第二章 Burn down The FAIRY TALE

綺子がナオトに出会ったのは、彼女が5歳のとき。ナオトはそのときは、まだ医学部の若い学生で。綺子の実父・玄一(げんいち)が、娘の家庭教師として、ナオトを雪坂家へ招いたのがきっかけだった。
小学校に上がる前の幼い綺子にとって、ナオトから教わる勉強は、新鮮なものだった。数字の足し引きで導かれる、計算式の答え。漢字の読み書きを積み重ねることで、培われる語彙力。物語の音読をすれば、綺麗な発声の仕方が分かってくる。綺子は、勉強が好きな子どもに育った。学ぶことは多く、そして学んだことで経験を重ね、その成果が自分に還元される。その喜びを、綺子は幼心ながら理解し、そして愉悦としていた。周囲からは、「勉強熱心で、優秀な、雪坂家のお嬢様」として、称賛される日々。綺子は、そんな毎日に充足感を覚えていた。
そして、綺子が8歳になったとき。通っていた私立小学校で、小学生向けの全国模試が実施されることになった。その通知を聞いたナオトは、ひとつの試練を、彼女に与える。

「お嬢様の全国順位が、100位以内でしたら。ご褒美を差し上げましょうね」

そう言うナオトの瞳は、いつもの通り、優しく、穏やかで。とても真摯で。それを受けた綺子は幼い胸の内を、奮起と期待に満ち溢れさせると、より一層、勉強に励んだ。

そして。全国模試の結果は――――、100位どころの騒ぎではなく。…なんと、堂々の1位を掴み取ったのだった。

綺子の持ち帰った成績表を見たナオトは我がことのように喜び、「よく頑張りましたね」、「素晴らしいですよ」と彼女を惜しみなく褒めた。そして、傍らに置いていた紙袋から、ひとつの箱を取り出して、綺子へ差し出した。

「こちらが、約束のご褒美ですよ。どうぞ、お受け取りください」

穏やかな微笑みのナオトが贈ってくれたもの。それは、ROG. COMPANYが出しているファンシーぬいぐるみの大人気ベストセラーシリーズ『ログ・ファンシー』のぬいぐるみだった。しかも、箱の中にいるのは、数あるログ・ファンシーシリーズの中でも、人気ランキング不動の1位を誇る、『ねこてんし・ラヴィー』。しかも、プレミアムバージョン。
ぬいぐるみを箱から取り出した綺子は、目をキラキラと輝かせて、ふわふわもふもふの可愛いぬいぐるみを抱き締める。一生大事にする!ありがとう!と、綺子がナオトに言うと。彼はオッドアイの双眸を細めて、幸せそうに微笑んでくれた――――……


……――――ところで、ぱちりっ、と目が覚めた。

ぼんやりした脳内と視界で、暫し、天井を見つめた後。綺子は、緩慢な動作で、上半身だけ起き上がる。ベッドのスプリングが、古めかしい音を鳴らした。これもそろそろ、買い替えたい。
ベッドサイドに置いた、様々な飾りや置き物の中に、ちょこん、と座っている、プレミアムバージョンのねこてんし・ラヴィー。そこそこの頻度で手入れをしていても、ふわふわだった白い毛並みはへたれており、表面の傷や汚れは、最早、修復不可能なレベルまで来ている。綺子がラヴィーに手を伸ばそうとしたとき。
サイドテーブルで充電器に差していた綺子のスマートフォンが、目覚ましのベルを鳴らす。ハッと気が付いたように、綺子は視線をスマートフォンへ移して、ベルを止めた。そして、そのまま、朝一番のSNSチェックタイムに入ったのだった。



【聖クロス学園】

ROG. COMPANYから来る社員の案内係を任命されたことで、綺子は午後の授業が免除された。少しキツイ紫外線に辟易しながら、さっさと来なさいよ…、と内心、苛つきつつ、出迎えのために正門近くで待っていると。
開放された正門から、黒塗りの立派なリムジンと、それに追随する形でワンボックスが入って来た。
リムジンが静かに停車すると、箔押しのROG. COMPANYの社章ロゴが入った後部座席のドアが、自動で開かれた。そこから出てきたのは。

明るい茶髪と緑色のスカート、そして何より、白いシャツの上からも分かる、大きなバスト。女性だ。睫毛が長くぱっちりとした印象の瞳だが、どこか光の差さない虚ろな視線をしている。スタイルは抜群だが、陰気臭いし、暗そうだし、マトモな男もいなさそう。と、綺子はすぐさま、女性に自己基準の評価を付けた。

「ROG. COMPANY 特殊対応室から参りました、三級高等幹部直属事務員のツバサです。本日はよろしくお願い致します」

女性社員―――ツバサは端的に自己紹介をすると、深々と一礼をしたのだった。


――――…。

「こちらが、現在、工事中の新しい講堂です。来年の夏に完成する予定です。
 そして、ここから見える中庭の中央にありますのが、去年の秋に、我が校のOBの方々から贈られた、ニケ像の噴水ですわ」
「元々、たくさんの施設や機能がありましたが…、私が在学していた頃より、更に充実していますね」
「ありがとうございます。これら全て、ツバサさんを初めとした、卒業された先輩方からの寄進のおかげです」

綺子の案内は完璧だった。そして、それの受け答えするツバサの態度も、社会人として、そして聖クロス学園の卒業生として、非常に落ち着きのあるもの。案内の同伴している国語教師の坂本は、そんなふたりの様子を始終、カメラに収めている。学園のホームページと、後日、発行予定の学園誌に、今回の写真が使用されることが、事前に伝えられていた。
勿論、綺子はそれを承知の上で、今日のスタイリングをキメてきている。グロスとネイルは色味こそ控えめながらも、写真映えするように、しっかりと塗ってきた。ピアスは先日からずっと身に着けている、ディアンナの新作。そして、今日は動き回るからというのを口実に、髪の毛を纏めているのだが。ピアスと同じく、ディアンナの新作であるスカーフを使っている。これは昨日、急遽、店舗に電話をして、自宅まで届けさせたものだ。

綺子は己の写真の写り方も気になるが。…案内を開始してから、ずっと気になっているものがあった。

ツバサが持っているキャンパスバッグ。それ自体は、ディアンナの定番商品。たった3万ぽっちしかしない安物の鞄、という認識。だが、そっちではない。綺子が気になっているもの。―――それは、バッグの持ち手に着いている、リボンチャームだった。

蝶々結びに象られたリボンの中央に、プリンス・テトラのロゴマークの石飾りが嵌っている。だとすれば、これは、プリンス・テトラのグッズ。だがしかし、このような商品は見たことがない。…と、なれば、ツバサがROG. COMPANYの正社員であり、そこの看板商品であるプリンス・テトラのグッズ、ただし、綺子が見たことがないものを持っている。連想ゲームと消去法を繰り返せば、答えはひとつ。――――そのリボンチャームは、『非売品』だ、ということ。

(社員専用の非売品グッズ…、プレ値のうえに、さらに盛ってから、売れるわ…!)

ツバサのバッグに着けられたリボンチャームは、綺子にロックオンされていた。


*****


ツバサの案内が終わった後。解散を告げられた綺子は、何事もないように正門から帰宅するフリをして。…裏手門から、もう一度、学園に戻ってきていた。目指すは、ツバサが控え室として宛てがわれている、会議室。
放課後は部活動や、授業の事後処理、事務作業などで、教師が会議室周辺に殆どいないことを、綺子は知っていた。とはいえ、警戒しつつも進む。
誰ともすれ違うことなく、ツバサがいる会議室の前まで辿り着いた綺子は、にんまり、と笑いを零して。ひとつ深呼吸した後。会議室の扉を、けたたましく開けた。

「た、たすけて…!!」
「…どうしましたか?」

案の定、室内にはツバサがひとりで待機していた。暇潰しをしていたのか、スマートフォンを片手に持っている。綺子はツバサへ助けを縋る演技をする。

「そこの女子トイレに…、見慣れぬ人影が入っていって…!不審者だったらどうしよう…?!」

身を震わせながら、綺子はツバサに訴えた。彼女はスマートフォンだけを手に持ち、「私が確認をしに行きましょう」と提案してくる。綺子は「お願いします…!」と涙声で言いながら、女子トイレ方面に歩いていくツバサの背に向かって、内心、しめしめ、と嘲笑う。緩みそうになる頬を引き締めながら、綺子は演技を続けた。

「私、先生か警備の方を、急いで呼んできます…!ツバサさんは、万が一、不審者が出てきたとき、そのスマートフォンで撮影してください…!」
「かしこまりました。気を付けてください」
「はい、ツバサさんも…!」

後ろ髪を引かれるような表情をしながら、綺子はその場を後にした。廊下の先を曲がったところで、今一度、振り返り、ツバサが来ていないことを確認する。そして。綺子は、会議室の方へと戻っていった。
音を立てずに扉を開けて、中に入る。置きっぱなしにしている、ツバサのキャンパスバッグに近付いた。そして、制服のポケットから、ビニール袋に入ったまままの、新品の綿製の手袋を出して嵌め、ずっとロックオンしていたリボンチャームを、慎重に取り外す。
そして、チャームを手袋が入っていた袋へ入れて、今度は自分の手提げバッグから、チョコレート菓子の缶を取り出す。蓋を開ければ、その中にはチョコレートなど入っておらず、緩衝材が敷き詰められていた。綺子は奪ったリボンチャームを、その中へと仕舞い込むと。堪えきれずに、にやにや、と笑う。

――――上手くいった。これでまたひとつ、世界は自分の思いのままに。



その後。演技を続けた綺子は、誰にもバレることなく、リボンチャームを自宅へと持ち帰ることに成功した。
綺子の住んでいる『自宅』というのは、彼女ひとりのための、本家の家屋とは完全に独立した、別荘だ。高校入学の際、玄一が綺子の自活能力を育てるためと、買い与えたものである。謂わば、この家は、綺子の城だ。
あくまでこの邸宅は綺子の一人暮らし用だったのだが。今では、綺子はポケットマネーから家事ロボットを複数体レンタルしており、身の回りの世話から、至る家事の隅々まで、全てをロボットに丸投げしている状態である。勿論、玄一には秘密だ。隠すのは簡単である。何故なら、ここに出入りするのは、食料の搬入業者と、ナオトくらいなのだから。業者には賄賂を握らせて口を閉ざしている。…ナオトは、言わずもがな。自分に逆らえない彼が、玄一に密告など、出来やしないのである。

風呂と食事、そして今日の勉強を終えて、持ち帰ったリボンチャームを『いつものように、出品する』。
写真を撮影し、説明文をつけた。価格は、少々高めくらいでもいいだろう、と判断し、他の非売品につけるときの基準値より、4倍の価格に設定する。プリンス・テトラのグッズなら、多少、値が張ろうとも、レアリティの高いものならば飛び付く雑魚は多い。

案の定、出品した瞬間。閲覧数が一気に2桁を行く。これはワンチャン、売れるまで1週間切るか。と、思ったときだった。

スマートフォンが短く震える。通知欄を見ると、『商品が購入されました』のメッセージが。まさか、と思い、商品紹介ページを更新すると。
あのリボンチャームが、売れていた。即売だ。しかも相手はネットバンクの口座から、即時入金をしてくれている。

マジで?マジ?こんなことある?!

綺子はにわかに興奮しながら、自分のネットバンクの口座を確認した。…間違いない。リボンチャームにつけた値段と同じ金額のカネが、残高の項目に増えている。

「やった…!やったわ!!なんの苦労もせずに手に入れたのに!!そんなものに、これだけカネを出してくれるバカがいてくれて、マジありがたいわ!!
 楽勝!!人生楽勝!!私の人生、マジで神ゲーすぎる!!!!」

座っていたベッドの上で、綺子はぴょんぴょん跳ねた。脳から快楽物質が分泌されて、全身に愉悦が浸透していくのが分かる。
うふふふふふ!!、と笑っていると。スマートフォンが、今度は電話の受信を告げた。通話相手は『ナオト』。

「もしもし、何の用?……え、鈴蘭に慰問?一体、何処が?
 
 ―――ROG. COMPANY…?!…高等幹部…っ!?ちょっと、詳しく教えなさいよ!!早く!!」

ナオトからの電話を受けながら、メモを取る手が、喜びで震える。

(嗚呼…!私の人生、薔薇色!!)

綺子は興奮極まった顔で、平坦なトーンで淡々と業務内容を告げるナオトの声を、何処か遠くに聞いていた。




to be continued...
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