『極寒の果てで』小説

珍しく晴れ間の覗いた、ゴッカンの青い空の下。雪が積もった中庭で、花嫁と魔王伯爵が遊んでいた。雪兎で隊列を組んだ後、今は白玉を三兄弟で作っている。その光景を眺められる位置にある椅子で、ソラは書類にペンを走らせていた。時折、ふたりの様子を見てはいるが、ソラ自身は基本的には仕事が優先なようで。花嫁と伯爵の遊びの輪に加わる気配は無し。すると。
書類とにらめっこをしているソラの顔面に、突如、ぶち当たった雪玉。周囲を見張っていた兵士たちが、一斉にギョッとする。が。同時に響く、きゃらきゃらとした笑い声。花嫁と魔王伯爵だ。

「ゴッカン王~。そんな隅っこで難しい顔なんかしてないで、こっちにおいでよ~」
「ソラ様!一緒に雪合戦をいたしましょう!」
「…、…。」

愉快そうなふたりに対して、無言で顔に付着した雪玉の名残を、黒革の手で振り払うソラ。兵士たちがハラハラと見守る中、ソラは静かに椅子から立ち上がる。そして、緩慢とした仕草で視線を向けて、口を開いた。

「…戦いを申し込まれたなら、受けて立つのが、戦士だ。
 お前たち、俺の投げる剛速球から、逃げられると思うなよ?」

…この国王、ノリ気である。焦っていた兵士たちの表情が、途端に、緩やかになった。
中庭にいる皆の心が和やかになるなか。晴れ間の太陽のお陰で、少し溶けた雪の上を、ソラの靴底が踏む。すると。


シリィン…、という、鈴の音がした。


この場にいる者が出せるような音ではない。全員が、挙動を止めた。

不自然な静寂に包まれた中庭で、シリィン…、リィン…、と音は鳴る。

ソラが立てかけていたオージャカリバーに、目を向けたとき。


―――『おいでおいでと 声がする』


鈴の音とは違った、明らかな人語による歌が響く。美しい旋律だが、相変わらず、何処から鳴っているのかが分からない。


―――『おいでおいでと 声がする ハーカバーカへいらっしゃい』


歌と共に、ソラの視界に、赤い蝶が飛び込んできた。その蝶はひらひらと閃く度に、その羽根から薔薇の花弁のようなものを舞い散らせる。そして、その花弁は地面に落ちる前に、また同じ赤い蝶となって、増え続ける。

赤い薔薇の蝶たちの群れは、主に花嫁の周囲を舞い踊り始めた。
出所の知れぬものだが、赤薔薇の蝶、という幻想的な存在は、花嫁の表情を夢見心地にする。

伸ばした花嫁の指先に、蝶が止まった。


―――『死人になれば皆が友 寂しい楽しい 死の国へ』


その詞が聞こえた瞬間。花嫁の指先の蝶が、その姿を花弁と散らせる。花弁が花嫁の周囲に舞ったかと思えば。直後、彼女の姿が、薔薇蝶の群れの中に掻き消えた。

「レ―――、ッ!!」

ソラが花嫁の名を叫び、走り出さんとした直後。大量の薔薇蝶が、群れを成して彼の前に飛び交った。その圧迫感に、あのソラでさえ、思わず硬直する。すると。

蝶の群れの中から、ひとの顔のようなモノが形成された。『ソレ』は、ソラを目を合わせると、言葉を紡ぎ始める。

『お前の花嫁は、死の国に囚えた。ハーカバーカへ、いらっしゃい』

変声機を使ったような、酷いノイズ混じりの声。性別も分からない。

『花嫁を迎えにおいで。ハーカバーカへ、寄っとい―――』


―――ザ、ッパァ…ン…!!


空気を切り裂く、鋭い一閃。ソラのオージャカリバーの斬撃が、薔薇蝶の群れを真っ二つに割ってしまった。顔らしきモノの台詞も途中で切れてしまう。
斬られた蝶の群れの全ては薔薇の花弁となり、雪の積もった白い地面に、真っ赤な蹟と散らせた。それがまるで血糊のように見えたことに加えて、オージャカリバーを握ったソラの隻眼の冷たさが、周囲にいた者たち全員を震え上がらせる。

「…。何処にでも、行ってやる」

ソラが、静かに呟くと同時に。ゴァァ…!という重々しい羽音を轟かせて、中庭の直上に、ゴッドパピヨンが現れた。


*****


ゴッドパピヨンのコックピット内。操縦するのは、ソラ。その隣には、魔王伯爵が乗っていた。


―――『おいでおいでと 声がする ハーカバーカへいらっしゃい』


微かに響く、例の歌。
雲海を下に、空高く飛ぶゴッドパピヨンの前を、あの薔薇の蝶の群れが征っている。まるで、ソラたちを導いているかのように…。

「ゴッカン王、ハーカバーカのことは、知ってたりする?」
「名前と伝承のみ。…現存するとは、到底、信じていなかった」

伯爵の問いかけに対して、ソラは簡潔に答えた。それを聞いた伯爵は、そうか…、と小さく零した後、ぽつりと続ける。

「ハーカバーカというのは、死の国のことだ。
 僕ですら、この目で直に見たことはないけれど…。チキューの歴史上、死の国に選ばれる王がいて、…選ばれた王は、命をかけるような厳しい試練を課せられるとか、なんとか…」
「…その死の国の試練とやらに、俺が選ばれた、と?」
「伝承のみで判断すれば、そうなるかな。でも、そうだとしても、…花嫁ちゃんを攫っていい理由には、到底、ならないよ…」
「……。」

魔王伯爵の言葉に、ソラが黙り込んだ。その沈黙と行間は、何を語っているのか。今この場に、それを読み解ける人物はいない。

すると。ゴッドパピヨンの先を飛んでいた薔薇蝶の群れが、突如、霧散した。そして。真紅の霧となり、すぐに晴れる。その先にあったのは。

「…これが…、死の国への扉…?」

魔王伯爵が呆然と呟いた。対して、ソラは沈黙を守り続ける。

空を裂かんばかりの巨大な壁。死者のレリーフが彫られた、それこそ、死の国へ扉。
扉は音もなく開き、ゴッドパピヨンを迎え入れる。


―――『ハーカバーカへいらっしゃい 片道切符を 持たせましょう』


パピヨンが扉を潜ると同時に、美しい歌声が響いた。

赤みのかかった青紫の天地。透明感のある、しかし、どこか生気のない植物めいたものや、オブジェ。


ここが…、―――死の国『ハーカバーカ』である。


to be countinued...
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