第二章 Burn down The FAIRY TALE
【未就学児向け民間療養施設 鈴蘭】
ROG. COMPANYから帰ってきた鈴ヶ原医師―――もとい、ナオトは、鈴蘭の裏手門の鍵を回して解錠し、そこから事務室へ直行しようとしていた。出勤と退勤及び、外回りをしてきたスタッフは、ここから出入りするのが、基本のルールである。
院内の廊下を歩いていると、ナオトの帰院を確認した看護スタッフが、彼に向かって早歩きで向かってきた。看護スタッフから、何か焦りのような表情を読み取ったナオトは、「どうしましたか?」と、穏やかな笑みで問いかける。
「1時間前から、タツヤくんが、ひどく体調を崩してしまっていて…。嘔吐は最初の1回だけ、あとは下痢の症状が3回ありましたが、今は収まりました。でも、未だに「気持ち悪い」、「吐きそう」と、本人が訴えています」
瞬間、ナオトの顔から笑みが消えた。真剣みを帯びたオッドアイが、看護スタッフを見つめ、問いかける。
「食中毒の可能性は、無かったのですか?」
「はい。調べましたが、厨房にも調理スタッフにも、不備は特に…。食材も安全な状態で保管されております。何より、タツヤくんにしか症状が見当たらないので、その線は極めて薄いかと…」
「結論を出すには、まだ早いです。とにかく一度、僕の方で診察をしましょう」
ナオトがそう決断すると、看護スタッフは「かしこまりました」と返事をした後、彼を手伝うために、再度、早歩きでその場を後にしていった。それを見送るのもそこそこに、ナオトもまた自分の準備をするために、事務室へ急ぐのであった。
――――…。
嘔吐と下痢の症状を訴えたタツヤのカルテに、診察から得た所感の書き込みをしているナオトへ、タツヤは不安そうな視線をむけていた。が、数秒の後、ナオトが、彼に向かって、柔らかく微笑む。
「お腹が痛いのは収まっていますし、吐きそうなのも、お薬で治るでしょう。あとは、1時間だけ、点滴を頑張りましょうね。
点滴が終わったら、皆で集まって、折り紙をしましょう。今日は先生のお仕事先で、素敵な折り紙をたくさん買ってきましたから」
ナオトがそう言うと、不安で曇っていたタツヤの顔が、ぱあっと明るくなった。ナオトが慈しみの表情で、少年の頭を撫でていると。病室の扉が、ノックされた。控えていた看護スタッフが開けると、そこに立っていたのは、――――学生服の少女。
「院長さま!」
タツヤが嬉しそうに少女のことをそう呼んだ。そう。彼女は、この鈴蘭の『院長』である。呼ばれた学生服の少女は、ローファーの踵を鳴らしながら、病室へ入って来ると。タツヤに向かって、微笑みながら口を開いた。
「体調が悪くなったって聞いたけれど、大丈夫?院長さまは心配したわよ、タツヤくん?」
「もうへいきです。ナオト先生が、なおしてくれたから」
「それは良かったわ。さすが、皆の頼れるナオト先生ね」
院長とタツヤが楽しそうに会話をする。
「あと、てんてきをがんばったら、おりがみをしようってやくそくしてくれました」
「まあ、素敵。でも、点滴の前に、もうひとつ、頑張らないといけないことがあるわよ?
…、はい、お薬よ。吐きそうなのを治してくれるもの。ちょっと苦いけど、タツヤくんは頑張れる男の子だから、我慢できるわよね?」
院長とタツヤの会話に、ナオトは混じらない。彼女が、薬を持ってきたことに関しても、特に言及はしなかった。一方、看護スタッフは、院長である少女が手ずから薬を持ってきてくれたことに対して、感謝と尊敬の視線を彼女へ向けている。だが、ナオトのオッドアイの目線は、始終、タツヤに寄せられていた。
タツヤは、ミネラルウォーターで、子どもに処方するには、少し大きなサイズの薬剤を、一生懸命に飲もうとする。嚥下の瞬間、苦悶の表情を見せたタツヤに、ナオトがすぐさま近寄ろうとした。が、院長が手で制すると、次いで、彼に告げる。
「甘やかしてはダメ。これくらいの錠剤、ひとりで飲めるようにならないと」
院長の言葉には鋭さがあった。それを受けてか、ナオトは控える。が、カルテを持った彼の手には僅かなチカラが入ったようで、専用の厚紙で作られたカルテに、皺が寄りそうになる。
間も無く、タツヤは薬を無事に飲み下すことができた。それを見た院長が「よく頑張りました」と、笑顔で彼に言う。
和やかになった場の空気もそこそこに。院長は踵を返すと、「ナオト先生、ちょっとお話がありますので。あとで院長室まで」とすれ違いざまに、ナオトに向かって通達した。そしてそのまま、病室を後にする。
残された看護スタッフたちが「さすが綺子院長さま」、「タツヤくん、よかったわね」と、口々に言うのを聞きながら、ナオトは誰にも覚られないように、その花のような唇を、きゅ、と、引き締めた。
――――…。
【鈴蘭 院長室】
診察の事後処理を終え、院長室を訪れたナオトは。院長専用のデスクで、脚を組んで座っている院長、もとい、学生服の少女――――雪坂綺子(ゆきさか あやこ)を前にして、背筋を伸ばして立っていた。
綺子は、ユキサカ製薬の社長令嬢で、17歳の現役高校生。そして、この鈴蘭の院長を担当している。インフルエンサーとして、若年層に有名で、界隈では、療養施設の院長をしていることから『敏腕の高校生経営者』、『現代社会のナイチンゲール』等と呼ばれては、称賛されている。また、社長令嬢らしく、ハイブランドの服飾品などを購入しては、それのレビューをしたりするのも、彼女のファンが『沸く』動画シリーズのひとつ。
インターネットニュースサイトでの取材も受けており、今、注目株のティーンエイジャーとして、じわじわと名を挙げている最中だ。
だが。そんな世間に知られているきらきらな綺子のイメージ像とは、打って変わって。
今、シャガの花が活けられた小さな花瓶を置いたデスクでふんぞり返る綺子は、ナオトに提出させた、タツヤのカルテを机に広げたまま、その紙面をなぞりつつ、ナオトに向かって、意地悪そうに嗤っていた。
「で?あの子の吐き気と腹痛、何が原因って書いたの?
食中毒?それとも、不安定な天候の影響?あとは、もしかして、たまたまそういう風になった、とか?」
広げているカルテを読もうともせず、綺子はナオトに質問を投げる。当のナオトは、感情の見えない双眸を彼女に寄越したまま、言葉を返した。
「タツヤくんは、元々、消化器官の弱い子ですから。食べ合わせがよろしくなかった可能性が高い、と判断致しました」
ナオトの冷静な返答を聞いた綺子は、途端に、きゃらきゃらと笑い始めた。余程面白いのか、バンバンと机を叩き、組んだ足先を揺らして、彼女は笑い続ける。綺子のその様子を、ナオトは実に無感情な瞳で見つめていた。
「お嬢様。貴女がタツヤくん病室まで、吐き気止めを薬を持ってきたのは、本当に偶然ですか?」
ナオトがそう問うたとき。綺子はぴたりと笑うのを止め、代わりに、にやり、と口角を上げて見せた。鮮やかなリップを塗った綺子の唇が開く。
「そんなことはない、と確信してるんでしょ?
当たり前じゃない。私は経営者なのであって、医者ではないんだから。子どもが何の病気なんか、知る訳ないわ」
「……。」
黙るナオトから視線を外した綺子は、ネイルを施した自身の指先の爪を弄りながら、続けた。
「あのガキに配膳されるジュースに、私が事前に『シュガー』を混ぜたのは、まあ、お察しの通りよ」
綺子の口から出た『シュガー』という単語を聞いたナオトの片眉が、ぴくり、と上がる。それを見た綺子は、更に笑みを深めると、ナオトを見下すかのような口調で、話を続ける。
「無様よね。ウチの…ユキサカ製薬の薬を使ってガキどもの治療をしているってのに…。アンタが『サボっちゃった』せいで、甘いあまーい毒薬を飲まされて、ゲロったうえに、お腹ピーピーになってさあ。あー、カワイソウなタツヤくーん?」
「……僕の働きが不満なら、僕を叱ればよろしいでしょう?子どもたちは、関係ありません。
貴女が子どもたちにシュガーを…、毒を盛って体調を崩させた後、僕が診察をしているタイミングで、貴女が手ずから解毒薬を持参して、そして、皆さんから称賛される…。
もう僕は、あのような光景は見たくありません…」
ナオトの声色に、僅かな反抗心が芽生えている。しかし、綺子は、綺麗に巻いた自分の髪の毛の先をくるくると指先に巻き付けて遊びながら、ナオトのことをせせら笑う。
「言ったでしょ?アンタが最近、『サボってる』からよ。
謂わば、こればお仕置きなの。可愛いガキどもが苦しむ様子を見たくないなら、さっさと『ノルマ』を達成しな。ちなみに、今月分は、先月のアンタがサボった分のペナルティを上乗せして、3枠増やしてるから。よろしく」
そう言って、ひらひらと手を振る綺子は、実に愉快そうだ。だが、黙って聞いているだけのナオトでもなく。彼は、凛とした視線で彼女に対する。
「…、…無茶を仰るのも大概にしてください。
ただでさえ、お嬢様が、本来の院長業務を投げ出しているので、僕の医者としての業務にも支障が出てしまいそうなのですが」
ナオトが明確に反論した、その刹那。綺子の表情が、心底不愉快そうなそれになった。すると。
「安月給の貧乏医者が、ここで働かせて貰ってる分際で、誰に意見してるわけ?
私はここの院長よ?ユキサカ製薬の社長令嬢で、現役高校生でありながら、敏腕経営者として有名なのよ?動画を出せば簡単にバズるし、先月は取材を10本近くも受けた。今月だって、既に5本の取材が決まってるのよ?私自身が持つ経済効果は、メディアが計算した数値によると、既に2000万近くあるんだから。
他人の話を聞いて、薬を出すだけの簡単な仕事をしているアンタとは、次元が違う存在なの。
くれぐれも、発言内容は、弁えてくれる?」
綺子が弾丸の如く、圧力のかけた台詞を撒き散らす。
それでも、ナオトの瞳の冷静さは消えず、滲み出る反抗心も絶えない。それを見た綺子は、チッ!、と大きな舌打ちした後。…何かを閃いたかのような表情をして、直後、再びニンマリと嗤った。
「あんまし生意気な態度、取ってると…。
アンタの誤診のせいにして、ここのガキひとりくらい、殺してやってもいいんだけど?」
「…ッ! それは…」
綺子の発言に対して、ナオトに動揺が見えたのを確認した彼女は、ふふん、と得意げな態度に打って変わり、再び、院長用のデスクでふんぞり返る。
「あ、そうだ。そういえば、アンタって、今日、ROG. COMPANYの本社に行ったんでしょ?どうだった?『本丸』は?
直売店とかあったんでしょ?何か『仕入れて』きてくれたりとか、そんな気の利いたことは、ちゃんとしてくれてるの?」
意味ありげなワードが飛んでくるが、ナオトはそこには反応せず、しかし、少し息苦しそうな様子で、彼女へ答えた。
「…、医療行為のために赴いたので、情報は探っておりませんし。そもそも、『仕入れ』は僕の担当ではないので…」
「えぇ?でも、さっきガキの病室で折り紙がどうのって言ってたじゃない?私の『商品』は無いの?」
「折り紙は子どもたちと遊ぶために、自費で購入したものです。貴女が捌く商品ではありません」
「はぁぁーーっ。…ほんっっと、気の利かない男って、マジで最低。クズ。底辺。仕事、出来なさすぎ。
そんなんだから、いつまで経っても、結婚も出来ないのね」
ナオトとの応酬の末、綺子は再び、大きな溜め息を吐いた。しかし、先程とは違い、目を伏せ気味になったナオトを見てから、ざまぁ、と嗤うと。椅子から立ち上がった。
「じゃ、私、これからショッピングだから。予約していたディアンナの新作ジュエリーが、店舗に届いてるって、連絡があったの。
自宅まで持って来させようと思ったんだけど、店舗での撮影許可が降りたから、受け取りの瞬間を、ライブ配信するわ。アンタもきっちりチェックして、ハートもしっかり飛ばしておいてよ?生配信で飛ばすハートのノルマは、ひとり、最低5000個ってこと、忘れてないでしょうね?」
「……今から、子どもとたちと折り紙で遊ぶ約束をしているので…」
ナオトが悲哀のこもった声で、事実を言うと。綺子は面倒くさそうな顔をした。
「あー、そういえば、ガキがそんなことを…、メンドー…。ハートが300万個行かないと、最低限の収益にならないのよ?
でも、「優しいナオト先生の評判を落とす」のは、「院長さまの評価を落とす」ことにも繋がるしー…。
しっかたないわねー…。じゃあ、アーカイブに、垢分けしたやつからコメント30件以上、送っておいて。それで今回は許してあげるわ」
一方的にそう告げると、綺子は姿見の前で、学生服の皺と、髪型をちゃちゃっと直して。さっさと院長室を後にしてしまった。
残されたナオトは、両肩に何か背負っていたのかと思うほどの、長く、重い、溜め息を吐いてから。文字通り、肩を落とすと。
シャガの花が活けられたデスクの花瓶へ、静かな色が乗ったオッドアイを、向けたのだった。
to be continued...
ROG. COMPANYから帰ってきた鈴ヶ原医師―――もとい、ナオトは、鈴蘭の裏手門の鍵を回して解錠し、そこから事務室へ直行しようとしていた。出勤と退勤及び、外回りをしてきたスタッフは、ここから出入りするのが、基本のルールである。
院内の廊下を歩いていると、ナオトの帰院を確認した看護スタッフが、彼に向かって早歩きで向かってきた。看護スタッフから、何か焦りのような表情を読み取ったナオトは、「どうしましたか?」と、穏やかな笑みで問いかける。
「1時間前から、タツヤくんが、ひどく体調を崩してしまっていて…。嘔吐は最初の1回だけ、あとは下痢の症状が3回ありましたが、今は収まりました。でも、未だに「気持ち悪い」、「吐きそう」と、本人が訴えています」
瞬間、ナオトの顔から笑みが消えた。真剣みを帯びたオッドアイが、看護スタッフを見つめ、問いかける。
「食中毒の可能性は、無かったのですか?」
「はい。調べましたが、厨房にも調理スタッフにも、不備は特に…。食材も安全な状態で保管されております。何より、タツヤくんにしか症状が見当たらないので、その線は極めて薄いかと…」
「結論を出すには、まだ早いです。とにかく一度、僕の方で診察をしましょう」
ナオトがそう決断すると、看護スタッフは「かしこまりました」と返事をした後、彼を手伝うために、再度、早歩きでその場を後にしていった。それを見送るのもそこそこに、ナオトもまた自分の準備をするために、事務室へ急ぐのであった。
――――…。
嘔吐と下痢の症状を訴えたタツヤのカルテに、診察から得た所感の書き込みをしているナオトへ、タツヤは不安そうな視線をむけていた。が、数秒の後、ナオトが、彼に向かって、柔らかく微笑む。
「お腹が痛いのは収まっていますし、吐きそうなのも、お薬で治るでしょう。あとは、1時間だけ、点滴を頑張りましょうね。
点滴が終わったら、皆で集まって、折り紙をしましょう。今日は先生のお仕事先で、素敵な折り紙をたくさん買ってきましたから」
ナオトがそう言うと、不安で曇っていたタツヤの顔が、ぱあっと明るくなった。ナオトが慈しみの表情で、少年の頭を撫でていると。病室の扉が、ノックされた。控えていた看護スタッフが開けると、そこに立っていたのは、――――学生服の少女。
「院長さま!」
タツヤが嬉しそうに少女のことをそう呼んだ。そう。彼女は、この鈴蘭の『院長』である。呼ばれた学生服の少女は、ローファーの踵を鳴らしながら、病室へ入って来ると。タツヤに向かって、微笑みながら口を開いた。
「体調が悪くなったって聞いたけれど、大丈夫?院長さまは心配したわよ、タツヤくん?」
「もうへいきです。ナオト先生が、なおしてくれたから」
「それは良かったわ。さすが、皆の頼れるナオト先生ね」
院長とタツヤが楽しそうに会話をする。
「あと、てんてきをがんばったら、おりがみをしようってやくそくしてくれました」
「まあ、素敵。でも、点滴の前に、もうひとつ、頑張らないといけないことがあるわよ?
…、はい、お薬よ。吐きそうなのを治してくれるもの。ちょっと苦いけど、タツヤくんは頑張れる男の子だから、我慢できるわよね?」
院長とタツヤの会話に、ナオトは混じらない。彼女が、薬を持ってきたことに関しても、特に言及はしなかった。一方、看護スタッフは、院長である少女が手ずから薬を持ってきてくれたことに対して、感謝と尊敬の視線を彼女へ向けている。だが、ナオトのオッドアイの目線は、始終、タツヤに寄せられていた。
タツヤは、ミネラルウォーターで、子どもに処方するには、少し大きなサイズの薬剤を、一生懸命に飲もうとする。嚥下の瞬間、苦悶の表情を見せたタツヤに、ナオトがすぐさま近寄ろうとした。が、院長が手で制すると、次いで、彼に告げる。
「甘やかしてはダメ。これくらいの錠剤、ひとりで飲めるようにならないと」
院長の言葉には鋭さがあった。それを受けてか、ナオトは控える。が、カルテを持った彼の手には僅かなチカラが入ったようで、専用の厚紙で作られたカルテに、皺が寄りそうになる。
間も無く、タツヤは薬を無事に飲み下すことができた。それを見た院長が「よく頑張りました」と、笑顔で彼に言う。
和やかになった場の空気もそこそこに。院長は踵を返すと、「ナオト先生、ちょっとお話がありますので。あとで院長室まで」とすれ違いざまに、ナオトに向かって通達した。そしてそのまま、病室を後にする。
残された看護スタッフたちが「さすが綺子院長さま」、「タツヤくん、よかったわね」と、口々に言うのを聞きながら、ナオトは誰にも覚られないように、その花のような唇を、きゅ、と、引き締めた。
――――…。
【鈴蘭 院長室】
診察の事後処理を終え、院長室を訪れたナオトは。院長専用のデスクで、脚を組んで座っている院長、もとい、学生服の少女――――雪坂綺子(ゆきさか あやこ)を前にして、背筋を伸ばして立っていた。
綺子は、ユキサカ製薬の社長令嬢で、17歳の現役高校生。そして、この鈴蘭の院長を担当している。インフルエンサーとして、若年層に有名で、界隈では、療養施設の院長をしていることから『敏腕の高校生経営者』、『現代社会のナイチンゲール』等と呼ばれては、称賛されている。また、社長令嬢らしく、ハイブランドの服飾品などを購入しては、それのレビューをしたりするのも、彼女のファンが『沸く』動画シリーズのひとつ。
インターネットニュースサイトでの取材も受けており、今、注目株のティーンエイジャーとして、じわじわと名を挙げている最中だ。
だが。そんな世間に知られているきらきらな綺子のイメージ像とは、打って変わって。
今、シャガの花が活けられた小さな花瓶を置いたデスクでふんぞり返る綺子は、ナオトに提出させた、タツヤのカルテを机に広げたまま、その紙面をなぞりつつ、ナオトに向かって、意地悪そうに嗤っていた。
「で?あの子の吐き気と腹痛、何が原因って書いたの?
食中毒?それとも、不安定な天候の影響?あとは、もしかして、たまたまそういう風になった、とか?」
広げているカルテを読もうともせず、綺子はナオトに質問を投げる。当のナオトは、感情の見えない双眸を彼女に寄越したまま、言葉を返した。
「タツヤくんは、元々、消化器官の弱い子ですから。食べ合わせがよろしくなかった可能性が高い、と判断致しました」
ナオトの冷静な返答を聞いた綺子は、途端に、きゃらきゃらと笑い始めた。余程面白いのか、バンバンと机を叩き、組んだ足先を揺らして、彼女は笑い続ける。綺子のその様子を、ナオトは実に無感情な瞳で見つめていた。
「お嬢様。貴女がタツヤくん病室まで、吐き気止めを薬を持ってきたのは、本当に偶然ですか?」
ナオトがそう問うたとき。綺子はぴたりと笑うのを止め、代わりに、にやり、と口角を上げて見せた。鮮やかなリップを塗った綺子の唇が開く。
「そんなことはない、と確信してるんでしょ?
当たり前じゃない。私は経営者なのであって、医者ではないんだから。子どもが何の病気なんか、知る訳ないわ」
「……。」
黙るナオトから視線を外した綺子は、ネイルを施した自身の指先の爪を弄りながら、続けた。
「あのガキに配膳されるジュースに、私が事前に『シュガー』を混ぜたのは、まあ、お察しの通りよ」
綺子の口から出た『シュガー』という単語を聞いたナオトの片眉が、ぴくり、と上がる。それを見た綺子は、更に笑みを深めると、ナオトを見下すかのような口調で、話を続ける。
「無様よね。ウチの…ユキサカ製薬の薬を使ってガキどもの治療をしているってのに…。アンタが『サボっちゃった』せいで、甘いあまーい毒薬を飲まされて、ゲロったうえに、お腹ピーピーになってさあ。あー、カワイソウなタツヤくーん?」
「……僕の働きが不満なら、僕を叱ればよろしいでしょう?子どもたちは、関係ありません。
貴女が子どもたちにシュガーを…、毒を盛って体調を崩させた後、僕が診察をしているタイミングで、貴女が手ずから解毒薬を持参して、そして、皆さんから称賛される…。
もう僕は、あのような光景は見たくありません…」
ナオトの声色に、僅かな反抗心が芽生えている。しかし、綺子は、綺麗に巻いた自分の髪の毛の先をくるくると指先に巻き付けて遊びながら、ナオトのことをせせら笑う。
「言ったでしょ?アンタが最近、『サボってる』からよ。
謂わば、こればお仕置きなの。可愛いガキどもが苦しむ様子を見たくないなら、さっさと『ノルマ』を達成しな。ちなみに、今月分は、先月のアンタがサボった分のペナルティを上乗せして、3枠増やしてるから。よろしく」
そう言って、ひらひらと手を振る綺子は、実に愉快そうだ。だが、黙って聞いているだけのナオトでもなく。彼は、凛とした視線で彼女に対する。
「…、…無茶を仰るのも大概にしてください。
ただでさえ、お嬢様が、本来の院長業務を投げ出しているので、僕の医者としての業務にも支障が出てしまいそうなのですが」
ナオトが明確に反論した、その刹那。綺子の表情が、心底不愉快そうなそれになった。すると。
「安月給の貧乏医者が、ここで働かせて貰ってる分際で、誰に意見してるわけ?
私はここの院長よ?ユキサカ製薬の社長令嬢で、現役高校生でありながら、敏腕経営者として有名なのよ?動画を出せば簡単にバズるし、先月は取材を10本近くも受けた。今月だって、既に5本の取材が決まってるのよ?私自身が持つ経済効果は、メディアが計算した数値によると、既に2000万近くあるんだから。
他人の話を聞いて、薬を出すだけの簡単な仕事をしているアンタとは、次元が違う存在なの。
くれぐれも、発言内容は、弁えてくれる?」
綺子が弾丸の如く、圧力のかけた台詞を撒き散らす。
それでも、ナオトの瞳の冷静さは消えず、滲み出る反抗心も絶えない。それを見た綺子は、チッ!、と大きな舌打ちした後。…何かを閃いたかのような表情をして、直後、再びニンマリと嗤った。
「あんまし生意気な態度、取ってると…。
アンタの誤診のせいにして、ここのガキひとりくらい、殺してやってもいいんだけど?」
「…ッ! それは…」
綺子の発言に対して、ナオトに動揺が見えたのを確認した彼女は、ふふん、と得意げな態度に打って変わり、再び、院長用のデスクでふんぞり返る。
「あ、そうだ。そういえば、アンタって、今日、ROG. COMPANYの本社に行ったんでしょ?どうだった?『本丸』は?
直売店とかあったんでしょ?何か『仕入れて』きてくれたりとか、そんな気の利いたことは、ちゃんとしてくれてるの?」
意味ありげなワードが飛んでくるが、ナオトはそこには反応せず、しかし、少し息苦しそうな様子で、彼女へ答えた。
「…、医療行為のために赴いたので、情報は探っておりませんし。そもそも、『仕入れ』は僕の担当ではないので…」
「えぇ?でも、さっきガキの病室で折り紙がどうのって言ってたじゃない?私の『商品』は無いの?」
「折り紙は子どもたちと遊ぶために、自費で購入したものです。貴女が捌く商品ではありません」
「はぁぁーーっ。…ほんっっと、気の利かない男って、マジで最低。クズ。底辺。仕事、出来なさすぎ。
そんなんだから、いつまで経っても、結婚も出来ないのね」
ナオトとの応酬の末、綺子は再び、大きな溜め息を吐いた。しかし、先程とは違い、目を伏せ気味になったナオトを見てから、ざまぁ、と嗤うと。椅子から立ち上がった。
「じゃ、私、これからショッピングだから。予約していたディアンナの新作ジュエリーが、店舗に届いてるって、連絡があったの。
自宅まで持って来させようと思ったんだけど、店舗での撮影許可が降りたから、受け取りの瞬間を、ライブ配信するわ。アンタもきっちりチェックして、ハートもしっかり飛ばしておいてよ?生配信で飛ばすハートのノルマは、ひとり、最低5000個ってこと、忘れてないでしょうね?」
「……今から、子どもとたちと折り紙で遊ぶ約束をしているので…」
ナオトが悲哀のこもった声で、事実を言うと。綺子は面倒くさそうな顔をした。
「あー、そういえば、ガキがそんなことを…、メンドー…。ハートが300万個行かないと、最低限の収益にならないのよ?
でも、「優しいナオト先生の評判を落とす」のは、「院長さまの評価を落とす」ことにも繋がるしー…。
しっかたないわねー…。じゃあ、アーカイブに、垢分けしたやつからコメント30件以上、送っておいて。それで今回は許してあげるわ」
一方的にそう告げると、綺子は姿見の前で、学生服の皺と、髪型をちゃちゃっと直して。さっさと院長室を後にしてしまった。
残されたナオトは、両肩に何か背負っていたのかと思うほどの、長く、重い、溜め息を吐いてから。文字通り、肩を落とすと。
シャガの花が活けられたデスクの花瓶へ、静かな色が乗ったオッドアイを、向けたのだった。
to be continued...