『極寒の果てで』小説
夜。寝しなのハーブティーを飲むのもそこそこに。花嫁は落ち着きのない自分の心に、気が付いていた。昼間に中庭で聞いた陛下の言葉が、どうしても気になってしまう。
――ー…一体どうして、彼は玉座を退くことを決めているのか。
かなり気になる話だが…。しかし、花嫁は所詮、客人扱いを受けているだけで、この世界に紛れ込んだ異邦人だ。陛下が踏み込むことを拒絶したことも、引っかかる。
「シニョリーナ、顔色がよろしくないようですが…」
「あ…、その…」
従者に心配されたことに、つい、口ごもる。だが、そこで、ふと思い出した。陛下は「従者たちが噂好きだ」と。……賭けてみよう。
「実は…、昼間に陛下の口から、ご自身の進退について、さわりの部分を伺ったのです…。それが気になってしまって…」
「ああ、それでしたら。城中の皆が知っていることですわ、シニョリーナ」
…かかった…!このまま喋って貰おう。
花嫁は、不安げな表情をキープしたまま、従者の言葉を続きを待った。従者たちは勝手に寄り集まってきて、花嫁に「噂」を吹き込み始める。
「ソラ様が退位なさる理由は、大きくわけて4つある、と言われておりますわ。シニョリーナ」
従者たちが、外に聞こえるはずもないのに、声をひそめて、話し始めた。
「ひとつめの理由は、ソラ様の氷の秘術が暴走しかけていることです。
今は訓練を経て、ある程度まで制御されていますが…、少し前まで、触れるもの全てを、軒並み凍り付かせるほどだったのです。
それでも戦いになれば、ソラ様が使う武器は、滲み出る秘術の冷気で凍ってしまい、…最後は氷の粒と砕けて消えますのよ。ほら、シニョリーナも、先の襲撃でご覧になったでしょう?」
異形の黒影に襲われたときの話だ。確かに、あのときの陛下が振るった剣は、氷の粒となって地面へと砕けて消えていた。
「ふたつめの理由は、秘術の暴走の影響で、ソラ様がオージャカリバーが使えないことです。振るえば、冷気でオージャカリバーも凍り付きます。
そして、王の証のひとつである剣を扱えない者が、いつまでも玉座に居る資格はないと、ソラ様は自ら公言なさっています」
…花嫁が踏み込みたかった点のひとつだ。オージャカリバーを携帯していないのは、どうやら、自分の能力で王剣そのものを傷つける可能性を危ぶんでいるらしい。
「みっつめの理由は、……ソラ様個人の事情で…。…与えられたスケジュールをこなすどころか、溜め込みすぎて、無理をした結果…、…去年、身体を壊してしまわれたのです。それから半年ほど療養した後、スケジュールやサポートが見直されて…。以前のように働くことはまだ難しいのですが、…随分と回復されました。
…ですが、王の心身を追い詰めるほどの過酷な仕事量が、第三者機関により、ずっと問題視されているのが現状で。
そこを根本的に解決するため、そして、ザイバーン城全体の体制を刷新するため、…ソラ様は全てを見直した後に、ご自身が玉座を退く、と帰結なされたみたいです」
なるほど…、花嫁は理解した。自分を自虐したり、過小評価する陛下の本心は、どうやら、彼自身の性格よりも、彼を取り巻く環境を、陛下自身が俯瞰して
、計算した結果。陛下が自ら弾き出した答え、というものなのだろう。
一抹の不安は消えないが、あらかたの疑問は解消できた。と、花嫁が胸中で納得しかけたとき。従者が、更に深刻そうな顔をしたのが分かった。…そういえば、最初に彼女たちは、「理由は4つある」と言った。まだ自分は3つしか聞いていない。最後のひとつを、ぜひとも聞き取りたいところである。
そう考えながら、黙ったままの花嫁に対して。従者たちは、密やかな声で続けた。
「最後のよっつめなのですが、……これが一番、憶測の域を出ないのですが…。
氷の秘術が暴走していることからのお話で。…ソラ様は、実は『秘術を戦闘に使う代償に、ご自身の命を削っている』という噂がございまして…」
「…え…?」
花嫁の口から、思わず、声が漏れた。それを聞いた従者たちは、互いに顔を見合わせながらも。特に躊躇うことなく、噂を流し続ける。
「なんでも、とある兵士が、戦闘後のソラ様の手首の肌の表面が凍っているのを、目撃したことがあるそうです。しかし、その兵士が問うたところ、ソラ様は「そんなことはありえない」と冷たい声で即答なされたうえで、ご自身の手首を兵士に見せた…。そこには凍った肌などはなく、寒さで少し青白くなっただけの、普通の人間のそれだった、と…。ですが、その兵士は今も証言し続けるのです。「あのとき、自分は確かにソラ様の肌が凍っているのを見た!」と…」
そこまで聞いてから、花嫁は従者たちから目を逸らした。……、胸が痛むような思いを、覚えている。噂が本当にせよ、多少は脚色されているにせよ。どのみち、そのような状態では、陛下の立場があまりにも苦しすぎる。
すっかり冷めたハーブティーを口に含もうとして。そこで、噂話に夢中になっていた従者たちが、やっと現実に戻ってきて、「あ!お待ちください、淹れ直します!」と慌てて言いながら、花嫁を止めた。
お茶を淹れ直してもらっている間に、花嫁がイルを構っていると。
唐突に、部屋の扉がノックされた。花嫁が入室の許可を出すと、「夜分に申し訳ございません、シニョリーナ」と言いながら、入ってきたのは。――ー護衛兵のひとりだった。
「シニョリーナ、ソラ様より、急ぎの言伝でございます。
『シニョリーナが元の世界に戻れるためのワームホールが、ここより南の地で出現した。
明朝に出立するので、支度を整えておくように。』
とのことです」
「! 元の世界に…!?」
自分の世界に帰ることが出来る。愛すべきひとのもとへ、王国へ。帰られる。
我がことのように喜ぶ従者たちの声を聞きながら、花嫁は全身からチカラが抜けた感覚を覚えて。そのまま、ソファーに身を深く預け直した。花のような唇から、深い、深い、溜め息が漏れる。
その足元を、イルがころころと転がっていた。
to be continued...
――ー…一体どうして、彼は玉座を退くことを決めているのか。
かなり気になる話だが…。しかし、花嫁は所詮、客人扱いを受けているだけで、この世界に紛れ込んだ異邦人だ。陛下が踏み込むことを拒絶したことも、引っかかる。
「シニョリーナ、顔色がよろしくないようですが…」
「あ…、その…」
従者に心配されたことに、つい、口ごもる。だが、そこで、ふと思い出した。陛下は「従者たちが噂好きだ」と。……賭けてみよう。
「実は…、昼間に陛下の口から、ご自身の進退について、さわりの部分を伺ったのです…。それが気になってしまって…」
「ああ、それでしたら。城中の皆が知っていることですわ、シニョリーナ」
…かかった…!このまま喋って貰おう。
花嫁は、不安げな表情をキープしたまま、従者の言葉を続きを待った。従者たちは勝手に寄り集まってきて、花嫁に「噂」を吹き込み始める。
「ソラ様が退位なさる理由は、大きくわけて4つある、と言われておりますわ。シニョリーナ」
従者たちが、外に聞こえるはずもないのに、声をひそめて、話し始めた。
「ひとつめの理由は、ソラ様の氷の秘術が暴走しかけていることです。
今は訓練を経て、ある程度まで制御されていますが…、少し前まで、触れるもの全てを、軒並み凍り付かせるほどだったのです。
それでも戦いになれば、ソラ様が使う武器は、滲み出る秘術の冷気で凍ってしまい、…最後は氷の粒と砕けて消えますのよ。ほら、シニョリーナも、先の襲撃でご覧になったでしょう?」
異形の黒影に襲われたときの話だ。確かに、あのときの陛下が振るった剣は、氷の粒となって地面へと砕けて消えていた。
「ふたつめの理由は、秘術の暴走の影響で、ソラ様がオージャカリバーが使えないことです。振るえば、冷気でオージャカリバーも凍り付きます。
そして、王の証のひとつである剣を扱えない者が、いつまでも玉座に居る資格はないと、ソラ様は自ら公言なさっています」
…花嫁が踏み込みたかった点のひとつだ。オージャカリバーを携帯していないのは、どうやら、自分の能力で王剣そのものを傷つける可能性を危ぶんでいるらしい。
「みっつめの理由は、……ソラ様個人の事情で…。…与えられたスケジュールをこなすどころか、溜め込みすぎて、無理をした結果…、…去年、身体を壊してしまわれたのです。それから半年ほど療養した後、スケジュールやサポートが見直されて…。以前のように働くことはまだ難しいのですが、…随分と回復されました。
…ですが、王の心身を追い詰めるほどの過酷な仕事量が、第三者機関により、ずっと問題視されているのが現状で。
そこを根本的に解決するため、そして、ザイバーン城全体の体制を刷新するため、…ソラ様は全てを見直した後に、ご自身が玉座を退く、と帰結なされたみたいです」
なるほど…、花嫁は理解した。自分を自虐したり、過小評価する陛下の本心は、どうやら、彼自身の性格よりも、彼を取り巻く環境を、陛下自身が俯瞰して
、計算した結果。陛下が自ら弾き出した答え、というものなのだろう。
一抹の不安は消えないが、あらかたの疑問は解消できた。と、花嫁が胸中で納得しかけたとき。従者が、更に深刻そうな顔をしたのが分かった。…そういえば、最初に彼女たちは、「理由は4つある」と言った。まだ自分は3つしか聞いていない。最後のひとつを、ぜひとも聞き取りたいところである。
そう考えながら、黙ったままの花嫁に対して。従者たちは、密やかな声で続けた。
「最後のよっつめなのですが、……これが一番、憶測の域を出ないのですが…。
氷の秘術が暴走していることからのお話で。…ソラ様は、実は『秘術を戦闘に使う代償に、ご自身の命を削っている』という噂がございまして…」
「…え…?」
花嫁の口から、思わず、声が漏れた。それを聞いた従者たちは、互いに顔を見合わせながらも。特に躊躇うことなく、噂を流し続ける。
「なんでも、とある兵士が、戦闘後のソラ様の手首の肌の表面が凍っているのを、目撃したことがあるそうです。しかし、その兵士が問うたところ、ソラ様は「そんなことはありえない」と冷たい声で即答なされたうえで、ご自身の手首を兵士に見せた…。そこには凍った肌などはなく、寒さで少し青白くなっただけの、普通の人間のそれだった、と…。ですが、その兵士は今も証言し続けるのです。「あのとき、自分は確かにソラ様の肌が凍っているのを見た!」と…」
そこまで聞いてから、花嫁は従者たちから目を逸らした。……、胸が痛むような思いを、覚えている。噂が本当にせよ、多少は脚色されているにせよ。どのみち、そのような状態では、陛下の立場があまりにも苦しすぎる。
すっかり冷めたハーブティーを口に含もうとして。そこで、噂話に夢中になっていた従者たちが、やっと現実に戻ってきて、「あ!お待ちください、淹れ直します!」と慌てて言いながら、花嫁を止めた。
お茶を淹れ直してもらっている間に、花嫁がイルを構っていると。
唐突に、部屋の扉がノックされた。花嫁が入室の許可を出すと、「夜分に申し訳ございません、シニョリーナ」と言いながら、入ってきたのは。――ー護衛兵のひとりだった。
「シニョリーナ、ソラ様より、急ぎの言伝でございます。
『シニョリーナが元の世界に戻れるためのワームホールが、ここより南の地で出現した。
明朝に出立するので、支度を整えておくように。』
とのことです」
「! 元の世界に…!?」
自分の世界に帰ることが出来る。愛すべきひとのもとへ、王国へ。帰られる。
我がことのように喜ぶ従者たちの声を聞きながら、花嫁は全身からチカラが抜けた感覚を覚えて。そのまま、ソファーに身を深く預け直した。花のような唇から、深い、深い、溜め息が漏れる。
その足元を、イルがころころと転がっていた。
to be continued...