第四章 Fold The Hidden FLAG

【ROG ドリームランド専用クルーズ船 レンデロール号】

リハーサルを終えたレイジは、船内の控え室に戻っていた。警備には、一旦、下がるように指示する。
そして、ひとの気配を感じなくなった途端。レイジはソファーに腰掛けてから、大きな大きな、溜め息を吐いた。

「やっぱり…、名簿でピックアップされてた『ツバサ』って…、…ツバサのことだよなぁ……」

そう零しながら、今一度、ジョウに渡された、クルーズ船のショーの顧客名簿を確認する。ピンク色の蛍光マーカーが引かれた欄は、確かに『ツバサ』と明記されており、彼女の番号である『134番』が記されている。ついでに、抽選番号と並んで、年齢、性別、生年月日まで書き込まれている。何となく、その羅列を眺めながら、レイジは思考を張り巡らせた。

マーカーが引かれたツバサの欄の上は『ルカ』とある。十中八九、あのルカしかいない。チケットの番号もツバサのものと連番になっている。だが、当然ながら、ルカの欄に年齢と生年月日は明記されていない。
ショーの顧客名簿に載る順番は、チケットの当選順になっている。団体で申し込めば、代表者が一番上になり、後は連番でチケットが発行される。何気なく見やれば、連番のチケットが複数、表示されていた。中には、今日が誕生日のひともいる。

…ということは、ツバサのチケットは、ルカが用意したのだろう。…まあ、あの男の場合、役員報酬として、当選の権利を秘書課あたりから融通して貰った可能性も、捨てきれない。と、レイジは考える。

「ま、それくらいのご褒美がないと、やってらんないよな…。史上最強の軍事兵器、なんてさ…」

レイジはそう呟いた。お察しの通り、レイジは、ルカの事情を知っている側の人間だ。ルカを閉じ込めるために造った会社の社長の息子。知らない方が無理、ということである。ルカが「レイジの格闘技の相手をしていた」と言う頃から、彼はルカ本人と、自分の教育係より、ずっとルカのことを言い含められてきた。そして、そのルカを繋ぐ檻の役割を持つ、ROG. COMPANYの社長を引き継ぐことの意味も、ずっと、ずっと、聞かされてきた。

まあ、そんなことは。今のレイジにとって、些末なことだ。今、彼が向き合うべきことは―――…

マーカーが引かれたツバサの名前を、もう一度、見やる。
ショーの後の抽選には、彼女が当たるように仕組まれていて、それはレイジの実父であり、ROG. COMPANY現社長・ジョウの指示で行われている。…、誰も覆すことは、出来ない。
抽選のプレゼントは、限定の記念品が贈呈される。

レイジは、ツバサのことは、信頼しているし。友達としても、同じプリテトヴィラン推しの同志としても、普通に好意的なひととして見ている。

もし、このまま、抽選を執り行えば、間違いなく、ツバサは今日のショーの、最後の主役になれるだろう。彼女の笑顔が見られるだろう。推し概念のドレスを着て、ルカに最高のエスコートをして貰って、最推しのショーを観た後で、抽選会に当たる。途轍もない、最高の思い出になることだろう。―――…しかし、それを演出するための、最後の抽選会は、真っ赤な嘘だらけの、八百長で―――…。

名簿の紙に、グシャッ、とシワが入ると同時に。レイジは、ギリ…、と奥歯を噛んだのであった。


――――…。

『―――事前にご案内しました通り、ペンライト、サイリウム、応援うちわなどの使用は、本日はNGとされております。ですが、その代わり、皆様からの声援をヒーローたちへお届けください!』

ショーが始まる前に、司会から説明がなされている。それを粛々と聞きながら、ルカは自分の席から周囲を観察していた。
身丈の大きなルカは元より、ドレスアップしたツバサが、きっと良くも悪くも目立つ、と踏んだルカは。一般の客の視界に入りづらい、そして、そちらを邪魔しない程度の席を求めていた。プラチナチケットなら、一般席とは視界が被らず、且つ、ステージが良い角度で眺められる。警備も、必要以上にいらない。ルカが最初からプラチナチケットを求めたのは、そこに理由があった。秘書課から「役員報酬として、当選の権利を融通する」と聞いたとき、ルカが真っ先にプラチナチケットを要求したのも、それを見越していたから。
ツバサの幸せそうな笑顔が沢山見られたこと以外。全部、自分の計算尽くしのデートプランだったのだが。…、まさかのイレギュラーが、現時点で、発生している。

このレンデロール号のVIP席に、ジョウが座っていること。それは、ルカにとって少々、予想外のことであった。
普通なら見えない位置にあるVIP席だが、ルカは史上最強の軍事兵器にして、このヒルカリオの全てを誰よりも知り尽くした存在。レンデロール号のセキュリティーシステムを通して、ジョウが乗船してきたことくらい、その瞬間に、秒で把握が可能である。そして、ジョウがこの場に現れていることで、レイジの身に何かが起こっていることも、また、想像に難くないのであった。

そのとき、不意に、ルカは、ツバサの視線が。一般席にいる、家族連れの団体客の中に向けられているのが分かった。何事かと自分も見やれば、…何てことは無い。小さな子どもたちが、プリンス・テトラのキャラクターのコスプレをしていたり、変身や武器の玩具を掲げていたりと、しているだけ。ツバサの目は、微笑ましいものを見るそれだ。ツバサの優しい一面を垣間見たルカは、またひとつ、彼女について知ることが出来た。



ショーの筋書きは、シンプルなものだった。
このレンデロール号に、プリンス・テトラの筆頭格である、プリンス・ルビー、プリンス・サファイア、プリンス・トパーズの三人が遊びに来て、会場にいる皆へ何気ないトークに扮した、交通安全への啓発をする。すると、そこへ。ヴァイオレット率いる悪の軍団が襲来。観客を人質にしたヴァイオレットは、プリンス・テトラが護る、世界平和を司る宝物『フラワージェム』の引き渡しを要求する。というもの。
悪魔のように冷酷なヴァイオレットが、観客の命を何とも思っていないことなど分かりきっているプリンス・テトラは、泣く泣く、フラワージェムを引き渡した。…かに思えたが。実はそのフラワージェムは、本物そっくりの偽物。いつかヴァイオレットが、こういう作戦を打って出てくることを予想したプリンス・テトラが、前々から用意していたものだったのだ。冷酷な悪役だが、正面から戦わない真似事を嫌うヴァイオレットは、プライドを傷付けられて怒る。…が。
ヴァイオレットは、剣を収めた。彼は冷酷無比な男だが、自分の美学に反する闘いはしない。故に、プリンス・テトラが真正面から打って出ないのならば、自分もまた去るだけ。
そう言い残して、袖に消えたヴァイオレットには、観客の惜しみない拍手が送られた。そして、プリンス・テトラは、ヴァイオレットを退けたこと、結果的に、観客の命を守れたことは良しとしても。彼が大切している美学やプライドを傷つけてしまった事実を、少しばかり、後悔するのであった――――…。

目を輝かせて、食い入るようにショーを観劇しているツバサを見守りながら。ルカは、次に来るであろう演目を待っている。そして。

『皆さま、本日は何と!サプライズゲストがいらっしゃっています!お呼びいたしましょう!
 プリンス・テトラのグッズを販売している玩具会社!そう皆さまご存じの、ROG. COMPANYの社長令息!前岩田レイジ様でございます!レイジ様、どうぞ~!』

社長令息、という言葉にルカとツバサ以外の観客がどよめく中。舞台の袖から、白色と水色を基調にしたスーツを着たレイジが歩いてきた。伸ばした背筋も、浮かべた笑顔も自然なそれであり、とてもとても、普段のダウナーな様子は見受けられない。
レイジのその姿を見たルカは、フッ…、と、音も声も無く笑って。薄紅を引いた唇の端を、小さく上げたのだった。


用意した原稿の通りのスピーチをしながら、レイジは頭の中をフル回転させていた。
八百長に加担はしたくない。だが、もう覆す手が無い。それに、ステージ上からは見えるVIP席には、確かにジョウが座って、こちらを凝視している。逃げられない。このままスピーチが終われば、抽選会が始まり、レイジは用意された番号札を読み上げる。選ばれるのは、ツバサだ。

レイジはスピーチをしながら、会場にぐるりと視線を回した。そして、ん?、と、とあることに気が付く。
家族連れの団体客がいる。大きなテーブル席を、ふたつほど使っているようだ。その瞬間、顧客名簿の内容を思い出す。
団体客にチケットが当選した場合、応募した代表者が一番上に来て、その後に続くのは連番。代表者の年齢は、29歳だった。その後に続いた年齢層も、そこから2~3年ほどのズレがあったくらい。そうか。あの団体客は、あの家族連れのグループだったのか。

そこまで考え至って。レイジの頭脳に、何かがスパークした。

――――…そうだ!そうすればいいのか…ッ!!

天啓に導かれたレイジは、己の口元が不自然に緩むのを、何とか堪える。
そして、さり気ない仕草を装って、自分のスーツの左胸に手を当てた。固い感触。懐にオニキス将軍のアクリルスタンドが畳まれて、忍ばせてある。

(将軍、俺、やってみるよ…!)

間も無く、スピーチが終わった。司会が抽選会の始まりを告げると、会場中が湧きたつ。誰が当たるのか。自分が当たってくれるのか。皆が皆、浮足立っている。
その中を、レイジにしか見えないVIP席から、ジョウが冷たい眼で、彼を射抜いていた。レイジは一度だけ、ジョウと視線を合わせてから。すぐに逸らした。

袖から出てきた抽選用の箱に、レイジが手を入れる。紙が一枚だけしか入っていない。これが、ツバサが持つ『134番』だろう。レイジが箱から紙を引っこ抜く。自分にしか見えない位置で広げて、ステージ上から、会場の皆々に、笑顔を向けて。
レイジは、高らかに、番号を宣言した。

「――――『34番』のお客様!おめでとうございます!
 『34番』のお客様!ステージまでお越しください!」

どよめく会場の一角。そして、違う意味での騒ぎが、スタッフがひしめく袖でも起こっていることを、レイジは感じ取った。だが、もう止められない。

レイジは『134』の1の部分を、自分の長い指で隠して、会場に番号を見せつけた。何も見抜けない観客たちは、レイジが数ある番号の中から『34番を引き当てた』と、心から信じ切っている。そして、その34番のチケットを持つのは―――

―――プリンス・テトラのルビーのシャツを着た少女と、その随伴の父親だった。

親子連れで、スタッフに誘導されるまま、ステージへと上がってくる。

照れる父親と、目をキラキラと輝かせて喜ぶ少女。レイジは、少女に片膝をつく形で視線を合わせた。

「おめでとうございます。お名前を教えてください」

レイジがそう言って、マイクを向けると。少女が、「のえじまえなです!」と元気よく発した。微笑ましい光景に、観客内に暖かい空気が満ちる。

「えなさん、プリンス・ルビーがお好きですか?」
「だいすき!ルビーは、えなのおうじさまだから!」

少女・えなの声は、マイク越しに、会場中によく通った。袖でザワついていたスタッフの動きを、レイジは感じ取る。そして、耳に着けたスタッフ用内線に『プリンス・ルビー、用意できました!若様のサインで、出します!』と聞こえた瞬間。レイジは、えなに質問を投げた。

「レディに対して失礼ですが、えなさん、いまおいくつですか?」
「えなは今日で4さい!」
「え?今日がお誕生日ですか?」
「うん!」

えなの答えを聞いて、レイジは己の精神が昂るの感じた。此処までやれる、此処までやれた。もう後は、旗(フラグ)を振り上げるだけ。

「あれ?どうしたんでしょうか?向こうが、少し、騒がしいですね?」

レイジは白々しくならない程度の演技で、そう言いながら袖を見やった。内線に『ルビー、GO!』という声が上がる。その瞬間。

えなの後ろ、舞台の袖から。プリンス・ルビーが、出てきた。突然のことに会場は沸き、その声を聴いたえなの父親が気が付き、娘を振り向かせる。途端、えなは、プリンス・ルビーに向かって、小さな腕を目一杯広げて、振り始めた。プリンス・ルビーは、その手に持っていた抽選会限定のグッズを、えなに直接、手渡す。

「えなさんのために、プリンス・ルビーが駆け付けてくれました!皆さま、この最高の瞬間に、拍手を!」

レイジが会場に向かって言うと。感動に巻き込まれた観客たちが、一斉に立ち上がって、拍手を送り始めた。


――――今日が誕生日の少女が抽選に当たり、その子が推しているプリンス・ルビーが、サプライズでやってくる。


半分は、レイジの筋書き。もう半分は、レイジの予想に反したシナリオ。だが、これがいい。こうでなくては。

ジョウが顔色悪く、VIP席を降りて行くのを、ステージ上から見止めたレイジは。…次なる旗を振り上げに行く決意を、改めて固めたのだった。


*****


「なんてことをしてくれた!!??私の面目を潰す気かッッ??!!
 まんまとレイジの幼稚なアイデアに乗っかって!!それでもお前たちはプロのイベント屋なのか??!!我が社に採用されている自覚はあるのか??!!」

ジョウの怒鳴り声が轟いてくるのを、聞きながら。レイジは廊下を全力疾走してきたのをそのままに、勢いでスタッフ専用の控え室の扉を開けた。

「ノックくらい――――、レイジッ!!お前という奴は!!何ということを!!!この馬鹿息子め!!!!」
「そんなに俺が気に入らないなら、スタッフさんたちに当たり散らすなんて、やめろよ。てか、こうなったのって、全部、父さんの信用問題なんじゃないの?」
「何を言っている?!レイジ!!明日からお前はもう―――」


「―――明日からお前はもう、…――レイジをどうするつもりなの?ねえ?社長?」


ジョウがヒートアップしそうになったところで、レイジの後ろから、聞こえて欲しくない声が聞こえた。艶のある低い声。――――ルカだ。

ルカは、ツバサを伴って、ゆっくりと室内に入って来た。レイジの隣を陣取り、文字通り、ジョウを見下ろす。

「レイジと、今日のスタッフたちから聞いたよ?今日の抽選会、アリスちゃんが当選するように操作してたって。
 レイジには指示が入った顧客名簿が渡っているし、スタッフたちにも社長が直々に言い聞かせている映像も、オレがセキュリティーシステムから押さえてる。
 で、此処までで、何か言い訳はある?」

ルカがそこまで言い切ると、ジョウは怒りで赤くしていた顔を、今度は青くして。しかし、社長としての矜持を保つためと、毅然と返した。

「これは極めて高度なビジネスに値することであり、社長の私が下した決断は―――」
「―――あ、そういうの、いらない。
 社長が今回の八百長案件で、何をやりたかったのかだけ、オレに簡潔に教えてくれる?」
「…と、申しますと?」

ジョウの答えに、ルカは満足しない。ルカは、ジョウへ追撃をかける。

「質問を質問で返すとき、ヒトは大抵、答えを持っていない。つまり、社長は、今回の八百長に対して、大した信念は抱いていない、というコトで帰結して良い?」
「! で、ですからッ!これは極めて高度なビジネ―――」

「―――うっせぇわッ!!!!この馬鹿親父ッッッ!!!!」

その怒号と共に、ジョウが横へと吹っ飛んだ。ルカ以外の皆が驚いて、見やると。そこには、ハーッ!、ハーッ!と息を荒げ、拳を突き出した状態で、殴られた頬の痛みに呻いて転がるジョウを、見下ろしているレイジの姿が。

「れ、れい、じっ…!な、なにをするっ…!わたしは、ちちおやだぞっ?!」

頬が腫れた影響で、上手く回っていない呂律のまま、ジョウがレイジを見上げながら、訴える。が、レイジは実の父親を殴った右手で、己の左胸の上着を掴みながら、口を開いた。

「いい加減にしろよ!!でっかい会社の社長だからとか!!選ばれた人間だからとか自称して!!見ててイタイんだよッ!!
 ルカ兄のご機嫌取りのためだけに、八百長しようとしたり!自分のメンツのために俺や此処のスタッフさんたちを駒のように利用したりしてさ!!ふっざけんなよ!!俺たちにだって、この会社にいる以上、此処で働こうと決めている以上、信念があるんだよ!!それを踏み台にして良いとかナチュラルに考えてるなんてマジねえわッ!!キモすぎだろッ!!
 大体、なんだってッ?!都合の良いときだけ父親ヅラしやがって!!普段は俺の、いや、俺と母さんのことなんて見向きもしなかったくせにッ!!てか、母さんが愛想尽かして出て行くまで、俺のことすら構わなかったくせに!!今更、自分が父親とか抜かすなッッ!!!!
 俺のことを此処まで育ててくれたのは間違いなく、俺が赤ん坊だったときから見守ってくれてる現在なうの、このルカ兄だっつーのッ!!!!」

張り裂けるようなレイジの怒号が、響き渡る。イベント担当のスタッフたちの目に、涙が溜まって行く。

「今日のような、エンターテインメントを踏みにじるような愚行、もう二度とさせねえッッ!!
 ROG. COMPANY 十二級高等幹部として、俺が定期的に!きっちり!このクルーズ船のショー関連のマネジメントの全部に!監査をいれてやるよ!!
 こんなくだらねえ八百長を横行させようとするアンタには、もう此処は任せられねえわッ!!」

レイジは高らかに宣言した。その瞬間、イベント担当のスタッフたちから「若様!」、「若様ぁぁ!!」という歓喜の声が挙がる。だが、その光景をみたジョウは、目を白黒させていた。何故、今のレイジの台詞から、彼がイベントスタッフから称賛されているのかが、まるで分かっていないようである。
そのうえ、あのレイジが。いつも自分が怒鳴れば、大人しくなっていた息子が。よもや、父親に向かって、怒鳴り返してくるどころか、手を挙げてくるなど。そんなこと、今まで一度も無かったというのに…―――?!

そのジョウの情けない様子を見とめたルカが、やれやれ、と言った風に。ジョウへと解説を施した。

「分からない?
 レイジは、社長から渡された顧客名簿に載っていた生年月日から、今日が誕生日の子を覚えていた。その子がたまたま、34番だったいう奇跡を手繰り寄せたレイジは、それに乗っかることに成功した。
 そして、社長から八百長を命じられてモチベーションが落としていたイベント担当の子たちは、レイジが八百長を覆した瞬間を見て、奮起。プリンス・ルビーを登場させることで、レイジの『反抗』に乗っかったってワケ」

「そ、そんな、…わがしゃに、わたしに、なんのふまんがあると…?」

ルカの説明を聞いても、ジョウはまるで分かっていないようだった。だが、これ以上の議論は不要と判断したルカは、呆然と立ち尽くすジョウの警備に向かって、「社長を回収してくれる?」とだけ命じる。ハッと我に返った社長専用の警備たちは、フラつくジョウを支えながら、部屋を後にした。すると。

「若様!一生ついていきます…!!」
「もう八百長なんてコリゴリです…!もうずっと、何かしらのVIPが来るたびに、社長からの命令で、色んなヤラセの片棒を担がされていて…ッ!」
「「「「若様~~~!!」」」」

イベントスタッフたちは、涙でべしょべしょになった表情と声で、レイジに縋る。どうやら、ジョウ勅命の八百長案件は、今日だけのことではなかったらしい。ずっと、彼らは、耐えてきたのだ。ランド最高峰に位置するクルーズ船のショーイベントの担当という、最高のエンターテインメントの裏方にいながら、それを踏みにじる片棒を担がされていた屈辱、後悔、罪悪、悲愴。積もりに積もったモノが、きっとあって…―――。

だからこそ、今日。レイジが翻した反旗に、彼らは自主的に乗って来た。現状を覆すフラグを、彼らは見逃さなかった。そしてそれは、レイジも一緒で。
ジョウからの無意味で理不尽な圧力に苦しんできたレイジが、初めて振り翳した、反逆の旗印だった。それを見つけてくれた仲間がいる。

――――…レイジにとって、これ以上の『革命』はなかった。

自分にも、出来た。誰かにひっくり返して貰いたいという独り言は、所詮、ただのお祈りだった。
憧れの、オニキス将軍を、文字通り、胸に抱いたレイジは。今までの人生で一番の達成感に居たのだった。


【月曜日 Room EL】

週末が明けた、月曜日。通常運転に戻ったRoom ELに、訪客があった。レイジだ。

ツナギの下に柄シャツを着込んだその姿は。いつもの気だるげな雰囲気がありながらも、でも、活力が垣間見える気もして。

レイジはソファーにツバサと隣り合って座り、お互いのスマートフォンを握りしめて。プリテトオンラインの今回のイベントの結果発表を前に、打ち震えていた。

「嘘だぁ…、この俺が2000位内に入れなかったなんて…。悔しい…悔しすぎるだろ…」
「私なんて、今回、6000位台…。あうぅ…、課金が足りなかったのかな…?」
「いや待て、早まるなよ、ツバサ。課金は無理のない範囲でやらないと、人間、簡単に、廃人になるから。
 かく言う、俺の今イベの課金額、4000円だから。PUガチャ20連分だけだから。それでも、これだから…」

レイジはどうやら目標圏内に入れなかったのが悔しいらしい。ツバサは更に遥か下位だったことに、ショックを受けているようだった。だが、レイジの言う通り、重課金をすれば、財布が色んな意味で爆発するし、ひとの心は簡単に壊れる。
だが、レイジからすれば、今回のイベントはユーザーへの課金を催促する文言や演出、バトル難易度などが、多々見受けられていたため。実質、課金勢のためのイベント、と見なしていた節がある。
その証拠に、今回のイベントに対して、特に何も考えもせずに3万円をつぎこんだルカと、来月のジムトレーニング代を削る予定で2万円を支払ったソラは。両者共に、余裕の800位内で、大勝利を掴んでいる。
…だが決して、そのことを、この男ふたりは。ツバサとレイジに告げないでいる。告げるものか。告げた瞬間、レイジから拳が飛んできそうだ。

そうだ。レイジの拳と言えば、で思い出したソラは。
未だにスマートフォン片手にわちゃわちゃとするツバサとレイジから、一旦、視線を逸らして。デスクに座っているルカを、その隣に立ったまま、見やった。

「社長をリコールしないのか?弊社運営のランド有する、クルーズ船のショーの八百長など、汚職事件に等しいが?」

ソラの密やかなその声は、ルカの耳にだけ届く。対して、それを聞いたルカは、フッと静かに微笑んでから、隣に立っているソラに、ブルーのアイシャドウを薄く引いた深青の瞳を向けた。同じく薄付きの桜のリップが塗られた唇が、開く。

「今、弊社の社長が空座になるのは、良くないからね。
 跡継ぎのレイジはまだまだ若すぎるし、学ばないといけないことだって沢山残ってる。
 それに、『前岩田社長が本当にやりたいコト』、此処に来て、やっと見えてきたし?」
「…泳がせるのか?」
「正確に言うなら。泳ぎたければ、泳いでいても良いってコトだよ?
 ま、そんな余裕があるなら、是非、オレに見せて欲しいくらいだなあ」
「…。」

真意の見えない会話が続くが。それはソラの沈黙を以て、切られた。

すると。「あーーーっ!」というレイジの叫び声が聞こえて、ルカとソラは、思わずそちらを向く。

「おい、御曹司、少しは静かにしないか。仮にも、此処はルカ三級高等幹部の執務室だ」

ソラが厳しめの叱責を飛ばす。が、肝心のレイジは、わなわなと身を震わせて、自分のスマートフォンの画面を凝視しているだけで。…ソラの叱責をスルーするあたり、「自分を育てたのはルカ」と、実父に啖呵を切るだけのことはある。肝が据わっている。

「こ、コイツ…!いつもいつも俺の上位スレスレにいるヤツ…!
 ちょっと待って…!?コイツがこんなスコア叩き出してなければ、俺、ワンチャン、2000位内イケたんじゃ…?!」

レイジ曰く。どうやら、いつも彼の上位の壁になっているユーザーがいるようだ。何気なく、ツバサが「何て言うユーザーなの?」と問うと。レイジが、リザルト画面を見せて、ツバサに訴えるように言った。

「この『マリー』っていうユーザー…!ヴァイオレットの復刻SSRを持ってるみたいでさ!?最近、これでずーーーっと俺の壁になってくる…!!
 悔しい…!俺、この復刻版のヴァイオレット持ってないから、尚更…!ぐぐぅ…!普通にジェラシーぃぃ…!」
「次のイベントは、フレンド対戦で、一緒に頑張ろう…!壁を乗り越えよう、レイ…!」
「うん…!ありがとう、ツバサ…!やっぱ、持つべきものはプリテトヴィラン推しの同士だわ…!
 待ってろ、『マリー』…!俺のオニキス将軍が、絶対にお前を下してやるからなあ…ッ!」
「レイ、その殺気は、一旦、仕舞おう?ルカの討伐対象になっちゃうかもしれないから…」

そこまで応酬がなされて、ソラもいよいよ「御曹司め、そろそろ摘まみ出してやろうか」と本格的に動き出したのを見ながら。何にも介入せず、涼しい表情で、自分の仕事を片付けていたナオトが。マリーという単語を聞いて、堪えきれないといった風に、笑みを零している。
それに気が付いたルカだったが、しかし、個人の事情にツッコむことは止めにした。
今はただ、やっと動き出したシナリオを、どう書いていくかの予想図を描くのが先だ。


――――…いま、此処から始まろうとしているのは。たった一振りの、折れかけた旗から紡がれる、反逆の物語である。



―――fin.
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