第五章 BLESSING from Deep Blue

【ROG. COMPANY本社 社長室】

社長室で、ジョウ専属の黒服が、彼に報告をしている。

「ツバサ事務員は、ローザリンデ様により、既に確保。所定のホテルに収容済みです。抵抗する素振りは、一切、無かったとのこと。
 鈴ヶ原医師ですが、収容は出来ましたが、彼の妹である鞠絵が一緒です。現場からの報告によると、鈴ヶ原医師を確保する場面で、件の妹が無理矢理、割り込んできたようでして…。鈴ヶ原医師への人質を増やす意味を込めて、共に収容しました。
 若様と黒城セイラは、これより若様の執務室へ赴き、確保します。ローザリンデ様の手配により、現在、セイラは若様と執務室を掃除しているはずですから。
 ……ソラ秘書官は、依然として、逃亡中です。こちらが許可している武装品も持ち出しているので、発見できたとしても、激しい抵抗が予測されます。…そもそも、最初にRoom ELへ乗り込んだ際にも、ソラ秘書官がかなりヒステリックに暴れ回った結果、彼を取り逃がした、という経緯ですし…。…何より、あの男の総合的な能力を考えると、今後、こちら側に死傷者が出る覚悟もしておいた方が、よろしいかと存じますが…」
「…分かった。鈴ヶ原医師の妹とやらは、些かイレギュラーだが、…まあ、いい。彼への人質になれる分、まだ価値がある。
 ソラは何としても、早急に、捕まえろ。もうこの際、骨の1本や2本、折っても構わない。あの男は、ルカが育てた、正真正銘の怪物級…。完全に無力化できるのであれば、脚を落としてもいい。とにかく、生きた状態で、此処まで連れてくるんだ。
 …、ソラの捜索にあたっている部隊に、グレイス隊の兵士を補填し、最前線に出せ。どうせ使い捨てのロボット共だ。作ればいくらでも代わりが効く。人的補償より、よっぽどコスパが良い。
 それに、万が一、ソラが真正面から刃向かってきたとしても、ロボットなら充分な弾除けになれるだろう」
「かしこまりました、社長。すぐにローザリンデ様に指示を出し、禁固中のグレイス隊の指揮権を移行させ、出撃させます。
 …では、我々は今より、若様とセイラの確保に向かいます」
「レイジとセイラ嬢は、有益な交渉材料になる。くれぐれも、傷付けないように、そして迅速に、此処へ連れてくるように。
 それでは、良い報告を期待している」

ジョウの台詞を聞いた黒服が、下がっていく。それを気配だけで察知したジョウは、社長室の大きな窓から眺めていた外の景色から視線を外して。室内に設置されている、豪奢なテーブルに座っている、長身瘦躯の人影を見やった。―――…ルカだ。ジョウに指揮権を奪われたレオーネ隊の兵士たちに、片手剣の切っ先を向けられている。だが、ルカは椅子に腰かけ、ティーカップを傾けていた。その様子は、Room ELで過ごしている日常の所作と大差ない。
ルカは紅茶を嚥下してから、ジョウを横目に見て、口を開く。

「ソラとの鬼ごっこに、グレイス隊なんて使っちゃうんだ。社長ってば、ちょっとムキになりすぎじゃない?」
「…黙れ。今のお前に、私にどうこう言う権利は、一切無い」
「別にオレが黙る必要はないと思うよ。どうせ、すぐに喋らないといけない時間が来るんだから。
 まあ、アリスちゃんの命に関わるっていうなら、あと2時間くらいなら黙ってあげてもいいケド?」

ルカの余裕は消えていない。その姿は、まさしく人智を超えた軍事兵器たる威勢だった。

「…この悪魔め…!
 貴様の存在こそ、この世で最も唾棄されるべきモノだ…ッ!」

ジョウは苦虫を嚙み潰したような表情でルカを睨みながら、腹の底から絞り出すような声で、そう呟いた。が、ルカは、「あ、そう」と、軽く返しながら。自分の耳元を飾る、赤色の宝石のピアスを、その黒革の指先で、しゃら、と弄んだだけだった。


*****


【ヒルカリオ某所 ホテル内】

ローザリンデが部屋に入ったとき。彼女のことは、女性の警備役たちしか出迎えてくれなかった。曰く、「ツバサ様は、お風呂に入っています」とのこと。
テーブルの上には、豪華な肉料理が二人前、用意されている真っ最中で。その光景だけ切り取っても、此処に収容されているツバサが、風呂の後に、ローザリンデと共に頂く食事であることが分かった。とりあえず、ジョウが約束通り、ツバサを乱暴に扱っていないことが確認できた点に対して、ローザリンデは心の底から安心する。

ただ、別室に入れられているナオトの所に、彼の妹・鞠絵が巻き込まれているという報告も受けているので。そちらはそちらで、酷く心配でもあった。
聞けば、ナオト自身は、急に自宅へ襲来してきたジョウの部隊の隊員が、あくまで平和的な交渉をするのを、最後まで聞き、そして理解したうえで、自ら大人しく捕まろうとしていたらしい。が、それを陰で密かに見ていた鞠絵が、工作用の彫刻刀を持ち出して、「兄貴から離れろッ!!」と叫びながら、それを部隊員に向かって振り回した。結果、ナオトとのきょうだい仲が良いことを逆手に取って、鞠絵が彼への人質になること、そして、今後の外部的な危険因子となるのを防ぐ目的の、ふたつ取りで、こちらに彼女まで連行してきたようだ。

思考に耽っていると、不意に背後に気配を感じた。振り返ると、ツバサがホテル備え付けのパジャマを着て、タオルを片手に立っている。…気が付かなかった。

「意図的に足音を立てないと、大抵の一般人の背後は取れるんだって…。逆も然りで、足音をわざと立てると、簡単にひとの注目を浴びることが出来る…」
「…ルカの受け売りか?」
「ううん。これは、ソラさんからだよ」

ソラと聞いたローザリンデの表情が僅かに固くなるのを知ってか知らずか。ツバサは使用済みのタオルを、少し離れた位置にあるランドリーバスケットへと、正確に投げ入れた。…元強豪サッカー部選手としての能力の高さを、その一瞬でも、垣間見れた気がする。

「とりあえず、せっかく用意して貰ってるし、飯にするか」
「うん、それがいいよ。腹が減っては…、だから」

そう言い合いながら。食事の準備が整ったテーブルへ、ツバサとローザリンデは揃って、座ったのだった。


【同ホテル内 別室】

ソファーに座っている鈴ヶ原兄妹は、温かいココアの入ったマグカップを前にして。身を寄せ合っていた。
ただ、ナオトは今も毅然としているが、鞠絵はずっと泣き通し。自分のせいで、兄のナオトに迷惑を多大なかけている自覚があるのと。詳しい事情も知らぬままに、強制的に連行された現実が、恐ろしくて堪らないのだ。

「兄貴…ごめんなさい…、ウチのせいで…」
「大丈夫ですよ、マリー。あの部隊の方々は、元より、僕に武力的な危害を加えようとしていませんでした。でも、武器を持って、隊列を組んで、我が家へ押し寄せたという絵面は変わりません。
 それに驚いたマリーが、咄嗟に抵抗してしまうのも、あの場面では無理もなかったと思います」

ナオトは、不安がる鞠絵を慰め続ける。彼の兄として、いち心療内科の医者として、眼の前の少女を放っておくことなど、どうして出来るものか。
それに、ナオトひとりでは、此処からの脱出が叶うとも思ってはいない。彼にはルカやソラのように逞しい腕力があるわけでもなければ、ましてや高火力の武装を持っているわけでもないのだ。だからせめて、最後まで冷静さを失わないように。そして愛する妹が、これ以上、傷付く場面を防げるように。
ナオトは、思考することを、止めないでいる。

鈴ヶ原邸に押し寄せた、ジョウの部隊は。真っ先に、ナオトの継母にして、鞠絵の実母・紗枝とやり取りをしていた。その際、部隊員のひとりが、紗枝に紙袋を手渡すのを、ナオトはしかと目視にて確認している。恐らく、鞠絵はこのシーンは見ていないだろう。それがナオトにとっては一番の救いとも言えた。…何故なら。あれは『カネの受け渡し』以外の、何者でもなかったから。綺子が転売グループのメンバーたちと何度も交わしていた行為そのものが、丸ごとトレースされていた。つまり、ナオトは紗枝に売られたのだ。

普通ならば、ヒルカリオに所属する部隊が、本土にある民間人の邸宅に立ち入ること自体、諸々のルールに抵触する。秘匿されているとはいえ、政府公認の軍事兵器たるルカが元締めのレオーネ隊や、その直属の部下のソラが指揮するグレイス隊とは、全く訳が違うはずなのだ。
それならば、ジョウはどうするのか。簡単だ。『裏ルート』を作ればいい。真正面の玄関からインターホンを鳴らすのが駄目だと言うならば、裏口から入る。そして、その裏口の鍵を開けておく役割を、紗枝がカネで請け負った、ということだ。彼女の性格や、普段のナオトへの言動を鑑みるに、十中八九、「ナオトを売れ」と言われたうえで、言い値でホイホイと釣られたに違いない。

紗枝はカネだけを受け取った後、あの場をすぐに去って行った。ナオトに向かって、彼の存在そのものを見下したような笑みを浮かべながら。
…だが、紗枝は知っているのだろうか。自分の愛娘たる鞠絵が、この騒動に巻き込まれて、今この瞬間、兄のナオトに縋って、怯え泣いている現実を―――…。

(…僕だけなら、本当に良かったものを…)

そうは思えど、ナオトは鞠絵のことは決して責めない。感受性の高い10代の少女が、己の兄が見知らぬ男たちに拘束されようとしている場面に出くわして、冷静さを欠く行動を起こす。例え彼女がそのときどんな心理状況であったとしても、そうなってしまうことは、容易く想定が出来るからだ。
これはナオトが心療内科医だからできたこと、…というわけではない。他人の行動を読む、思考をくみ取る。すなわち、相手の立場に立って物事を考える、という当たり前のことさえ出来れば、誰にだって可能だ。

ジョウはカネで紗枝を買い、そして紗枝はそのカネ欲しさに、ナオトを売った。だが、その騒動に、本来ならば何の関係も無い鞠絵が、巻き込まれている。そして、怯えて、不安に駆られて、泣いている。
大人の事情、どころか、身勝手な我儘で、且つ、小汚い拝金主義のせいで。愛する妹の心が傷付いている、この理不尽な現実が。―――今のナオトにとっては、何事よりも許せない。

あの綺子にすら抱かなかった、否、抱くことすら忘れていたのかもしれない、激しい嫌悪の感情が。…ナオトの中で、静かに燃えようとしている。
時に慈愛の象徴とも言えてきた、彼のオッドアイの双眸は。冷たい怒りの炎を灯そうとしていた。


【ROG. COMPANY本社 レイジの執務室】

半休に入る前のローザリンデに『御曹司の執務室の掃除の手伝い』を言いつけられたセイラは。指示通り、レイジの執務室に立ち入って、彼と協力して、掃除をしていた。

「御曹司ー?この本、何処にしまえばいいっすかねー?」
「あー、それは…、そこの銀色のラック、見える?そこに適当に立てかけておいて。あと、その隣にあるファイルも一緒にヨロシク」
「りょっち。
 そろぼち、コーヒー、淹れるっすか?」
「え、もうそんな時間?…うーわっ、自分の執務室の片付けだけで、もう2時間経ってるとか、ありえねー…。
 ローザリンデさんが、メイドを寄越してくれて正解だわー…」

かなり散らかっていたレイジの執務室だが。メイド、もとい、雑務係として敏腕を誇るセイラと、生来、容量の良いレイジがタッグを組んだことで。掃除が開始して、2時間が経った今。室内は殆ど片付いている状態だった。後は、細かいゴミの分別と、不要な書類のシュレッダー処理が残っている程度。
ただ、この量のゴミを運び出すには、セイラひとりでは任せられないし、レイジが手伝ったとしても、時間がかかる。だったら。

「ルカ兄に、ヘルプすっかな…」

ルカ本人は来なくても。彼の命令を受けたレオーネ隊のロボット兵士くらいなら、来てくれるかもしれない。それが無理なら「無理だよ」と言ってくれるのが、ルカという男。そうなったら、また、別の手を考えればいいだけ。

レイジが内線を繋げようと、机の上の受話器を持ち上げたときだった。

「ちょっと?!勝手に入って来んなし!此処は御曹司の執務室だし!」

出入り口付近から、セイラの慌てたような声が聞こえた。同時に、複数の足音も響いてくる。

咄嗟に嫌な予感を抱いたレイジは、内線の受話器はそのまま落として。代わりに、机の上のオニキス将軍のアクリルスタンドを引っ掴み、自身のツナギの上着ポケットに突っ込んだ。もうほぼ、条件反射。
そして、セイラの制止も聞かずに、ずかずかと入ってきたのは。

「父さんの黒服か…。
 誰の執務室に、勝手に入ってきてるとか、分かってるわけ…?」

ジョウがトルバドール・セキュリティーを通さずに、私財を投じて雇っている、黒服集団だ。出所は、海外の軍にルーツを持つ傭兵たち。…要するに、ジョウの私兵だ。軽武装をして部隊として組織しているタイプもいれば、こうして一般の警備役に扮した黒服タイプが混在しており、常にジョウの周囲に張り付いては、彼の命令に応じて動く。
軍事兵器・ルカに対する、社長としての武装的抑止力、とでも言えば聞こえは良いのかもしれないが。個人の所有が許される武装勢力の規模は、とっくに超えているだろう。

セイラがレイジの隣に立ち、睨みを効かせると同時に。黒服集団の先頭に立っているリーダーが、口を開いた。

「若様、セイラ嬢。社長室まで、ご同行願います。
 どうか抵抗しないでください。おふたりに怪我を負って欲しくはありません。
 それに、おふたりが無駄なことをすればするほど、Room ELのメンバーの身に危険が及ぶ可能性が高くなることを、どうかお忘れなく」

黒服のリーダーの言葉に、レイジが軽く天を仰ぎ、溜め息を吐く。

「だってよ…。どうする?メイドさん?」
「…いや、この状況は、正直、ソッコーで諦めるっきゃないってゆーかさあ…?御曹司だって、そう思うじゃん?」

話題を振られたセイラも、溜め息と共に、両肩を竦める。…若いながらも社会の荒波に揉まれている、このふたりは。実に聡明だった。

「お連れしろ」

黒服のリーダーが命じると、後ろに控えていたその他の黒服たちが一斉に動き出す。レイジとセイラを、確保するために―――…。


*****


【ヒルカリオ某所 ツバサの収容ホテル室内】

実に美味な肉料理を食べ終えたツバサとローザリンデは、食後の紅茶を飲んでいた。デザートに、チョコタルトまでついている。
至れり尽くせり。とても自分が強制的に拉致された身とは、ツバサは思えなかった。だが、事実は事実。そこは揺るがない。

ティーカップに残った亜麻色の紅茶を見ながら、ローザリンデが口を開いた。

「ツバサは、ルカの軍事兵器としての能力って、知ってるか?」
「ううん。私は何も知らないし、想像も出来やしないよ」

ローザリンデの問いに、ツバサは首を横に振る。そのような話は、ルカ本人からも聞いたことがないし、ツバサ自身とて詮索する気も起きなかった。
ティーカップをソーサーへと静かに置いたローザリンデが、組んだ指先に顎を乗せて、語り始める。

「ルカの手に直接触れたモノの物質を、ルカの任意の物質へと変化させて、絶対的に破壊、ないし、全くの別物へと変換させる能力…。
 古い時代の人間たちは、『同調変換(どうちょうへんかん)』と、名付けたらしいぜ」
「…どうちょう、へんかん…」
「ルカがいつも手袋をしているのは、直接触れたモノ全てが、自分の能力で、破壊と変化を強制されるからだ。
 強制って言っても、制御不能になってるってワケじゃねえ。ただただ、軍事兵器としての抗えない性(さが)なんだとよ。まあ、おれたち人間が、無意識に呼吸してんのと、ほぼ同じだな」
「ルカのその能力が影響するのは、人間も対象なの?」
「ああ。ルカの手が触れたモノは、何であれ等しく、ほぼ100%の確率で、ルカの同調変換に影響を受ける。…世界で、たったひとりの存在を除いては。
 それすなわち…―――」
「―――…ルカのホルダー。…つまり、この私…」
「ああ、そうだ。ホルダーとなる人間が、その登録の際に、ルカにDNA情報を渡す必要があるのは。アイツの同調変換の影響を、避けるため。
 つまり、ルカに学習させるんだよ。『このDNA情報、すなわち、これと同一の物質情報を持った人物を、絶対に壊すな、殺すな』って…」

そこまで聞きながら、ツバサは、ティーカップの中身を飲み干した。空になったそれをソーサーに置いて、今度は自分から問いを投げる。

「触れたモノの物質を分析して、絶対的に破壊する…。でも、ローズは同調変換のことを、『変化』とも言ったよね…?
 触れたモノを、別の物質へと完全に変化させることが出来るなら、何もルカを破壊一辺倒のように扱う必要もないんじゃないのかな…?」
「確かに。究極の破壊のチカラ…、されとて、裏を返せば、万物を創造するチカラにもなりえる。だからこそ、時の政府は、ルカを世間から秘匿する責任があり、そして常に危険視して、且つ、監視する体制が必要なのさ。
 …だって、考えてみな?その辺のただの石ころが、ルカの気分次第で、金塊にだってなるんだぜ?
 それを悪用する輩が出てきて、万が一、そいつがルカのホルダーに収まってしまったら?
 石ころが金塊に変化し続けたら、たったひとりの欲望のために、世界経済そのものが『破壊』されるんだよ」

此処まで聞けば、あり得ない話ではない。ルカの持つ『同調変換』という能力は、それだけの危険性を秘めている。ということが。

「まさに、人類の夢と脅威を併せ持つ、諸刃の剣…。
 その暴走を防ぐための『盾』が、現在のホルダーであるツバサ…、オマエなんだよな…」

ローザリンデはそこまで言い切ると。はあー…と、深い、深い、溜め息を吐いた。そして。

「なあ?ツバサ…?
 おれ、オマエのこと、信じてもいいよな…?」

と、ツバサを見て、呟くように問うた。その声音は、あの勝気な性格のローザリンデとは思えぬほど、酷く弱々しいもので…。

ツバサはそんなローザリンデの左眼と、己の緑眼をしかと交叉させて。

「うん、いいよ」

…そう、答えたのだった。


*****


【ROG. COMPANY本社 社長室】

何かがおかしい、と、ジョウが思ったときは。もう、遅かった。

ドタバタと社長室へ黒服のひとりが騒がしく入ってくるなり、報告する。

「社長!テイスワート邸に軟禁していた凌士氏が、ゆ、行方不明になりました…!」
「なんだと?!見張りは何をしていた?!そもそも、一体、誰の手引きだ?!
 凌士氏はひとりで逃げ出せるような容体ではないはずだぞ!」
「わ、わかりませんッ!見張りの黒服が、少し目を離した隙に、いつの間にか消えていて…!
 あ、あと、テイスワート邸に派遣していた黒服の人数が、ひとり合わないという報告も上がっております…!」

ローザリンデを暗躍させるために人質に取っていた、彼女の兄・凌士。だが、凌士は消えてしまった。彼は病弱な体質ゆえに、テイスワート邸に軟禁さえすれば、何の害にもならないはずだと…。
いや、待て。今、たったひとりのイレギュラーが。ジョウの計画外で、勝手に動き回っている駒が、ひとりだけ、いるではないか…―――!

「――――…まさか、ソラ…ッ!?」

そう慄きながら言ったジョウの脳裏に、ソラの冷たい翡翠の視線が想起した。

あの男なら、出来る。やられてしまう。ソラならば、自分の身を隠しながら、包囲網の敷かれたテイスワート邸から、凌士ひとりを連れ出すくらいは、簡単にやってしまう…!

それならば、先んじて拉致・隔離したツバサやナオトだって―――…?!

―――途端に、ジョウの警戒心が一気に高まった。ジョウは、黒服に怒号の命令をまき散らし始める。

「もうこれ以上、ソラを野放しにしてはいけない!こちらの被害がどんどん拡大していくぞ!
 ソラを捕まえろ!!早く捕まえてこい!!でないと―――」



「―――でないと?
 俺を早く捕まえないと、次に貴様は何をする気だったんだ?」



真冬の吹雪を思わせるような、冷たい、冷たい声。

片手に愛用のバトルアクス。もう片方の手には、テイスワート邸に配備していた黒服のひとり(既に気絶している…)を引き摺って。
ソラは、社長室に、ゆっくりと入ってきた。

ジョウに報告していた黒服が、懐から拳銃を取り出して構える。が、そんなものは知らないとばかりに、ソラはずんずんと距離を詰めてくるだけ。片手に引き摺っていた、気絶した黒服を放り捨てるように投げてから、両手で改めてバトルアクスを構える。

「お望み通り、来てやったぞ、前岩田社長。
 
 ―――俺こそ、ルカ三級高等幹部専属秘書官、ソラだ。
 
 武装集団まで引っ張り出して、散々と追っかけ回してくれて、…そんなに焦がれた俺に、此処で逢えて嬉しいか?
 ちなみに俺は、全く、嬉しくない」

ソラの放つ驚異的な威圧に、拳銃を構えている方の黒服は、ガタガタと震えあがっていた。引き金を引く、という行為そのものが、到底、出来るような精神状態では、既になくなっている。

「退け、三下。此処は貴様が介入できる戦場ではない。さっさと下がれ」

ソラがブリザードの如きプレッシャーのままに、黒服にそう言い放つと同時に。ヒィィィッ!!と情けない悲鳴を上げた黒服は、持っていた拳銃を捨てて、その場から一目散に逃げだした。

入れ替わりに、電動車椅子を操作した凌士が、文字通り、ゆっくりとした速度で。社長室へと入ってくる。

「ご無沙汰しております、前岩田社長。妹共々、お世話になっております」

凌士のそう言う口調こそ、柔らかいものの。その表情は、激しい怒りを隠しきれていない。

顔色を悪くしたジョウと、彼を見据えるソラと凌士。

そして。
今までの一連の流れを沈黙で見守っていた、ルカは。

ふ…、と音もなく。口角を上げて、微笑んだ。


―――…真の反逆の旗印は。もうすぐ、此処に…―――



to be continued...
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