シリーズ・短編
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仕事の合間にふと開く携帯の画面に映し出される写真に、無意識に口角が上がるのが分かる。むしろニヤけない理由を探す方が無理だろう。この端末の液晶が描画しているのは紛れもなく、昨年入籍した彼女…基、妻の姿である。はたから見れば画像一つで表情を崩す俺は大層物珍しいらしく、ひょいと手元を覗きこんできた後輩は意外そうな顔で解答を求めてきた。
「彼女っすか?」
「いや、俺の嫁さん」
そう返してやれば、そいつは益々目を丸くした。それから一週間は、いつの間に籍入れてたんだと責められているのか祝されているのか分からないようなお祭り状態だったのは別の話だ。
例の写真を撮ったのは数週間前。
彼女は俺と籍を入れた後も、職場と折り合いを付けるためと言って暫く地元に残っていた。結婚したから辞めます、などと突然言われれば雇用側もその対応に追われてしまうだろう。と言うのは生真面目な彼女の言い分だ。このご時世、寿退社など滅多に見られないだろうが、自分の仕事を下に引き継いでから辞めると決めた彼女の意思は固かった。入籍と同時にローンを組んだ新居にはまだ俺一人きりという状況ではあるが、見かけによらず頑固な妻の思いは尊重したい。その合間は、これまでの遠距離恋愛とさして変わらず予定をすり合わせ、たまの休日に束の間の逢瀬を享受する。先日も、つまりは所謂デートだった。
新幹線の改札口をすり抜けてくる彼女を出迎え、彼女の好みに合いそうな店で昼食をとる。それから興味を引く店を巡ってウインドウショッピングに付き合うという、ありふれたルートではあるが人並みの多いエリアを下手に連れ回すよりは彼女の疲労を減らしたプランである。気にしいな彼女の事だから俺が楽しめているかどうかとあれこれ考えるのだろうが、彼女が眼を輝かせている姿を見られれば十分だ。
そんな彼女を、俺は最後にフラワーガーデンに連れて行った。デパートの催しだからか、装飾のように飾られている花は造花ではあったが、その雰囲気と美しさ、花そのものが持つ儚さとそれを照らすライトアップは彼女を虜にしていた。子供のようにはしゃぎ、果てはあちこち写真を撮って回る彼女は可愛らしいを通り越して最早天使のようだ。そんな彼女を眺めているだけで心の浄化作用があるのだが、離れて待っていては詰まらなくは無いかと彼女が気を揉んでしまう。俺は彼女の後を雛鳥のように着いて歩きながら、嬉々としてシャッターを切る彼女の姿を写真に収めていくことにした。
『えっ、なんで私撮るの!』
「なんでって、お前が可愛いから?」
『わー! 聞こえない! じゃない、消して!』
「え? 消さねぇ。待ち受けにするわ」
『やーめーてー! 恥ずかしいやんか!』
「お前も撮ればいいだろ?」
『もっと無理~~ふぇえいじわるー』
「仕方ねぇなぁ。ほら、これでいいだろ」
子供のように頬を膨らませて拗ねる彼女の目の前で例の写真を消してやれば、渋々納得したようだった。当然写真はバックアップに保存済みだが、彼女が知る由もない。
現在の携帯の待ち受けは、この時密かに残してあった写真と言う訳だ。
しかしこの話には続きがある。このデートを終えた後の、帰りの新幹線の改札前で彼女は『帰りたくない……』と呟いた。楽しかった余韻にまだ浸っていたいという意味であることは彼女の普段の言動から容易に想像は出来たのだが、久々の逢瀬を果たした、入籍を済ませた男女であることを彼女は時々忘れがちだ。
「ンな事言われたら帰したくなくなるだろ」
『!』
腕の中に閉じ込めた彼女にそう囁くと、分かりやすく肩を固め顔を紅潮させた。急激に上がる体温のせいか、昼間にテスターをつけた香水の甘い香りがふわりと漂う。彼女が好きな、桜の香り。
『ま、まつださん…』
「こら。昔の呼び方に戻ってんぞ」
『……陣平』
「ん」
名前を呼ぶだけで未だに耳まで赤くなる嫁の姿に今すぐ自宅に連れ帰りたい衝動に駆られるが、なんとか抑える。
『あの、もうちょっとで、仕事も一区切りつくから、だから』
意を決したような表情で顔を上げ、彼女は続けた。
『その時は、一緒に帰ろう?』
二人で帰る場所、それは紛れもなく二人の新居だ。
「あぁ、待ってる」
次に会う時は、揃ってあの家にただいまを言えるように。
End