『極寒の果てで』小説

彼は。これは夢だと、すぐに分かった。自分の幼い頃の、思い出だと。
ふたりで住むにも少々狭かった家の、その裏庭で。ルカが、幼いソラに剣の稽古をつけている。ルカがソラに剣を教え始めたのは、彼が三歳の頃からだった。
物覚えが良く、またこの時分より既に聡明さが垣間見えていたソラは、教えたそばから吸収し、次々と技術を会得していった。そして、先代のゴッカン王に見初められる七歳のソラは、普通の大人ひとりでは彼に太刀打ち出来ない程の、強い剣士に育っていたのだった。

これは。その時の、断片的な記憶。ソラが明日には、ゴッカンに召し上げられるという日の、夜。宵に染まった天の下で、ルカに向かって、ソラが懸命に打ち込みをしている。
ソラの剣を捌きながら、ルカは今と変わらぬ笑顔で口を開いた。

「この剣を、国のため、民のために、振るうときが、きっといつかやってくるんだと思う。だけどさ、オレは、ソラにもっと「私情」を学んでほしいと思ってるんだよねえ〜。
 きっとソラは、立派な王様になる。いつ何時も間違えない、聳える天秤になれる。…でも、決して『機械』になっちゃダメだよ?」

聡明な七歳とて、この頃のソラにとってルカの言葉は、少し理解しがたいものだった。それでも黙って剣を振っていると、ルカは続ける。

「天秤はいつも水平じゃないといけない。決して、片方に傾いてはいけない。…でもさ、常に公私共に『それ』だったら、いつか絶対にソラ自身が壊れちゃうんだよね、きっと。
 チカラもココロも強い方が良いに決まっているし、王様は強くないと務まらない。だけど、『強いだけ』の王様は、きっとどこの国にも要らない。
 時に、『弱い』ところも受け入れて、そこを民たちと乗り越えていくのが、『人間』の王様のあり方だと、オレは思うよ」

変わらない笑顔でルカは滔々と語るが、ソラはやはり彼が何を言いたいのかが、いまいち掴みきれていなかった。返事の代わりとばかりに、振りかぶった剣にチカラを込める。すると。
その一瞬。笑っていたルカの目元がきゅっと引き締まり、軽やかだった剣捌きに重みが加わる。明確に弾かれたソラの剣は、彼の手元から抜けて、後方に転がり落ちていった。ソラの首元に、ルカの剣の先が当てられる。これは、負けだ。
静かに目を伏せたソラに対して、切っ先は向けたままで、ルカは口を開く。

「強ければいいってわけじゃない。かといって、弱いだけでは負けて終わる。どちらか一方に傾くのではなく、両者のバランスを維持する。
 剛と柔。…という言い方が当たっているのかは、正直なところ、オレも分かんないケド…。まあ、ソラの強い部分と、弱い部分。その両方を、ちゃんとソラが自分自身で受け入れて…、…尚且つ、そこを見分けてくれるひとに出逢えることを、オレは願うよ」

そこまで言うと。ルカは剣を引いて、にこり、といつものように笑った。
ソラが自分の剣を取りに行こうと、ルカに背を向けたとき。ルカが、わあ、と感嘆の声を上げた。振り向けば、その高い身長よりも、遥か頭上に、ルカは視線を向けている。つられたソラも、目線を上げた。すると、そこには。

―――流星群。

地上に降り注がんばかりの、数多くの星が流れていく。
食い入るように見つめていると。横から、ルカの声が聞こえた。

「この星の未来の先で。ソラのことを、心から愛してくれるひとが、現れますように。って、…ロボットのオレの願いじゃあ、お星様は聞いてはくれないかもしれないなあ…」

そう、ぽつり、と呟いたルカの台詞は、珍しくどこか哀愁が漂っていて。しかし、そちらを見ることをソラはしなかった。きっと、そうは言っても。ルカは変わらない笑顔を浮かべているだろうから、と。

それでも。愁然とした声音が消えていった流れ星の空を眺めていると。その星々たちは、まるで、この宵の天が累々と流している涙に見えなくもない、と。そんな気がしていた。


*****


意識が浮上する。重たい瞼を開けるのが、ひどく億劫だ。だが、戻りかけた意識を手放すということは、今感じているぬくもりも感じ取れなくなる、と同意義であるということを理解する。このぬくもりは、何物にも代えがたい。自分の頬を撫でた温かな掌へ、無意識に擦り寄った。どうか離れないでほしい。ずっとこうしていたい―――……

「……―――、……」
「おはようございます、ソラ様」

夢見心地だったソラが覚醒すると。彼の視界いっぱいに入り込んできたのは、己の花嫁の微笑みだった。春の陽だまりのようなその笑みが愛おしくて、思わず、手を伸ばしたとき。
自分の両手に、いつもの黒革の手袋がないことに気が付いた。それだけではない。服装が丸ごと変わっている。ソラの装いは、ゴッカン王としてのいつもの装束ではなく、簡易的なカッターシャツの上からカーディガン、下はジーンズと革靴、というものになっていた。右目の包帯も取られているが、代わりに治療用の眼帯がそこを覆っていた。蒼水晶のペンダントは、そのまま。
軽く混乱していると、花嫁が、ふふ、と笑いつつ、状況を説明してくれる。

「ソラ様の装束が、先の戦闘でひどく汚れていらっしゃったので。イザヴェラ様が、お召し替えをご用意してくださったのです」
「…そうか。それは有り難いんだが…、肝心の装束自体をどこにやったのかは、分かるか?」
「伯爵様が、近くの河でお洗濯してくると仰って、丸ごと抱えて行かれましたわ」
「……好きだな、アイツ。河で洗濯するの…」

そうは零したものの、まあいいか、と、ソラは考えを切り替えた。魔王伯爵のマイペースぶりは、別に今に始まったことではない。…このときのソラが完全に無自覚で、自分の我の強さを棚に上げていることは、どうか触れないでおいて欲しい…。

ソラが起き上がった。どうやら自分は花嫁の膝枕を借りていたらしい。ソラが手短に礼を述べると同時に、彼は花嫁の装いも、いつものドレスから、清楚なワンピースに変化していることに気が付いた。
無駄のないレースとフリル遣いが、上品な仕立て。普段から可憐な印象を振りまいている花嫁が、今はより一層、ソラの目に愛らしく映る。先程のように思わず手を伸ばして。今度は、しかと彼女の頬に触れた。その些細な行動ひとつでも。それがどういう意味を含むのかを、花嫁は知っている。彼女はそっと瞼を伏せた。ソラが近付く気配がして、胸をときめかせていた。が。

ヒュッ、と、空気を切り裂く音がしたかと思えば。次いで「うぎゃぁ!!」と悲鳴が響く。それに心底驚きながら見開いた花嫁の目に、飛び込んできた光景は。

まず、ソラの背中が見えた。広くて、逞しさを感じる。
その肩越しに、魔王伯爵が数メートル先に立っているのが分かった。ただし、その顔は恐怖で引き攣っており、何事かと周囲を観察すれば。伯爵の足元すれすれの地面に、ゴッカンの国章が刻印された銀の短剣が突き刺さっている。ソラの懐剣だ。

「ちょっとゴッカン王?!危ないじゃん!」
「俺の背後から、気配を消して近付いたお前が悪い」

プンスコと怒る魔王伯爵に対して、平然と言いのけるソラ。

「横暴だ〜!裁判長のくせに〜〜!」
「短剣はもう一本あるが?今度は脳天に突き刺してやろうか?」
「……、すみませぇん…気配を消して近付いたのは、わざとですぅ…認めますぅ…。だって、とってもイイ雰囲気だったからさぁ〜…」
「判決。有罪」

真実はいとも容易く明かされた。出歯亀をしようとした伯爵を、ソラが見抜いたというわけである。
ソラは立ち上がって、魔王伯爵の方へすたすたと歩くと。彼の足先数センチに刺さった短剣を引き抜いた。それを右手で弄びながらも、ソラは伯爵に対して、言葉を続ける。

「罰として、ジジィに刑務作業を課す。
 お前が責任を持って、イザヴェラを当法廷に立たせろ」

ソラは簡潔に告げると、ようやく短剣を仕舞った。彼からの『刑罰』を受けた魔王伯爵は、やれやれと笑いながらも、答える。

「かしこまりました、我がゴッカン王」

そう言って、伯爵は丁寧に腰を折った。


*****


魔王伯爵に連れてこられたイザヴェラは、大人しかった。もとより拘束されてもいなかったが、特に反抗的な素振りも見せず、しかし、女王としての凛としたオーラは崩さないまま、ソラの前に立った。

花嫁からオージャカリバーを受け取ったソラが、イザヴェラを見据えて、口を開く。

「これより、イザヴェラの裁判を始める」

いつものように開廷の宣言はすれど。ここはザイバーン城ではなく、ハーカバーカだ。だが、厳格に響く最高裁判長の一声で、その場の空気は確実に変わった。…、今はここが、裁判の場である、と。

「まず、イザヴェラ。お前の話を聞く。お前の隠していることの全てを、今ここで明かせ」
「明かすも何も、お前たちが見ていたもの、感じ取っていたものが、全てだ。
 私が釈明することは、何ひとつ無い」

ソラの言葉に対して、イザヴェラは凛として答えた。逃げも隠れもしない。己の罪は全て受け入れる。…その強い意思が伺える。が、ソラは冷たい声音で、続けた。

「潔いのは結構。しかし、俺は「お前の隠していることの全てを話せ」と言ったはず。
 贖罪に身を任せる姿勢は好ましいが、まずは自分の責務を果たして貰おうか」
「私の務めは既に終わった。そして、それが罪という形で、今こうして裁かれようとしている。…一体、これ以上、何を話せと言うのだ?ソラ王よ」

ソラの追及にも、イザヴェラは臆せずに返答する。それでも、ソラが纏う真冬のオーラは変わらなかった。

「嘘は公平ではない。お前が話さないというなら、俺が代わりに言明してやろう。
 まず、お前の罪は、ゴッカンへの侵略行為ではない。
 イザヴェラ、お前が犯したのは、…詐称だ」
「…。」

途端、イザヴェラは黙りこくる。それを受けてか、ソラの追及が始まった。

「何故、俺がハーカバーカに招かれたのか。それは、ハーカバーカにあるモノとして、お前が俺に課す試練のため。
 これについては、もう言及のしようがない。死者であるイザヴェラが地上に出られないのは当たり前だ。ならば、俺が死の国まで来るしかない」
「…。」
「では、何故、俺の試練に伴い、俺の花嫁や、ジジィまで巻き込んだのか。それは、文字通り、俺を試すため。
 俺に所縁の深いふたりを餌にすれば、俺の精神を揺さぶれると、お前は踏んだ。
 己の花嫁と民に、本気で危害を加えようとしたなら、俺とて完全にお前を潰しにかかっただろう」
「……。」

ソラの言葉は止まらないし、イザヴェラの顔色は明らかに悪くなっていく。彼女は、紅を引いた品の良い唇を、きゅ、と引き結んだ。

「しかし、俺をハーカバーカで試しているはずのイザヴェラは、不可解な言動を見せ始める。
 それは。俺が『機械のように正確に物事を断ずる男である』という、自分の仮説が崩れたからだ。
 ジジィを取り戻すため、生死の理をひっくり返した。死の国とはいえ、ハーカバーカという名を関する『国』のルールを、チキューの最高裁判長である俺自身が、書き換えた。
 おまけに、ジジィは、曰く『大昔の大戦用の鎧』とやらを引っ張り出してきたという。そして、俺たちが命を削るような無理をしているのにも関わらず、花嫁は「やめろ」の一言も発せず、ただただ静観しているだけ…。
 イザヴェラにとって、これら全てが、自分の想定外だった」

そこまでソラが言ったとき。イザヴェラが引き結んでいたはずの唇を震わせながら、開いた。

「……、もうよい…。早く判決を下せ、ソラ王…」

イザヴェラのその言葉に対しても、ソラは彼女に氷の瞳を向けたまま、冷酷に告げる。

「早くラクになりたいか?
 己の罪と向き合う覚悟もないくせに、お前はハーカバーカで、試練を課す役目の上で、ふんぞり返っていたのか?」
「…これ以上、私に恥をかかせる気か…?!…お前は私を誰だと思っている!
 太古のゴッカン女王・イザヴェラだぞ?!」
「今は、ただの罪人だ。
 ルールの前に、ヒトは平等。そして犯した罪を裁く場では、罪人は無力でしかない。
 大人しく、現ゴッカン王が下す刑罰を受け入れろ、イザヴェラ」
「罪も罰も全て受け入れると言ったはず…!これ以上は…やめてくれ…ッ!!」

イザヴェラが頭を振って、身も声も震わせながら、悲痛に叫んだ。しかし、ソラの追及は無情にも、止まる気配がない。

「俺が『ルカという機械に育てられた』という過去を調べ、そこから『俺が機械のように精密に、且つ、常に最適解の答えを出す人物である』という仮説にまで行き着いたのは、褒めよう。……、実際、一昔前の俺が、そうだった。お前が計算した仮説も、あながち、間違いではない。
 …だが、今は違う。彼女と出逢い、伯爵と剣を交え、…そして、たくさんの民たちと声をかわしてきた。若輩ながらも、年齢を重ねたことで、ある程度の経験値を得たこともある」

ソラの声音から、冬の温度が消えていく。が、生来の人間味の薄さの残る口調は、やはり、隠しきれない。

「イザヴェラは、俺が自分の国と、王としての責務のためならば、多少の犠牲は厭わない人間だと予測していた。が、実際は違った。
 おかげで、お前の予測は次々と外れていき、…とうとう、最後に敗けた」

そこで、ソラは一旦、言葉を切った。イザヴェラの様子を確認すると、彼女はとうに俯いてしまっている。彼女の綺麗に塗られたネイルの指先が、微かに震えていた。

「だが。全ては、ゴッカンの未来を思っていたが故の、言動。
 イザヴェラ、お前は『悪役を演じていた』だけだ。ゴッカンの玉座に居る俺が、本当の意味で、王に相応しいか否かを、今一度、考え改めさせるために。
 だから、生死のルールを書き換えるなどと大それたことをしでしかした俺や、己へのリスクを顧みない戦い方を始めたジジィ、果ては、それを止めもしない彼女へ、苛立ちを見せた。
 まあ、当たり前だろう。俺たちの行動は、放っておけば、ゴッカンを、否、チキューそのものを丸ごと脅威に晒しかねんものだったからな。そんな恐ろしい可能性を、かつてのゴッカン女王であったお前が、見過ごせるはずがない。故に、自分が勝つことで全てを一旦捻じ伏せて、それから真実を告げようとした。が、勝つと決めていたのは俺たちも同じ。後は、剣が交わり、それが語り合った結果だ。
 
 …以上により、イザヴェラが行ったのは、『ゴッカンへの侵略行為』ではなく、悪役のフリをして俺たちを騙そうとした『詐称』にあたる。

 …、『ゴッカン王に試練を課す、悪の女王』を演じるには…、…イザヴェラ、お前は少しばかり『人間らしかった』」ようだ」

結局、ソラの追及は止まらなかった。だが、台詞の最後を紡ぐ声音は、既に柔いものに変わっている。
対して、イザヴェラは。大きな深呼吸をした後、脱力しきったかのように、強張らせていた身体から緊張を解いた。そして、口を開く。

「……、……ああ、…自分の『人間らしさ』が、これほどまでに憎いと思ったことは、…これで、二度目だ…」

その言葉は悔しそうなフリをしているが。本音はそんな自分も悪くない、と受け入れているかのようだった。

そして、ソラが改めて、宣告する。

「判決を言い渡す。被告人・イザヴェラの判決は…―――、有罪。
 しかし、彼女はハーカバーカの住人故、地上の法律の規格には収まりきらない。よって、実刑判決に代わり、俺と花嫁と魔王伯爵、そしてゴッドパピヨンの、ハーカバーカからの出国に全面的に協力することを命じる。
 …以上、これにて閉廷とする」

言い終わると同時に。ガァン!、と、ソラのオージャカリバーの切っ先が、地面を叩く音が響いた。

それを聞いたイザヴェラが、途端に膝からくずおれる。地面に両手をついて、完全にチカラが抜けきった彼女だったが。しかし、嘆き悲しむことはなく、むしろ、己に課していた重責から解き放たれた事実を前に。ただただ、心から安堵した様子だった。
そして。あの印象的だった赤い蝶の羽根が消えた背中に、優しい手のひらを添えて、あやすかのように撫でたのは。かつての、否、きっと今も。イザヴェラの友である、魔王伯爵だった。

to be continued...
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