第六章 Awaken The TRUE ALICE
【特別合宿場 敷地内】
手元に持っていたスマートフォンで、ローザリンデと「おやすみなさい」と、締めの挨拶を交わしたあと。その画面の電源を切ってツバサは、抱えていた膝の上に、自分の顔を埋めた。たったそれだけの動作なのに、背筋に酷い痛みが走るのを感じる。筋肉痛になっているのは、背筋だけではなく、連日酷使している脚もそうだ。おまけにゴールキーパーであるツバサは、肩回りも痛い。手首と足首だけは痛めないように、何とか頑張っているものの。…今日の訓練のあと、コーチ陣から、明日からは更に過酷なメニューが加わることを告げられていた。選手たちの間から、苦痛の溜め息が零れたのを、コーチ陣は叱咤してきたのは、5時間前のこと。
おまけに、疲労で頭がぼんやりしていたツバサは、消灯時間までの勉強の合間に、手に取った歴史資料集が、今時珍しい紙製品だったことき起因して。その鋭い紙の先で、指先を浅く切ってしまった。急い絆創膏を張り付けたものの。これはきちんと処置しないと、手を使うゴールキーパーとしては不安材料になりかねない。
「優秀なスポーツ選手を育てて、未来への人材とする」という謳い文句は良いものの。その合宿の実態は、過酷な運動メニュー、厳しい集団訓練、そして余りにも圧力の強い上下関係の刷り込みだった。一度でも参加すれば、欠席することはまず叶わず。故に、合宿中に心身を擦り減らしきったり、果ては壊しきったりして、ドロップアウトせざるをえない選手たちを、ツバサはもう何人も見送ってきた。中には、合宿から離脱したいことを強く望むあまり、気が触れた行動を演じる者まで出てくる始末だ。
そんな過酷極まる合宿に閉じ込められている真っ最中のツバサは。こっそり部屋を抜け出して、監視がいない裏手の庭にやってきた。消灯後の外出は、例え敷地内であったとしても、規則違反となる。見つかれば、激しい説教と反省文は、まず免れないだろう。だが、そんなことを構っていられないほど、ツバサは自分の精神に限界を感じていた。
早く家に帰りたい、早く解放されたい、もう何でも良いから許して、お母さんとお父さんに会いたい。…合宿メンバーたちがそう零す、聞くもつらい言葉と、それと共に流れていた涙塗れの泣き顔が、ツバサの耳と脳裏にこびりついて離れない。
他人より少しだけ精神と身体が頑丈な部類にある人間だとしても。ツバサは所詮、ひとりの15歳の少女でしかなかった。無慈悲に突きつけられる、冷酷な毎日は、ツバサが子どもである以上、その感性を悪い方向へと刺激し続けてくる。
この世の地獄の果てのような日々が、眼の前で広がっている現実。それが耐えられない。もういっそ。いっそ。
「……この現実を、壊すことが出来たら……」
ツバサが、そうひとりで、呟いたとき。
「キミには、壊したいモノがあるの?」
突然、降って湧いた、低い声。監視に見つかった?!と思ったツバサは、咄嗟に顔を上げて、…そして。
美しい満月が浮かぶ夜空を背景に。まるで天の川の如く流れる深青のロングポニーテールと、彗星のように自分を真っ直ぐ射貫く同色の瞳を、しかと見た。
合宿のスタッフではない。彼のような仕立ての良いスーツを着ている者はいないし、その長すぎる髪の毛をアレンジしていることもない。…何より、彼が放つオーラは、圧倒的な『美』だった。
それは、夜天に浮かぶ満月を背負う姿も相まって。まるで。
「…かぐや姫…?」
ツバサが呆然と、そう呟いた。そして、それを聞いた彼は、ふっ、と軽やかに笑いながら、薄付きの桜色のリップを塗った唇を、弧に描いた。それこそ、三日月のように。
「オレが、かぐや姫かあ。キミは、素敵な発想をするんだねえ。きっとセンスが高くて、お勉強もスポーツも、日々頑張ってるんだね~えらいね~」
そう言いながら、青色の彼は、ツバサの隣に座る。
ふわ、と微かに立った香水の匂いが、ツバサの鼻孔を擽った。直感的に「大人の男の香りだ」と、ツバサは感じる。
「それで、キミは何を壊したいの?そのスマホ?それとも、自分の手足の骨?」
彼はまるでファミレスでメニュー表でも眺めているかのようなノリで、物騒なことを聞いてくる。だが、今のツバサにとって、それは藁にも縋るような光明に等しきモノだった。
―――このひとが、終わらせてくれる。この地獄の日々を。皆が哀しむ、この現状を。自分が此処で願えば、きっと。
「……合宿を、…地獄の日々を、終わらせて欲しい…」
「この合宿が、地獄の有り様ってコト?キミは、それを終わらせて欲しいの?オレに?」
ツバサの切なる願いを聞いた彼は、きょとん、としながらも。的確に彼女が言いたいことを聞き出してくれる。ツバサは続けた。
「もしそれが、私の中の何かを壊すことに繋がるというなら…、それでも構わない。
こんな私の中にあるものひとつやふたつ、あげるから…。もうあの涙も叫びも、…何もかも見聞きしたくない」
「自分が犠牲になっても構わないから、仲間を助けてあげたいってコトかな?」
「……そんな美しい表現、似合わない。私だって、早く此処から逃げたい気持ちで、いっぱいだから…」
ツバサの憂いを聞いた彼は、深青の瞳をぱちぱちと瞬かせてから。不意に、ツバサへと問うた。
「ねえ?例えばね?
何でも壊してしまう、史上最強のチカラを持った存在を、自分の意のままに出来る権力を、キミが手に入れられるとするよ?
でもその代わり、キミは今後一生、逃れられない制約を課せられる羽目になる。
だけど、絶対にキミのことは傷付けないし、ましてや無意味に死なせもしないって確約されるとしたら…。
どうする?その権力、キミは、欲しいって思う?」
「え…」
余りにも規模が大きな話だ。それに、曖昧な部分が多々ある。ツバサは答えに迷った。だが、彼女は暫し考えた後、口を開く。
「私も、そして私の周りのひとたちも、ひとりでも多く生きていられるなら、そして笑顔でいられるなら…。それも良いのかもしれない。
何でも壊してしまうチカラを持った存在というモノを、意のままに出来るなら、そのひと?を、「何も壊しちゃダメ」って言い聞かせることが出来るってことだと思うし…。
それに例え、一生分の制約があったとしても、私自身が死んだりしない保障があるなら…、生きているなら、何でも壊してしまう存在が近くに居るんだとしても、そのひとの代わりに、私が創ればいいんじゃないかな…?誰かが笑顔になれる日常の、ほんの少しの足掛かりのひとつでも、きっと…。
それなら、別に、史上最強であっても、…何も恐れることもないかなって、考えた」
ツバサはそこまで言うと、少し恥ずかしそうに、笑った。
―――見つけた。彼女だ。
彼は、―――ルカは、その瞬間。そう思った。
この身は機械ではあるが、それでも本能的な、それともある種、天啓とも言える出逢いと称しても、過言ではない。そう信じた。
眼の前の少女こそ、史上最強の軍事兵器、このLUKAのホルダーに相応しい。そして、自分が絶対的に護るべき存在として、一番の価値がある。
ルカのことを、なにひとつ知らないとは言え。
軍事兵器であるルカを好きに出来る権力に溺れようとしない、精神力。
破壊の象徴と恐れられるルカに対して、創ることを前提とした役割を買って出ると宣言した、発想。
何より、自己犠牲だけで終わらせない、むしろ自分を含めた周囲の笑顔を丸ごと望もうとする、欲望。
この少女の持つ、器の広さ、強さ、純真さ、高潔さ。並大抵ではない。むしろ、異常すぎるほどの領域。
「ルカのホルダーになれる人物を、早く探せ!」と躍起になっている人間たちの頓珍漢な行動パターンも、100年以上は続けているのを眺めていたら、さすがに呆れの感情が湧き出てきて。ルカが手ずから『ホルダー候補者リスト』なんて作ってみたものの。実際は、データの海から、それっぽい少年少女たちをピックアップしただけの、ただの紙切れでしかなくて。
だが、人間たちは「此処からホルダーを育成すればいい!」と変に息巻いてしまい、リストをルカから取り上げて、勝手に育成のための強化合宿などというものを、開き始めた。
ルカが合宿なるものの報告や進捗を、初めて受けたのは。彼が去年、『2000年に1人』と噂に名高い天才児・ソラと接触を持ったあたり。
それからというもの。ルカも、「自分の命令権を持つ人間なのだから、自分が探す権利くらいはある」と考えて。ソラからローザリンデの話を聞き出したあとは、まずは彼女の兄・凌士が、ROG. COMPANYの筆頭株主になるのを待つことにした。結果、1年くらいを無駄に過ごす羽目になってしまったうえに、その果てで、やっと面会したローザリンデは。ルカが事前にソラから聞きかじった情報から予測していた通り、ホルダーには到底、なり得ない人間であった。
だが、大きすぎる収穫に成功する。候補者リストに入っていた、この少女が、ローザリンデの「年下の友達」だった。
そして。この少女こそ、ルカのホルダーに最も相応しく、そして、彼が全てを賭して護るに値する人間。
言い訳、理由、建前、主張、思惑 etc...
目先の恐怖に怯え、虚像の利益に涎を垂らし、過去の栄華に縋りつくだけの人間たちを、言いくるめることなど、ルカにとっては造作もない。
―――故に、ルカは。ツバサに、微笑んだ。
「その指の絆創膏、今日の怪我?」
「え、はい…。資料集の紙で切っちゃって…」
「そっかあ。それは痛かったねえ。その絆創膏、外してくれる?」
「? はい…」
ツバサは、ぺり、と絆創膏を剥がす。
とても従順な子だ。それはそれで特に構いはしないが、…悪い人間に利用されないことを願いたい。…否、これからは、ルカが護ればいいのだ。
真新しい切り傷が、晒される。空気に触れたせいで染みたのか、ツバサが僅かに渋い顔をした。
「ごめんね、ちょっと触るよ。大丈夫、痛くないからね」
ルカはそう言うと、ツバサの指先を軽く押す。すると、切り傷から、じわ…、と血が滲んできた。ルカは、自分のハンカチを取り出して。傷に布が絶対に触れないようにしながら、そこから滲んでいる血を、ハンカチの布先に吸わせる。数ミリ程度の面積分しかないが、これで十分。人間が定める規定量に遥か満たなくとも、此処から遺伝子情報を分析して、吸収することは、ルカには可能。コピー用紙にラクガキしながらでも、出来てしまう。人間が勝手に設立した仰々しい過程や手続きなんぞ、一切、不要だ。
「このことは、誰にも言っちゃダメだよ?
あと、この合宿は明日には、全面解体の通知を出しておくから。もうキミが胸を痛める必要はないよ。安心してて」
「は、はい…。あの、本当に…?」
「勿論、本当だよ。そもそも、オレは正解しか言わないから」
瞳を瞬かせるツバサに対して、ルカは答えながら。新しい絆創膏を、ツバサの指へ丁寧に巻き付ける。そして、おもむろに質問を飛ばした。
「あと、聞きたいんだけど。キミの好きなモチーフとか、コンセプトとか、ある?」
「モチーフ、コンセプト…。
…あ。不思議の国のアリス、とか、大好きです…」
「アリス、かあ。
分かった。上手くやっておくね。ありがとう」
ルカが何を言っているのかは理解していない様子だが、多感なお年頃ながらも、高い感性と知性を持つツバサは。素直に納得することに留めておく。
今はただ、この地獄の日々が終わる、という事実が約束されたことが。ツバサにとって、何よりも最優先で喜ぶべきことだったから―――…。
―――……そんな、ルカとツバサのやり取りを。始終、建物の陰から覗き見していた人間が居ることを、ルカがすっかり失念していたことで。
…ルカが、この数日後に。自分と彼女に、世にも恐ろしい現実が襲い来ることなど。……さすがに、予見できていなかったのであった…―――。
to be continued...
手元に持っていたスマートフォンで、ローザリンデと「おやすみなさい」と、締めの挨拶を交わしたあと。その画面の電源を切ってツバサは、抱えていた膝の上に、自分の顔を埋めた。たったそれだけの動作なのに、背筋に酷い痛みが走るのを感じる。筋肉痛になっているのは、背筋だけではなく、連日酷使している脚もそうだ。おまけにゴールキーパーであるツバサは、肩回りも痛い。手首と足首だけは痛めないように、何とか頑張っているものの。…今日の訓練のあと、コーチ陣から、明日からは更に過酷なメニューが加わることを告げられていた。選手たちの間から、苦痛の溜め息が零れたのを、コーチ陣は叱咤してきたのは、5時間前のこと。
おまけに、疲労で頭がぼんやりしていたツバサは、消灯時間までの勉強の合間に、手に取った歴史資料集が、今時珍しい紙製品だったことき起因して。その鋭い紙の先で、指先を浅く切ってしまった。急い絆創膏を張り付けたものの。これはきちんと処置しないと、手を使うゴールキーパーとしては不安材料になりかねない。
「優秀なスポーツ選手を育てて、未来への人材とする」という謳い文句は良いものの。その合宿の実態は、過酷な運動メニュー、厳しい集団訓練、そして余りにも圧力の強い上下関係の刷り込みだった。一度でも参加すれば、欠席することはまず叶わず。故に、合宿中に心身を擦り減らしきったり、果ては壊しきったりして、ドロップアウトせざるをえない選手たちを、ツバサはもう何人も見送ってきた。中には、合宿から離脱したいことを強く望むあまり、気が触れた行動を演じる者まで出てくる始末だ。
そんな過酷極まる合宿に閉じ込められている真っ最中のツバサは。こっそり部屋を抜け出して、監視がいない裏手の庭にやってきた。消灯後の外出は、例え敷地内であったとしても、規則違反となる。見つかれば、激しい説教と反省文は、まず免れないだろう。だが、そんなことを構っていられないほど、ツバサは自分の精神に限界を感じていた。
早く家に帰りたい、早く解放されたい、もう何でも良いから許して、お母さんとお父さんに会いたい。…合宿メンバーたちがそう零す、聞くもつらい言葉と、それと共に流れていた涙塗れの泣き顔が、ツバサの耳と脳裏にこびりついて離れない。
他人より少しだけ精神と身体が頑丈な部類にある人間だとしても。ツバサは所詮、ひとりの15歳の少女でしかなかった。無慈悲に突きつけられる、冷酷な毎日は、ツバサが子どもである以上、その感性を悪い方向へと刺激し続けてくる。
この世の地獄の果てのような日々が、眼の前で広がっている現実。それが耐えられない。もういっそ。いっそ。
「……この現実を、壊すことが出来たら……」
ツバサが、そうひとりで、呟いたとき。
「キミには、壊したいモノがあるの?」
突然、降って湧いた、低い声。監視に見つかった?!と思ったツバサは、咄嗟に顔を上げて、…そして。
美しい満月が浮かぶ夜空を背景に。まるで天の川の如く流れる深青のロングポニーテールと、彗星のように自分を真っ直ぐ射貫く同色の瞳を、しかと見た。
合宿のスタッフではない。彼のような仕立ての良いスーツを着ている者はいないし、その長すぎる髪の毛をアレンジしていることもない。…何より、彼が放つオーラは、圧倒的な『美』だった。
それは、夜天に浮かぶ満月を背負う姿も相まって。まるで。
「…かぐや姫…?」
ツバサが呆然と、そう呟いた。そして、それを聞いた彼は、ふっ、と軽やかに笑いながら、薄付きの桜色のリップを塗った唇を、弧に描いた。それこそ、三日月のように。
「オレが、かぐや姫かあ。キミは、素敵な発想をするんだねえ。きっとセンスが高くて、お勉強もスポーツも、日々頑張ってるんだね~えらいね~」
そう言いながら、青色の彼は、ツバサの隣に座る。
ふわ、と微かに立った香水の匂いが、ツバサの鼻孔を擽った。直感的に「大人の男の香りだ」と、ツバサは感じる。
「それで、キミは何を壊したいの?そのスマホ?それとも、自分の手足の骨?」
彼はまるでファミレスでメニュー表でも眺めているかのようなノリで、物騒なことを聞いてくる。だが、今のツバサにとって、それは藁にも縋るような光明に等しきモノだった。
―――このひとが、終わらせてくれる。この地獄の日々を。皆が哀しむ、この現状を。自分が此処で願えば、きっと。
「……合宿を、…地獄の日々を、終わらせて欲しい…」
「この合宿が、地獄の有り様ってコト?キミは、それを終わらせて欲しいの?オレに?」
ツバサの切なる願いを聞いた彼は、きょとん、としながらも。的確に彼女が言いたいことを聞き出してくれる。ツバサは続けた。
「もしそれが、私の中の何かを壊すことに繋がるというなら…、それでも構わない。
こんな私の中にあるものひとつやふたつ、あげるから…。もうあの涙も叫びも、…何もかも見聞きしたくない」
「自分が犠牲になっても構わないから、仲間を助けてあげたいってコトかな?」
「……そんな美しい表現、似合わない。私だって、早く此処から逃げたい気持ちで、いっぱいだから…」
ツバサの憂いを聞いた彼は、深青の瞳をぱちぱちと瞬かせてから。不意に、ツバサへと問うた。
「ねえ?例えばね?
何でも壊してしまう、史上最強のチカラを持った存在を、自分の意のままに出来る権力を、キミが手に入れられるとするよ?
でもその代わり、キミは今後一生、逃れられない制約を課せられる羽目になる。
だけど、絶対にキミのことは傷付けないし、ましてや無意味に死なせもしないって確約されるとしたら…。
どうする?その権力、キミは、欲しいって思う?」
「え…」
余りにも規模が大きな話だ。それに、曖昧な部分が多々ある。ツバサは答えに迷った。だが、彼女は暫し考えた後、口を開く。
「私も、そして私の周りのひとたちも、ひとりでも多く生きていられるなら、そして笑顔でいられるなら…。それも良いのかもしれない。
何でも壊してしまうチカラを持った存在というモノを、意のままに出来るなら、そのひと?を、「何も壊しちゃダメ」って言い聞かせることが出来るってことだと思うし…。
それに例え、一生分の制約があったとしても、私自身が死んだりしない保障があるなら…、生きているなら、何でも壊してしまう存在が近くに居るんだとしても、そのひとの代わりに、私が創ればいいんじゃないかな…?誰かが笑顔になれる日常の、ほんの少しの足掛かりのひとつでも、きっと…。
それなら、別に、史上最強であっても、…何も恐れることもないかなって、考えた」
ツバサはそこまで言うと、少し恥ずかしそうに、笑った。
―――見つけた。彼女だ。
彼は、―――ルカは、その瞬間。そう思った。
この身は機械ではあるが、それでも本能的な、それともある種、天啓とも言える出逢いと称しても、過言ではない。そう信じた。
眼の前の少女こそ、史上最強の軍事兵器、このLUKAのホルダーに相応しい。そして、自分が絶対的に護るべき存在として、一番の価値がある。
ルカのことを、なにひとつ知らないとは言え。
軍事兵器であるルカを好きに出来る権力に溺れようとしない、精神力。
破壊の象徴と恐れられるルカに対して、創ることを前提とした役割を買って出ると宣言した、発想。
何より、自己犠牲だけで終わらせない、むしろ自分を含めた周囲の笑顔を丸ごと望もうとする、欲望。
この少女の持つ、器の広さ、強さ、純真さ、高潔さ。並大抵ではない。むしろ、異常すぎるほどの領域。
「ルカのホルダーになれる人物を、早く探せ!」と躍起になっている人間たちの頓珍漢な行動パターンも、100年以上は続けているのを眺めていたら、さすがに呆れの感情が湧き出てきて。ルカが手ずから『ホルダー候補者リスト』なんて作ってみたものの。実際は、データの海から、それっぽい少年少女たちをピックアップしただけの、ただの紙切れでしかなくて。
だが、人間たちは「此処からホルダーを育成すればいい!」と変に息巻いてしまい、リストをルカから取り上げて、勝手に育成のための強化合宿などというものを、開き始めた。
ルカが合宿なるものの報告や進捗を、初めて受けたのは。彼が去年、『2000年に1人』と噂に名高い天才児・ソラと接触を持ったあたり。
それからというもの。ルカも、「自分の命令権を持つ人間なのだから、自分が探す権利くらいはある」と考えて。ソラからローザリンデの話を聞き出したあとは、まずは彼女の兄・凌士が、ROG. COMPANYの筆頭株主になるのを待つことにした。結果、1年くらいを無駄に過ごす羽目になってしまったうえに、その果てで、やっと面会したローザリンデは。ルカが事前にソラから聞きかじった情報から予測していた通り、ホルダーには到底、なり得ない人間であった。
だが、大きすぎる収穫に成功する。候補者リストに入っていた、この少女が、ローザリンデの「年下の友達」だった。
そして。この少女こそ、ルカのホルダーに最も相応しく、そして、彼が全てを賭して護るに値する人間。
言い訳、理由、建前、主張、思惑 etc...
目先の恐怖に怯え、虚像の利益に涎を垂らし、過去の栄華に縋りつくだけの人間たちを、言いくるめることなど、ルカにとっては造作もない。
―――故に、ルカは。ツバサに、微笑んだ。
「その指の絆創膏、今日の怪我?」
「え、はい…。資料集の紙で切っちゃって…」
「そっかあ。それは痛かったねえ。その絆創膏、外してくれる?」
「? はい…」
ツバサは、ぺり、と絆創膏を剥がす。
とても従順な子だ。それはそれで特に構いはしないが、…悪い人間に利用されないことを願いたい。…否、これからは、ルカが護ればいいのだ。
真新しい切り傷が、晒される。空気に触れたせいで染みたのか、ツバサが僅かに渋い顔をした。
「ごめんね、ちょっと触るよ。大丈夫、痛くないからね」
ルカはそう言うと、ツバサの指先を軽く押す。すると、切り傷から、じわ…、と血が滲んできた。ルカは、自分のハンカチを取り出して。傷に布が絶対に触れないようにしながら、そこから滲んでいる血を、ハンカチの布先に吸わせる。数ミリ程度の面積分しかないが、これで十分。人間が定める規定量に遥か満たなくとも、此処から遺伝子情報を分析して、吸収することは、ルカには可能。コピー用紙にラクガキしながらでも、出来てしまう。人間が勝手に設立した仰々しい過程や手続きなんぞ、一切、不要だ。
「このことは、誰にも言っちゃダメだよ?
あと、この合宿は明日には、全面解体の通知を出しておくから。もうキミが胸を痛める必要はないよ。安心してて」
「は、はい…。あの、本当に…?」
「勿論、本当だよ。そもそも、オレは正解しか言わないから」
瞳を瞬かせるツバサに対して、ルカは答えながら。新しい絆創膏を、ツバサの指へ丁寧に巻き付ける。そして、おもむろに質問を飛ばした。
「あと、聞きたいんだけど。キミの好きなモチーフとか、コンセプトとか、ある?」
「モチーフ、コンセプト…。
…あ。不思議の国のアリス、とか、大好きです…」
「アリス、かあ。
分かった。上手くやっておくね。ありがとう」
ルカが何を言っているのかは理解していない様子だが、多感なお年頃ながらも、高い感性と知性を持つツバサは。素直に納得することに留めておく。
今はただ、この地獄の日々が終わる、という事実が約束されたことが。ツバサにとって、何よりも最優先で喜ぶべきことだったから―――…。
―――……そんな、ルカとツバサのやり取りを。始終、建物の陰から覗き見していた人間が居ることを、ルカがすっかり失念していたことで。
…ルカが、この数日後に。自分と彼女に、世にも恐ろしい現実が襲い来ることなど。……さすがに、予見できていなかったのであった…―――。
to be continued...
