第四章 Fold The Hidden FLAG

【月曜日 Room EL】

ルカのデスク前に立っているソラは、壊れた社用スマートフォンを回収したルカに向かって、いつもの無表情だ。が、そのやり取りは、ツバサが端から聞いている分には、非常に珍妙なもので。

「備品を壊して、本当に申し訳ない。猫パンチで壊れた」

ソラが無表情で言ってのける。しかし、『回収』と印字されたビニール袋に入れられた、ソラの社用スマートフォンには、特にヒビが入っていなければ、何処かしらにぶつけたような跡も見受けられない。むしろ。

「オレが見た感じ、明らかに浸水の跡があったケド…」
「何処からどう見ても、猫パンチだ」

ルカの見立て曰く、浸水、すなわち、『水没した』形跡があったようだ。軍事兵器であるルカの観察眼がズレていることは、まずあり得ない。ということは、ズレているのは、ソラの言い分ということになるのだが…。ソラは頑なに『猫パンチ』を譲らない。というより、稀代の天才にして、奇跡のイケメンであるソラが始終、無表情で「猫パンチ」と言い続ける絵面が、何とも言えない脱力感を生む。

「猫パンチなの?」
「そうだ。猫パンチだ」

とうとうルカまで復唱し始めた。が、ルカは「ふーん、そっかあ」と続けると、備品の交換を申請する用紙に、左手に持ったペンを走らせる。彼は交換理由を明記する欄に『不注意による水没』と書き込む。

「猫パンチって、可愛い言葉だね」

そう言ったルカの深青の瞳が、にこり、と笑って、細まった。


――――…。

つつがなく、業務をこなしていけば。あっという間に午後に入る。

ツバサはローザリンデの執務室へ、書類を届けるために、23階の廊下を歩いていた。25階を独占しているRoom ELとは違って、この階には五級高等幹部のローザリンデを始めとする、複数人の高等幹部の執務室が入っている。だが、その廊下には警備のロボット兵が均等に配置されているだけで、人間は誰もいない。
とはいえ。怖がることはない。もう何度も通った場所だ。ローザリンデの執務室にデータや書類などを届ける仕事は、事務員としてのツバサの役割のひとつなのだ。もう慣れたものである。

そこの角を曲がれば、目的の場所。といったところで、急に出てきた人影に、ツバサは思わず足を止めた。サッカー部時代に培った動体視力と反射神経は、伊達ではない。だが、ぶつかることは免れたが、相手は一方的に「うぇえッ?!」と悲鳴を上げて、後ろに倒れて、曲がり角の向こうへと消える。廊下に人体が叩きつけられる音がした。間違いなく、転げている。
ツバサが角の向こうを見やると、そこには、水色がかったプラチナブロンドを乱雑に纏めた、何ともラフな格好の青年が、打ち付けたらしい尻を痛そうにさすっていた。

「大丈夫ですか…?」
「…まあ、何とか…」

ツバサが問いかけると、青年は僅かに引き攣ったような笑みで、答える。だが、その眼は気だるげだ。こういう受け答えをする人物像には、ツバサは心当たりがある。『普段から他人と関わることが極端に少ないため、咄嗟に表情筋と語彙力が仕事をしないタイプ』だ。
よっこら…と言いながら、立ち上がった青年を見ながら、ツバサは(というか…)と、思う。彼も高等幹部関係の社員なのだろうか、と。でなければ、この階に出入りすること自体が、不可能である。
だが、そう考えながらも、ツバサは青年の着込んでいるインナーのTシャツが気になって、つい、そこを見てしまっていた。

「…えと、俺の顔に、何かついてる?」
「…あ、申し訳ございません。お洒落な格好だと思って、つい、眺めてしまいまして…」

観察は、すぐに見破られた。ツバサは素直に謝罪するついでに、情報を聞き出そうと、駒を打った。
青年は、プリンス・テトラのキャラクター・オニキス将軍モチーフの柄物Tシャツをインナーに、上から薄い水色のツナギを合わせている。ブーツも作業用を彷彿とさせるゴツさはあるものの、デザインベルトと刺繍が施されている以上、装飾アイテムの域を出ていないのが分かった。

「お洒落…?」
「そのインナーのTシャツ、去年、オンライン限定で販売されたTシャツですよね…?私も推しの柄をゲットしたのですが、上手く着こなせる自信がなくて、仕舞い込んでいます…」

次の駒を動かす。引っかかったワードに関連した話題を引き出すには、こちらの手の内も明かすことが、時には必要だ。
予想通り、ツバサの返答に青年の気だるげだった瞳が、僅かに煌めいた。

「え、アンタも、プリテトヴィラン推し…?」
「はい。でも私の最推しは、ヴァイオレット様なんですが…。彼が忠誠を誓うオニキス将軍の凛々しさも、私は大好きです…」
「え、実質、同志じゃん…!マジ…?奇跡…?」

青年の反応は、ツバサにとっても内心嬉しいものであった。プリンス・テトラのヴィランキャラクター(悪役サイド)、通称『プリテトヴィラン』のファン層は、非常に偏っている。
だからこそ、懸念点もあった。何気ないふりをしながらも、ツバサは慎重に問いかけてみる。

「…貴方は、ヴァイオレット様へのアンチ感情は、無いのですか…?」
「そんなものないさ。だって、ヴァイオレットは将軍の懐刀として、信念貫いて戦ってるわけで、味方裏切ったのも、そのための筋書きだったわけだしさ。
 …ぶっちゃけ、界隈に蔓延ってるヴァイオレットへのアンチ感情とか、俺には全く意味わかんないし」
「分かります…、とっても分かります。分かってくれて、ありがとうございます…!」

青年の回答に、ツバサはホッと胸をなでおろしながら、思わず力んだ返事をする。
ヴィランであるヴァイオレットを最推しに持つツバサにとって、ヴァイオレットが忠誠を誓う相手であり、同じヴィランのオニキス将軍のファンは、味方にも敵にも成り得る人間だった。カプ厨、夢女子や腐女子(男子の場合も含む)、ヘイト創作や考察、設定改変による存在抹消、等々…。SNS上に並ぶ様々な『ヴァイオレットアンチ』を、ツバサは目にしてきては、打ちのめされた過去が数多くある。が、どうやら、眼の前の青年は違うようだ。
今、『将軍推し』であり『ヴァイオレットの存在に理解があるファン』というのを、現実世界で初めて見つけたツバサの内心は、喜びに満ちている。

一方で、それは。青年の立場でも、同じ状況だった。彼は『将軍推し』の同志こそ多けれど、『ヴァイオレットの存在に理解を示す、自分の解釈』を表すと、途端に、同志たちから嫌われる傾向にあった。それに於いて過去に言われた、一方的な誹謗中傷で多かったのは、「いいこちゃんぶりやがって」、「ヴァイオレットに理解ある自分に酔ってる」、あたりだろうか。
故に、青年にとって、初見で自分のスタンスを否定してこないツバサは、まさに奇跡の出会いだった。

「これ、マジで奇跡じゃねえの?ちょっとさ、時間あるとき、語ろ?」
「え?でも、私、今週はスケジュールが…」

青年はツバサを誘うが、彼女は今週はルカとROG ドリームランドに遊びに行く約束がある。スケジュールの確認がしたい。しかし、青年はツバサが持っているバインダーに何かを貼りつけるのも早々に、自分の腕時計を見て、「うわ、やばいっ」と零した。そのまま、早足で歩き出しながら、ツバサの持つバインダーを指差して、口を開く。

「それ、あげる。登録しておいて。
 ごめん、俺、いま実は上役にせっつかれてて、ちょい、予定が巻きでさ。でも、本当、またゆっくり話したいから…、マジで、よろしく」

そう言うや否や、「急げ、俺…ッ!」と零して、青年はスタートダッシュを決めた。ロボット兵だけが警備する静かな廊下を、ゴム底の作業ブーツが走り抜ける音がして、そのツナギの背中が廊下の向こうへと去って行った。
ツバサが改めて、彼がバインダーに貼りつけていったものを確認すると。それは、メッセージアプリのIDと、『レイ』という名前が走り書きされた、付箋メモ用紙だった。
そのメモ用紙すらも、オニキス将軍が戦闘の際に掲げる旗の紋が、透かし印刷されているもの。これは公式ショップで、常設販売されている商品。
それを見たツバサの胸の内に、青年―――レイのことを、信頼してみる気持ちが、湧き出てきたのだった。


――――…。

【その日の夜 ツバサの部屋】

風呂を終えたツバサは、暇な休日に野菜と肉をカットして冷凍しておいた、お手製のひとり鍋セットを、土鍋に入れて、火にかけた。味は、ごま豆乳。〆のための、冷凍うどんも、ちゃんと用意してある。ツバサは冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、プルタブを起こした。プシュッ、という、聞き馴染んだ小気味の良い音がする。鍋の様子を見ながら、一口、二口、と喉を鳴らして飲んだ。これは比較的、苦味が少ないことで有名なメーカーの缶ビールで、ツバサ自身が好んで買っているものだ。苦味が少ないということで、口当たりも軽いため、ゴクゴクと飲める点が、ツバサは気に入っている。特に、こういう休日の前夜のような、リラックスしたい時間などのお供には、彼女にとって持ってこいの酒だった。

間も無く、出来上がったひとり鍋と、飲みかけの缶ビールをテーブルに持って来たツバサは。改めて、「いただきます」と口にしてから、鍋を突き始める。
ごまの香りと、豆乳のミルキーな口当たり。元々スポーツをしていた影響もあり、食欲旺盛なツバサは、ぱくぱくぱく、と食べて行く。明日から特別休暇に入るという解放感もあってか、今夜は一際、腹の虫がうるさい。
ビールが2本目に差し掛かる頃には、〆のうどんへと突入していた。レンジで解凍した冷凍うどんを、鍋に残ったつゆへと入れて、もう一度、火にかける。軽く煮立ったところで火からおろし、再びテーブルへ運んだ。食べる直前に、鍋の中のうどんへ、ラー油を垂らす。
つるつる、と麺をすすり、あっという間に、食べ終えた。残り少ない缶ビールの中身も呷って、ふぁぁ…、と、息を漏らす。

お腹は満たされた。明日からは、休み。前半は全くのフリー。後半はルカが、ROG ドリームランドへ連れて行ってくれる。ランドでは最推しが出るスペシャルショーが楽しめるうえに、ルカ行きつけの貸衣装屋で、推し概念のドレスまで用意して貰えるという、破格の待遇。
…問題があるとすれば、未だにその推し概念のドレスのアイデアが、全く浮かんでいないこと。ルカ曰く、先に貸衣装屋にアイデアを伝えておいた方が、ドレスや髪型選びがスムーズになる、とのこと。それは正解だ。だが、肝心のアイデアが、ボンヤリとしていて。イマイチ、掴めないでいた。

考えるより先に、食べた食器を片付けておこう。と、ツバサが立ち上がりかけたとき。スマートフォンが着信を告げた。電話ではなく、メッセージアプリの通話機能。名前を見ると、『レイ』と表示されている。昼間、本社ビルの23階で出会った、あのオニキス将軍推しの青年だ。語ろう、とは誘われていたものの、先んじて連絡が来るとは思っていなかったため、ツバサは若干、面食らったが。
万が一、害がありそうなら、ブロックして、ルカに報告すればいい。23階を歩いていた時点で、彼が高等幹部の関係者であることは明白だ。オイタはルカを通して、ソラが始末してくれるだろう。
そこまで秒で考えてから、『応答』の文字をタップしたツバサは、「はい、ツバサです」と対応した。すると。

『あ、こんばんは、レイです…。…今、ちょっと話せたりしない…?』

レイの控えめな声が聞こえる。ただ、くぐもっているわけではなく、音質は非常にクリアで、音量もちょうどいい。向こう側に適切な設定がされていることが分かる。

「私は平気です。でも、『語る』なら、先に夕飯の片付けをしたいかも…」
『え、飯時だった?ごめん…、配慮、足りなかった…』

昼間も少し思ったが、レイは口調こそ、軽めの若者言葉だが。所々で、優しめな品の良さが垣間見える。もしかすると、育ちが良いのかもしれない。

「いいえ、大丈夫です。ちょっと生活音がしますけれど、それで良いのであれば、このままどうぞ」 
『アンタ、優しいんだ…、ありがとう。…って言っても、特に話題らしいものって、なくてさ…。
 ただ、同じ趣味と解釈を持つひとと出逢えたってのが、マジで、嬉しくて…。何となく、喋れないかな、とか思ったりしてさ…』
「…。」

レイの台詞に、洗い物をしようとしたツバサの手が一瞬だけ、止まる。

…今、この瞬間。ツバサは、非常に懐かしい感覚を、覚えていた。

まだ、ツバサが養護院にいた頃。自分が年上になって、どんどん年下の子たちが増えていくなか。『お姉ちゃん』として振る舞っていた、あの時期。その頃に感じ取っていた、居心地。年下の子たちが、家事を手伝ったり、勉強をしたりしているツバサに対して、「遊びたい」、「お話したい」と、甘えてきたときの…。

「…もし良かったら、敬語を外してもいい?」
『ん、いいよ、別に。…てか、元々、俺からナシにして貰えるように、言いたかったから…。何かさ、アンタとは、対等に話がしたい』

ツバサの申し出に、レイはすんなりと対応した。それどころか、自分から同じことを申告しようとしていたという。やはり、レイは何処か「年下っ子」感が否めない。

それからツバサは洗い物をしながら、レイとぽつぽつとした会話を繋げていた。
互いに、自分の職位は明かさないようにしているのが、分かる。上手く、避けられている。意思疎通がはかれている。本社ビルの23階で出逢った後、こうして個人的なやり取りをしていることの意義を、きっと今は議論するべきではないと、ふたりは理解していた。

ツバサが洗い物を終えて、3本目の酒として缶チューハイを飲み始めた頃。レイとの話題は、ツバサの休暇についてのものになっていた。

『へえ、ツバサ、彼氏とランド行くんだ…。俺も仕事で行くことになっててさ…、まあ、すっごいかったるいんだけど…』
「仕事で行くと、ランド内での視点が、嫌でも変わるから…、きっと疲れるよね…。
 あと、一緒に行くのは彼氏じゃないよ」
『え、彼氏でもない男とランド行くの…?そういうの、ツバサ、抵抗ない感じ…?』
「上司のご厚意だから。それに、彼とは上司と部下以前に、良き友人関係でもあるし…」
『それ、めっちゃいい上司じゃぁん…、うらやまー…。俺の上司も、ある日突然、そんなひとに変わってくんないかなー…』

レイは上司との関係に悩んでいるのだろうか。ツバサもルカの部下になってから、季節を3つも跨ごうとしているが。本社に15人いる高等幹部の全容など、知る余地もなかった。
ツバサとレイの会話は、滔々と続いていく。

『てかさ、推し概念のドレスって、フツーにすごくね…?ヴァイオレット概念で行けるって、最高じゃん』
「ええ、そうなの。でも、肝心のアイデアが、全然上手く纏まらなくて…」
『そう…。
 …例えばさ、ヴァイオレットのイメージカラーの紫色で、行きたい感じ…?それとも、差し色に使われている、黒色ベースがいいとか…』
「え、あ、そうだね…。紫色は確かに外したくないかな…?でも、ドレス自体を着たことなんて、あまりないから…、全然、想像が出来ない…」

レイの質問に、ツバサは正直に答えた。此処は思い切って、他者の意見を聞けるなら、そうしたい。特に、ヴァイオレットに前向きな解釈を持つレイになら、例え的外れであったとしても、何かヒントが貰えるかもしれない、と、ツバサは思った。
今日初めて出逢った彼のことを少し買い被りすぎだろうか…、という考えがよぎりかけたとき。レイの声がスピーカーの向こうから聞こえてくる。

『ツバサって、将軍にどんだけの感情、向けてる?』
「それは、オニキス将軍のこと…?
 将軍は、自分の掲げる『世界を革命する』について、全然ブレないし…。むしろ、ブレないからこその非道な行いも、そこに伴う犠牲にも、決して目を逸らさない所が好きかな…。あと、戦う悪役の美女という設定から、もうズルい。あんなの、好きになっちゃうよね…」
『わかりみがすぎる~~。
 …じゃなくて、…じゃあさ、オニキス将軍みたいな、フロントをカットしたタイプのスカートをしたドレスで…、…貸衣装屋なら、小物も沢山あるだろうし…。飾りはこの辺か…?』
「…?レイ?なにかしてるの?」
『ん、あー、まーね…。ちょっとラフを起こしてみてる…』
「ラフ?」

スピーカーからはレイの声に混じって、何か作業音が聞こえる。マウスのクリック音や、液晶画面のタップ音…、かと思えば、『あー、確かこの辺に、資料がー…?』という、レイの独り言が漏れ聞こえてきた。

何となく、今は邪魔をしてはいけないような気配を感じ取ったツバサは、缶チューハイの中身を飲みながら。どのタイミングでレイに話しかけようかと、見定めようとしたとき。

『こんなもん…?
 今の話を聞いた感じで、なんとなく描いたんだけどさ…、ちょっと見てみてよ』

レイはそう言うと、唐突に画像を送信してきた。通話画面を縮小して、通常のメッセージ画面を開いて、ツバサの目に飛び込んできたもの。それは。

「…えッ?!なにこれ…すごい…ッ!」

デジタルイラストのツールで描かれたであろう、ドレスのデザイン画だった。彼の言った『ラフ』というのは、これのことだったらしい。

ヴァイオレットのイメージカラーの紫色をそのままに、しかし、ドレスのデザインはオニキス将軍の纏うそれに近い。だが、決定的に違う点があるとするなら、それは露出面積の低さ。オニキス将軍は胸元と脚を派手に露出しているが、レイが起こしたラフ画のドレスには、それがない。
胸元は閉じる代わりに、下に白色のシャツを着込む形になっており、寂しくならないように、リボン飾りを着けるように指示が出ている。
フロントをカットしたスカートからは、本来は脚が晒されるが、そこは薄手の黒色のスラックスを着用することになっていて、更に、違和感を消すために、ロングブーツを履くことを想定されている。

『女子が無闇に肌を晒すのは怖いし、今週はちょっと寒いし…、あと、ツバサ、身長が高めっぽかった記憶があるからさ、…これくらい盛っても違和感ないかな、って…』

レイが、そう言う。何処か照れを隠している様子が見え隠れしているが。ツバサは、デザイン画の出来具合に、夢中だった。

ヴァイオレットの色を活かしつつ、その仲間であるオニキス将軍のシルエットを借りて。だがしかし、決してツバサが不安な思いをしないように、リデザインされた、まさに『概念』。完璧な設計。完全なる解釈一致。

「すごい…本当にすごい…!レイが考えたの?今ここで?あんな少しのやり取りだけで?」
『え、あ、うん。…あー、こういうの、ちょっと好き、というか、たぶん得意でさ…。
 仕事じゃないから、会社では表に出さないだけで、…個人では、結構、練習してたり…。……引いた?』
「ううん、そんなことない…!本当にすごい…!活かされるべき才能だと思う…!」
『ちょ、そこまで言われると、ガチ照れるから…!
 …でも、良かった。ランドの概念ドレス、なんとかなりそ?』
「なる。絶対になる。ありがとう、レイ。
 お土産代行、…いいえ、何かプレゼントさせて」
『いや、いーよ、そこまでしなくても…。これくらいのラフ、アイデアさえ浮かべばいくらでも描けるし…』 
「レイは、自分の得意スキルを活かしてくれたのよ…?それにお礼が出来ないなら、私、社会人としても、ヴァイオレット様推しとしても、失格になっちゃう…」
『……その言い方は…ズルい…。
 ……あー、じゃあ、今シーズンのランド限定で販売されてる、オニキス将軍の缶バ…―――あ、ちょい待ちッ、親きたッ、ミュートッ』

がさり、と男がして、レイとツバサのマイクが同時にミュートになった。親フラ、というものだ。ツバサはレイが戻ってくるまで、彼が描いてくれたドレスのアイデアラフを眺めているのだった。


――――…。

【前岩田邸 レイジの寝室】

「友達と電話っつってんじゃん…」
「聞こえたのは、女性の声だったぞ?
 レイジ、女に現を抜かす余裕があるなら、もう少し仕事に身を入れろ」

ツバサとの通話のマイクをミュートにしたレイジが、座っていた作業用の机から振り返って、そう話していたのは、実父であるジョウだった。寝間着姿のジョウは、レイジの部屋へ、半ば勝手に入って来たうえに、レイジの通話相手の詮索をしてきている。嫌悪感を隠すのに必死になりながら、レイジはジョウに正当なる抵抗をした。

「だーかーらー、友達だってば。それに、俺の交友関係が、仕事に影響するわけないし…。
 てか、親子とは言え、プライベートな空間に立ち入るなら、ノックだけじゃなくて、入室の許可が出てからじゃないの…?」
「減らず口を叩くな。
 …そんなくだらないイラストを描いて遊んでいる暇があるなら、一日でも早く、一人前の大人になりなさい」
「! これは!くだらなくなんか―――」
「―――いちいち親に口答えをするんじゃない!!私はお前を、そんな息子に育てた覚えはないぞ!!レイジッ!!」
「…ッ…!」

ジョウに怒鳴られた瞬間、レイジの頭の中が真っ白になる。はく、と呼吸が浅くなり、急速に胸が苦しくなった。
しかし、ジョウはそんなレイジの異変など気付きもせず、自分の言い分をぶつけてくる。

「明後日に向けて、しっかり準備をしなさい。私はそれが心配で、こうやってお前の様子を見に来たんだ。…案の定だったが…。
 …まあ、いい。通話は早めに切り上げて、少しでも多く睡眠を取りなさい。レイジ、お前はただでさえ、最近の睡眠時間が短いのだから。友人との通話程度なら、またいくらでも都合が合うだろう?今日はもうやめなさい。
 明日は、午前10時に、美容院だ。その乱れに乱れた髪の毛を、整えに行く。一流の大人は、身なりから、だ。いいな?」
「……、…はい、父さん…」

浅くなっている呼吸から、何とか声を振り絞って、レイジは返答した。その答えのみを聞いたジョウは、満足したかのように、しかし、呆れは隠さない様子で、はあ、と大きな溜め息を吐いてから。

「では、おやすみ、レイジ」

そう言い残して、ジョウは静かにレイジの寝室の扉を閉じて、去って行った。

ジョウの履いたスリッパが廊下の床を叩く音を遠くに聞いたレイジは、浅くなっていた呼吸を取り戻す。

ツバサを待たせている。早くマイクに復帰しなくては。…でも。

(…、…愚痴は、…言いたくない…。身内ネタを少しでも言ったら、俺の素性がバレる…)

本社の23階で彼女と会ったということは、ツバサは十中八九、ROG. COMPANYの高等幹部の関係者だ。現時点で、レイジが把握している高等幹部に、彼女の名前はない。きっと、何処かの執務室の部下に違いない。
レイジが、社長である前岩田ジョウの息子であることを知っている人物は、片手で数えられるくらいにしかいない。

だからこそ、バレたくない。

『社長の息子』と、色眼鏡で見られたくない。レイジにとってツバサは、やっと出逢えた、『普通の友達』だと、そう思っているから。
ツバサが差別をする女性には見えないし、到底、そうは思えないが。それでも、過去の経験から、そして現在のレイジの環境が。彼の心痛を酷くする。

レイジは机の端に追いやっていたミネラルウォーターのペットボトルを取り、中身を呷った。その時。マイクを切っているツバサとのメッセージ欄が、更新された。

―――『長いけど、大丈夫?都合が悪いなら、日を改めてもいいよ』

「…、…。」

分かっている。優しさから来る、気遣いだと。

未だ浅さの残る呼吸を落ち着かせながら、僅かに震える指先で、レイジはメッセージに文字を打ち込もうとした。「たすけて」、と。

「…!!」

瞬間、ハッと我に返って、文字を消す。たすけて、なんて。急に送られても、困るだけだ。それに気が合うといっても、ツバサとは出逢ってまだ1日も過ぎていない。
それに。何の意味を含んだ「たすけて」だと言うのか。

停止しかけていた思考回路を動かし始めて、レイジは改めて、メッセージを打ち直し、送信する。
『親が寝たから、俺も寝ないといけなくなった。また連絡させて。』と。
すぐに既読を知らせる通知が来て、デフォルトされた子兎が「了解」と言っているスタンプが送られてくる。次いで、「おやすみなさい」のスタンプも。
レイジも小鳥のキャラクターが「おやすみなさい」と言っているスタンプを送り返して。そのまま、スマートフォンを机の上に置いた。

レイジの水色の瞳に、涙が滲んだ。堪えきれない嗚咽が、だだっ広いだけの、孤独な寝室に、浸透していく。



to be continued...
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