第四章 Fold The Hidden FLAG
【Room EL】
「ねえ、アリスちゃん。キミは、ソラとローザリンデが幼馴染だってこと、知ってた?」
「? いいえ…。それは初耳…」
ルカが手元のタブレット端末に送られてくる電子書類に、次々と署名をしながら、何てことないといった風に、問うてくる。ツバサはルカの隣に腰掛けて、自分の膝の上で広げていたノートパソコンの画面から目を上げて、答えた。
Room ELのメンバーの半分が休暇に入っていることで本来の仕事が回ってきていないこと、そして、秘書官のソラがいないことを理由に。ルカとツバサは、互いのデスクではなく。応接用のソファーに座ったまま、簡単な事務作業をこなしていた。そう、通常時にこのようなことをしていると、絶対にソラが叱ってくる。だが、今日から数日間、ソラは出社してこない。
ルカ曰く、そのソラの幼馴染が、ローザリンデ。ということらしい。ツバサは知らなかった。というより、先のブラックスワンの際にも思ったが、ソラの身辺事情に、彼女は殆ど触れたことが無い。母校に伝説が残るほどの天才児だったソラが、ルカに直接拾われたことで今の地位を開花した、ぐらいのことは、一応、聞きかじった。その程度である。
しかし、どうやら。ソラにはローザリンデという幼馴染がいたようだ。天才とはいえ、彼も孤独ではなかったのかもしれない。ルカが続ける。
「ソラって意味わかんないくらい賢い子だったらしいからさ~。初見でソラに近付く子って、あんまし、いなかったみたいなんだよね~。
でも、ソラが唯一無二の天才だって分かった周囲の大人たちによって、勝手にソラとローザリンデと引き合わせたことが、ふたりの交友のきっかけらしいよ。
まあ、ローザリンデの実家は本土の中では数ある名家だし…。そこのご令嬢と、一般家庭の生まれとは言え、2000年に1人の逸材の男の子…。お互いに、同い年だしね。
なんとなく、周囲の大人の思惑が、分かる話でしょ?」
漫画の世界でよく見る設定だ、と、ツバサは思った。現実でも、そういうことが起こり得るらしい。まあ、確かに。あのふたりなら、持ち前の頭脳なり、美貌なりで、周囲の大人が目先の利益のために利用しそうになっても仕方のないことかもしれない。だが、肝心なのは、ソラとローザリンデの『性格』にあるだろう。
「…まあ、何となく、当時の大人たちの目的は分かるかも…。でも、ソラさんと、ローザリンデさんは、きっと…」
「うん。ただの、お友達同士。何なら、ふたりして、お互いに腐れ縁としか認識してないんじゃないかな?
ソラもローザリンデも、仲は良いみたいだケド…、ふたりの間で、周囲が勝手に期待するようなお伽噺は、生まれないよ。残念ながら、ね」
やはり、そうなるだろう。損得勘定に対して白黒をはっきりつけるタイプであろうソラと、女性らしい一面と併せたとしても、竹を割ったような性格のローザリンデ。おまけに、ふたりして、表向きから既に冷静なタイプ(ソラ)と、表向きは笑顔でも腹の底で冷静なタイプ(ローザリンデ)、と、来たものだ。
…何処まで進んだとしても、彼らが『幼い頃から、よく顔を突き合わせる仲』程度に留まってしまうのは、手に取るように分かる。
そこまで考えて、ん…?、とツバサは、思いつく。小首を傾げたのを見たのか、ルカは「どうしたの?」と問うてきてたのを聞いて、ツバサは答えた。
「ローザリンデさん…、前、私に「おれたちがつるんでいたのは10年前」とか何とか、言っていたから…。私に記憶は無いけれど…。
それがもし本当だとしたら…」
「…。あー…、少なくとも14歳頃のアリスちゃんと、当時のソラが、接触していた可能性がある…ってワケねー。
でも、ソラが言及してこないってことは、案外、逢ったことないのかもよ?
アリスちゃんが14歳だったときは、ソラは17歳だから。まあ、お互いに生活圏が違っただろうしねえ。
それにさ、アリスちゃん、ソラとKALASで話してなかった?同じサッカー部だったケド、3年離れてたせいで、すれ違ってたとか何とか」
「あ、そう言えば、そうだ…。ローザリンデさんという共通点があるのを知っていたなら…、ソラさんが、私のことを「全く知らない」なんて、言わないよね…」
「そうそう。ソラがつまらない嘘なんて吐くわけないんだから。たまたま、接点が無かっただけじゃない?」
確かに。ソラが余計な嘘を吐く理由は、現時点では見当たらない。ルカの言う通りだ。ツバサは納得して、手元のノートパソコンに集中する。それを見たルカもまた、タブレット端末に指を滑らせるのだった。
*****
【本土 鈴ヶ原邸】
ナオトはリビングのソファーで、論文集を読んでいた。が、ふあ…、と、時折、欠伸を噛み殺すあたり。どうやら、微々たる眠気に襲われているらしい。
此処は、ナオトの実家にあたる。彼は鈴蘭にいた頃は、一人暮らしをしていたが。前科持ちになったこと、そして更生プログラムに入ったことで、正式に一人暮らしをする権利を取り下げられている。かといって、監査役であるルカやソラの家に転がり込むことは出来ない。ツバサも尚のこと。となれば、必然的に、ナオトに実家へ帰る以外の選択肢は見当たらなかった。…ただ、彼は、幼い頃より、両親と折り合いが悪い。
今の母親は、所謂、後妻で。ナオトは実父・ヒロムの前妻との間に生まれた息子である。ヒロムの再婚したことで、この家にやってきた後妻・紗枝(さえ)は、当時15歳だったナオトのことは一切、愛することはなく。再婚の際に既にお腹の中に宿っていた娘のことしか、見ていなかった。そして、すぐに生まれた、ナオトの腹違いの妹・鞠絵(まりえ)は、ヒロムと紗の愛情を一身に浴びて、すくすく、のびのびと、育ち。…否、少々、のびのびとしすぎて…。
脇から見ている端役たちからは、もっぱら『ブラコン』と評される女の子になっていた。…しかし、これには深い、深い、事情がある。
「兄貴~、今、ヒマ?プリテトオンラインのイベント、手伝ってほしい~」
リビングに入ってくるなり、派手なピンク色の髪の毛をツインテールにした女子が、ナオトに話しかける。17歳になった、鞠絵だ。
両親の愛を受けて、のびのびと育った鞠絵だったが。彼女は、『温室』に胡坐を掻くような小娘にはならなかった。むしろ、逆。
妹の自分はこんなに愛されているのに。どうして、先にこの家にいたはずの兄・ナオトは、両親から冷たくされているのだろう?
両親に問うても、幼い鞠絵が納得できる答えは返ってこない。それどころか、同じ質問を重ねると、もうその話はするな、と怒られる。―――鞠絵の反抗期は、すぐにやってきた。
ただし、鞠絵は、非行に走るほど愚かな子でも、ましてや、年の離れた男きょうだいに色気づくほど、単純な子でもなかった。
結果。鞠絵が行き着いたのは。『ナオトを兄として尊敬する、妹の鞠絵』という、物の見事な着地点。…とはいえ、両親への反抗心と、17歳という若さゆえ、身なりと背格好は、割と派手め…、というか、ハッキリと言うと、ギャルである。
ピンク色の髪は染めているものだし、服装やコスメは、フリマアプリや量販店などを駆使して購入している。褒められるべきところは、これらにかかるであろうお金の全ては、鞠絵が自らアルバイトをして、稼いだ給料から捻出している、という点だ。
そして、最も驚くべきところは。鞠絵の金銭感覚に対する教育を施したのは、両親ではなく。兄のナオトであること。鞠絵を猫可愛がりするだけの両親は、肝心の教育を、彼女に施していなかった。だからこそ、ナオトは兄として、自分を慕ってくれる妹に、社会で生きて行くための知恵と知識を、教え込んだ。その時、傍らで彼が既に、雪坂綺子の家庭教師をしていた影響も、大きかったのかもしれない。
そういう経緯で。互いに尊重し合い、ふたりの間で、温かい絆を育んできた鈴ヶ原兄妹は。大きな喧嘩も無いままに、仲の良いきょうだいとして、理想的な図式を成立させていた。
こうして、ナオトが前科持ちとなってしまった今も尚。鞠絵が彼に、以前と変わらず接してくれるのが、良い証拠である。
ちなみに、継母・紗枝は、昔から冷たかった態度に加え、ナオトへは更に刺々しい言動が加わり。実父・ヒロムは、そんな紗枝の態度も含め、ナオトのことを丸ごと放置・無視し始めている状態だ。
「ログインとデイリーだけはしてますが…。今の僕のチームで、マリーのお役に立てるでしょうか」
「立てる、立てるっ。兄貴の持ってるオニキス将軍、めーっちゃ強いもんっ。
それにさっ。ウチさ、この前のピックアップガチャの無料分で、ヴァイオレット、引いたじゃん?
兄貴がいま持ってるオニキス将軍と組み合わせたら、相互スキルが発動して、バ火力が叩き出せるッ!」
心から謙遜するナオトに対しても、鞠絵は特に動じる様子もなく、むしろ肯定する点を見出して、返答する。ふたりして、手持ちのスマートフォンから、『プリンス・テトラ オンライン』、通称『プリテトオンライン』のアプリを起動させる。
これは、プリンス・テトラのアプリゲーム版だ。原作のテレビアニメとは、別個のストーリーを有しているが。原作のキャラクターや世界観を一切壊さず、しかし、独自の脚本を展開していくのが、人気の理由。それもあって、原作のテレビアニメは見ていないが、アプリゲーム版は遊んでいる、という消費者の声は、決して少なくない。実際、鞠絵がそうである。
ナオトが、自分のフレンドの中から、『マリー』の名前をタップして、続けて『サポート』を選ぶ。
一方、鞠絵は『サポートメンバーが来ました!』の文字を確認して、画面をタップする。そして、『naoto』のユーザー名が表示されたチームから、『オニキス将軍』というキャラクターを選び取った。
「よーし、目指せ!ランク2000位以内!出撃~っ!」
「ゲーム内とは言え、無理はしないでくださいね、マリー」
「ダイジョーブ!マリーに任せな!兄貴の分まで、報酬のガチャ石、ブン取ってきてやんよ!」
ナオトの隣を陣取った鞠絵が、奮起して、『出撃!』を文字をタップした。
プリンス・テトラ オンラインは、パズル性のあるアクションゲームだ。キャラクターのカードを揃えて、4人1組のチームを作り、出陣したカードのキャラクターのスキルなどを駆使して、敵を倒す。ステージをクリアすれば、経験値や、攻略に役立つアイテム、ガチャを引くための石など、様々なものが手に入る。たまに出現する、レア宝箱なるものを開けることが出来れば、更に豪華な報酬を受け取ることも可能。…という、ゲームの仕組み自体は、至ってシンプルなソーシャルゲームである。
ゲームに集中する鞠絵を、ナオトは穏やかな視線で見守る。彼のオッドアイは、いつもの凪いだ湖面のような静けさを湛えていた。
間も無く。派手な音と、エフェクトがちらついた後、画面の中央に、『勝利!』の文字が踊る。
それを見た鞠絵が、キャッキャッとはしゃぎながら、ナオトの腕に絡みついた。
「見た見た?!兄貴のオニキス将軍と、ウチのヴァイオレット!相互スキル発動で、最高ダメージ3万越え!これはアツい!アツすぎ!
これは今夜中に、2000位内にイケるよ!ありがと~兄貴~!」
「こちらこそ、いつも僕のチームのキャラクターをサポートに使ってくれて、ありがとうございます」
「ウェーイ!兄貴ダイスキ~~!」
その後、ふたりで獲得した報酬を確認していると。不意に、リビングに入って来た、人影。すぐに気が付いたナオトが視線を上げると、そこにいたのは。
「妙に騒々しいと思ったら…。ナオトさんと一緒だったのね、鞠絵」
紗枝だ。彼女は苦い表情をしながら、ナオトを見やる。彼は特に反応を示さないように努めていたが、反抗期に入っている鞠絵は違う。
「なーに?ウチが兄貴と遊んじゃいけないってーの?」
そう言いながら、アイラインを引いた鞠絵の目が、鋭く紗枝を射抜く。紗枝は、今度は鞠絵に視線を移して、叱責を飛ばした。
「鞠絵、そのみっともない身なり、口調、早急に改めなさいと、何度言わせるの?
それに、年頃の娘が、兄とはいえ、異性にべたべたと引っ付くのも、誤解を招く行為だと―――」
「―――うっさいなあ!別にいーじゃん!ウチが好きなお洋服着ようが、兄貴と遊ぼうが!ママには関係ないでしょ?!
てか、それ、ぜーんぶママの勝手な都合じゃん?!ウチも兄貴も怒られることなくね?!」
「鞠絵!!親に向かって、なんという口の利き方をするの!?」
「ママこそッ!!ウチにママの理想を押し付けるのも、兄貴だけ無視すんのも、いい加減やめてくんないッ?!そーゆーの、マジキモいんですけど!!」
あっという間に始まる、親子喧嘩。その間のナオトと言えば、社用のスマートフォンを突いている。彼はルカ相手に軽いやり取りをして、求めていた答えを得た後。すぐに社用携帯の画面をオフにして。
未だに紗枝と言い合う鞠絵に向かって、話しかけた。
「マリー。ヒルカリオにある『クロエ』に行きませんか?前に、クロエ名物のカツサンドが気になっている、と言っていたでしょう?」
「え?いいの?あ…、で、でも、兄貴には、行動制限が…」
「たった今、直属の上司に申告して、代替の監査役を手配して貰いましたので。後は、僕の社員証を使えば、家族であるマリーは、無料で入島が可能ですよ。その代わり、出入時の手荷物検査は受けて頂きます」
ナオトはヒルカリオにある喫茶店『クロエ』に、鞠絵を誘う。右藤さゆり案件の際に、ツバサとソラが入った、あの店のことである。喫茶店とあり、コーヒー、紅茶も美味であるが。一番の名物は、『箸だけで切れるほど柔らかい』という謳い文句のついた、揚げたてのヒレカツを使った、カツサンドだ。
SNSの情報に敏感な若者の憧れの的になっている一品だが。ヒルカリオに敷かれている厳しい入島制限や、島全体の物価が高いこともあり、中々、本土の若者たちの手の届かない存在のひとつにもなっている。
そういう事情もあり、鞠絵の興味関心は、一直線にナオトの誘いに向かった。
「いいの?ホントいいの?!クロエ名物のカツサンド、ウチ、今から食べに行けるの?!」
「ええ、僕がお連れしますよ、マリー」
「ヤッタァ!兄貴ダイスキ!
じゃあ、ウチ、ちょっぱやで支度してくる~~!」
鞠絵は、母親との喧嘩など、もう忘れたとばかりに。ぴょんぴょん、と上機嫌でスキップしながら、支度のため、自分の部屋へと帰って行く。
それを見送った紗枝とナオトは、ふ、と、互いに視線を合わせた。
「若い娘を食べ物で釣るなんて…、なんて卑しいのかしら。犯罪者の考えることなんて、私には理解に苦しむわ」
「僕はマリーの良き兄としてありたいと願っているだけです。その行動理念に対して、貴女の理解は、ひとつも必要ありません」
静かに散る、火花。されとて、紗枝は、内なる焦りを感じ取っていた。ナオトの左右で色の違う、この瞳。昔から、この双眸に真っ直ぐと見つめられるのが、紗枝は苦手だった。前妻の息子であるうえに、実父のヒロムにさえ「何を考えているのか、時折、分からなくなる子だ」と言わしめるほど、聡明で、且つ、不思議な雰囲気を放つ少年だったナオトは。紗枝にとって、密かな脅威だった。
今もそう。腹を痛めて産んだ愛娘・鞠絵の愛は、自分から離れて、ナオトに向けられている。彼女を産み、育てたのは、実の母である自分であるはずなのに。それなのに、鞠絵は反抗期に入っていることを差し引いても、兄のナオトにべったりだ。
おまけとばかりに、先の転売屋事件を経て、前科持ちになってしまったナオトに対して、紗枝は、てっきり、彼がしょぼくれて帰って来るのかと、そして、それを切り口に、今までの苦心の仕返しが出来ると、内心、ほくそ笑んでいたというのに。…どういうわけか、ナオトは以前よりも遥かにしたたかになったうえに、堂々と胸を張り、ROG. COMPANY本社へと出向している始末。
苦心の仕返しどころか、ナオトの牙城の如き精神力を崩す隙が、全く見当たらない。
苦々しい思いを渦巻かせながら、紗枝がナオトを睨んでいると。当のナオトは、フッと、妖しく微笑んでから。薄付きのリップを塗った唇を開いた。
「すみませんが、僕も支度がありますので。これ以上、貴女とかかずりあう時間はありません」
「か、かかず…ッ?!」
「では、一旦、失礼します。18時頃までには、帰ってこれるよう努力します。遅くなりそうでしたら、またご連絡させていただきますね」
「…ッ、…。」
完全に言い伏せられた紗枝を横目に、ナオトは自分の身支度のため。私用と社用のスマートフォン、そして読みかけの論文集を持って、リビングを後にした。
to be continued...
「ねえ、アリスちゃん。キミは、ソラとローザリンデが幼馴染だってこと、知ってた?」
「? いいえ…。それは初耳…」
ルカが手元のタブレット端末に送られてくる電子書類に、次々と署名をしながら、何てことないといった風に、問うてくる。ツバサはルカの隣に腰掛けて、自分の膝の上で広げていたノートパソコンの画面から目を上げて、答えた。
Room ELのメンバーの半分が休暇に入っていることで本来の仕事が回ってきていないこと、そして、秘書官のソラがいないことを理由に。ルカとツバサは、互いのデスクではなく。応接用のソファーに座ったまま、簡単な事務作業をこなしていた。そう、通常時にこのようなことをしていると、絶対にソラが叱ってくる。だが、今日から数日間、ソラは出社してこない。
ルカ曰く、そのソラの幼馴染が、ローザリンデ。ということらしい。ツバサは知らなかった。というより、先のブラックスワンの際にも思ったが、ソラの身辺事情に、彼女は殆ど触れたことが無い。母校に伝説が残るほどの天才児だったソラが、ルカに直接拾われたことで今の地位を開花した、ぐらいのことは、一応、聞きかじった。その程度である。
しかし、どうやら。ソラにはローザリンデという幼馴染がいたようだ。天才とはいえ、彼も孤独ではなかったのかもしれない。ルカが続ける。
「ソラって意味わかんないくらい賢い子だったらしいからさ~。初見でソラに近付く子って、あんまし、いなかったみたいなんだよね~。
でも、ソラが唯一無二の天才だって分かった周囲の大人たちによって、勝手にソラとローザリンデと引き合わせたことが、ふたりの交友のきっかけらしいよ。
まあ、ローザリンデの実家は本土の中では数ある名家だし…。そこのご令嬢と、一般家庭の生まれとは言え、2000年に1人の逸材の男の子…。お互いに、同い年だしね。
なんとなく、周囲の大人の思惑が、分かる話でしょ?」
漫画の世界でよく見る設定だ、と、ツバサは思った。現実でも、そういうことが起こり得るらしい。まあ、確かに。あのふたりなら、持ち前の頭脳なり、美貌なりで、周囲の大人が目先の利益のために利用しそうになっても仕方のないことかもしれない。だが、肝心なのは、ソラとローザリンデの『性格』にあるだろう。
「…まあ、何となく、当時の大人たちの目的は分かるかも…。でも、ソラさんと、ローザリンデさんは、きっと…」
「うん。ただの、お友達同士。何なら、ふたりして、お互いに腐れ縁としか認識してないんじゃないかな?
ソラもローザリンデも、仲は良いみたいだケド…、ふたりの間で、周囲が勝手に期待するようなお伽噺は、生まれないよ。残念ながら、ね」
やはり、そうなるだろう。損得勘定に対して白黒をはっきりつけるタイプであろうソラと、女性らしい一面と併せたとしても、竹を割ったような性格のローザリンデ。おまけに、ふたりして、表向きから既に冷静なタイプ(ソラ)と、表向きは笑顔でも腹の底で冷静なタイプ(ローザリンデ)、と、来たものだ。
…何処まで進んだとしても、彼らが『幼い頃から、よく顔を突き合わせる仲』程度に留まってしまうのは、手に取るように分かる。
そこまで考えて、ん…?、とツバサは、思いつく。小首を傾げたのを見たのか、ルカは「どうしたの?」と問うてきてたのを聞いて、ツバサは答えた。
「ローザリンデさん…、前、私に「おれたちがつるんでいたのは10年前」とか何とか、言っていたから…。私に記憶は無いけれど…。
それがもし本当だとしたら…」
「…。あー…、少なくとも14歳頃のアリスちゃんと、当時のソラが、接触していた可能性がある…ってワケねー。
でも、ソラが言及してこないってことは、案外、逢ったことないのかもよ?
アリスちゃんが14歳だったときは、ソラは17歳だから。まあ、お互いに生活圏が違っただろうしねえ。
それにさ、アリスちゃん、ソラとKALASで話してなかった?同じサッカー部だったケド、3年離れてたせいで、すれ違ってたとか何とか」
「あ、そう言えば、そうだ…。ローザリンデさんという共通点があるのを知っていたなら…、ソラさんが、私のことを「全く知らない」なんて、言わないよね…」
「そうそう。ソラがつまらない嘘なんて吐くわけないんだから。たまたま、接点が無かっただけじゃない?」
確かに。ソラが余計な嘘を吐く理由は、現時点では見当たらない。ルカの言う通りだ。ツバサは納得して、手元のノートパソコンに集中する。それを見たルカもまた、タブレット端末に指を滑らせるのだった。
*****
【本土 鈴ヶ原邸】
ナオトはリビングのソファーで、論文集を読んでいた。が、ふあ…、と、時折、欠伸を噛み殺すあたり。どうやら、微々たる眠気に襲われているらしい。
此処は、ナオトの実家にあたる。彼は鈴蘭にいた頃は、一人暮らしをしていたが。前科持ちになったこと、そして更生プログラムに入ったことで、正式に一人暮らしをする権利を取り下げられている。かといって、監査役であるルカやソラの家に転がり込むことは出来ない。ツバサも尚のこと。となれば、必然的に、ナオトに実家へ帰る以外の選択肢は見当たらなかった。…ただ、彼は、幼い頃より、両親と折り合いが悪い。
今の母親は、所謂、後妻で。ナオトは実父・ヒロムの前妻との間に生まれた息子である。ヒロムの再婚したことで、この家にやってきた後妻・紗枝(さえ)は、当時15歳だったナオトのことは一切、愛することはなく。再婚の際に既にお腹の中に宿っていた娘のことしか、見ていなかった。そして、すぐに生まれた、ナオトの腹違いの妹・鞠絵(まりえ)は、ヒロムと紗の愛情を一身に浴びて、すくすく、のびのびと、育ち。…否、少々、のびのびとしすぎて…。
脇から見ている端役たちからは、もっぱら『ブラコン』と評される女の子になっていた。…しかし、これには深い、深い、事情がある。
「兄貴~、今、ヒマ?プリテトオンラインのイベント、手伝ってほしい~」
リビングに入ってくるなり、派手なピンク色の髪の毛をツインテールにした女子が、ナオトに話しかける。17歳になった、鞠絵だ。
両親の愛を受けて、のびのびと育った鞠絵だったが。彼女は、『温室』に胡坐を掻くような小娘にはならなかった。むしろ、逆。
妹の自分はこんなに愛されているのに。どうして、先にこの家にいたはずの兄・ナオトは、両親から冷たくされているのだろう?
両親に問うても、幼い鞠絵が納得できる答えは返ってこない。それどころか、同じ質問を重ねると、もうその話はするな、と怒られる。―――鞠絵の反抗期は、すぐにやってきた。
ただし、鞠絵は、非行に走るほど愚かな子でも、ましてや、年の離れた男きょうだいに色気づくほど、単純な子でもなかった。
結果。鞠絵が行き着いたのは。『ナオトを兄として尊敬する、妹の鞠絵』という、物の見事な着地点。…とはいえ、両親への反抗心と、17歳という若さゆえ、身なりと背格好は、割と派手め…、というか、ハッキリと言うと、ギャルである。
ピンク色の髪は染めているものだし、服装やコスメは、フリマアプリや量販店などを駆使して購入している。褒められるべきところは、これらにかかるであろうお金の全ては、鞠絵が自らアルバイトをして、稼いだ給料から捻出している、という点だ。
そして、最も驚くべきところは。鞠絵の金銭感覚に対する教育を施したのは、両親ではなく。兄のナオトであること。鞠絵を猫可愛がりするだけの両親は、肝心の教育を、彼女に施していなかった。だからこそ、ナオトは兄として、自分を慕ってくれる妹に、社会で生きて行くための知恵と知識を、教え込んだ。その時、傍らで彼が既に、雪坂綺子の家庭教師をしていた影響も、大きかったのかもしれない。
そういう経緯で。互いに尊重し合い、ふたりの間で、温かい絆を育んできた鈴ヶ原兄妹は。大きな喧嘩も無いままに、仲の良いきょうだいとして、理想的な図式を成立させていた。
こうして、ナオトが前科持ちとなってしまった今も尚。鞠絵が彼に、以前と変わらず接してくれるのが、良い証拠である。
ちなみに、継母・紗枝は、昔から冷たかった態度に加え、ナオトへは更に刺々しい言動が加わり。実父・ヒロムは、そんな紗枝の態度も含め、ナオトのことを丸ごと放置・無視し始めている状態だ。
「ログインとデイリーだけはしてますが…。今の僕のチームで、マリーのお役に立てるでしょうか」
「立てる、立てるっ。兄貴の持ってるオニキス将軍、めーっちゃ強いもんっ。
それにさっ。ウチさ、この前のピックアップガチャの無料分で、ヴァイオレット、引いたじゃん?
兄貴がいま持ってるオニキス将軍と組み合わせたら、相互スキルが発動して、バ火力が叩き出せるッ!」
心から謙遜するナオトに対しても、鞠絵は特に動じる様子もなく、むしろ肯定する点を見出して、返答する。ふたりして、手持ちのスマートフォンから、『プリンス・テトラ オンライン』、通称『プリテトオンライン』のアプリを起動させる。
これは、プリンス・テトラのアプリゲーム版だ。原作のテレビアニメとは、別個のストーリーを有しているが。原作のキャラクターや世界観を一切壊さず、しかし、独自の脚本を展開していくのが、人気の理由。それもあって、原作のテレビアニメは見ていないが、アプリゲーム版は遊んでいる、という消費者の声は、決して少なくない。実際、鞠絵がそうである。
ナオトが、自分のフレンドの中から、『マリー』の名前をタップして、続けて『サポート』を選ぶ。
一方、鞠絵は『サポートメンバーが来ました!』の文字を確認して、画面をタップする。そして、『naoto』のユーザー名が表示されたチームから、『オニキス将軍』というキャラクターを選び取った。
「よーし、目指せ!ランク2000位以内!出撃~っ!」
「ゲーム内とは言え、無理はしないでくださいね、マリー」
「ダイジョーブ!マリーに任せな!兄貴の分まで、報酬のガチャ石、ブン取ってきてやんよ!」
ナオトの隣を陣取った鞠絵が、奮起して、『出撃!』を文字をタップした。
プリンス・テトラ オンラインは、パズル性のあるアクションゲームだ。キャラクターのカードを揃えて、4人1組のチームを作り、出陣したカードのキャラクターのスキルなどを駆使して、敵を倒す。ステージをクリアすれば、経験値や、攻略に役立つアイテム、ガチャを引くための石など、様々なものが手に入る。たまに出現する、レア宝箱なるものを開けることが出来れば、更に豪華な報酬を受け取ることも可能。…という、ゲームの仕組み自体は、至ってシンプルなソーシャルゲームである。
ゲームに集中する鞠絵を、ナオトは穏やかな視線で見守る。彼のオッドアイは、いつもの凪いだ湖面のような静けさを湛えていた。
間も無く。派手な音と、エフェクトがちらついた後、画面の中央に、『勝利!』の文字が踊る。
それを見た鞠絵が、キャッキャッとはしゃぎながら、ナオトの腕に絡みついた。
「見た見た?!兄貴のオニキス将軍と、ウチのヴァイオレット!相互スキル発動で、最高ダメージ3万越え!これはアツい!アツすぎ!
これは今夜中に、2000位内にイケるよ!ありがと~兄貴~!」
「こちらこそ、いつも僕のチームのキャラクターをサポートに使ってくれて、ありがとうございます」
「ウェーイ!兄貴ダイスキ~~!」
その後、ふたりで獲得した報酬を確認していると。不意に、リビングに入って来た、人影。すぐに気が付いたナオトが視線を上げると、そこにいたのは。
「妙に騒々しいと思ったら…。ナオトさんと一緒だったのね、鞠絵」
紗枝だ。彼女は苦い表情をしながら、ナオトを見やる。彼は特に反応を示さないように努めていたが、反抗期に入っている鞠絵は違う。
「なーに?ウチが兄貴と遊んじゃいけないってーの?」
そう言いながら、アイラインを引いた鞠絵の目が、鋭く紗枝を射抜く。紗枝は、今度は鞠絵に視線を移して、叱責を飛ばした。
「鞠絵、そのみっともない身なり、口調、早急に改めなさいと、何度言わせるの?
それに、年頃の娘が、兄とはいえ、異性にべたべたと引っ付くのも、誤解を招く行為だと―――」
「―――うっさいなあ!別にいーじゃん!ウチが好きなお洋服着ようが、兄貴と遊ぼうが!ママには関係ないでしょ?!
てか、それ、ぜーんぶママの勝手な都合じゃん?!ウチも兄貴も怒られることなくね?!」
「鞠絵!!親に向かって、なんという口の利き方をするの!?」
「ママこそッ!!ウチにママの理想を押し付けるのも、兄貴だけ無視すんのも、いい加減やめてくんないッ?!そーゆーの、マジキモいんですけど!!」
あっという間に始まる、親子喧嘩。その間のナオトと言えば、社用のスマートフォンを突いている。彼はルカ相手に軽いやり取りをして、求めていた答えを得た後。すぐに社用携帯の画面をオフにして。
未だに紗枝と言い合う鞠絵に向かって、話しかけた。
「マリー。ヒルカリオにある『クロエ』に行きませんか?前に、クロエ名物のカツサンドが気になっている、と言っていたでしょう?」
「え?いいの?あ…、で、でも、兄貴には、行動制限が…」
「たった今、直属の上司に申告して、代替の監査役を手配して貰いましたので。後は、僕の社員証を使えば、家族であるマリーは、無料で入島が可能ですよ。その代わり、出入時の手荷物検査は受けて頂きます」
ナオトはヒルカリオにある喫茶店『クロエ』に、鞠絵を誘う。右藤さゆり案件の際に、ツバサとソラが入った、あの店のことである。喫茶店とあり、コーヒー、紅茶も美味であるが。一番の名物は、『箸だけで切れるほど柔らかい』という謳い文句のついた、揚げたてのヒレカツを使った、カツサンドだ。
SNSの情報に敏感な若者の憧れの的になっている一品だが。ヒルカリオに敷かれている厳しい入島制限や、島全体の物価が高いこともあり、中々、本土の若者たちの手の届かない存在のひとつにもなっている。
そういう事情もあり、鞠絵の興味関心は、一直線にナオトの誘いに向かった。
「いいの?ホントいいの?!クロエ名物のカツサンド、ウチ、今から食べに行けるの?!」
「ええ、僕がお連れしますよ、マリー」
「ヤッタァ!兄貴ダイスキ!
じゃあ、ウチ、ちょっぱやで支度してくる~~!」
鞠絵は、母親との喧嘩など、もう忘れたとばかりに。ぴょんぴょん、と上機嫌でスキップしながら、支度のため、自分の部屋へと帰って行く。
それを見送った紗枝とナオトは、ふ、と、互いに視線を合わせた。
「若い娘を食べ物で釣るなんて…、なんて卑しいのかしら。犯罪者の考えることなんて、私には理解に苦しむわ」
「僕はマリーの良き兄としてありたいと願っているだけです。その行動理念に対して、貴女の理解は、ひとつも必要ありません」
静かに散る、火花。されとて、紗枝は、内なる焦りを感じ取っていた。ナオトの左右で色の違う、この瞳。昔から、この双眸に真っ直ぐと見つめられるのが、紗枝は苦手だった。前妻の息子であるうえに、実父のヒロムにさえ「何を考えているのか、時折、分からなくなる子だ」と言わしめるほど、聡明で、且つ、不思議な雰囲気を放つ少年だったナオトは。紗枝にとって、密かな脅威だった。
今もそう。腹を痛めて産んだ愛娘・鞠絵の愛は、自分から離れて、ナオトに向けられている。彼女を産み、育てたのは、実の母である自分であるはずなのに。それなのに、鞠絵は反抗期に入っていることを差し引いても、兄のナオトにべったりだ。
おまけとばかりに、先の転売屋事件を経て、前科持ちになってしまったナオトに対して、紗枝は、てっきり、彼がしょぼくれて帰って来るのかと、そして、それを切り口に、今までの苦心の仕返しが出来ると、内心、ほくそ笑んでいたというのに。…どういうわけか、ナオトは以前よりも遥かにしたたかになったうえに、堂々と胸を張り、ROG. COMPANY本社へと出向している始末。
苦心の仕返しどころか、ナオトの牙城の如き精神力を崩す隙が、全く見当たらない。
苦々しい思いを渦巻かせながら、紗枝がナオトを睨んでいると。当のナオトは、フッと、妖しく微笑んでから。薄付きのリップを塗った唇を開いた。
「すみませんが、僕も支度がありますので。これ以上、貴女とかかずりあう時間はありません」
「か、かかず…ッ?!」
「では、一旦、失礼します。18時頃までには、帰ってこれるよう努力します。遅くなりそうでしたら、またご連絡させていただきますね」
「…ッ、…。」
完全に言い伏せられた紗枝を横目に、ナオトは自分の身支度のため。私用と社用のスマートフォン、そして読みかけの論文集を持って、リビングを後にした。
to be continued...