第一章 ALICE in New World
翌日。昼休憩、終わり。一般事務・共有エリア。
一般事務のエリアの中心部には、従業員なら自由に立ち入れる共有エリアという場所がある。今、そこにKエリアの人間を中心に、他エリアの事務員も混ぜられて、多くの人間がそこに寄せ集められている状態だった。集められた人間には、皆、共通点がある。
それは、昨日の定時前に、『特殊対応室 ルカ三級高等幹部』名義のメールを受け取ったこと。そして、その文面は一律で、この時間に、この共有エリアに集合する旨だったことだ。
せっかくの昼休憩終わりなのに…、と不満げにしている面子の中には、ツバサの元上司にして、Cエリア・リーダーの佐々名木もいた。彼女の苛立った顔を見た周囲の事務員たちは、悪い妖怪でも見るかのような表情をした後、さり気なく彼女の傍を離れていく。反対に、ツバサに不倫を持ちかけようとした廣井常務もいたが、彼の周りには主に若い女性社員が複数人いて、廣井に対して女性社員たちが我先にと話しかけている状態だった。
皆が帰りたいオーラを出していると。急に、共有エリアに設置されているプレゼン用の壇の袖から、ツバサが現れる。元一般事務にいた彼女の登場に、にわかにどよめく事務員たちのことは見向きもせず、ツバサがタブレット端末を操作すると、天井からスクリーンが降りてきて、目一杯に張られたところで、固定された。
ツバサは壇上から一礼すると、口を開く。
「皆様、お疲れ様です。特殊対応室でございます。本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
ツバサの声は、襟元のピンマイクに拾われて、スピーカーで拡声される。その声色は、皆が想像していたものより、ずっと平坦なトーンだった。そう言えば…、と、事務員たちは、ふと思い至る。ツバサが、いつも、何処かで、誰かに、怒鳴られているシーンはたくさん見てきて。その度に、陰で嘲笑っていたが。彼女自身の声は、殆ど聞いたことがないかもしれない、と。
「此度は、先日、社内で起こったとある案件について、当室のルカ三級高等幹部より、皆様に報告と通達がございます。よろしくお願いします」
ツバサがそこで言葉を終えて、改めて一礼すると。今度は袖からルカが颯爽と歩いて出てきた。靴音がよく響くはずの木製の壇上であっても、そのハイヒールから、決して無駄な音が鳴ることはない。
ツバサ同様、襟元のピンマイクが拾ったルカの言葉を、スピーカーが拡声する。
「こんにちは。オレは、ルカだよ。良い天気だね〜」
爽やかな笑みと共にルカが挨拶をするが、集められた事務員たちは、しらーっ、としていた。噂に聞く『化け物幹部』がお目にかかれるのは大変珍しいが、午後の仕事が立て込むと、無駄な残業が増えることを、皆一様に危惧している。あとは単純に、得体のしれない寄り集まりに対して、心の底から面倒くさがっている。ちなみに、今日の天気は、雨だ。
「この後の業務に支障が出てはいけないから、単純明快にして単刀直入に、本題へと入るね。
今ここに集められたキミたちは、『先日、お亡くなりになった、元Kエリア所属の右藤さゆりさんの自殺を、直接・間接的に関わらず、誘因した人間たちだよ』。その辺の自覚は……、――――うんっ、無さそう!
過去は振り返らない主義を掲げるのは結構だケド、――――自分たちが殺した女の子のことくらいは、偲んであげようね?」
笑みを崩さずに紡がれるルカの言葉に、事務員たちはざわつく。その様子を壇上から眺めたルカは、あれ?、と言った風に小首を傾げながら、続けた。
「検出される皆の表情パターンは、こう言ってるね。
『一体、何の話をしているんだ?』、『自分には関係ない』、って。
ねえ?正気?人間の命が、ひとつ、散ってるんだよ?キミたち、本当に自覚も、思い当たる節も、なにひとつ無いのかな?
――――うーん。そっちから認めるなら、通達だけで終わろうとしたんだケド…。これは、きちんと調査報告しないとダメだね。
アリスちゃん、映像番号C-258と、M-55、それから、P-6017を連続再生して~」
ルカが傍に控えているツバサに指示を出す。粛と指示を受けたツバサは、黙々とタブレット端末を操作した。間も無く、スクリーンに映像が出る。それは―――、
…―――Kエリアの、監視カメラの映像だった。
自殺した右藤さゆりが、3人の女性社員に取り囲まれている。右藤は自分を囲む社員たちに「やめて!!」と必死に訴えているが、当の社員のひとりが、彼女を突き飛ばした。よろけて尻もちをついた右藤の前髪を、他の社員が乱暴に引っ掴み、無理矢理、彼女を跪かせる。「痛い痛い痛い!!やめてやめてえ!!!!」。右藤の悲痛な叫びが木霊する。そして残りのひとりが、座り込む形になった右藤の背中を、ハイヒールの踵で踏みつけて、更に右藤を追い詰めた。右藤の泣き声が響く。
すると、画面端から、わらわらと何人かの外野が集まってきて、その様子を見とめた。しかし、止めるものはおらず。ある者は素通り、ある者は見学、またある者は手持ちのスマートフォンで撮影を始める。
そして、泣きながら「もうやめて!!」と訴える右藤の頭上へ向けて、女性社員がペットボトルのコーヒーをぶちまけた。その瞬間、囲んでいた女性社員たちも、そして、その様子を見学や撮影をしていた者たちも、他にもカメラの画面外にいるであろう複数人の声が、一斉に大きく嗤い出した。
そこで。映像は一旦、途切れる。しかし、誰かが何かを言う前に、次の映像が再生された。
今度も同じく、Kエリアの監視カメラだ。
コピー機を操作している右藤に背後から、人事部のダニエルが近付くと。おもむろに、彼女の臀部を撫でた。悲鳴を上げる右藤に対して、ダニエルはニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべながら、夜のお誘いをする。涙目になりながら断固拒否する右藤だったが、彼は引き下がらない。それどころか、聞くに堪えないセクシュアルハラスメントに抵触するワードを連発し、更に彼女の精神を追い詰める。すると、そのすぐ横を、常務の廣井が通り過ぎて行った。右藤は廣井の姿が見えた瞬間、「常務!助けてください!!」と彼に訴える。が、当の廣井は、「またそんなことで大騒ぎしているのかい?いい加減にしなさい、右藤くん」と、まさかの、右藤へ叱責を飛ばした後。そのまま歩みは止めず、さっさとその場を去って行った。残された右藤の絶望した顔と、彼女のその表情を見て、更にニヤニヤとするダニエルの様子が映ったところで。映像は、止まった。
共有エリア内のどよめきは、今度こそ、深刻になっている。しかし、そんなことは知りもしないとばかりに。最後の映像が再生された。
最後は、Cエリアの監視カメラの映像だった。
右藤が社内用のタブレット端末を大事そうに抱えながら、Cエリアを通過していると。そこへ、佐々名木が彼女へ話しかけた。右藤は彼女を見た瞬間、びくり、と肩を跳ね上がらせたが、「この後にある会議に、資料を届けないといけないので…」と言い、佐々名木の前を辞そうとする。が、佐々名木は右藤の前を立ち塞がると。おもむろにその手に大事に抱えていた社内用タブレット端末を奪い取り、地面へと叩きつけた。慌てて端末を拾い上げようとした右藤だったが、佐々名木は彼女を足蹴にすると、そのまま、端末を自身の靴でチカラの限り、踏み潰す。端末から、あらぬ音がした。佐々名木の靴底が退いた後の端末の画面はバッキリと割れており、ブラックアウトしている。仕事に必要な大切な資料やデータが入っている、否、それよりも、会社の備品を、何の理由もなく不意に壊された右藤は、その場に泣き崩れた。佐々名木は、その様子をひとしきり嗤うと。満足したかのように、立ち去って行った。
スクリーンが、ルカが指示した全ての映像の再生を終えた。
ざわつきながらも目が釘付けだった事務員たちだったが、ふと、自分たちの周囲を取り囲む『違和感』に気が付く。
うわあああ!!!!、と誰かが悲鳴を上げた。
共有エリアに集められた事務員たちを取り囲んでいたもの。――――グレイス隊のロボット兵たちが、一斉に、彼らに銃口を向けている。
―――「助けて!!」、「ここから出して!!」、「帰して!!」、「殺さないで!!」―――。
皆がパニックを起こすなか、壇上にいるルカとツバサだけは、表情が崩れない。すると、グレイス隊の指揮のために、ソラも袖から出てきた。
「ルカ三級高等幹部殿!!ご説明をお願い致します!!
このままでは、皆がパニックになったままです!!」
廣井がルカに向かって訴える。廣井が発言したことで、事務員たちのなかには、瞬間的に幾ばくかの落ち着きを取り戻した者もいた。
廣井、佐々名木を含む、集められた事務員たちが、一斉に壇上の3人に恨みのこもった視線を向け始める。が、ルカも、ツバサも、ソラも。特に気にしていない様子だ。それどころか、ルカは笑みを崩さないまま、口を開く。
「オレは、ちゃんと最初に説明したし、キミたちに釈明や自首のチャンスも与えた。
言ったよね?キミたちは、『先日、お亡くなりになった、元Kエリア所属の右藤さゆりさんの自殺を、直接・間接的に関わらず、誘因した人間たちだよ』って。
告げたよね?『そっちから認めるなら、通達だけで終わろうとした』って。
オレは、右藤さんがキミたちに受けた仕打ちの現状を、キミたちへ見せた。これは事実だから揺るがないよね。だって、監視カメラが該当シーン抜いてるんだから。
これ以上の物的証拠を求めるなら、オレが調査報告に際して用意した『約7000本の映像フォルダのなかから、キミたちが納得してくれるまで、いくらでも再生し続けるだけ』だよ?
かたや、エリア内の全員で、右藤さんに酷い暴力を振るっていたり。
かたや、部署が違うのに、わざわざ彼女を求めて、セクシュアルハラスメントをしていたり。
かたや、本来ならば右藤さんを助けないといけない立場の人間が、その光景を見て見ぬふりをしていたり。
キミたち、めちゃくちゃだねえ。ねえ?キミたちは一体、何をしに会社に来ているの?
仕事をする気がない社員、ひいては、他人の命を奪うような社員は、うちに用は無い。
キミたち、全員、今日付けで『解雇』だよ。
定時までに荷物を纏めて、さっさと退社してね。あ、荷物が多いって子は申告してくれたら、後日、宅配サービスで指定した住所で、着払いで送付するよ」
そこまで言い切ったルカの台詞に、打って変わって、共有エリアは、シーン…、と静まり返る。皆が、同じ表情をして、壇上を見上げていた。そして、
「…ば、化け物…」
誰かが、ぽつり、と呟いた言葉が。小さな声が。妙に、響いた。
侮蔑、差別、白眼。そんな視線が、壇上のルカ、ツバサ、ソラに投げつけられる。だが、やはり、3人にダメージ通っていないようだ。それどころか。
光の差さない陰鬱とした、ツバサの緑眼が。真冬の雪のような温度の、ソラの翡翠の双眸が。微笑みも光も闇も同時に湛えた、ルカの深青の瞳が。
壇上という、文字通り、己たちより高い場所から。冷え切った視線を、投げて、寄越す。見下ろしている。見下ろされている。全てを見透かされている。掌握されている。逆らえない。逆らっていけない――――。
「――――こんなの!!!!まるでパワハラじゃない!!!!!」
突然、絹を裂くような女の糾弾が、轟いた。事務員たちと、ルカたちが声のした方を向けば。そこには、顔を真っ赤にした佐々名木がいた。
「用件も告げずに、突然メールで呼び集めるなんて、不当よ!!!!ロボットに銃を向けさせてから、一方的に話し始めるなんて、恫喝じゃない!!!!監視カメラの映像だって、立派なプライバシーの侵害だわ!!!!!ましてや、今日付けで急に解雇なんて、立派な法律違反よ!!!!!!」
佐々名木が、ルカに指を差しながら、吠える。場の空気『だけ』が、変わった気がした。
「皆さん!!!!!目を覚ますのよ!!!!!!この男は、高等幹部という立場を利用して、私たちを不当に扱っているわ!!!!!これは立派なパワハラよ!!!!
この場で今すぐ!!皆で!!!ルカ三級高等幹部へのリコールと、パワハラの損害賠償を求めて!!!!!ストライキを起こしてやりましょう!!!!!!!」
佐々名木が渇すると、他の事務員たちが同意するかのように、吠え始めた。「やってやる!!!」、「この化け物め!!!!」、「よくもこんな仕打ちを!!!!」。様々な遠吠えが唸り始めた。
皆が一斉に壇上に向かって拳を振り上げんとしたときだった。
――――パァンッッ!!!!!
空気を切り裂き、鼓膜が弾けるような鋭い音が、突如、響き渡る。息巻いていた佐々名木たちが、一瞬にして黙り込んで、目にしたもの。
それは壇上で、左手に拳銃を持ち、その銃口を天井に向けて立っている、ルカ。銃口からは煙が出ている。――――発砲したのだ。天井に向かっていなければ、死傷者が出ていた可能性が高い。
「――――キミたちは、もう黙ってて、いいんだよ?」
そう静かに告げたルカは、微笑みを湛えたままだったが。その青い目は異様なほど冷たく、人間味が全く無い。
「右藤さんは、キミたちに「やめて」と制止しても、「助けて」と訴えても、ずーーっと無視されて。不当な扱いを受け続けた。
そして、最期はひとりぼっちで、死んじゃったんだよ?
そのうえ、彼女が勇気を振り絞って、したためて、最期の一声として送った遺書ですら、隠そうとした輩もいる。
それなのに、キミたちはどうして、自分たちは群れてオレに刃向かう権利があるんだ、と、勘違いが出来るの?
哀しいね。人間って。
キミたちは自分たちの過ちを悔い改めるどころか、それを繰り返して、振り翳して、また間違いを重ねるんだね」
ルカは発砲した拳銃を手の中でくるくると弄びながら、事実のなかに含んだ、少しの憐みの言葉を投げる。
恐怖と混乱と、その他処理が追い付かない情緒や感情が綯い交ぜになった一同は。放心状態になり、ルカたちを見上げるだけ。だが。
「……お前たち……ナニサマだよ……」
また誰かが。ぽつり、と、呟いた。
――――そんなに高い場所から。そんなに圧倒的なオーラを放ちながら。そんなに化け物めいた振る舞いをした、お前たちは、一体全体、何者なんだ――――……??
呟きを聞いたルカが、フッと笑いを零す。そして、言葉を紡いだ。
「オレたちは、『特殊対応室』。通称、『Room EL』。
オレは、そこの室長であり、指揮官のルカ三級高等幹部だよ。ヨロシクね。
そして―――」
「ルカ三級高等幹部専属秘書官、ソラだ。
今、お前たちを取り囲んでいるロボット兵士―――グレイス隊共々、どうぞお見知りおきを。
最後に―――」
「ルカ三級高等幹部直属事務員の、ツバサと申します。
突然の辞令だったとはいえ、一般事務の皆様にはご挨拶が遅れてしまい、誠に申し訳ございません。
…改めて、よろしくお願い致します」
Room ELの3人が、順番に自己紹介をする。まるで、演劇の締めでもしているかのような。そんな様式美さえ、感じ取れてしまうほどの、浮世離れ。
「では、ご意見もご質問も、もうないようだし…。
Room ELが受けた当件につきましては、以上で修了とさせていただきます。
――――皆さん、今まで、大変お疲れさまでした♪」
ルカがそう宣言した途端。
共有エリアが、再び、阿鼻叫喚と化した。
ツバサとソラには、人数故の声量が多すぎて、もう上手く聞き取れないが。
ルカが検出したなかでサンプルを挙げるなら、うわああ、わあああ、もうおしまいだああ、明日からどうすればいいんだああ、たすけてええ、ゆるしてくださああい、といった内容の悲鳴が飛び交っている。らしい。
だがしかし。そんなことはもう知らない、と。
ルカはさっさと袖に帰って、ピンマイクの回収はソラが行い、スクリーンはツバサの操作のもと、元に戻して。
――――そして、壇上には、誰もいなくなった。
to be continued...
一般事務のエリアの中心部には、従業員なら自由に立ち入れる共有エリアという場所がある。今、そこにKエリアの人間を中心に、他エリアの事務員も混ぜられて、多くの人間がそこに寄せ集められている状態だった。集められた人間には、皆、共通点がある。
それは、昨日の定時前に、『特殊対応室 ルカ三級高等幹部』名義のメールを受け取ったこと。そして、その文面は一律で、この時間に、この共有エリアに集合する旨だったことだ。
せっかくの昼休憩終わりなのに…、と不満げにしている面子の中には、ツバサの元上司にして、Cエリア・リーダーの佐々名木もいた。彼女の苛立った顔を見た周囲の事務員たちは、悪い妖怪でも見るかのような表情をした後、さり気なく彼女の傍を離れていく。反対に、ツバサに不倫を持ちかけようとした廣井常務もいたが、彼の周りには主に若い女性社員が複数人いて、廣井に対して女性社員たちが我先にと話しかけている状態だった。
皆が帰りたいオーラを出していると。急に、共有エリアに設置されているプレゼン用の壇の袖から、ツバサが現れる。元一般事務にいた彼女の登場に、にわかにどよめく事務員たちのことは見向きもせず、ツバサがタブレット端末を操作すると、天井からスクリーンが降りてきて、目一杯に張られたところで、固定された。
ツバサは壇上から一礼すると、口を開く。
「皆様、お疲れ様です。特殊対応室でございます。本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
ツバサの声は、襟元のピンマイクに拾われて、スピーカーで拡声される。その声色は、皆が想像していたものより、ずっと平坦なトーンだった。そう言えば…、と、事務員たちは、ふと思い至る。ツバサが、いつも、何処かで、誰かに、怒鳴られているシーンはたくさん見てきて。その度に、陰で嘲笑っていたが。彼女自身の声は、殆ど聞いたことがないかもしれない、と。
「此度は、先日、社内で起こったとある案件について、当室のルカ三級高等幹部より、皆様に報告と通達がございます。よろしくお願いします」
ツバサがそこで言葉を終えて、改めて一礼すると。今度は袖からルカが颯爽と歩いて出てきた。靴音がよく響くはずの木製の壇上であっても、そのハイヒールから、決して無駄な音が鳴ることはない。
ツバサ同様、襟元のピンマイクが拾ったルカの言葉を、スピーカーが拡声する。
「こんにちは。オレは、ルカだよ。良い天気だね〜」
爽やかな笑みと共にルカが挨拶をするが、集められた事務員たちは、しらーっ、としていた。噂に聞く『化け物幹部』がお目にかかれるのは大変珍しいが、午後の仕事が立て込むと、無駄な残業が増えることを、皆一様に危惧している。あとは単純に、得体のしれない寄り集まりに対して、心の底から面倒くさがっている。ちなみに、今日の天気は、雨だ。
「この後の業務に支障が出てはいけないから、単純明快にして単刀直入に、本題へと入るね。
今ここに集められたキミたちは、『先日、お亡くなりになった、元Kエリア所属の右藤さゆりさんの自殺を、直接・間接的に関わらず、誘因した人間たちだよ』。その辺の自覚は……、――――うんっ、無さそう!
過去は振り返らない主義を掲げるのは結構だケド、――――自分たちが殺した女の子のことくらいは、偲んであげようね?」
笑みを崩さずに紡がれるルカの言葉に、事務員たちはざわつく。その様子を壇上から眺めたルカは、あれ?、と言った風に小首を傾げながら、続けた。
「検出される皆の表情パターンは、こう言ってるね。
『一体、何の話をしているんだ?』、『自分には関係ない』、って。
ねえ?正気?人間の命が、ひとつ、散ってるんだよ?キミたち、本当に自覚も、思い当たる節も、なにひとつ無いのかな?
――――うーん。そっちから認めるなら、通達だけで終わろうとしたんだケド…。これは、きちんと調査報告しないとダメだね。
アリスちゃん、映像番号C-258と、M-55、それから、P-6017を連続再生して~」
ルカが傍に控えているツバサに指示を出す。粛と指示を受けたツバサは、黙々とタブレット端末を操作した。間も無く、スクリーンに映像が出る。それは―――、
…―――Kエリアの、監視カメラの映像だった。
自殺した右藤さゆりが、3人の女性社員に取り囲まれている。右藤は自分を囲む社員たちに「やめて!!」と必死に訴えているが、当の社員のひとりが、彼女を突き飛ばした。よろけて尻もちをついた右藤の前髪を、他の社員が乱暴に引っ掴み、無理矢理、彼女を跪かせる。「痛い痛い痛い!!やめてやめてえ!!!!」。右藤の悲痛な叫びが木霊する。そして残りのひとりが、座り込む形になった右藤の背中を、ハイヒールの踵で踏みつけて、更に右藤を追い詰めた。右藤の泣き声が響く。
すると、画面端から、わらわらと何人かの外野が集まってきて、その様子を見とめた。しかし、止めるものはおらず。ある者は素通り、ある者は見学、またある者は手持ちのスマートフォンで撮影を始める。
そして、泣きながら「もうやめて!!」と訴える右藤の頭上へ向けて、女性社員がペットボトルのコーヒーをぶちまけた。その瞬間、囲んでいた女性社員たちも、そして、その様子を見学や撮影をしていた者たちも、他にもカメラの画面外にいるであろう複数人の声が、一斉に大きく嗤い出した。
そこで。映像は一旦、途切れる。しかし、誰かが何かを言う前に、次の映像が再生された。
今度も同じく、Kエリアの監視カメラだ。
コピー機を操作している右藤に背後から、人事部のダニエルが近付くと。おもむろに、彼女の臀部を撫でた。悲鳴を上げる右藤に対して、ダニエルはニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべながら、夜のお誘いをする。涙目になりながら断固拒否する右藤だったが、彼は引き下がらない。それどころか、聞くに堪えないセクシュアルハラスメントに抵触するワードを連発し、更に彼女の精神を追い詰める。すると、そのすぐ横を、常務の廣井が通り過ぎて行った。右藤は廣井の姿が見えた瞬間、「常務!助けてください!!」と彼に訴える。が、当の廣井は、「またそんなことで大騒ぎしているのかい?いい加減にしなさい、右藤くん」と、まさかの、右藤へ叱責を飛ばした後。そのまま歩みは止めず、さっさとその場を去って行った。残された右藤の絶望した顔と、彼女のその表情を見て、更にニヤニヤとするダニエルの様子が映ったところで。映像は、止まった。
共有エリア内のどよめきは、今度こそ、深刻になっている。しかし、そんなことは知りもしないとばかりに。最後の映像が再生された。
最後は、Cエリアの監視カメラの映像だった。
右藤が社内用のタブレット端末を大事そうに抱えながら、Cエリアを通過していると。そこへ、佐々名木が彼女へ話しかけた。右藤は彼女を見た瞬間、びくり、と肩を跳ね上がらせたが、「この後にある会議に、資料を届けないといけないので…」と言い、佐々名木の前を辞そうとする。が、佐々名木は右藤の前を立ち塞がると。おもむろにその手に大事に抱えていた社内用タブレット端末を奪い取り、地面へと叩きつけた。慌てて端末を拾い上げようとした右藤だったが、佐々名木は彼女を足蹴にすると、そのまま、端末を自身の靴でチカラの限り、踏み潰す。端末から、あらぬ音がした。佐々名木の靴底が退いた後の端末の画面はバッキリと割れており、ブラックアウトしている。仕事に必要な大切な資料やデータが入っている、否、それよりも、会社の備品を、何の理由もなく不意に壊された右藤は、その場に泣き崩れた。佐々名木は、その様子をひとしきり嗤うと。満足したかのように、立ち去って行った。
スクリーンが、ルカが指示した全ての映像の再生を終えた。
ざわつきながらも目が釘付けだった事務員たちだったが、ふと、自分たちの周囲を取り囲む『違和感』に気が付く。
うわあああ!!!!、と誰かが悲鳴を上げた。
共有エリアに集められた事務員たちを取り囲んでいたもの。――――グレイス隊のロボット兵たちが、一斉に、彼らに銃口を向けている。
―――「助けて!!」、「ここから出して!!」、「帰して!!」、「殺さないで!!」―――。
皆がパニックを起こすなか、壇上にいるルカとツバサだけは、表情が崩れない。すると、グレイス隊の指揮のために、ソラも袖から出てきた。
「ルカ三級高等幹部殿!!ご説明をお願い致します!!
このままでは、皆がパニックになったままです!!」
廣井がルカに向かって訴える。廣井が発言したことで、事務員たちのなかには、瞬間的に幾ばくかの落ち着きを取り戻した者もいた。
廣井、佐々名木を含む、集められた事務員たちが、一斉に壇上の3人に恨みのこもった視線を向け始める。が、ルカも、ツバサも、ソラも。特に気にしていない様子だ。それどころか、ルカは笑みを崩さないまま、口を開く。
「オレは、ちゃんと最初に説明したし、キミたちに釈明や自首のチャンスも与えた。
言ったよね?キミたちは、『先日、お亡くなりになった、元Kエリア所属の右藤さゆりさんの自殺を、直接・間接的に関わらず、誘因した人間たちだよ』って。
告げたよね?『そっちから認めるなら、通達だけで終わろうとした』って。
オレは、右藤さんがキミたちに受けた仕打ちの現状を、キミたちへ見せた。これは事実だから揺るがないよね。だって、監視カメラが該当シーン抜いてるんだから。
これ以上の物的証拠を求めるなら、オレが調査報告に際して用意した『約7000本の映像フォルダのなかから、キミたちが納得してくれるまで、いくらでも再生し続けるだけ』だよ?
かたや、エリア内の全員で、右藤さんに酷い暴力を振るっていたり。
かたや、部署が違うのに、わざわざ彼女を求めて、セクシュアルハラスメントをしていたり。
かたや、本来ならば右藤さんを助けないといけない立場の人間が、その光景を見て見ぬふりをしていたり。
キミたち、めちゃくちゃだねえ。ねえ?キミたちは一体、何をしに会社に来ているの?
仕事をする気がない社員、ひいては、他人の命を奪うような社員は、うちに用は無い。
キミたち、全員、今日付けで『解雇』だよ。
定時までに荷物を纏めて、さっさと退社してね。あ、荷物が多いって子は申告してくれたら、後日、宅配サービスで指定した住所で、着払いで送付するよ」
そこまで言い切ったルカの台詞に、打って変わって、共有エリアは、シーン…、と静まり返る。皆が、同じ表情をして、壇上を見上げていた。そして、
「…ば、化け物…」
誰かが、ぽつり、と呟いた言葉が。小さな声が。妙に、響いた。
侮蔑、差別、白眼。そんな視線が、壇上のルカ、ツバサ、ソラに投げつけられる。だが、やはり、3人にダメージ通っていないようだ。それどころか。
光の差さない陰鬱とした、ツバサの緑眼が。真冬の雪のような温度の、ソラの翡翠の双眸が。微笑みも光も闇も同時に湛えた、ルカの深青の瞳が。
壇上という、文字通り、己たちより高い場所から。冷え切った視線を、投げて、寄越す。見下ろしている。見下ろされている。全てを見透かされている。掌握されている。逆らえない。逆らっていけない――――。
「――――こんなの!!!!まるでパワハラじゃない!!!!!」
突然、絹を裂くような女の糾弾が、轟いた。事務員たちと、ルカたちが声のした方を向けば。そこには、顔を真っ赤にした佐々名木がいた。
「用件も告げずに、突然メールで呼び集めるなんて、不当よ!!!!ロボットに銃を向けさせてから、一方的に話し始めるなんて、恫喝じゃない!!!!監視カメラの映像だって、立派なプライバシーの侵害だわ!!!!!ましてや、今日付けで急に解雇なんて、立派な法律違反よ!!!!!!」
佐々名木が、ルカに指を差しながら、吠える。場の空気『だけ』が、変わった気がした。
「皆さん!!!!!目を覚ますのよ!!!!!!この男は、高等幹部という立場を利用して、私たちを不当に扱っているわ!!!!!これは立派なパワハラよ!!!!
この場で今すぐ!!皆で!!!ルカ三級高等幹部へのリコールと、パワハラの損害賠償を求めて!!!!!ストライキを起こしてやりましょう!!!!!!!」
佐々名木が渇すると、他の事務員たちが同意するかのように、吠え始めた。「やってやる!!!」、「この化け物め!!!!」、「よくもこんな仕打ちを!!!!」。様々な遠吠えが唸り始めた。
皆が一斉に壇上に向かって拳を振り上げんとしたときだった。
――――パァンッッ!!!!!
空気を切り裂き、鼓膜が弾けるような鋭い音が、突如、響き渡る。息巻いていた佐々名木たちが、一瞬にして黙り込んで、目にしたもの。
それは壇上で、左手に拳銃を持ち、その銃口を天井に向けて立っている、ルカ。銃口からは煙が出ている。――――発砲したのだ。天井に向かっていなければ、死傷者が出ていた可能性が高い。
「――――キミたちは、もう黙ってて、いいんだよ?」
そう静かに告げたルカは、微笑みを湛えたままだったが。その青い目は異様なほど冷たく、人間味が全く無い。
「右藤さんは、キミたちに「やめて」と制止しても、「助けて」と訴えても、ずーーっと無視されて。不当な扱いを受け続けた。
そして、最期はひとりぼっちで、死んじゃったんだよ?
そのうえ、彼女が勇気を振り絞って、したためて、最期の一声として送った遺書ですら、隠そうとした輩もいる。
それなのに、キミたちはどうして、自分たちは群れてオレに刃向かう権利があるんだ、と、勘違いが出来るの?
哀しいね。人間って。
キミたちは自分たちの過ちを悔い改めるどころか、それを繰り返して、振り翳して、また間違いを重ねるんだね」
ルカは発砲した拳銃を手の中でくるくると弄びながら、事実のなかに含んだ、少しの憐みの言葉を投げる。
恐怖と混乱と、その他処理が追い付かない情緒や感情が綯い交ぜになった一同は。放心状態になり、ルカたちを見上げるだけ。だが。
「……お前たち……ナニサマだよ……」
また誰かが。ぽつり、と、呟いた。
――――そんなに高い場所から。そんなに圧倒的なオーラを放ちながら。そんなに化け物めいた振る舞いをした、お前たちは、一体全体、何者なんだ――――……??
呟きを聞いたルカが、フッと笑いを零す。そして、言葉を紡いだ。
「オレたちは、『特殊対応室』。通称、『Room EL』。
オレは、そこの室長であり、指揮官のルカ三級高等幹部だよ。ヨロシクね。
そして―――」
「ルカ三級高等幹部専属秘書官、ソラだ。
今、お前たちを取り囲んでいるロボット兵士―――グレイス隊共々、どうぞお見知りおきを。
最後に―――」
「ルカ三級高等幹部直属事務員の、ツバサと申します。
突然の辞令だったとはいえ、一般事務の皆様にはご挨拶が遅れてしまい、誠に申し訳ございません。
…改めて、よろしくお願い致します」
Room ELの3人が、順番に自己紹介をする。まるで、演劇の締めでもしているかのような。そんな様式美さえ、感じ取れてしまうほどの、浮世離れ。
「では、ご意見もご質問も、もうないようだし…。
Room ELが受けた当件につきましては、以上で修了とさせていただきます。
――――皆さん、今まで、大変お疲れさまでした♪」
ルカがそう宣言した途端。
共有エリアが、再び、阿鼻叫喚と化した。
ツバサとソラには、人数故の声量が多すぎて、もう上手く聞き取れないが。
ルカが検出したなかでサンプルを挙げるなら、うわああ、わあああ、もうおしまいだああ、明日からどうすればいいんだああ、たすけてええ、ゆるしてくださああい、といった内容の悲鳴が飛び交っている。らしい。
だがしかし。そんなことはもう知らない、と。
ルカはさっさと袖に帰って、ピンマイクの回収はソラが行い、スクリーンはツバサの操作のもと、元に戻して。
――――そして、壇上には、誰もいなくなった。
to be continued...