木霊し始めた。

得体が知れぬとはいえ、色違いのパピヨンオージャーに遅れを取るほど、ソラが弱くないことは、目の前の剣戟を端から見ている魔王伯爵が、よく知っている。自分とて、ソラに剣を向けた結果。彼に背後を取られたうえに、何の迷いもなく、心臓を一突きされた身だ。……芝居をしていた真っ最中とはいえ、本当に殺されてしまうのはごめんなので、裏で色々と保険をかけてはいたのが…、ソラの剣の強さは、正直、末恐ろしいものを感じたのが、伯爵の本音である。

ソラはゴッカン国王兼最高裁判長として、全てを割り切っているのだと思っていた。彼の迷いのない強さは、そこから来ているのだろう、と。しかし、少し調べてから、魔王伯爵のその考えは覆された。
伯爵は、ソラの出自に関する情報に目をつけた。彼の出身地は、ンコソパの貧民街。しかし、問題はそこではない。伯爵が注目したのは、ソラの『育ての親』。その名を『ルカ』。テクノロジーの国『ンコソパ』の現国王。…ルカは、人間ではない。ひとの形をした、強力な軍事兵器だ。
とはいえ、ルカがソラに沢山の愛情を注いで育てたのは違いなく、またソラが真っ当な道を歩めるように教育したのも、紛れもない事実。だが、所詮、ルカは機械。どんなに見た目が人間の姿をしていようとも、ふとした瞬間の思考回路や行動パターンは、ひとのそれとは違う。
「機械に育てられた子」。幼いソラは、周囲からそんな風に揶揄されていたらしい。その言葉には、育ての親であるルカのことだけではなく、ソラ自身が「機械に育てられた故に、機械のように無機質な子になった」という意味合いが含まれているのだとか。
機械は迷わない。与えられたコマンドに従い、組み込まれたアルゴリズムのもとで、最も最適な結果を出す。ゴッカン国王兼最高裁判長の職務に対して、身体の芯から忠実に働くソラの姿は、魔王伯爵の脳内に「まるで機械のようだ」という感想を抱かせた。勿論、伯爵はその考えを誰にも明かすことなく、すぐに己の内で撤回した。真実に近いとはいえ、自分の推測だけで、ソラのことを大なり小なり貶めるような真似をするなど、伯爵には出来ない。彼は、「氷の瞳」と呼ばれて恐れられている新雪の王が、誰よりも優しい心の持ち主であることを、しっかりと理解しているから。

魔王伯爵が思考に耽っている間も、ふたりのパピヨンオージャーの戦いは続いていた。
決着が付くまでは花嫁探しもお預けかなぁ…、と伯爵が考えていると―――…

…―――唐突に、色違いの方のパピヨンオージャーが、剣を引っ込めた。

ソラのオージャカリバーの切っ先が、首筋の寸でのところで止まる。が、色違いのパピヨンオージャーは怯む素振りも見せない。

オージャカリバーが完全に引かれると同時に。ソラが武装を解いた。

「かかずりあいは終わりだ。今度こそ、本題に入って貰うぞ」

冷たいソラの声は、死の静寂に包まれたハーカバーカによく通る。
天を泳ぐ半透明の影たちが、クスクス、と密やかに笑うのが聞こえた。

色違いのパピヨンオージャーが、自身の剣の蝶飾りに触れる。すると、鎧が揺らめき、灰色の靄となって、散り散りとなっていった。ゆっくりと晴れていく靄の中から、現れしモノ。それは。

黒色のドレス。薄緑色の長い髪。両目を覆うように包帯を巻いた、白い肌の顔。頭上に煌めく、ティアラ。背中には赤い蝶の羽根が、変わらずに生えている。薔薇の形をした赤色の水晶が揺らめくペンダントが、胸元を彩っていた。…女性である。

「君は…ッ?!」

その女性の姿を目にした瞬間。見学を決め込んでいたはずの魔王伯爵が、驚愕の声をあげる。
その様を見た女性は、フッと笑うと、口を開いた。

「我が名は、イザヴェラ。太古のゴッカン女王だったモノ。今は…、死の国に在るモノ」

驚くべき名乗りである。魔王伯爵が、ソラの背後で息を呑んだ。

「イザヴェラ…?
 『イザヴェラ女王道物語』のモデルになった、あのイザヴェラ女王か?」
「いかにも。私が、そのイザヴェラ本人だ」

変わらず冷静なソラが飛ばした疑問符に、イザヴェラはしかと肯定する。

「改めて。ようこそ、ハーカバーカへ。歓迎しよう、ソラ王。
 急ぐことはない。ゆっくりと寛いでいくといい」

イザヴェラはそう言いながら、自身の両刃剣をどこぞへと収めた。そして…、…いつの間にそこにあったのか。茶席用の応接セットに向かい、茶の準備を始めた。
イザヴェラは口調こそサバサバとしているが、その仕草は悠々として、隠し切れない品と余裕が垣間見える。

淡々と茶の準備をするイザヴェラ。呆然としつつも、少しずつ状況を飲み込んできているらしい魔王伯爵。そして、そんなふたりを冷静に眺めているソラは、オージャカリバーを背負い直すと、口を開いた。

「せっかくの席だが、俺は辞させて貰う。探しに来たひとがいる」
「そうか。上物のダージリンを用意させたのだが…、残念だ」

台詞の内容の割には残念そうには聞こえない声音だったが、イザヴェラは準備を手を止める。ソラが続けた。

「椅子は二脚あるようだし、そこで呆けているジジィと久闊を叙すといい。何万年分かは知らんが、積もる話があるだろう?」
「良い案だ。そうしよう」

さも当然のように、しかし、完全にその場のノリで言い放ったソラの提案だったが、意外にもイザヴェラは乗ってきた。彼女は羽根を揺らしながら、背後を振り向くと、未だ現実を受け止めきれていない様子の魔王伯爵に向かって、声を掛ける。

「おい、伯爵。手伝え。少しは働かないか、このものぐさ爺め」
「え、あ、アッハイ…」

サバサバとしたイザヴェラの声に、伯爵はハッとしたようにすると。あせあせとしつつも、やっと距離を縮めてきた。

あとは知らんとばかりに、花嫁を探しに行こうとするソラが、ふたりに背を向けたとき。

「ソラ王」

イザヴェラの呼ぶ声がした。ソラが肩越しに視線を寄越すと、イザヴェラは言葉を紡ぐ。

「ハーカバーカは、行き止まり。
 ここでは、赤は青、裏は表、闇は光。全てを、受け入れるのだ」
「…。そうか」

イザヴェラの謎かけめいた台詞に、ソラは淡泊に答えた。そして今度こそ、その場を後にする。
間も無く。オージャカリバーを負った紫色の装束の背中が、仄暗い道の先へと消えて行った。その様子を、魔王伯爵は心配そうに見つめていた。が。

「伯爵」
「え、ああ、なに?」

イザヴェラの呼びかけに、伯爵は我に返って、そちらに振り向く。

「そこの四角の缶に、茶請けが入っている。開けてくれ」
「…、これかな?
 しかし、まあ…、死の国に来ても、またイザヴェラとお茶が飲める日が来るとはね」

伯爵がしみじみと零しながら、指示された通りに、四角の缶の蓋を開けた。すると。


ブワァァ!と、灰色の靄が、缶の中から湧き出てきたかと思うと。それはあっという間に、無数の黒い手となって、伯爵の身体を拘束する。亡者の手。罠だったのだ。

「ッ?!イザヴェラ!!どういうことだ…ッ?!」
「相変わらず、お前は甘いな、魔王伯爵」

驚愕と苦痛で表情を歪める伯爵に対して、イザヴェラは涼しい顔で続ける。

「言っただろう?ここは、ハーカバーカ。死の国だ。
 片道切符で、行き止まり。お前たちに、元の世界へと帰る術など、…無いのだ」

イザヴェラがそう告げている間にも、魔王伯爵は亡者の手によって、地面へと引きずり込まれようとしていた。伯爵はもがくが、全く歯が立たない。イザヴェラが近付く。そして、伯爵の腰から、彼の剣を引き抜いて、奪い取る。

「…、…ッ、信じて、いるよ―――……」

魔王伯爵が、そう言うと同時に。彼は完全に、亡者の手と共に、地へと引きずり込まれてしまった。
生者のいない静寂が訪れる。イザヴェラは沈黙の中、伯爵が消えて行った地面に、奪った彼の剣を突き刺した。


―――『待って待ってと 声がする ハーカバーカに寄っといで』


おもむろに、イザヴェラが歌い始める。すると。地面に突き刺さった魔王伯爵の剣に、蔦が這い始めた。蔦は剣を覆い尽くし、いくつもの蕾をつける。


―――『愛しいひとが待っている 帰ろうなどと思うまい』


歌が続けば、蕾たちが一斉に開いた。真っ赤な薔薇が咲き誇る。

突き刺さった剣に伝う蔦と薔薇。
出来上がったそれは、さながら。ひとりの戦士を弔う、墓標のようであった。


*****


進んでも、進んでも。同じような景色が続く。ここに来た当初のような、薔薇蝶の道案内も、今は無い。しかしソラは、自分が道に迷っているとは、思っていなかった。こちらに来れば。この橋を渡れば。この彼岸花の道を越えれば。己の花嫁がいる。彼女が、自分を待っている。必ず、迎えに行く。

不意に、自分の胸元が光り、ソラは足を止めた。見れば、自分のペンダントの蒼水晶が、ゆらゆらと明滅している。
何かの前触れを告げている気がした。だが、それは歩みを止める理由にはならず、むしろ、更にこの先を行く手掛かりにすらなる。
迷いなく、ソラは再び、進み始めた。

間も無く。蔦薔薇が巻き付いたアーチを潜ると。少し開けた場所に出る。その中心で、こちらに背を向けて立っている、見慣れたドレス姿。―――ソラの花嫁だった。


to be countinued...
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