第一章 ALICE in New World

18時06分。ゲート8に、ソラはやってきた。外回り用のコートを羽織り、肩からは革製の鞄を提げている。帰宅直前といった風体だが、彼がここに来たのは、昼間、カフェテラスにいた自分のタブレットの端っこに付箋を貼りつけて、ここへ呼び出した『人事部の新田』という女性社員の声に応じたからだ。

いつ頃に来るのだろうかと、ソラが考えていたとき。視界の端から気配を感じ取る。そちらを向くと。女性が、積み上げられた段ボールの陰から、こちらを見ていた。間違いない、昼間、ソラにコンタクトを取ってきた女性社員―――新田だ。

「あ、あの…。あなたしか…、いませんよね…?」

新田が段ボールの陰から、伺ってくる。その声音が震えているのを見る限り、相当に怯えているのだろう。

「ああ、俺しかいない。安心してくれ」

ソラはなるべく新田を刺激しないように、努めて柔い声を出した。彼女はソラの返答を聞いた後、自分の背後をさっと振り返ってから。彼のもとへと小走りでやってきた。

「誰かに尾行されているのか?」
「い、いいえ…、た、たぶん、大丈夫だと…。いつも通り、振る舞ってきたので…」

ソラの問いかけに対して、新田は緊張したように答える。ソラが沈黙で宥めていると、彼女は深呼吸をした後、自分の鞄から一通の封筒を取り出す。そして、ソラと目線をしっかりと合わせてから、それを彼に差し出した。

「これを…、これを、特殊対応室のルカ様へ…!」

震えるその手が持った封筒には、若干の見覚えがある。受け取って確認すると、『人事部の皆々様宛』とボールペン字で書かれているのが見えた。開封もされている。

―――…間違いない。右藤さゆりの遺書の、『本物』の方だ。

「これを持ち出して、俺に持ってきたということは…、相当、怖い思いをしたんじゃないか?」
「………はい。あの、でも……私は、今の人事部が……ダニエルさんの方が、何百倍も怖いです……」

顔色の悪い新田が浅い呼吸を繰り返すのを見て、ソラはその肩をぽんぽんと優しく叩く。

「よくやった。とりあえず、貴女の身の安全を確保したい。それまで、――――ッ!!」

新田に声を掛けていた途中で、ソラが突然、動き出した。彼女を引き倒し、頭を下げさせる。すると、積まれていた段ボールが、バァン!、と弾けて飛んだ。銃撃だ。段ボールが被弾したその高さは、新田の頭があった位置くらい。ソラが彼女を引き倒していなければ、新田はその時点で死んでいた。
こんなことをする人間なんて――――。

「チッ!外したか…。
 さすが、三級高等幹部の専属秘書官サマは、実に良い勘を持っていらっしゃる」

段ボールの陰から、そう言いながら出てきたのは。―――ソラの直感通り、ダニエルだった。その手には高性能のサイレンサーを取り付けたハンドガンが握られている。
新田が小さな悲鳴を上げたのが分かった。怯えて固まる彼女をすぐさま自分の背で隠しつつ、近くの段ボールの山の中へ押し込むと。ソラはダニエルと対峙する。

「ご足労、感謝する。人事部へ部隊を派遣する手間が省けた」

ソラはそう言いながら、肩から提げていた鞄に手を掛けた。パチン、と蝶番の外れる音がしたかと思えば、横開きに綺麗に開く。そこから出てきたのは、黒色と緑色を基調とした、大振りの刃物。ソラが持っていた鞄は普通のそれなどではなく、彼の得物を収める特殊なケースだったのだ。
ソラが刃物を手に持つと、音もなく柄が伸びて、それはあっという間にバトルアクスに変形する。身長が170cmとはいえ、小柄な部類に値するソラが振るうには、少しばかり大振りだ。

ソラの取り出した得物に、ダニエルは虚を突かれたような顔をしたが。すぐに、不敵な笑みを戻した。
すると、ぞろぞろ、とダニエルの背後に、男たちが現れる。皆、動きやすいようにスーツを気崩しているが。間違いない。人事部の男性社員たちだ。

「あなたひとりで、この人数に勝てるとでも?
 しかも、そんな大きな斧を、こんな狭い空間で振るうなど…。いやはや、これだから、素人の相手は困りますねえ」

ダニエルが笑いながらも嫌味ったらしく言うと、背後の男たちも同調するかのように、ニヤニヤ、クスクス、と嗤う。が、ソラの冷静な表情は崩れない。

「お前は、戦闘に心得があるのか?弊社の社員採用の基準に、『戦闘可能』の項目は無かったはずだが?」

ソラの嫌味返しに対し、ダニエルは、ハッ、と明らかに見下すように笑うと。銃口をチラつかせながら、己の口を開く。

「私はイギリスの良家に生まれたが故、射撃は『教育』として叩きこまれていましてね。17歳のときの初めて狩猟で、牡鹿を5頭も仕留めたのは、良き思い出です。当時、見学に来ていた貴族由来のご令嬢からも、熱烈な視線を浴びてしまいました。まあ、彼女の服のセンスが趣味ではなかったので、こちらから先にお断りしましたがね。
 それから、ホリデーシーズンは毎年欠かさずに、実家へ帰り、射撃の訓練と、狩猟を続けていますよ。ああ、成果は勿論、言うまでもなく」
「そうか。それは華々しい経歴で何よりだ。
 しかし、射撃はスポーツで、狩猟は貴族の遊びにすぎない。俺の言う『戦闘』とは程遠いな」

ダニエルが語った己の栄華に対して、ソラが正論の極みを返すと。ダニエルは、表情を僅かにヒクつかせた。どうやら図星だったようだ。が、彼は銃口を突き付けるかのように更に前に出すと、今度は声を張り上げる。

「愚図め!私のような射撃の名人が、こんな狭い空間にいるお前の急所を外すわけないだろうがッ!!
 さあ!死にたくなければ、さっさと右藤の遺書を返せ!さもないと、――――ッ!??!?」

ダニエルの言葉は最後まで紡がれなかった。ソラが動いたからだ。地を蹴る僅かな音がしただけで、ソラはあっという間にダニエルの陣営の間合いに入り込む。それを認識した直後にダニエルが見た光景は、ソラが自分に向かって、下からバトルアクスを振りかぶったものだった。咄嗟に引き金を弾こうとする。が、両手に重量級の衝撃が走った。と思えば、ダニエルの持っていたハンドガンが、銃身から真っ二つに割れている。斬られたハンドガンの前身部分が空中を舞うのを、ダニエルは視界が反転した状態で見ていた。ソラに脚を蹴られて、転倒させられたのだ。他の男たちも、バトルアクスの柄で腹を小突かれて悶絶したり、ダニエル同様に足払いを受けて転倒したり、得物を持っていた者はそれを斬られたり、弾かれたりで、次々と無力化させられていく。ガッツのある者は、尚も立ち上がってソラに殴りかからんとするが。ある者は脇腹にミドルキックを捻じ込まれ、またある者は峰うちを食らって、気絶させられた。

転倒させられた際に腰をしこたま打ち付けたことで呻いていたダニエルだったが。――――今、目の前に広がる光景に、痛みを忘れて呆然とする。

――――…誰も、立っていない。自分の言うことを聞く全ての人数を揃えてきたのに。その全てを、ソラひとりに、呆気なく制圧されてしまった。

戦慄とするダニエルの顔の横に、ガァン!、と何かが突き立てられた。「ヒィィエェッ!!?」と情けない声を上げた彼が見たものは、黒と緑で塗られた、バトルアクスの刃。…あと数cmもズレていたら、断頭台の上の処刑人よろしく、首が飛んでいただろう。
恐る恐ると見上げると、氷のように冷たい眼をしたソラが、ダニエルを見下ろしていた。ソラの色素の薄い唇が、開く。

「鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているが…。俺はきちんと進言した。射撃はスポーツで、狩猟は遊びだ、と。
 よーいドン、の合図で、『本物の戦闘』が始まるとでも思っていたのか?…隙さえ見つければ、そこにつけこみ、一気に勝利を手繰り寄せる。それが、戦いだ。お前が華麗な経歴を残してきたらしい『教育』とは、訳が違う」

ソラの翡翠の双眸が、すぅ、と、細まった。その瞬間、ダニエルは己の全身から血の気が引き、肌という肌が粟立つ感覚を覚える。

「犯罪者とはいえ、公的機関に引き渡すまでは、未だ弊社の社員だからな。無闇に傷をつけるわけにはいかない。だが、戦いを知らぬ奴らほど、無駄な動きが多く、結果、変に怪我をする。故に、こちらが加減してやらねばならんのが、何とも億劫だ。
 脳死状態で引き金を弾けばいい、ないし、得物を振るえばいいお前たちとは違って、プロのこちらは常に何手先も読んだうえで、成果を出さねばならない。……はあ、疲れる…。
 
 ――――これだから、素人の相手は困るんだ」

そう言い切ったソラの放つ、極寒の吹雪の如きプレッシャーに耐え切れず。ダニエルはとうとう正気の限界点を迎えてしまい…。そのまま彼は、ぱたり、と、気を失ってしまったのだった。

すると。グレイス隊が現場に雪崩れ込んできて、ダニエルと、その取り巻きの男たちを確保していく。――――グレイス隊は待機していた。すぐ傍で。ダニエルたちに気が付かれない配置を取っていた。しかし、ソラは自らひとりの手で、輩を制圧したのだ。その事実がどれだけ素晴らしく、且つ、おぞましいことを示すのかを、正確に把握できる者は。

…今、この場にいない。




to be continued...
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