第四章 Fold The Hidden FLAG

【テイスワート邸】

テイスワート邸の庭は。本邸を中心に、東西南北と、それぞれ季節に合わせた築山が拵えてある。
ローザリンデの案内で、ソラはこの邸宅が誇る庭の中の、南の築山にある、一番立派な紅葉の樹の前にいた。
一面紅色に染まった葉が魅せる絶景には、さすがのソラも嘆息しながら、見上げる。
ソラの隣に立ったローザリンデが、同じく、樹を見上げながら、口を開く。

「先週の土曜日、少し暖かっただろ?
 あの日、この樹の下で、お兄様と弁当を広げたのさ」
「今年の春先は冷えたから、東庭の桜での花見は出来なかったんだろう?」
「…なんだ、知ってたのかよ」

ソラの返答に、ローザリンデは、やれやれ、と言った風に肩を竦めた。…が、見越された、というローザリンデの推測は、すぐに崩れる。

「凌士さんが写真を鬼のように連投してきたからな」
「マジかぁ…、だからお兄様のやつ、あんなに沢山の写真を撮ってやがったのか…」

…どうやら。ソラには、凌士による、鬼連投&報告がなされていたようだ。
ただ、行動はどうあれ、そして、凌士がカプ厨であれ。彼がソラのことを、本当に、心から、弟のように扱っているのは、確かである。
「本物の義弟にしたい」等と言う、あの奇天烈な行動さえ、無ければ。凌士ほど、ソラの周囲にいる年上の人物の中で、心強く、そして信頼のおける男はいない。

だからこそ。大好きな妹と紅葉狩りを楽しんだ報告故の、鬼連投は。ソラにとって、まだまだ許容範囲である。だが。

「おかげで、自宅で俺のスマホが大合唱するものだから、興味を持った猫たちが、俺のスマホに猫パンチを連撃していた」
「いや、止めろよ、猫パンチ。
 スマホ壊れてショップに持ち込んでも、猫パンチで壊した、じゃ、補償も何も無いだろーが?」
「ちょうどよく、思考回路が『何もかもどうでもいいタイム』に入っていてだな…。スマホはおろか、読みかけの小説すら、手に取れなかった」
「虚無ってるじゃねぇか。え?ストレスやばめ?」
「…、上司がアレではな…」
「…、あー、アレはなー…」

ソラの余計なプライベートは見え隠れするし、ルカ(※史上最強の軍事兵器)はアレ呼ばわりされている。

そこで、「あ、そうだ」と、ローザリンデが思い出したように、零した。ソラが視線を寄越すと、彼女は続きを紡ぐ。

「この家によ、トルバドール・セキュリティーへ、一般警備を発注しようと思ってるんだよなー。ソラも何かアイデア、くれ」
「お前がトルバドール・セキュリティーに、自分の実家へ警備を頼めば、社内…、の、あの辺とか、この辺とかから、やれ癒着だの、やれ依怙贔屓だのと、囁かれるんじゃないか?」
「お?あの辺とこの辺って?具体的には何処だよ?」
「今の状況では、言える口は持ち合わせていない」

ソラはそこで応酬を区切るように、ふ、と、後ろを向いた。散策のための御付の従者や警備が、揃って、背筋を伸ばし、立っている。
ローザリンデはソラの意図が読めず、疑問符を飛ばしながらも、彼に倣って、自分も御付たちを見た。すると。

「そこの、向かって、左から2番目の黒服だ。―――確保」

ソラが鋭く命じた。途端に、周囲の他の警備と従者が動く。ソラに名指しされた男が、周囲の警備たちに押さえ付けられた。

「な、なんでッーーーくっ!!離せ!離せぇッ!!」

押さえられた警備、否、警備に扮した偽物は、喚きながらジタバタと藻掻くが。元より、訓練を積んだ本来の警備役に勝てるわけもなく。呆気なく制圧された。

その様子を見せつけられたローザリンデは、少々呆気に取られた顔をしながらも。心の中では平静を装おうと必死だ。しかし、ソラはそんな彼女の胸中など察しているとばかりに、そして自身は慣れた表情で、口を開いた。

「鼠一匹とて、此処まで入り込まれているようでは。トルバドール・セキュリティーの一般警備で、大丈夫そうか?ローズ?」
「……、御見それしました…。…お兄様に、より強く進言しておくよ…」
「そうしておいてくれ。せっかくの立派な庭に、不届き者の汚い血を吸わせるわけにはいかん」

ローザリンデは何処か自信を無くした様子を見せつつも、しかと返答する。
それを一瞥したソラは、取り押さえさせた不法侵入者を、冷たい眼で見下ろしながら、懐から社用のスマートフォンを取り出した。

「…さて、ルカに預けてあるグレイス隊の指揮権、早々に返して貰うとするか」
「え、なんで?」
「この男の取り調べをするためだ。公的機関に任せると、変に時間が掛かる。
 テイスワート邸の警備の案に進言する以上、まずは足がかりがないとな。せっかく捕り物の現場に居合わせたことだし」
「いやいや、お前は休暇中だろ?!仕事する気かよ!?これくらい、ルカに任せちまえばいいじゃねーかよ!
 それに!おれは、休みの日までソラに仕事してほしくて、実家の警備の相談したわけじゃねーし!」

ナチュラルに仕事モードへ切り替わったソラに、ローザリンデはにわかに焦る。普段から彼が凄まじい量の仕事を捌き、そして、それに付随した苦労を浴びているのを、知っているからこそ。今回のRoom ELへ下りた休暇の意義を、ローザリンデは正しく理解しているつもりだった。この休暇の恩恵を一番に受けるべきなのは、間違いなく、ソラである、と。

だが、ソラはそんなローザリンデの心配や不安を横に流して、社用のスマートフォンを弄り始めた。途端に彼の口から、するすると仕事用の口調が紡がれ始める。

「心配しなくていい。俺は元より、休暇の後半の2日は、返上するつもりだった。
 先のブラックスワンの余波で崩れかけている、KALASの指揮系統を見直す時間が欲しいし、セイラの更生プログラム卒業の花道も整えねばならんし、逆にナオトのプログラム内容には更新が必要になってきているし、あと―――」
「―――どりゃああぁぁぁああああ!!!!!!」

ローザリンデが吼えた。ソラの清流の如き台詞をぶった切った彼女は、その勢いでソラの手の中の社用スマートフォンを奪い取ると。そのまま、振り被って、投げてしまった。スマートフォンが飛んで行って方向には、錦鯉が泳ぐ大きな池がある。そちらから、ぽちゃんっ、と音がした。何処に、何が、落ちた、なんて。それで全部、悟ってしまうわけで…。

「……………。ローズ。貴様、高等幹部自らが備品を壊して、本社に何と言い訳するつもりだ?」
「……………。猫パンチで壊れた、って、ふたりで頭下げようぜ?なあ、親友?」

直後。ぺちり、とローザリンデの頭が、ごくごく軽く、はたかれた。


*****


【ROG. COMPANY本社内】

ふぁ…、と、小さく欠伸を噛み殺したツバサだったが。自分の番号が呼ばれるのを聞いて、受け取りカウンターまで、素早く歩いていく。
スタッフから、テイクアウト用の紙袋を受け取ったツバサは、「ありがとうございます」と礼を述べてから、カフェテリアスペースを後にする。後ろでさざ波のように聞こえる、「化け物の部下だ…」、「こっち来ないでほしい…」、という声は、彼女の脳内に於いては、正式に処理されなかった。


Room ELへ帰室したツバサは、「おかえりなさい」というルカの伸びやかな声に出迎えられる。そして、漂ってくる良い匂い。

「アリスちゃんと入れ替わりで、配達されてきたよ。秘書課の子が持ってきてくれたんだ~」

そう言いながら、ルカは応接用のテーブルへ、皿を配膳していた。皿に盛ってあるのは、クロエ名物のカツサンド。ナオト名義で、Room ELへと配達注文されたものだ。

つい、1時間ほど前。ルカのスマートフォンに、ナオトから外出許可の申請が来た。通常時なら、監査役、すなわち、ルカ、ツバサ、ソラの誰かか。あるいはソラが指揮するグレイス隊兵が、随伴しないといけない。だがしかし、今日から此処は特別休暇のモードに入っている。…普通ならば、ナオトの不要不急の外出を許可することは出来ない。だが、『普通』を飛び越えるのが、ルカ。彼は、ものの2分で、Room ELのメンバーに代わる監査役を手配し、ナオトに外出を許した。そのうえで、ルカはツバサに指示を出した。クロエに電話を入れさせて、ルカの名義で、鈴ヶ原兄妹の席を予約させたのだ。

外出許可を出すのは構わないし、それに伴う労力も惜しまない。ただし、仕事の手を緩めたりはしない。自分が指定した席で、監視されながら、ゆっくり過ごせ。
…ここまでのルカの行動を人間的に直訳するなら、これくらいの意味合いが含まれているのだろう。というより、そう解釈するしかない。

そして、妹との時間を確保して貰ったナオトは。今度は、自分が店からRoom ELへ差し入れを注文する。そう、鞠絵と食べに来た、名物のカツサンドだ。
後は、注文を受理した店員が、専門のバイク配達便を使って、ROG. COMPANY本社まで商品を届けさせれば、万事解決。差し引き、ゼロ。

今はちょうど、おやつの時間にぴったり。

クロエ名物と名高いカツサンドを美味しく頂くために、ツバサはわざわざカフェテリアまで赴き、ふたり分のホットカフェオレを購入してきたのだ。

ふたりで「いただきます」と手を合わせてから。カツサンドを、頬張る。
ヒレカツが、口の中でほどけるような食感。『箸だけで切れるほど柔らかい』という宣伝文句の通りだ。薄い衣にたっぷり絡んだソースの旨味も合わさって、まさに絶品。

「美味しい~~。
 メモリーの中に、『このカツサンドは過去に何度か食べたことがあるっていう記録』は残ってるケド、…やっぱり、『この瞬間にしか味わえない感動』っていうのは、メオリー内のログだけでは、再現できないよね~」

ルカがカツサンドを食べながら、笑顔でコメントする。ツバサは彼の発言の意味を深く考えそうになって、…しかし、止めた。今はきっと、自分たちの間にある幸福感に浸るのが、一番の正解だと思ったから。

すると。早々に一切れ目のカツサンドを食べ終えたルカが、徐にツバサに向かって、口を開く。

「あ、そうだ。アリスちゃん。一緒に行こうって約束しているROG ドリームランドのお話、ちょっとしてもいい?」
「うん、いいよ。何かあったの…?」

何か確認するべきことでもあるのだろうか。ツバサはルカと目線を合わせて、彼の言葉を待った。

「プリンス・テトラショーは、ランド専用のクルーズ船で行われるもの。あと、オレたちが現地に行く日は、ちょうど、ランド内でのドレスアップ及び、仮装が許可されているシーズンだよ。ねえ?ふたりでドレスアップのランドデビュー、チャレンジしてみない?」
「し、敷居が高すぎない…?ドレスって、何処で買えば…?」

ルカの提案に、ツバサは少し面食らう。カツサンドを喉に詰まらせないように、きちんと嚥下した。
ランド内の『仮装』はともかく、『ドレスアップ』となると、言葉面だけでも意味合いが違ってくる。ツバサの言う通り、敷居の高そうな雰囲気が漂っていた。 
少し緊張したツバサを見ながらも、ルカは変わらず、軽やかな口調で続ける。

「こういうのを専門にした、貸衣装屋さんがあるんだ~。
 オレ、結構な頻度で、そこにお世話になってるから、今回もオーダーさえ入れれば、頭の上から足元の先まで、ぜーんぶセットアップしてくれると思うよ」
「貸衣装屋さん…」
「そうそう。事前に頼めば、当日に髪結いも、お化粧もしてくれるんだ。
 そして、何より、メニューが多いから…、―――推し作品の概念コーデとか、出来ちゃうよ?」
「―――…! 概念コーデ…、ドレスアップで…?」

またも揺れる、ツバサの中にある、オタクの心。否、もう揺れるというか、完全に傾いている。
推し概念の仮装というと、非常にライトに聞こえるが。推し概念のドレスとなると、推しを愛する乙女心には、魅惑的な響きしかない。ツバサとて、ひとりの女性だ。綺麗なドレス、というものに、憧れを抱いている節はある。しかも、それを、推しの概念に合わせて貰える、となると…。

…何度でも言おう。チョロイと笑いたければ、笑うがいい。オタクというのは、推しへの愛を前にしては、決して抗えないのである。

「ねえ?オレ、ドレスアップしたアリスちゃんのこと、エスコートしたいな~?勿論、オレもキミの隣で歩いても恥ずかしくない格好をするよ?どう?
 推し作品の概念コーデなドレス…、プロに任せてみない?」

ルカの囁く声が、Room ELに静かに落ちた。ツバサは、ホットカフェオレを一口飲んでから、改めて、彼の方を向き、自分の答えを出す。

「私…、プリテトの概念コーデのドレスで、ヴァイオレット様に逢いに行きたい…!ルカ、お願い…!」
「任せて♪オレはアリスちゃんのためなら、何だってしちゃうもんねえ~♪」

ツバサのお願いを聞いたルカは、心の底から嬉しそうな笑みを浮かべて。すぐに私用のスマートフォンを取り出したのだった。


*****


【ROG. COMPANY本社 某執務室】

昼間といえど、照明が最小限まで落とされていることによって、執務室内は暗かった。
故に、デスクのLEDライトと、パソコンの液晶画面の明かりが、煌々と、この部屋の主人の顔を照らし出している。

薄く水色がかったプラチナブロンドを、雑にヘアゴムで纏めていた、前髪にはヘアピンを使っている。首にかけた無線ヘッドフォンからは、今、繋がっているスマートフォンでプレイしている、プリンス・テトラ オンラインのBGMが、無造作に垂れ流されていた。

スマートフォンの画面に映った『勝利!』の文字をタップして、はあ…、と『彼』は、重い溜め息を吐く。

「今回のイベント、キツイなあ…。育成が追い付いてない勢、無課金勢には、サポートがいないと、無理ゲーじゃないか…。ちゃんとバランスの調整しろってば…」

彼はそう零すと、書類や、各種デバイス等が散らばる机の端っこに追いやられていた、エナジードリングの缶を取って。中身を一気に呷る。僅かに気の抜けた炭酸と、エナジードリンク特有の味が、喉を通り抜けた。

すると。パソコンが通知音を鳴らし始める。オンライン通話だ。『前岩田ジョウ』の文字を見た彼は、今一度、重たい溜め息を吐いて。ヘッドフォンを耳に当ててから、マウスで『受話』をクリックした。
画面に現れたのは、勿論、ROG. COMPANYの社長・前岩田ジョウ氏である。

『お疲れさま。レイジ、進捗を聞きに来た。速やかに報告しなさい』
「ちゃんと進めているから…。今、ちょうど、折り返し地点」

レイジと呼ばれた青年は、少し気だるげに返事をした。が、ジョウはそんな彼の様子と返答を見聞きして、片眉を上げる。

『まだ半分なのか?本番はもう来週だぞ?今週末には、打ち合わせに入って貰うんだ。何としても、今日中にスピーチ原稿を、仕上げなさい』
「今日中って…。せめて明後日まで、待ってくれよ」
『駄目だ。お前はそうやって、すぐにサボろうとする。怠惰は、この世で一番の悪だ。
 本日の22時までに、私の書斎へ、仕上げた原稿を提出してくるように。分かったな、レイジ?』
「……、はい、父さん…」

ジョウに畳みかけられたレイジは、観念したかのような風体で、返す。その態度にもジョウは納得しきれていない顔色だったが、それ以上の追及はせず、「じゃあ、また夜に」とだけ言い残して、一方的に、通話を切ってしまった。

液晶画面が、通話用のそれから、デスクトップに戻る。自分で設定している、オニキス将軍の壁紙イラストを見つめながら。レイジは、三度(みたび)、重い重い溜め息を、吐き出した。

レイジが、椅子の背もたれに、深くもたれかかる。ぎしり、とスプリングが鳴る音が、静かで暗い執務室に、響き渡った。

「…、…あー…、かったるい…」

レイジが、そう零す。彼以外の誰もいない部屋では、その言葉に反応を示すモノもいない。それでもレイジは、独り言を紡ぐ。

「こんな窮屈な世界…、誰か、根こそぎひっくり返してくれないかな…」

ぽつりと呟きながら、レイジはパソコンの画面の中で、勇ましいポーズを決める、オニキス将軍を見つめた。

プリンス・テトラにおいて、このオニキス将軍は『世界の革命』を謳うキャラクターだ。そして、オニキス将軍は悪役だが、同じ悪役サイドのヴァイオレットとは違い、彼女はファン層から根強い人気を誇っている。

レイジは、パソコンの画面に被らないように飾っている、オニキス将軍のアクリルスタンドを手に取った。壁紙とは違うが、同じような勇ましいポージングを取った彼女のアクリルスタンドに、レイジは話しかける。

「俺がスピーチする、ランドのショー…、将軍も連れて行ってあげるよ。ちょうど、ヴァイオレットが出る脚本だし。将軍の懐刀の活躍、一緒に見守ろうぜ?
 …てか、むしろ、ついてきて。ひとりは、どうにも、心細いや…」

問うても返事はない。それは当たり前。でも、それが正解。

そこまで語り掛けてから。レイジは、オニキス将軍のアクリルスタンドの表面を、眼鏡用のファイバークロスで丁寧に磨き始めた。

その彼の眼の前に広げてある書類には、『ROG ドリームランド キャラクターショー スピーチ原稿』とタイトル欄に書かれた、レポート用紙がある。
用紙を半分ほど埋めた文字列を構成する字体は、多少、崩されてはいるものの、流れるような美しさがあった。



to be continued...
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