第五章 BLESSING from Deep Blue

翌日の朝。休日には珍しく、アラーム一発目で起きたツバサは、ソーシャルゲームのログインとデイリークエスト消化の傍らで、ルカとやり取りをしていた。
早退した昨日から、一晩が経った段階で。ツバサが自分の心身の何処かに異常を感じていないかを、ルカにヒアリングされている。だが、ツバサから、それに関して報告することは特になかった。
異常がないなら、それで構わない。むしろ安心した。今日はゆっくり休んでね。という旨のメッセージを受け取ったのを最後に。ルカからの呼びかけはストップした。自分が知りたい情報さえ掴めれば、後はそちらが好きにすればいい、の、如何にもルカらしいスタンスが垣間見える。

ルカはツバサに対して『溺愛』と『寵愛』の感情は見せているが。決して、『過干渉』や『過保護』にまで発展はしてこない。ただし、此処の線引きをどう捉えるかは、あくまで当人同士の解釈であり。引いては、双方の関係性の現れであるにして。全くの第三者からルカとツバサがどう見えているのかは、ふたりのあずかり知らずとも言えた。要するに、「自分たちの仲を勘違いしたいなら、勝手にしておけばいい」と、ルカとツバサは揃って主張している。ということ。

閑話休題。
ツバサは洗面所に移動して、朝の洗顔とスキンケアを施す。休日は、街中に出掛けるような用事さえなければ、化粧はしない主義だ。どうせ。普段から限りなくノーメイクに近いナチュラルメイク。印象など、変わりはしないと思っている。

それから、朝ごはん。冷凍保存していた、海苔としらすとチーズを乗せたトーストを焼いたものを、2枚。次に、昨日、買い求めて、残りひとつになっていた、きぬやのお出汁をレンジで温め直した。冷蔵庫の中に賞味期限の近いヨーグルトを見つけたので、そちらも出した。
それらを今朝のニュースを私用のタブレットで流しながら、ゆっくりと食べる。
…食べ終えてからは、すぐに食器諸共、台所を片付けた。朝ごはんの途中に漂っていた思考の海で、やりたいことが決まったのだ。


――――…。

お昼に差し掛かった頃。
ツバサの部屋には、オーブンの中で焼きあがりつつあるキャロットケーキの、幸せな匂いに包まれている。生地にたっぷりと混ぜ込んだシナモンの良い香りもしていた。無事に焼き上がったら、是非とも、温かいお茶と一緒に楽しみたい。
オーブンのタイマーは、焼き上がりまでの時間を、10分33秒と表示している。今からゆっくりと茶葉を選ぼうと、棚を覗き込んだときだった。
100円ショップで買ったスタンドに立てかけていたスマートフォンが、着信を告げる。ルカかな?という瞬間的な予想は、すぐに切り替わった。…ローザリンデだ。
何度かメッセージのやり取りはしたものの。個人的な通話は、初めてだ。…正直に言うと。ツバサがローザリンデと、ふたりきりで会話をしていると、…あのソラが、あまり良い顔をしてこないのだ。勿論、彼から理不尽に怒られたりはしない。だが、妙に会話の内容に突っ込まれるような質問を飛ばされることが多い。女性ふたりの会話なので、あけすけなことは答えないし、ソラ自身も、ハラスメントに抵触するようなことはしてこないが。それでも、無言でソラがこちらを気にしてくる理由に、ピンとこないのが本音である。

そんな風につらりと考えているうちにも、ローザリンデからの着信は鳴りやまない。何処かの映画で見た。「30秒以上のコールを鳴らし続ける相手は、こちらと話したがっている」と。オーブンのタイマーは、9分58秒。『受信』をタップしてから、即座にスピーカーに切り替える。

「はい、ツバサです」
『こんにちは。おれだ、ローザリンデだ。ツバサ、今、忙しかったか?』
「ケーキの焼ける様子を見ていたから、そちらに気を取られていて…。何か、ありましたか…?」

やはり、ローザリンデはツバサと話したがっていた様子だ。用件を聞きだすことにする。

『いや、おれ、今日は半休だからよ。ツバサを誘ってランチを、って思ったら。オマエが有給を取ってるってソラから聞いちまったもんで、つい、心配になっちまって…』
「少し疲れていただけなので。…それで、ランチですか?」

ツバサには妙案がある。しかし、手札はすぐには明かさない。ローザリンデたる女性が、一体、どれほどのレベルで自分に用事があるのかも、知りたい。

『ああ、もし良いなら、って、ケーキ焼いてるんだっけ?ごめん、それなら、また今度にしよーぜっ』

今だ、と思った。瞬間、ツバサは手持ちのカードを出す。

「私の部屋で良かったら…、焼き立てのケーキで、一緒にお茶しませんか…?」
『え、いいのか…?
 …あ!じゃあ、星屑大通りに出店してる、カフェ・ステラのサンドイッチ、持ち込ませてくれよ!ツバサ、好きな具があったら言ってくれ!』
「私はステラオリジナルのテリヤキチキンたまごサンドさえあれば…。あとは、ローザリンデさんにお任せします…」
『よっしゃ!このローザリンデ様に任せな!
 じゃあ、ツバサ!お前んちに近くなったら、また連絡する。おれ、とりま、もう打刻しないといけねぇからよ』
「はい、お待ちしております」
『また後で!』

ばたばたとしている様子で、ローザリンデは通話を切った。ROG. COMPANYでは、半休日に、余計な残業は許されない。彼女はギリギリまで粘っていたのだろうか…。

そう考えながら、ツバサはオーブンの中を再度、確認する。キャロットケーキはふんわりと膨らんでいっている。これは成功の予感しかしない。
お茶はローザリンデが来てから選んで貰えばいいし。昼ごはんには、星屑大通りで大人気のカフェ・ステラのサンドイッチが持ち込まれる。

ツバサは、無意識に、上機嫌だった。


――――…。

「いや~、ごめんごめん。急に上がらせて貰っちまってよ」

そう話すローザリンデは、あのオフィス仕様の華やかなドレススーツからは、さすがに着替えていて。カラーシャツ、コットンパンツ、ジャケット、マフラーという出で立ちでやってきた。ツバサが来客用にと、半ば持て余していた座椅子に、これも余らせていたクッションを敷いたものへと、寛いで座っている。

「いいえ、別に。ローザリンデさんには、会社でも良くして頂いていますし。何より、女同士ですから…」
「…、…。」

ツバサがキャロットケーキを切り分けながら、そう淡々と答えた背中を、ローザリンデは違和感のある沈黙で見つめた。それに気が付かないツバサでもない。そして、ローザリンデが何を要求したいのかも、何となく把握している。前々から、その枝先を、彼女は覗かせていたから。

「気になりますか?敬語が…」
「…見抜いてるのに、イジワルすんのかよ…。ルカにそっくりじゃねーかぁ?ツバサ?」
「…まあ、彼の傍にいるのは、それなりに振る舞わないと。すぐにおかしな目で見られちゃうから…」
「ハハッ、違わねえ。
 おれのことは、ローズでいいぜ。…、昔も、オマエはそう呼んでくれていた。今はもう、ソラとお兄様ぐらいしか、親しみを込めて呼んではくれなくなった」

見抜き、種明かしされれば。後は、女同士。気の置けない空気になる。

ツバサは、切り分けたキャロットケーキを乗せた皿と。ローザリンデが「任せる」と言ってきたおかげで、直感で選ぶことになった紅茶を、揃って出した。

「へえ、良い香りのアールグレイだなあ。
 ツバサ、ミルクが欲しい」
「温めた牛乳でいいかな?」
「勿論。ツバサの淹れるミルクティーと言えば、牛乳だよ」

ローザリンデが当然のように言う。ツバサは事前に用意していた牛乳を持って、彼女の向かい側に座り、口を開いた。

「ローズの中には、私の知らない私が、たくさんいるみたいだね…。今日は、その話をしに来たの?」
「…、ああ、まあな。
 社長から、ツバサの過去の話の一部を聞いただろ?だから、この辺りで、おれの視点の話をしても良いんじゃねえかなって思ってさ。…大丈夫そうか?」
「うん、平気。むしろ、ありがたいまである。今は、色んな情報が欲しいから…」

案の定。ローザリンデは、タダで食事に誘ってきたわけでもなければ、それの代替案に乗っかってきたつもりも無いらしい。諸々のタイミングを考えれば、何であっても分かる。

「おれたちが最初に出逢ったのは、ツバサが15歳、おれが18歳のときだ。ツバサは聖クロス学園の女子高校生で、おれは星ノ河大学に通う現役大学生」

ローザリンデの話は、ツバサにとって初めて聞く内容だった。それすなわち、記憶が曖昧になっている部分ということ。ローザリンデが続ける。

「出逢った場所は、他でもない、…ROG. COMPANY本社の直営物販コーナーの…、隣に併設されていたトレーディングスペースさ」
「トレーディングスペースといえば、転売対策で設営されている、あれ…」
「ああ。直営物販で購入したブラインド販売の商品を、そこで正式に交換や譲渡が出来るっていう、あの優れもののスペースだ。
 おれは、ツバサから、こいつを譲って貰ったんだぜ?」

ローザリンデはそう言うと、鞄からアクリルキーホルダーを取り出した。セイラが仮眠室のベッド下から発見して渡したもの。そして、ツバサが後生大事にしている、あのヴァイオレットの不思議の国のアリスコラボ商品のラインナップのひとつ。ローザリンデが持っている柄は、プリンス・サファイアだ。

15歳のツバサが直営物販に行った思い出は、仄かにある。というか、忘れもしない。何を隠そう。彼女は不思議の国のアリスコラボのヴァイオレットの柄を自引きしたのだから。
…だが、それ以外のこと、となると。やはり思い出せない。が、どうやら、ツバサはトレーディングスペースで、ローザリンデにプリンス・サファイアを譲ったようだ。

「ツバサは、このアクキーを5個買って。ひとつを最推しのヴァイオレット、ルビーがふたつ、残りがサファイア、トパーズ、っていう神リザルトだったんだ。
 一方で、おれはサファイアが欲しくて、20連したってのに…、ルビーが7つ、トパーズが5つ、エメラルドが8つ、っていう大爆死状態でよー。
 だからトレーディングスペースに行ったんだけど…、でも、サファイアは当時からもうヒーロー側ではレートが一番高くて、誰にも交換して貰えなくてさ…。嘆いていたら、ツバサ、オマエが話しかけてくれたんだ。「私の引いたサファイアさんで良ければ、お譲りします」って。…覚えてるか?」

ローザリンデは徒然と語ってくれる。だが、思い出話の花にしては、些か色褪せても見えた。何故なら、やはり。

「自分が物販でアクキーを買ったことや、ヴァイオレット様を引いたことは覚えているけれど…。その後、トレーディングスペースでローズと逢ったことや、そこでサファイアを譲ったこととかは、何も覚えてない…」

…ツバサ自身が、肝心の部分を覚えていないから。彼女の昔話の中に、ローザリンデは何処にもいない。ツバサの返答を聞いたローザリンデの顔色が曇る。だが、ツバサには
覚えていなくても、感覚として分かっている部分があった。それを眼前の彼女へ告げてあげるのが、きっと最善の一手なのだろう。

「覚えていなくても、私にも確かに『友達』と呼べるひとがいた気がしてるの…。それが、ローズだったのかな…?」

ツバサが、心中で覚えていた確信めいた予感。それを告げられたローザリンデの左眼が輝く。

「! 本当か…?!
 オマエが『友達』って思えた相手が…、おれが、ちゃんとオマエの記憶の中に、いたかもしれないのか…?!」

今にも泣き出しそうな声で、ローザリンデはそう言う。ツバサはそれを受けて、しかと頷いた。そして、ツバサがキャロットケーキにフォークを入れようと、皿に目線を落としたとき。

「――――…ローズ、食事中だよ?」
「…ああ、それがオマエの最後の晩餐にならないように、おれだって頑張るつもりだぜ…」

ツバサの視線が上がる。その先にあったのは、女性でも扱えるように小型に改造された拳銃の先を、こちらに向けているローザリンデ。その左眼は、やはり何処か、泣き出しそうな感情。
ローザリンデを真っ直ぐに見据えながら、ツバサは口を開いた。

「行き先は?」

驚くほど、冷静な声。まるで、このシーンそのものが、他人事のよう。ローザリンデが答える。

「安心しな。ツバサはルカのホルダーだから、決して乱暴にはしないし、部屋だって風呂とトイレと食事、おまけにアフタヌーンティーまで完備されている、超VIPルームを用意させたよ」
「そっか…。じゃあ、仕事用のお洋服とスカーフと社章バッジだけは、自分で用意しないといけないね…」
「ああ、そうしてくれ。だが、おれも長くは待てない。外で待機してる『運び屋』たちは、もう大分、焦れてるんじゃねぇかな?」
「分かった。すぐに用意するね」

ツバサは今から拉致される己の境遇を、実に冷静に悟っていた。そして、それに加担しているローザリンデの事情も、自分の視点からだが、何となく察知する。彼女はきっと、自ら望んで悪事の片棒を担ごうとはしていないはず。だが、それを今ここで言及する気にはなれなかった。何はともあれ、今は『連れて行って貰うしかない』。

ツバサは、よっこいしょ…、と立ち上がって。銃口をこちらに向けたままのローザリンデに背を向けて、クローゼットの扉を開けたのだった。



to be continued...
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