第三章 『Perfect BLACK SWAN』

Room ELのメンバーとローザリンデ、それからセイラが、KALASの外に出ると。そこには見たことのない組織の車両がズラリと並んでいた。組織だとツバサが認識できたのは、車両に共通の塗装が施されていたからだ。
5人の横を、ストレッチャーに乗せられたエルイーネが横切る。寝かせられた彼女は拘束されたままだが、その顔には、最早、生気は宿っておらず。救急隊員の呼びかけにも、なにひとつ反応を示さない。それを見たナオトが、やれやれ、と言った風に零した。

「あの様子では、ろくな証言は聞き取れそうにはありませんが…」

ナオトが心配しているのはエルイーネの容態よりも、彼女が企てていたらしい悪事の全貌を聞き出せない可能性のようだ。到底、医者とは思えぬ言動だが、咎めるものはいなかった。むしろ、ローザリンデは肯定する素振りすら見せるかのように、からりとした笑顔で、うんうん、と頷いた。そして。

「ま、悪事に加担していたのは、エルイーネだけじゃない。買収されていた小芝から聞き出せる情報もあるさ。そこと、あとはエルイーネが管理していたであろうデータやら何やらから、明らかにしていくしか無いってことよ」

ローザリンデはそう言うと、ふい、と視線をずらした。その先にいたのは。レオーネ隊に拘束されて、連行されていく小芝の姿があった。すると、ローザリンデが、「なあ、そこの37番と98番。ちょっとこっちに、そいつを連れてきてくれねえか?」と、呼びかけた。どうやら番号が割り振られているらしいが、それはこの際どうでもいい。何故、ローザリンデは拘束された小芝を、わざわざこちらへ連れてこさせたのだろう。

Room ELの前に引っ張られてきた小芝は、弱々しい表情で各自を見上げる。その中のツバサと目が合うと、チカラ弱くとも、へらり、と笑ってみせた。ツバサは思わず後ずさりをする。と、その肩に、ぽん、と優しく手を置いたローザリンデと、ツバサの視線が交叉した。

「まあまあ、怯えなくても良いんだぜ?ツバサ。
 小芝はこの通り、きちんと拘束されているからよ」
「あ、いいえ。怯えているわけではなく…。単に、もう一生、近付きたくないな、って…。物理的にも、精神的にも、法律上でも、…とにかく、何もかもに於いて、距離を取っておきたいと思って、つい…」

柔く諭そうとしたローザリンデの言葉に対して、ツバサの台詞には意外な火力が詰まっていた。その場の全員が、彼女を凝視して、沈黙する。
そして、きっちり3秒後。ローザリンデが、ツバサに提案し始めた。

「そーいえば、小芝って、ツバサの元カレだったんだっけ?
 どーせ、コイツはもう塀の中に直行だ。この際、何か言っておきたいことでも、言っておけよ。なーに、遠慮はいらねえさ。別れの言葉なり、恋仲時代の思い出語りなり、何でもすりゃあいい」

そう言って、ローザリンデはツバサの背を、ポンッと優しく叩き、文字通り、彼女の背中を押した。後ずさりした分より、更に半歩先に出たツバサは、拘束されたままの小芝を見下ろす。177cmを誇るツバサが相手とは言え、身長は小芝の方が15cmほど低いのだ。

「貴方と過ごした3ヶ月は…、とても印象深いものだったよ…。忘れようとしても、中々、忘れられないけれど、…ここで吐き出すことで、これっきりにしておくね…」
「…ッ、つ、ツバサ…!まさか…、まだ俺のこと好きなのか…?!まだ俺に未練を感じてくれていて…?!」

ツバサの言葉に何か期待を見出したらしい小芝の瞳が、輝きかける。が。

「――――あ、それは絶対にあり得ないですので。申し訳ございません」

「……へ……?」

無慈悲なツバサの一言が、光の差さない彼女の緑眼の視線に乗って、小芝を突き刺す。小芝の口からは、何とも間抜けな声が漏れた。ローザリンデが、ぐふっ、と噴き出すのを堪える。それには反応せず、ツバサは小芝を見下ろしながら、続けた。

「私のお箸の持ち方をずっと指摘してきてたけれど、貴方のナイフとフォークの使い方の方が、余程酷かったと思う。
 ステーキもハンバーグも、一口大に切らずに、大きな口を開けて食べるの、外食するたびに恥ずかしかった。あと、ルカは私のお箸の持ち方について、綺麗だね、って言ってくれたよ?やっぱり感性の問題なのかな…。
 
 私が卵焼きに醤油をかけて食べるのを「あり得ない」と言って、自分はケチャップをかけてたね。それじゃあ、オムレツと一緒じゃないかな?って思ってた。まあ、こればかりは個人の味覚の問題だから、深くは言わないけれど。
 でも、実際にオムレツを出してみたら、「これならオムライスの方がいい」って文句つけてきたの、かなり腹が立ったよ。じゃあ、自分で作って欲しかったな。作れないなら、スーパーに冷凍食品のオムレツもオムライスもあるから、そっちを買って来ればよかったのかもしれない。

 片付けが出来ない女なんて家事能力がない証拠、俺は何でもプロ級だからお前のずさんな家事は見抜けるんだよ、って散々言っておいて。いざ、自分のスーツやシャツを洗おうとしたら、洗濯機の使い方も分からなくて、私に助けを求めてきたこと、覚えてる?やり方が分からないなら私がやるよ、って提案したのに、「自分ちのと違うから、勝手が分からないだけだ!」って怒ってきたね。家事も仕事も、使う道具を選ばないひとがプロなんだけど…。あ、そういえば、貴方はもう犯罪者だったね…。ごめん、仕事を犯罪に使うなんて、プロも何もないね。なんでもない。

下戸なのに、たまにお酒を浴びるように飲んでいた理由は、未だに納得していない。確か…、「男なら飲んでナンボ」だったっけ…?あ、ごめん…、納得じゃなくて、理解ができない、が正しいかもしれない。お酒を飲むのに、男女は関係ないし。何万円もするウイスキーやワインを買うのは構わないけど…。一口飲んでる写真はしっかりと撮影して、しっかりと加工して、SNSにアップしたあとは…、すぐに酔い潰れて終わってたね。残りを飲む羽目になる私の身にもなって欲しかった。滅多に飲めない高いお酒だったから、そこだけは感謝はしているけれど。でも翌日、二日酔いで不機嫌になって、八つ当たりされるのは、理不尽すぎるよ。

私と付き合っている間、マッチングアプリを使って、普通に他の女の子と関係を持っていたよね。言及したら、「お前がいつまでも抱かせないから、外で欲を晴らしてきてやってんだよ。むしろ感謝しろ」、「もしかして、カラダを開かない程度で、俺が寂しがって、縋ってくるとか思ってんのか?」って、ものすごい開き直りしてたっけ。…残念ながら、私が貴方に肉体関係を許さなかったのは、貴方に寂しいって思って欲しかったわけでも、縋ってきて貰いたかったわけでもないよ。貴方に触れられるのが、心底気持ち悪かっただけ。あと、浮気を許したつもりもないからね」

怒涛の火力。言葉のミサイル攻撃。爆裂する、女の怨恨。それに焼かれる、不甲斐ない男の悪性。
ルカはきょとんとしていて。ソラとナオトは、小芝を憐れむかのような目で見ていて。セイラは小芝を見据えて、小さく「サイテーじゃん…」と呟き。ローザリンデは、いよいよ笑いが堪えられなくなってきている。

「ツバサ、ツバサ。おれが言い出した手前だが、…もう勘弁してやってくれないか」
「え、まだ言い足りない…」
「そうか?小芝は、もう腹いっぱいって顔してるぜ?」
「…じゃあ、最後に、ひとつだけ」

止めに入るローザリンデの言うことを聞く素振りは見せるものの。それでも、ツバサにはどうしても伝えたいことがあるらしい。
もしや…?、と再度、期待するかのように、微かに目の輝きを取り戻した小芝に対して、ツバサは今一度、向き直り、口を開いた。

「無理すぎる理由をつけてせびってきたせいで、私が貴方に貸してあげた3万円…、ちゃんと返してから、刑務所に行ってくれないかな…?」

「――――――……、…」

最期の宣告。下された審判。
顔面蒼白になった小芝だったが、レオーネ隊が差し出した己の鞄を見て。ぶるぶると震える指先で、財布の中から、シワシワになった万札を3枚、取り出すと。

「こ、これで…、もう、ゆ…、ゆるして…」

と、絞り出すような声で、ツバサに差し出してきた。ツバサはそれを受け取り、きちんと確認すると。
此処に来て、初めて、憎しみを帯びた瞳を小芝に向けてから、本当に、最期の言葉を放った。

「料理や家事への難癖、散財癖、浮気性、その他だらしない所作の数々…。それは忘れる。お金も、この場で返してもらえたから。
 でも、私の最推し―――ヴァイオレット様のことを、私の眼の前で酷くこき下ろすコメントをしたことだけは…、絶対に許さないから…」

―――ああ、救いようがない。

ツバサの通告を聞いた、小芝以外のその場の誰もが。そう思って、天を仰いだ。
…重罪だ。ファンの前で、その最推しをこき下ろすとは。何にも代えがたい罪だ。もう無理だ。この男は、我らには救えぬ者だった。

ガックシ…、と項垂れた小芝が、今度こそレオーネ隊に連行されるのを見ながら。否、見るのもそこそこに、財布へと3万円を仕舞ったツバサは。そのまま、ふ、と、ルカと視線を合わせた。―――…指示を待っている。この場の一番の上司は、ルカだから。すると、ルカは仄かに笑い、口を開いた。

「これからのこと、皆に少しだけ、お話しようか。
 アリスちゃんがホルダーだってバレちゃった以上、オレもだんまりしていることは出来ないからさ〜」

そう言いながら、ルカはツバサから視線を逸らすと。今度は、セイラを見た。沈黙で以て名指しをされたセイラは、「ん?アタシ?」と、間抜けな声を零す。ルカはセイラに向かって、問う。

「成り行きとは言え、キミはRoom ELの抱える真実を見てしまった。ソラは逃がしたくないかもしれないケド…、オレはセイラが望むなら、キミが此処で見聞きした全部を『無かったこと』にしてあげることも出来るよ。その代わり、二度とヒルカリオには入れなくなるケドね。
 …どうする?此処で見たこと聞いたこと、全部忘れて、ヒルカリオを出て行き、無事に本土の大学へ進んで、平和な学生生活を送るか。
 それとも、弊社の従業員として粉骨砕身し、危険なRoom ELの仕事をこなして、高給取りになるか。…だよ?選べる?セイラ?」

ルカはセイラに、究極の二択を突きつけた。皆が息を呑む。
特にソラは、表情に出なくとも、厳しい心境にあることが分かった。ルカのことを知られた、…否、それ以上の情報を掴まれた現実問題、彼女をヒルカリオから出せたとしても。今後一生、彼女の周囲の、その至る所に、ROG. COMPANYの監視が張り巡らされることになる。…巻き込むつもりは無かったとはいえ、結果的に、巻き込んだのは、大人の都合だった。若き高校生の未来を、大人の事情で捻じ曲げたくない。…ソラの左手にチカラが、ぎり…、と入る。拳の中で、掌に爪が食い込むのを感じる。怪我をしてもいい。その痛みは、大人のエゴの証でしかないのだから。

「るかっち。アタシ、そんな選択肢なら、無い方がマシっすね」

そう言ったセイラの声がして、ソラはハッと我に返った。無意識に下げていた視線を、彼女の方へ向けると。セイラはいつもの無気力そうな瞳のまま、しかし、何処か晴れやかな感情が見える顔付きで、ルカに答えを出した。
どちらも選ばない、というのなら、それはもう、自分の身などどうでもいいと言っているのと同じでは…?その考えがよぎったソラは、背筋が一瞬だけ凍るような思いを覚える。だが、対してセイラは、堂々と胸を張って、ルカに答えの続きを紡いだ。
 
「アタシが選ぶのは、こう。
 
 此処で見たこと聞いたことを忘れるとか、そんな無責任なことしない。
 だから、忘れないまま、ヒルカリオの大学に入学して、学生生活しながら、Room ELのアルバイトとして働いて、給料貰う。以上っすね」

どーん!、という効果音でも付きそうな、そんな見栄を、セイラは堂々と切る。その顔に、迷いも憂いも無い。あるのは、ただひとつ。『自信』。

「るかっちも、いいわけ?
 アタシ、ただのアルバイトっつっても、KALASの内部の隅々まで、歩いて回ってたんすよ?給仕や掃除が理由だったとしても、このラボの間取りは粗方覚えてるし、それって内部情報になるんじゃね?
 あと、ショルダーハックとかで、案外、重要なデータのパスワードとか、知ってたりして?それホントに、ぜーんぶ、無かったことにできる?」

セイラの言葉は、半ば脅しとも取れた。史上最強の軍事兵器相手に、ただの女子高生が喧嘩を売っている。図式としては最悪の展開だが…。不思議と誰もが、不穏な気持ちを抱いていない。ソラの中に蠢いていた暗い渦も、解けている。

華の女子高生。その堅牢たる精神、要塞の如し。元より、望んでいなかったとはいえ、喧嘩の世界に身を投げていた子である。並大抵の心身ではない。
不意を突かれたせいか、瞬間的にポカンとしたルカの隙を突いて、セイラは更に売り込みをかける。

「アタシの淹れるお茶とコーヒー、めちゃウマいって、高評価つきまくり。茶菓子のセンスが褒められるのも、当たり前。
 アタシがるかっちのお客様にお茶を出せば、るかっちの上司としての株が上がるバフが付く」

どうよ?、と無気力ながらも、ドヤ感溢れるオーラデ、セイラは言い切った。すると。

「よっしゃァ!採用ッ!!」

景気の良い声が響く。ルカ以外の人物が、ギョッとしたように声のした方を振り向いた。ローザリンデだ。彼女は、心底面白いものを見つけた、とばかりに、目をきらきらと輝かせて。セイラに発言する。

「逆境に負けないどころか、自分で道を切り開く!上役に臆することなく意見すれど、その内容はピンボケしていない!自分の強みを分かっている、自己分析能力と俯瞰力!敵陣に買収されるフリをして、しっかりと証拠だけは掴んで、自陣に返ってくる狡猾さ!何より!『化け物』相手にしても、一歩も引かない度胸!
 気に入ったぜ!!セイラ、お前をおれの執務室で雇ってやる!!」

そう言いながら、セイラの両肩をバンバンと叩きながら、ローザリンデは満足そうに、ガハハ!、と豪快に笑った。しかし、そこに割り入る冷静な声。

「おい待て、ローズ。セイラは俺の監査のもと、フラワリング・プロジェクトに入っているんだ。勝手にお前が雇い直すな」

ソラだ。珍しく、慌てているのが分かった。声にも顔にも、ソラ個人の感情が滲み出ている。本当に珍しい。というより、今、ソラはローザリンデのことを「ローズ」と呼んだ…?

「俺を通せ。正式な手続きを踏め。何でもかんでも思いつきで行動するな。
 お前ら高等幹部というのは、揃いも揃って、勢いで行動しないと死ぬ生き物か?本マグロか?」
「うわ、ヒッデェ言い草。ソラ、それ仮にもオンナに向かって言う台詞じゃねーぞ?」
「お前相手にして、俺がオンナも何もあるか。豪快なのは結構だが、奔放と履き違えられては、今に凌士さんから雷が落ちるぞ」
「お兄様はカンケーねえだろっ。これはおれの仕事の話なんだからよっ。…あッ!さては、ソラ!お兄様にチクる気かッ?!」
「もう一度くらい痛い目を見ろ、お転婆ローズ」

ぎゃあぎゃあ、と言い合うソラとローザリンデを前にして。ルカは手持無沙汰なのか、ツバサの頭を撫でながら、呟く。

「あっという間に、収拾がつかなくなっちゃったね。
 どうする?3人でトランプでもする?」

仲裁をする気はないのか…、というツバサとナオトの胸中は。誰にも届くわけがなかった。


――――…。

【3週間後 Room EL】

「合格…、合格…、…合格、合格…、これは…、よし、合格か…」

ソラが自分のデスクでブツブツと呟きながら、ひたすら書類を捲っては、サインを書き込んでいる。その書類は、セイラに宛がっていた更生プログラム『フラワリング・プロジェクト』本営から届いた、彼女への審査結果。本営が1年間かけて、セイラの更生具合を、監査役のソラを通して視たことで。彼女が無事に社会復帰を果たせるかどうかを、あらゆる観点から合否という形で出してきたものだ。

ツバサとナオトは普通に仕事をこなしており、ルカはデスクに座ってはいるものの、何処かのガチャガチャ機で遊んで手に入れたものらしい玩具を弄っている。そして、応接用のソファーには、ローザリンデと、制服姿のセイラが座っていた。
手元に届いた書類の全てを確認し終えたソラが、立ち上がり、セイラのもとへと歩み寄る。

「よし、オールグリーン。
 本営の全ての審査で、合格が出ている。おめでとう、セイラ」
「マ?ソラ先輩?」
「ああ、間違いない。これで今度こそ、胸を張って、大学選びが出来るぞ。
 但し、ヒルカリオの大学を選ぶというなら、本プログラムの支援で入学が可能とはいえ、一定以上の学力は求められる。受験勉強は気張れ」
「よっしゃ。アタシ、今日から3時間ずつ勉強するわ。んでもって、半月後には1日6時間は勉強するようになる。此処で、宣言しとく」

セイラとやり取りをするソラの表情は、心なしか晴れやかだ。肩の荷が下りた、とでも言うべきか。そんなソラを見ながら、手元の玩具を弄ることはやめないままで、ルカは、ふっ、と音なく笑った。
青色の目線の先で、ソラとセイラが会話を続ける。

「その意気や良し。それで、ヒルカリオには大学は2校あるが…、どちらを選ぶつもりだ?」
「もち、クロックヴィール・アカデミーっす」

ソラの言う通り、ヒルカリオに大学は2校ある。私立の『星ノ河大学』と。セイラが選ぶという、国立の『クロックヴィール・アカデミー』だ。
セイラの答えを聞いたソラが、彼女へ問う。

「決断が早いな。その心は?」
「クロックヴィールには、最先端のスポーツ科学技術を扱ってる研究室があることで有名だから。
 
 …アタシ、夢が出来たんすよ」

セイラが、ぽつり、と零した言葉に。ルカの玩具を弄る手が、ツバサのキーボードを叩く手が、ナオトのペンを走らせる手が、ローザリンデのティーカップを持つ手が、ピタリと止まり。ソラの視線と同じく、彼女へとそれを収束させる。セイラが、続けた。

「るかっちの軍事兵器としてのデータの一部と、アタシが研究するスポーツ科学を掛け合わせて…、次世代のスポーツ用義肢を作りたい。
 こんな狭い国の、隅っこの繁華街でも、喧嘩が絶えないんすよ?世界中でいさかいが起こるのって、ある意味、フツーっていうか…。
 まあ、とにかく。そのいさかいに巻き込まれて、スポーツが楽しめなくなった、世界中のひとたちが、アタシが思い描く義肢をつけて、もう一度…、って…」

まさしく、夢物語だ。でも、否定するものは、この場にいない。皆が、それぞれの気持ちを胸に、セイラの夢を、押す。

「兵器のロボットから取れるデータだってさ、人間が上手く使えば、平和のためになるじゃん?そんな気がするじゃん?
 るかっちって、大昔に改造されてんでしょ?その前例があるならさ、現代のスポーツ科学を使った義肢のサンプルの、ほんの一部でも装備してもらって…。そこから貰ったデータをフィードバックして、って」

若く、瑞々しい夢が、花開きそうになる様子。大人に見守られた子どもが、未来を描く瞬間。

「アタシはサッカー部からドロップアウトしたんすけど、…身勝手な世間の都合で、同じようにスポーツから抜ける羽目になったひとたち、救えないかな?って思った。
 
 …エルイーネ主任がさ、言ってたじゃん?『する側』と『される側』が順番に回るべき、的なこと…。アレ、悪い意味だと、ホント、最悪だけどさ。良い意味にすると、めっちゃハッピーじゃね?
 アタシは…。ソラ先輩、るかっち、ねえさま、先生、姉御に良くして貰って、やっと此処まで戻って来た、…つまり、『される側』だったから。
 だから、次は、アタシが『する側』じゃん?って、思う。
 
 …、ちょっと夢見すぎ?カッコつけすぎ?」

そこまで言うと、セイラは珍しく、照れたように。ほんの少しだけ頬を染めた。

夢で、いい。夢が、いい。夢を想うことが、未来への懸け橋。
新しい芽が蕾をつけ、やがて花を咲かせるように。

ソラのデスクに置かれた更生プロジェクトの書類には、その企画名が、しかと印字されている。――――『フラワリング・プロジェクト』。

正しい形で実を結んだ、最上級の結果。
それは、様々な縁と、道筋と、山と谷と波と。丸ごと飲み込んで、乗り越えて。セイラが掴もうとする未来として、この場にしかと顕現した。

ビックデータを解析しても。膨大な量の情報を紐解いても。複雑な計算式を山のように捌いたとしても。
人間の未来は、完全に予測は出来ない。

―――『ブラックスワン』。

その昔。『黒色の白鳥』が観測されたことにより、『白鳥は白色』という従来の常識を覆す、大発見がなされた。以来、確率や従来の知識、経験からは予測が出来ない極端な事象が発生し、それが人々に多大な影響を与えることを、ブラックスワン(黒い白鳥)、と呼ぶ。

意味合いは少し違うかもしれないが。イレギュラーが多発した今回の事案には、この案件名がしっくり来るのではないか。

ルカはそう思うと。玩具から手を放して、左手にボールペンを取った。前岩田社長に提出する報告書の下書きの、その更に端っこに、『BLACK SWAN』とメモを残す。

そして。自分が書いた文字列から目線を上げたルカが、真っ直ぐに見たもの。―――ツバサ。

最強の軍事兵器・ルカに、絶対的な命令を下すことが出来る存在は、この世でツバサしかない。
楽園都市を冠する、ヒルカリオ。その中心に聳える檻とも言える、このROG. COMPANYで。間違いなく、一番の『ブラックスワン』。完璧なイレギュラー。完全な予測不能。

だからこそ。護らなければ、ならない。ツバサがヒルカリオにいるというならば。此処も丸ごと、護ってみせる。この街には、ソラもいる。ナオトとローザリンデが出向いている。セイラも間も無くやってくる。


「―――全部、オレが、護ってあげるよ」


セイラを中心に出来た輪には聞こえない。否、決して誰にも聞き取らせない声量で。

ルカは、そう呟いて。
深青の瞳を細めて、密やかに笑った。



―――fin.
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