第四章 Fold The Hidden FLAG

むかし、むかし。あるところに、たいへんうつくしいむすめがおりました。そのむすめはみすぼらしいかっこうをさせられて、ままははと、あねたちにいじめられながら、まいにち、いえのしごとのすべてをおしつけられて、すごしておりました。そうじをしただんろのはいを、あたまからかぶったすがたから、みにくいはいかぶり、といわれ、あねたちから、からかわれていました。
ですが、むすめはけっしてあきらめません。いつか、きれいなドレスをきて、ぶとうかいにいくひをゆめみながら、まいばん、おつきさまにむかって、いのりをささげていました。いまはみすぼらしいかっこうをしていても、あたまからはいをかぶっても、むすめのこころは、つねにうつくしいままだったのです。
おつきさまは、そんなむすめのうつくしいこころにひかれて、むすめにまほうをかけてあげました。
せかいでいちばんうつくしいドレスをもらったむすめは、おつきさまにおれいをいったあと、よろこんで、ぶとうかいにいったのです。



どうやら、うつらうつら、としていたらしい。ツバサは、ふ、と意識を取り戻した。あたたかくて、柔らかいものに包まれているのが分かる。重い瞼を開けると、見慣れた執務室の内装があった。そして耳朶に馴染む、艶のある低い声が聞こえる。

「そして、舞踏会に行った娘は、そこで王子様と出逢い―――…、あ、起きた?アリスちゃん」

ルカだった。どうやらツバサは、彼の腕と肩にもたれかかるようにして、居眠りをしていたようだ。ルカは好きに眠らせていた傍ら、彼女の身体が冷えないように、ブランケットまでかけてくれていたらしい。
Room ELの空調は完全な制御下に置かれており、季節と外気温に合わせて、常に最適な室温へと自動的に調整される仕組みだ。 ただ、今の論点はそこではなく、ルカがツバサを思いやってくれたこと。その一点に尽きる。

今、Room ELには、ルカとツバサしかいない。ソラとナオトは今日から『特別休暇』を与えられている。
右藤さゆりの案件、オーバーミラー、そして、先のブラックスワン。確たる成績を挙げ続けたRoom ELに対して、ROG. COMPANYの社長・前岩田ジョウが、彼らに『特別休暇』という形で、報奨を与えたのだった。予定通りに進めば、ソラもナオトも、今日から4日間は、ゆっくりと休める。そして、ふたりの休暇と共に、今週末が明けると。入れ替わりで、ルカとツバサが休暇に入るのである。

ツバサがブランケットを畳んでいると、ルカが私用のスマートフォンを突きながら、彼女へ話しかけた。

「ねえ、アリスちゃん。休暇の間さ、ふたりでお出かけしない?」
「お出かけ…?何処へ…?」
「ROGドリームランド。アリスちゃんは、行ったことあるんだっけ?」

ROGドリームランド、とは。ROG. COMPANYが運営している、巨大なテーマパークのことだ。ヒルカリオの最南端の海浜近くにある。
子どもから大人まで楽しめる、夢のテーマパークとして。本土からの客層をメインターゲットにしつつ、SNSでは常に話題に取り上げられているウルトラビッグコンテンツだ。

「養護院の遠足と、高校の修学旅行で、2回…かな…?たぶん…」

ツバサは古い記憶を呼び起こしながら、答えた。ただ、養護院時代の遠足のときとは違い、高校の修学旅行時の思い出は、ほろ苦いものだったりする。
ツバサの回想を知ってか知らずか。否、恐らく知らないままに、ルカは続けた。

「ROGドリームランドで、プリンス・テトラのスペシャルショーがあるの知ってる?そこのプラチナチケット、融通して貰っちゃったんだ〜」

どうやら、ルカは一番レートの高いチケットを手に入れたらしい。が、ツバサからすれば、その入手経路が気になって仕方がない。どうしてこの男は、こうも簡単に、さらりと、人間味の無いことが出来るのだろう。軍事兵器とて、人間社会に紛れ込んでいる以上、何かしら学んでこなかったのだろうか。

「そのチケット、本当に合法の入手ルートなの…?」
「役員報酬みたいなもんだから。アリスちゃん、忘れてない?オレは三級高等幹部だよ?これくらいのご褒美がないと、さすがにモチベーションが無くなっちゃうからね~。
 …で、オレと一緒に、お出かけしてくれる?それとも、お土産の代行だけにする?」

そこまで言われて、う゛…、とツバサは悩む。
プリンス・テトラのスペシャルショー。しかも、プラチナチケットとなれば。此処で断れば、一生、巡り合わせは無いだろうと思える。というより、無いに決まっている。

「悩んでる?じゃあ、とっておきの情報、あげちゃう」

ルカはそう言うと、悪戯っぽく微笑みながら、ツバサの耳元に囁く。

「この日の脚本はね。ヴァイオレット様が、いるよ」
「…!!」

最推しの名前を告げられて、ツバサは震撼した。
史上最強の軍事兵器が仄めかす、悪魔のような甘美な誘い文句。…愚かだと、チョロイのだと、揶揄されてもいい。何故ならば。

「行きたい…!ヴァイオレット様に逢いたい…!
 ルカ、私をパークに連れて行って…!」

そう。人間誰しも。自分の推しを前にしては、無力なのである。

そんな様子のツバサを見たルカは。彼女のことが愛おしくて堪らない、といった風の笑みを浮かべながら。スマートフォンで、電子チケットの発券の手続きをしたのだった。


*****


【本土 某所】

カポーン、と鹿威しが風流に鳴り響くほどの静寂。しかし、苦痛にはあらず。

秋の訪れを感じる、立派な日本庭園を横目に。ソラは出されたコーヒーに手を付ける。いつもの無表情・無感情。だが、そんなソラを、穏やかな笑みで見やる男性が、ひとり。彼はソラの対面に座っており、玉露が淹れられた己の湯呑みを傾ける。傍には、ソラが手土産に持って来た栗羊羹が、早速、茶請けとして出されていた。

栗羊羹に黒文字を入れて、一口大に切り、頬張る。ゆっくりと咀嚼し、味わう。べらぼうに値が張るものでもないが。ソラの確かな審美眼が見抜いた一品である。男性は満足そうに味わった後、「美味…」と、感無量の如き言葉を零した。

『凌士(りょうじ)・テイスワート』――――、それが、この男の名前である。
本土に数ある名家のひとつ、テイスワート家の長男であり、現当主に収まっている人物。だが、生まれつき病弱体質であるが故、当主は継げども、テイスワート家が保有する巨大財閥の社長業は、凌士の妻・フレーヌが勤めているのが現状だ。

「して、凌士さん。お変わりなくお過ごしでしょうか」
「ああ、おかげさまで。最近は、トレーニングメニューを更新して貰えるくらいに、元気さ。
 ほら、見て見て。ちょっと、筋肉がついたんだよ」

ソラの問いかけに対して、凌士は朗らかな笑顔で答える。そして、着ている和服の袖を捲ると、己の腕を露出させて、力こぶを作る仕草を見せた。
本人曰く、筋肉がついた、とのことだが。残念ながら、ソラの眼には、凌士の腕に筋肉がついているようには見えなかった。それでも、直近では一番、健康的な太さをしているのは分かる。顔の肌艶も、血色も大変良い。

「何よりです。ですが、どうかご無理なさらず。トレーニングのしすぎで倒れる、などといったことは、くれぐれもおやめください」
「はは、フレーヌやローザリンデと同じことを言ってくれるんだね。
 相変わらず優しいなあ、ソラくんは。やっぱり、弟に欲しいくらいだよ」
「残念ながら、俺は兄が欲しいと思ったことはありませんので。
 ところで、凌士さん。ローザリンデから聞いたのですが、フレーヌさんがご懐妊だと―――」

会話の雲行きが怪しくなりそうになるのを感じ取り、ソラは話題の軌道修正を試みようとする。が。

「―――ああ、やっぱり、ローザリンデが話していたんだね。ふたりは今も仲が良いみたいで、何より、何より」
「…、フレーヌさんが、子どもを授かった、と、」
「そうそう。女の子なんだよ。ねえねえ、ソラくん。『姪っ子』って響きに興味はない?」
「一切合切、ありません。
 凌士さん、本日、俺がこちらへ伺ったのは。貴方の夢物語を聞くためではなく―――」
「―――Future in my hands.
 ROG. COMPANYのキャッチコピーだよね。本当に、良い言葉だ」
「凌士さん、どうか今一度、俺の主張に耳を傾けてくれやがれ、マジではっ倒すぞコノヤロウ」

成立しているようで、全く成立しない、ソラと凌士の会話。ソラの最後の台詞により、一旦、途切れた。

カポーン、と鹿威しの音が、風流な空気だけを運んでくるものの。形だけの雅など、その場に落ちて、終わる。
残るのは、男ふたりの、噛み合わない主張のぶつかり合いの余韻だけ。

「「…。」」

ソラと凌士。互いに、コーヒーカップと、湯呑みを傾ける。ただし、一分の隙も見せぬよう。これは一息つくためではなく、これから始まる戦いへの準備。少しでも喉を潤し、主張を途切れさせぬようにするための、戦支度。

両者、同時にカップと湯呑みを置く。

「今日、こちらに来てくれたのは、ローザリンデと遊ぶためだよね?ソラくん?」
「いいえ、貴方へのお見舞いが目的です。社外にいるときまで、ローザリンデと顔を突き合わせる理由はありませんので」

即時、開戦。先攻を取られたソラは内心、チッ、と舌打ちしたが。とはいえ、ここで挫ける男でもない。眼の前におわすボスとて、逃げることさえ出来れば、ソラにとっては勝利も同然。

「そうか。ということは、会社では、妹は変わらず、ソラくんと仲良くさせて貰っているというわけだね。良かった。それなら、尚更。
 今、ローザリンデは買い物に行っているけれど、あと1時間以内に帰ってくると思うから、それまで凌士お兄様とプリテトオンラインでもし―――」
「―――今すぐ帰りますので、結構です。あと、プリテトオンラインの本イベント、俺はもう走り終わったので―――」
「―――あ、見てみて。レア宝箱~。お兄様、これをソラくんと協力して、ゲットしたいな~?」
「その辺で聞き耳を立てているお手伝いさんと一緒にどうぞ。では、俺は早々に失礼し―――」

「―――あれ?ソラじゃん。お兄様の見舞いか?」

勝利を、手繰り寄せられる、はずだった。なのに。どうして。
ソラは、ジトリ、と、縁側に立っている女性―――ローザリンデを見やった。互いに社外で、且つ、休暇中のため、見慣れぬ私服姿である。
一方の凌士は、にこにこにこにこ、と無限に笑顔を浮かべているが。どこか滲み出る、ドヤ感。隠せない、してやったり。
その凌士の様子を横目に、ソラがジト目のまま、縁側に棒立ちのローザリンデに問いかけた。

「何故いる?貴様?」
「お前こそ?いやそもそも?ここはおれの実家だから、おれがいるのは当たり前だろーがよ?」
「あと1時間は、俺の逃走の猶予があったはずなのだが?」
「それ絶対、お兄様のガバガバ予測だろ?」
「確かに」
「うわー、ハメられてやーんの、バカソラー」
「黙れ、お転婆ローズ」

ソラとローザリンデが、実に不毛な言い争いを繰り広げる。ROG. COMPANY内では、絶対に見られない光景。―――その需要は、この場に於いて、凌士、ただひとりにある。
それに気がついたふたりは、言い争いの途中で、ハッと我に返った。揃って、凌士を見やる。すると。

「あ、どうぞ。こちらにはお気遣いなく。そこで存分に仲良くして貰って」

ひらりひらり、と片手を振りながら、凌士は満面の笑みで答えるも。

「「いや、お前は気遣えよッ!!」」

ソラとローザリンデのツッコミが、だだっ広いテイスワート邸に、虚しく木霊する。

「お兄様!さすがに欲望に忠実すぎるだろ!」
「少しは自重しないか!」

凌士の『目的』に気が付いたソラとローザリンデは、ふたりして彼をなじった。が、当の凌士は、痛くも痒くもないとばかりに、幸せそうな笑顔を浮かべている。そう、それはまるで、楽しみにしていた、とびっきりのデザートでも供された子どものようなもので。

「「俺(おれ)たちで遊ぶのも、いい加減にしろ!!」」

とうとう、ソラとローザリンデが、綺麗にハモった。それを見聞きした凌士は、「わ!すごーい!」と、子どものようにはしゃぐのである。

そう。この凌士という男。生まれながらの病弱体質故、自宅と病院の往復しか出来ず。かと思えど、外の世界への憧れを捨てきれず。とは言え、己の意思で自由に歩き回ることは叶わず。…そうして行き着き、掴んだ『趣味』が―――…

「相ッ変わらず!おれとソラのビジュアルがお好きなよーで!おれの愛しのお兄様はよぉ!」
「完全なビジュアル消費で、二次創作されているようなもんだ。
 他人の嗜好に文句を垂れるつもりはないが、自分が消費の対象にされていると、二次創作側から宣言されてどうしろと?」

ローザリンデ、ソラが、そうグチグチと零すこと。凌士の趣味、それこそが、『ソラとローザリンデをわちゃわちゃさせる絵面を楽しむ』というもの。言葉にすれば綺麗にも聞こえるが。実態はソラが言及したこと、そのものである。―――「公式に対して、非公式カプの二次創作をしていると、面と向かって宣言している」という愚行。

言うなれば。凌士は、『カプ厨』とも言える趣味の持ち主だった。ジャンルは…、強いて言うならば、『ナマモノ』だろうか…。だが、凌士の趣味の対象が版権物ではない以上、その定義すら怪しい。
そして。色々な方面に迷惑をかけそうで、しかし、ソラとローザリンデの努力のおかげで、ギリギリのラインで周囲に迷惑をかけてこなかった、凌士のカプ厨趣味は。今はこうして、ふたりに向いているのだった。
己の欲望を満たすためならば、実妹のローザリンデと、その幼馴染であるソラすらも巻き込んでしまう、凄まじい胆力の持ち主。虚弱体質であっても、凌士のメンタルは充分に鋼である。心臓に毛だって生えているのだろう。

「このひとが、弊社の筆頭株主とか…、世の中、マジでおかしい…」
「ああ…、ソラの上司が、人類史上最強の軍事兵器ってことを差っ引いても、相当におかしい…。おれのお兄様…おかしい…」

天を仰ぐソラとローザリンデであるが、そのコメントの内容は、仰ぐ天そのものをひっくり返しそうなほど、レベルが狂っている。この場に於いて、常識という言葉は、最早、存在しないようだ。

「ふたりして、酷い言い草だなあ。僕はただ、自分の中の小さな希望を、誰かに託したいだけなのに」

…一番、常識外れな言動を繰り返している凌士だけがそう言って、にこ…、と静かに微笑む。この脚本家知らずな喜劇の状況さえなければ、和服に麗人にしか見えないというのに…。

「まあ、せっかくだから。ソラくんは、庭の紅葉でも見て行って、その写真を僕に送っておくれよ。綺麗に色づいている頃だろうけど、僕はこの通り、…部屋から殆ど動けないから」

そこまで聞いて。ソラの瞳に、やっと本来の冷静な色が戻った。
常識をすっ飛ばす言動こそ見せるカプ厨とは言え、凌士もひとりの人間。そして、彼は身体が弱い。この秋の冷え込みには、勝てないのだろう。せっかくの紅葉も楽しめないのなら、せめて、自分たちに託したい。…そういうことだ。

「おれが案内するぜ、ソラ」
「ああ、頼む。
 …では、凌士さん。失礼します」
「うん、楽しんでおいで」

ローザリンデに案内に従ったソラが、場を後にする。それを見送った凌士は、ケホッ、ケホ…、と軽く咳き込んで。
そして、傍らに置いていたタブレット端末を起動したのだった。

鹿威しの音が、カポーン、と。ひとりで静かに、鳴る。



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