その他短編

猫売り

 渓谷に沿った道の中頃に、猫売りの露店が立っていた。はためく白いタープテントは、簡素で商売気のない作りだが、よく目立っている。
「子猫はいかが、袋入り。静かな夢漬け、噛まないよ。子猫はいかが、茶トラだよ。質は均一、いいこだよ。」
 店番の女は、めちゃくちゃな歌を歌いながら商品を梱包していた。長い脚を窮屈そうに折りたたみ、地べたに座り込んでいる。

 鉄錆色の崖と地面が見渡す限り続くこの一体で、生きているものは珍しい。谷底の川は枯れ、空風が吹き付ける不毛の土地。好んでここに足を踏み入れる者はなかった。
 猫売りはこの場所をよく識っていた。それでいて、持ってきた在庫はたっぷりあった。
 検品済と書かれた平たい籠に、手のひらほどの大きさの猫がすし詰めになっている。売られるのを期待するように、あるいは売られたくないと駄々を捏ねるように、それぞれが勝手な方を向いて鳴いている。
 猫売りは騒がしい箱の中に無造作に手を突っ込み、一匹を鷲掴んだ。薄く白い封筒に押し込んで蓋を折り曲げると、それまで頻りに蠢いていた猫は、モノになったかのように動かなくなった。

 どれほど時間が経った頃か、作業を続ける手元を照らす日の光を、小柄な影が遮った。数秒の間を置いて影の主が店の前に立つと、ようやくでたらめな歌が止む。
「この猫、何に使うの?」
「こんにちは。さて……わたしはバイトだから、商品についてはよくわからないんだ。すまないね」
 無愛想な客人に、猫売りは人当たり良く目を細めて答えた。猫について尋ねられたときは、こう言うことにしていた。
 露店を見下ろしていたのは、まだ年端の行かない少女だった。擦り切れたマントが顔の半分を隠し、プラチナブロンドの髪は粗雑に伸ばされたまま、風に揉まれている。そんな身なりでも、確かに可憐な風貌だった。サイズの合わない外套に上手く隠れているが、その足捌きが帯剣している者のそれであることを、猫売りは聞き逃さなかった。
「フウン。じゃあ、一匹ください。あと、その餌も一袋」
 客人は迷いなく淡白に言った。最初から返事など聞いていないかのような口ぶりだった。
「まいどあり。猫と餌、セットでワンコインだよ」
 猫売りは手慣れた様子で、封筒入りの猫と横に山積みになった餌を一袋、そして二つ折りの証明書をまとめて使い捨ての袋に放り込む。
いつも「まいどあり」と言うが、この店にリピーターが来たことはなかった。猫を買った客は例外なく、そのあと姿を消している。この店のことを知る者は、この世のどこにもいない。
 客人はポケットの中から出した歪んだ硬貨を一枚手渡した。猫売りは硬貨を興味深そうに眺め、「確かに」と声を弾ませて袋と交換した。

客人は旅路に戻っていった。沈もうとする太陽を追いかけるように、足を速める。
彼女ならば、夜闇に追い越されないかもしれない。猫売りは珍しい客の背中を見送りながら、ご機嫌な歌を再開した。
「今日は、もう店じまいかな。明日はなんじに開こうか。」
 猫売りの低い歌声と、客人の足音が遠ざかってゆく。少女は一度も、振り返らなかった。露店は二度と、同じ場所に現れることはなかった。

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【補足】

・露店が出ていた場所は、あの世とこの世の境目。猫売りは境目で商売をする人=渡し守。
・猫売りの手元を影が遮り、数秒後に影の主が到着→客人は猫売りよりも光源に近い方からやってきて、長く伸びた影だけが先に露店に辿り着いた。時間は夕方なので、客人は、西から来て西に帰っていった=通りすがりではなく、猫を買うためにわざわざここに来ている。
・猫売りが「こんにちは」と声をかけたのは、客人がまだ昼の世界にいた(影がある=生きている)から。
・この店にリピーターが来たことはない=過去に猫を買った人は全員死んだ。
・「彼女ならば、夜闇に追い越されないかもしれない」→今までの客は「夜闇に追い越された」→影が消えた=死んだ。
・西→太陽がある方角、この世。東→夜の世界、あの世。
・「今日は、もう店じまいかな。明日はなんじに開こうか。」→なんじは、「何時」または「汝」。
・少女は一度も、振り返らなかった。→あの世からこの世へ帰る道では、振り返ってはならない。(古事記よりイザナギ、ギリシャ神話よりオルフェウス)
・猫売りの店は本来、特定の場所ではなく、特定の人の元に現れる。
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