『極寒の果てで』小説

「…それなら、どうして私を相手に指名するの…?」
「ツバサなら、私のことよく知ってくれてるし…。それに、お互いの心情的にも、後腐れが無いでしょう?」
「そんな言い方…」
「いーの!ほらっ、早くするわよっ」

貴族令嬢として、鬨の勉強が始まる前に。『初めて』を、好きな人に捧げたかった。…と思えど。彼女の初恋の相手は、遠い、遠いひとだった。

「ゴッカンの国王と、シュゴッタムの貴族の令嬢…。悪くない組み合わせだけど?」
「私は貴族でも、底が見えているから…。あのひとは…、私の手の届くようなお方じゃないわ…」
「そうかな…?」
「そうなのよ」

なので。深い友情で繋がれているからこそ。今や、シュゴッタムの新しい女王陛下として君臨するツバサに頼み込んで。彼女は、この場を用意して貰った。
同じ女同士だが。ツバサも貴重な経験が積める。そのうえ、令嬢の方は、指南相手とはいえ、何処ぞと知れぬ男に、清い身を捧げなくて済む。勿論、報奨は用意してあった。女王相手とはいえ。
彼女は、ツバサの優しさにつけ込んでいる自覚が、大いにあった。だからこそ、それを誤魔化すかのように、パパッと終わらせようとする。と。

「じゃあ…、これ、着けてもらうね…?」
「? …目隠し?」

ツバサが、シルクの布で、令嬢の目を覆った。…なるほど。親友同士とはいえ、こういう場なのだ。恥ずかしいのだろう。だが、自分の姿が見えなければ、恥も消える。ツバサらしい選択だ、と令嬢は思った。

「…始めるね」
「うん…、よろしくお願いいたします」

ツバサが鬨の開始を宣言した瞬間、ギシリ、と座っているベッドが軋んだ。ツバサが動いたのだろう。
彼女の指先が、令嬢の唇を撫でる。随分と体温が低い。ツバサは冷え性だった…?と考えている間に、その指が、令嬢のブラウスのボタンを外した。肌が外気に晒されたことで、思わず肩が跳ねる。怖い、という感情。何を今更、という自分への叱咤。…すると。その感情で揺れ動く令嬢の胸中を察知したかのように。彼女の頭を、ぽんぽん、と優しく撫でる手のひら。…くすぐったい気持ちだった。

「気分は、どう…?」
「…平気よ、続けて…」

ツバサの声が聞こえる。…何だか、距離が遠い気がした。が、そんなことに気取られるよりも早く、肌を撫でる指が動く。
両肩を掴まれると、優しく、…本当に優しく。押し倒された。ツバサは腕力が強い。加減してくれているのだろう。

「…、…?」

この香りは…?
令嬢の鼻先を掠めた、香り。ツバサの香水は知っている。バーベナ、レモンの爽やかな柑橘系の調香のはず。
でもこれは違う。甘い花のようなの匂い。甘ったるいだけではなく、何処か凛とした立ち居振る舞いを烈然とさせる、香り。

令嬢の記憶が、想起する。

以前、『彼』に聞く機会があった。纏う香水について。調香を教えてほしいと。すると、オージャカリバーを背負った彼は、振り向いて、こう答えた。

「調香師に一任したものだから、俺は良く分かっていない。だが、調香師曰く、「俺自身をイメージした香り」として、作ったものだ、と。
あとは、…ここは寒い国だ。寒い時期には、香りが伝わりにくいから、重めの香りのものが良いだろう、とな」

端的だが、的確に答えてくれた。抑揚の少ない、冷たい声。でも、彼に恋をすると、自然と暖かみを感じてしまう、不思議な声。

「…ッ、ソ、…ッ!」

名前を呼びかけた。が、寸での所で、それは零れなかった。
令嬢の唇が、塞がれたから。低い体温。強くなった、甘い花の香り。

しゅるり、と、目隠しに使われたシルクの布が、冷たくも優しい指先によって、解かれた。

晴れた視界の先にいたのは、ツバサと同じ色の眼でも。
全てを見通す隻眼で。刃のような切れ長で。誰よりも意思の強いチカラがあって。

「…教えてくれ。お前の、すべて…」

彼が、そう囁くと同時に。
ふたりの背後で。静かに、部屋の扉が閉まる音がした。
シュゴッタムの女王陛下による、祝福の言葉と共に―――…。
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