シキヨミ怪奇譚
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四人の宴会にも似た夕食会から一夜明け、伊達は宣言通り退職願いを提出した。可愛がっていた後輩や面倒を見てくれていた中年の先輩刑事達から惜しまれながらも「伊達航」はその日を限りに警察職務の任を終えた。突然の事に驚かれはしたものの、自分で決めた事だという主張は受け入れられたのである。送別会をどこかでしたいからその時は立ち寄ってほしいと頼まれたが、それは別の話だ。
それから数日して出向いたのは、かつての同期達のいる再就職先。因みに職業紹介所に登録して二日と経っていない訳で、再就職手当をちゃっかりもらっておく算段だ。数ヶ月後までにいくらか纏まった貯金が例の件の費用で消えるのだ、今後の足しにするには都合が良かった。転職活動というには余りにもうまく事が行き過ぎているが、先方への口添えも既に萩原が、人事に口を挟める立場の人物に予め話しておいてくれたらしいのでさほど心配はない。向こうにしてみれば、萩原のツテで人が入るのは三度目になる。人手が増えるに超したことは無いと事業所の主任も考えているなら、特に問題なく働けるはずだ。
入職して二週間もすれば仕事も覚え、更には事業所の人間全てと友好的に話ができてしまう伊達はさすがとしか言えない、とはたから見ながら松田は改めて思った。誰とでも仲良くしてそうな顔で接している萩原でさえ身内と他人の線引きが激しい事を分かっているし、景光に至ってはさほど親しくなかった頃の真顔対応を知っているので言わずもがな。降谷は言うまでもないが、友人がいつものメンバーしかいなかったのでお察しだ。そういう意味では外部との交流に全く棘が無かったのは伊達だけだった。現場のチーフと長年の相棒のような雰囲気で会話をしている顔はその頃と何ら変わっていない。なんならそこに無精髭が増えたくらいだ。貫禄すら見えるのはその髭のせいだろうか。
「松原、新入りの方が周りと仲良くしてるけどその辺どうよ」
「うっせぇ。そういうお前はまた上辺だけだろ」
「何でバレてんの怖っ。さすが四年も俺のこと思い続けた男は違うわ、もしかしてストー――痛って! 図星だからって殴んなよ!」
「あん時テメーが生きてるなんざ思ってなかったんだよ! つーか生きてたんならさっさと顔見せに来いっつーの馬鹿野郎!」
「何そのキレてんのかデレてんのか分かんねぇキレ方! それはつまり要約すると寂しかったってこと――だから痛ぇって!」
「殴んぞ」
「既に二発やっといて言うセリフか!」
などという男子高校生のような会話を繰り広げていた翌日から、何となく現場の松田に対する対応がやんちゃしていた息子を生温かく見守る自治体のような雰囲気になっていたものだから当然の如く萩原は指を指して笑い、松田に脛を蹴られていた。
その頃になるといつかに練られた計画は徐々に進行し始めており、伊達は漸く仕事の落ち着いたナタリーと本格的な話し合いを進め、既に同棲に至っているという話だ。今度の週末に休みを調節して貰ったおかげで、事故から延期になっていた彼女の両親への挨拶に行けそうだという。よく同じチームで動く男性陣なんかはとうにそんな時期を通り過ぎて、むしろ娘の恋愛話にやきもきする側の方が多く、これから式を迎えるなんて話題も久しくなかったせいもあってか祝福モードに包まれている。祝いの言葉はもちろん、披露宴の前座は任せろだったり怒らせた妻の機嫌の取り方だったりある事ない事言いつつも、幸せを願ってくれている辺りは真っ当に生きてきた先人達である。
「いやぁ、入ってすぐの新人からこんなめでたい話が聞けるなんてなぁ」
「全くだ。それにしちゃ萩野達の方は風の噂も聞かねぇんだから面白いな」
「進んで面白くなってるわけじゃないんですけどねぇ」
「せっかく三人とも男前な顔してんのになぁ、若い子がキャーキャー言いそうなくらいの。緋川とかは学生の時とか女子にほっとかれなかったんじゃねぇか?」
「そんなことは無かったな。学生の時はずっとゼ……幼馴染が一緒だったし」
「あるある、若い時は男のダチの方が楽しいんだよなぁ」
「それで全力で馬鹿やらかして女子に遠巻きにされんだよな! ハッハッハ!」
「それだ! 今女房いんのが一番不思議だよ!」
なんとも人生楽しそうなおっさん共の会話を聞きながら、一瞬でも幼馴染みの愛称を呼びそうになった景光に何とも言えない萩原と伊達の視線が向けられる。いいたいことは顔に出ているおかげか、自分でもミスを承知しているからか、渋柿でも食べたような顔になっていた。結局集荷の仕分けを終えた松田が休憩室に戻ってくるまで、景光はすべての回答権を放棄した。
「……」
「お、松原も休憩か」
「あぁ、ってか緋川の作画が崩れてんだが何したんだよ」
「自分のミスを反省中の顔」
依然として微妙な顔の景光が無言で頷く。それで何かを察した松田はそれ以上の追求をやめた。先程まで調子良く話していた先人達は入れ替わりで休憩室を出ていくが、振り返りざまに言葉を残した。
「まぁなんだ、誰かと一緒になるのも一人で生きていくのもお前さんたち次第だしよ、今を好きに生きりゃいいんじゃねぇかな。そん中で添い遂げる相手が見つかった時に、精一杯大事にしてやるこったな」
「平尾さん……」
「なーにカッコつけてやがんだ、若いもんは若いもんなりに考えてくもんなんだよ。ジジイが口出すことじゃねぇだろうが」
「俺ぁまだジジイじゃねーわい! ジジイと認めた瞬間から身も心も老け込んでくんだよ!」
やいのやいのと口喧嘩しながら並んで歩いていく姿を見送る。先の言葉はただのお節介というよりは、ここに集った若衆四人に対して彼なりに考えて口にしてくれたものだろう。つくづく、ここに務める人達はどこか器の広さと温かみを感じさせてくれる人物が多いように思える萩原がいた。
***
六月のとある日、吉日の大安、よく晴れた初夏である。青空に映える白の教会で執り行われるのは予てから予定していたブライダル、所謂ジューンブライドである。梅雨の季節の大安が晴れ渡るという幸運にも恵まれ、この日婚姻の契りを神前に誓う二人はそれぞれの控え室でその時を待っていた。新郎の控え室には当たり前のようにいつもの三人が、本番を前に柄にもなく緊張する新郎を茶化しに――和ませに訪れている。
「案外白も似合うんだな」
「萩野に言われると胡散臭いから自信なくしそうだ」
「なんで」
「伊達なら紋付袴の方が似合うと思ってたけどな」
「神前式の方か。ナタリーさんハーフだし日本っぽいの好きそうだと思うけど、その辺どうだったんだ?」
「緋川の言う通りその候補もあったけどな、向こう方の母親はキリスト教だから宗教的に参加できねぇんだ」
「なるほど」
自分達のための式なのだから自分達で好きにしてしまえばいいと、彼女の両親からも言われたが、母にだけ自分の晴れ姿を見せられないのは絶対に嫌だと、そうまでして通す我が儘には何も意味が無いとナタリーは決断を曲げることは無かった。結婚式という人生の一大行事悔いは残したくない、自分達の納得する範囲には家族の事も当然含まれているのだ。
「というか、本番前に花嫁の晴れ姿見に行ったりしねぇのか?」
「それだ松原。いざ本番で目の前にして緊張したらどうすんだ?」
「もうとっくに緊張しまくって膝笑ってんだよ」
「えっマジで」
「鬼教官に怒鳴られてもビビらなかった伊達がなぁ……さすがにこんな日はただの男って訳か」
「お前らもいつか同じ気持ちを味わう日が来るぞ」
「そうは言っても相手いないしな」
萩原はケラケラと笑いながら言っているが歳を考えるとなかなか悲しい現実である。まるで在りし日の延長線のようなやり取り、その光景は彼らにとってはとうに、それこそいつもの事になっているが、本日の主役の一人である伊達の警察時代の知り合いからすれば、その空間の異常性は明らかであっただろう。幸い、式が始まるその時まではその異質感に気付く者は誰一人としていなかった。
式本番の参列者は当事者二人の親族と限られた友人、それからごく数名の職場の人間で席が埋められた。司祭による開式の辞により教会内の隅々にまで粛々とした雰囲気が張り巡らされる。介添人と共に新郎が入場した後で、新婦が父親と共にバージンロードを歩き新郎の隣に並び立つ。そして娘の未来を託す、託されることを示すように父親から新郎へと引き渡された。
聖歌の斉唱、司祭の聖書朗読と祈祷と婚儀は進行していく。二人はその祈りを目を閉じて聞き入った。そしてこの結婚の契りを神の前で示す時が来る。
「――汝健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
「誓います」
新郎の宣言に司祭は小さく頷き、新婦へと問いかける。
「ナタリー来間さん、貴女は伊達航さんを夫とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。……汝健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
「――はい、誓います」
二人の誓いは聞き届けられ、その証として指輪の交換が行われる。新婦はブーケと手袋を介添役に預け、指輪を収めるべき場所を晒し、新郎は司祭から指輪を受け取った。
指輪を嵌めるために掬い上げたナタリーの左手は指先まで美しく、折れてしまいそうな程に細く感じる。滑らかな柔肌は白く、彼女の育った街を思わせるようだった。その傷一つなく整えられた指に小さなダイヤの埋め込まれた白金を嵌めるということは、枷を架けるようなものだ。それを受け入れてしまう彼女は、そんな枷でさえも幸せの形として捉えている。彼女の薬指に光らせた、プラチナリングの輝きが褪せる時が来るとしても彼女の幸せが曇ることがあってはならない、指輪を嵌めた後でベール越しに覗く彼女の瞳に思いを馳せた。
そんな伊達の心境を汲み取ったかのように、ナタリーから同じ白金が嵌められる。彼女もまたこの儀式の行為の中に彼への思いを胸の内で確かめていた。世界の誰よりも大切に想ってくれている唯一の人の、その心に恥じることのない程に寄り添って同じ未来を歩みたい、傍にいられるならばどこへだって共に行ける。例えその先が幸せと呼べなくても。そんな思いもまたお互いを繋ぐ枷も同然で、交換した指輪はその象徴のようだ。
「――では、誓いのキスを」
司祭の言葉に促され、花嫁を覆っていたベールを上げると、彼女の瞳が隔たりなく伊達を見据えた。線の細い肩に手を置くと彼女は目を閉じて合図を送る。そして、きめ細かくさらりとした彼女の額に口づけを落とした。
司祭は手を組み、神へと祈りを捧げた後、二人の結婚成立を宣言する。結婚証明書にサインする手は少し震えていた。
神の御前で行う儀式を全て終えると、新郎新婦は揃って花道を通り、教会の外へと向かう。祝福する参列者の拍手の中笑顔の二人が歩んで行った。
***
組織への潜入に当たり、中枢人物への接触に漕ぎ着けた頃からかつての友人達との接触を全て絶った。時折どこで何をしているのかとメールは届いていたが返信せずに消す他なく、幼馴染には心配ばかりかけていたように思う。組織の中で再会したときは心底驚いたものだ。その幼馴染みも任務半ばで命を落とした――正確に言えば、消息不明となった。追い込まれた廃ビルから飛び降りる姿を最後に、彼の亡骸も未だ見つかっていない。調べてみれば風の噂で聞いた二人の同期も似たような形で消息を絶っていて、状況だけ考えれば明らかに殉職したと思えるというのに、何らかの形でどこかで生き延びているのではないかと、そんな有りもしない奇跡さえ願ってしまう。唯一生き残った友人からその連絡が来たのは、そんな奇跡をあるはずが無いと自分に言い聞かせた初夏の頃だった。
招待状など届かないことを知ってか、それはメールで送られていた。返信すらしないのに、出席などするはずがないと分かりきったような文面で綴られていたのは結婚式の日程の連絡だ。警察学校時代から付き合いのあった彼女とのものだろうとは察しがつく。最近までしつこい程につけられていた監視も漸く解け、組織の信用を取り戻すことに成功していた身としては、人知れず様子を見に行くという選択肢以外無かった。式の最中は見れずとも、彼女と二人で晴れ姿で笑顔を浮かべる友人の顔を見られれば。それだけで良かった。
――冬に事故に遭ったと聞いているし、元気そうな姿を見るだけでも充分だな。
そんなことを思いながら、その晴れの日を目に焼き付けに向かった先で待ち受けていたのは、思いもしなかった光景だった。教会の外で新郎新婦の周りに集まり談笑をする集団の一角に、忘れるはずも無い三人によく似た姿があったのだ。
「――! ヒロ……、それに萩と、松田……?」
遠目だからか、他人の空似だとしてもあまりにも似すぎている。その風貌や立ち振る舞い、なにより笑い方が、彼らと何ら変わらないのだ。脳裏に蘇る彼らの姿と、違うものが何一つない。本当に彼らは生き延びていたのだろうか。ならばどこで、そもそもどうやって、取り留めもなく浮かぶ疑問を納得させられるだけの解は考え付かなかった。
――もう二度と逢えるはずがないと、そう、思ってきたのに……。
「あんな姿みたら、呼びたくなるだろ……」
衝動に任せて駆け寄りたくなるが、今はもう繋がりすら人に悟られてはならない立場、本来なら名前を呼ぶことも、呟くことすらしてはならない。そのジレンマが心臓の辺りをぎゅうっと締め付けてくる。涙が、零れそうだった。
その日の日程がすべて終了する頃に、降谷は既に動いていた。該当する式の出席者名簿を調べ上げ、彼らの名前がないこと、しかしよく似た名前の人物が確かに三名出席していたことを掴むと、戸籍情報や都内にある企業の雇用者リストを全て洗い出したのだ。
「……あった――佐山急便杯戸営業所……。伊達の再就職先もここだったか」
刑事を辞めていたことは話に聞いていたが、その後どこに仕事復帰したかまでは知らされなかった。辞めたすぐあとに再就職をしたのなら、予めここに入職すると決めていなければ難しいだろう。そして例の三人もここに務めているのなら、伊達は彼らの正体を知っていた可能性が高い。勤め先が分かれば行動範囲もだいたい絞り込むことは可能だ、降谷は自身の立てた仮説の真偽を確かめるべく行動を開始した。あの三人が、紛れもなく同期だった友人達だという仮説を。
もし彼らが本当に別人で、赤の他人だったらという迷いはとうになかった。だとしたらおかしいだろう、職場で知り合っただけの、かつての友人達に似ているだけの人物を自分の結婚式に招待すること自体が。伊達は人当たりはいいが、人付き合いの線引きはしていた。出会って間もない相手をあの場に呼ぶはずがない。つまりは、彼らが自分の思っている通りの人物であるという確定的な裏付けである。この際彼らがどうやって助かったのかなど推測するのも、検証するのもどうでもいい。直接会って問い詰めれば恐らく分かることだ。
「見つけたら、洗い浚い吐いてもらうからな」
そう確信した呟きを一つ。降谷の薄氷色は、もう揺れてなどいなかった。
***
祝い酒と称してまた四人の宴会を繰り広げた二次会を終え、帰路につく頃には陽もすっかり沈み街灯と月明かりだけが頼りの世界になっていた。その道すがらにも、酒の席で散々話した披露宴のことをいつまでも掘り返していれば、景光は通り過ぎた路地裏に見覚えのある姿が横目に見えたような気になった。そちらに意識だけを向ければ、気のせいなどではなく。物陰に潜む気配は四年越しに感じるものだ。やはり探りに来たか、と内心で思うと口元が緩むのが分かる。降谷が真相を暴きに来たとして、最初はあくまでも他人の振りをしようという話はしていたが、何の確証もなく直情的に問い詰めてくる訳が無い。シラを切ったとしても自分達が死んだ振りを続けている本人達だという確実な証拠を持ち出して来るに違いない。それをもはや楽しみにしていたくらいには、この時を待っていたのだ。景光がそうなのだから、松田も萩原も、そして自身の結婚式でさえ利用すると言い出した伊達も同じ思いがあってのことだろう。
「緋川、どうかしたか?」
すぐ隣を歩いていた伊達は、一人で悪い笑みになっている景光に呼びかける。
「いや、まさかここまで上手くいくとはなぁ」
意味深な言い回しで視線だけを後方に向ける様子に、伊達は何か察したらしい。そんな伊達の態度から、陰に潜んでいた気配も気付かれていることに気付いただろうか。だとしたら声をかけてくる頃か。
「……あの、ちょっと聞いてもいいですか?」
周りも暗いというのにキャップを被った、ただの通りすがりの好青年のようなトーンで一行に声をかけられる。何年も隣で聞いてきた声を景光が聞き間違えるわけもなく、それが降谷だということはすぐに分かった。黒を基調とした服装は潜入時代に誂えたものが多く、かつてチームとして行動を共にした探り屋バーボンを思わせる。記憶にあるままの幼馴染みの姿に思わず愛称を呼びそうになってしまうところだが、まだ彼の推理を聞いていない内は、種を明かすわけにはいかない。
「どうかし――」
当たり障りなく応答しようとした瞬間、景光は手首を捉えられる。その勢い任せに詰め寄られ、キャップが落ちるのもお構い無しに彼は景光を覗き込んだ。
「――……ヒロ、だよな」
てっきり。完璧な確証を引き下げて、いつもの自信しか持ち合わせていないような顔で言い当ててくると、そう思っていた景光は、刹那に対処できなかった。
――なんで、そんな泣きそうな顔してるんだ、零……。
「知り合いか? 緋川」
偽名と共に肩に置かれた松田の手で現実に引き戻される。本来の計画ならここでノーと返すはずだったが、そうもいかなくなってしまった。それは自分の返答がどうこうという前に、降谷の打った先手だ。
「シラを切ろうなんてそうはいかないぞ、ヒロ」
先ほどの表情は何だったのかと、口に出せない文句を心の中に浮上させる程度には、泣きそうなどとは無縁な不遜な表情で腕を組んだ降谷が続ける。
「さっきの僕の表情に明らかに動揺しただろう、赤の他人ならまず向けないような顔でな」
「……」
「僕の性格をよく知ってるヒロなら僕がこういう態度で接触してくるだろうと推測してただろうから、不意をついて正体を明かしてやろうと思った訳だが、案外上手くいくもんだな。それと助け舟出した松田と、萩と伊達もグルなんだろう?」
「……図られたな、諸伏」
「まさかこう来るとは思わないだろ」
性格はよく知っているが、同時に狡猾さと演技力も高等だということをすっかり失念していた。こればかりは景光自身の落ち度でもある。よく考えれば、降谷がわざわざ景光ならすぐに分かるような気配を悟らせるなんてことの方がそもそもの罠だ。読み合い腹の探り合いで勝てた試しはほとんどない。いつだって一枚上手なのは降谷だった。
「言いたいことは山ほどあるが、とりあえず全部吐いてもらおうか。七年前の萩の件から」
「うわぁ、取り調べの顔だ……」
現役の公安警察の威圧感たるや。顔の造作こそ卒業前と変わらず小綺麗なままだが、さすがは裏社会に身を置いてなおそれと悟らせずに立ち回っている潜入捜査官と言ったところか、有無を言わせない程のオーラである。しかし萩原が気になるのは、降谷に事の次第を話すとしても彼女の存在がここにないことだ。すべてを語る上で欠かせない彼女と、彼女の友人がこの場にいないとなると、何の根拠もなく信じさせなければならなくなる。以前からずっと姿を見ていないこともあり、自分が彼女を視ることの無かった人間に戻ったのではという疑念も湧いていた。
――見えなかった頃は、何も思わなかったのにな。
妖怪など、本来知らなければただ通り過ぎていただけの存在だが、奇しくも七年前にそれと出会い、僅かだが拡張された現実に身を置いていた萩原には、その存在が確かにあったという史実を今更なかったことには出来ない。おいそれと忘れられる筈がないだろう。あの存在が居なければ、ここにいる四人はとうに死んでいたのだ。今こうして自分達を探しに来た降谷一人を残して。
「それで? 萩が生き残った経緯は」
「あー……話すにしても、一旦俺らの家に引っ込んでからにしない? 人目に付くといろいろまずいだろ、特に降谷」
「……ヒロ、話したのか」
「ほんの概要程度だよ、詳しいところは伏せてある」
「というかあの部屋に五人座れるか?」
「隙間はないと思え」
四人で料理をつついた時でさえ足を寛げる余裕はなかったのだから、そこに降谷が加わるといよいよスペース的な問題が生じそうである。そんな話をしていれば、不意に新たな声が入り込んだ。
『まだあの狭い部屋でいるのか』
凛とした落ち着いた声、半年か、いや一年は聞いていなかった声に懐かしさすら感じる。背後から飛んできたそれに振り返れば、やはり変わらぬ姿で彼女はそこに存在した。
『久しいな、萩原』
まるで旧友のような口振りの彼女は、いつもの布面をしていなかった。鶯色の髪はそのままに、その下には紫苑色の瞳があるべき場所に収まっている。まるで人間のようにそこに佇む姿に驚きを隠せない。
「やっと出てきたか」
いつでも来ればいいと言ったきり姿を見せなくなった彼女を気にしていたのは松田も同じだった。呆れているように見せながら、彼女が不意に天井から現れるのを待っていたのを察していた景光は、素直な言い方が出来ない松田に含み笑いをもらす。
『探し物をしていたのだが、思いの外時間がかかってしまってな。なんだ、待ち侘びていたか』
「ああ言った直後に消えられたら何かと思うだろ」
「ちょっと待った、その前に憂希、あの布無くない!?」
『……ああ』
萩原が驚いていた理由に漸く合点が言ったかのように感嘆詞を零すと、自身の左眼の上辺りに手を翳しながら言葉を続けた。
『私の顔に布面が無いように見えるのなら、今の私は人間と同じように見えているということだろう』
「……えっ」
『そこの金色にも私の姿が見えているということだ』
本当なのか、と視線だけで降谷に問いかける。四人から一斉に目を向けられた降谷はその状況に困惑しながら肯定した。
「お前達の知り合いか?」
「知り合いというか……話せば長くなるな」
「ゼロが俺達に聞きたいことの根本的なことだ」
「なら、それも含めて話を聞こうか」
「一先ず場所を変えようぜ。路上で話すには大分長話なんだろ?」
「それもそうだ」
夜更けにぞろぞろと歩く集団に憂希も加わり、そろそろ見回りか何かに呼び止められかねない。狭いことは百も承知で、会議室兼住まいの部屋へと向かうのだった。
部屋に茶を出すコップがまるでないことを思い出した萩原の一言によりコンビニで各自飲み物を仕入れるという寄り道をした後で、ワンルームに六人が膝を突き合わせるように収まった。それから事の成り行きを順に語る運びとなる。
「まずは憂希が何者かってところからだな」
『妖者だ』
「いや簡潔すぎるだろ」
「……妖怪が実在したとは」
「受け入れるの速すぎないかゼロ!」
『茶番は捨て置くとして。私は生き物の死期を悟る妖だ。憂希と呼ばれているが、これはある人間に貰った名、本来は「マトイ」と言う。シキマトイと呼ぶ人間も過去には居たがな』
「死期……それを悟って人の前に現れるからか?」
『人間にとってはそうだったのだろう。元より死期が迫れば人は人ではない存在に近付くのだ。な晩年になって妖を視る者も中にはいる、私はその性質と大分相性がいいらしい。此奴らはそうした時期から私が視えるようになったのだからな』
「なるほど、一応筋は通ってる」
憂希――基、マトイが明かした素性を一先ず信用することにした降谷は、彼女がどう彼らと繋がったのかという話を催促する。
『萩原には烏を払ってもらった』
「そういやそうだな」
「……それだけか?」
「本当にそれだけ。なのにこっちは命救われてんだから、恩の返し方が壮大すぎるよな」
『ただの礼だ。どの道お前は生き延びた代償を負っているだろう』
「代償?」
「今までの人生を捨てさせたってことを言いたいんだろうけど、それはもう気にしてねぇよ。何だかんだ楽しく生きてるし」
『……そうか』
「ったく、こっちはカラの棺見送りながらやりきれねぇ思いしてたってのによ」
「本人はあっけらかんとしてんだもんなぁ。というか松田、それブーメランだからな。俺はお前ら二人分だったからな」
「……」
「おいこっち向け」
「お前ら話が進まないからちょっと黙れ」
わざとらしく明後日の方を向く松田を半目で咎める伊達に、話が進まないと景光がやんわりと釘を刺す。静かになった二人を他所に、降谷はあの事件当時の現場から生還した方法を問い詰めた。
「それで、あの爆発からどうやって助かった? 見たところ後遺症も無さそうだが、五体満足で生き延びた訳は?」
「憂希が連れて来た獣の妖怪のおかげだ。あのフロアが吹っ飛ぶ寸前に、俺はそいつに乗った憂希に首根っこつかまれて外に放り出されたってわけだ」
『トビヒのことか。今もこの天井の上にいるが、後で声を掛けよう。あれは自力でヒトに姿を見せられる』
「強引なやり口だな……」
『あの状況下では仕方ないだろう』
「分からなくもないが。確かにそんな非現実的な助かり方じゃ、真正面から出ていくのも躊躇うな。大方信じてもらえないのが目に見えていただろうし」
「さすが降谷、話が早い」
そのせいで残された側が悲しみに暮れたわけだが、今頃どうこういうには時が経ち過ぎた。それに当時生きていると分かったところで、信じていたかはまた別だ。今こういう状況だからこそ受け入れられている。
「ヒロの時はどうなんだ?」
「憂希とトビヒに助けられてそのまま萩原のとこに連れてかれた」
「だから簡潔すぎ」
『お前と歩いていた時に死期が近い事を察した、だから救った迄だ』
「ヒロの時は僕が理由なのか?」
「そういや憂希、なんで最初からゼロのこと知ってたんだ?」
『……お前が、あの人間が大切に思っていた人の子だからだ』
「あの人間?」
『私に名を与えた人間だ。確か……確か、ミヤノと呼ばれていた――』
「まさか……先生か」
「え、明美ちゃんの母さんの?」
思いがけず話題の上がった人物に感傷的になりそうなところを抑え、話を進める。景光が生存できた理由、それはまたしても獣妖怪の力によるものだ。そこに至るまでの話は萩原達がいる手前省いたが。
「あの火も本当はそいつが放ったもので、ライターは後から投げ入れたんだ」
「……あの時、お前が飛び降りたのは足音のせいって言ったな」
「ゼロ?」
「俺のせいだった、……そうだろ?」
もしあの時本当に彼が自決していたら、彼を殺した原因は自分にあった。その直前まで相対した男が自殺に追い込んだと、ある種の殺意にも似た感情で当時の自分を保っていた時期もあったが、それを頭から否定されたということになる。
「ゼロ、俺はこうして生きてる。だからお前のせいじゃない。事を焦った俺にも非はあるし、だから、零のせいじゃない」
言い出したら曲げない時の顔で断言する景光に、ふっと笑みが零れた。
松田の方はと問えば、前の二人と最終的には同じらしい。ただこの時だけは萩原と景光が共同して松田を死なせないために動いていた。
「俺の命日でもあったし、絶対無茶するだろうと思ったから監視ついでにな」
「マジで化けて出たかと思ったんだぞ」
「だがいくら解体に気を取られていたとはいえ、狭い観覧車の後ろにいたら気付かないか?」
「それはアレのおかげだな」
萩原が指さしたのはマトイの羽織。
「妖怪のものだからか、それ羽織ると人の目に移らないんだ。因みに俺達三人ともそれを駆使して偽装戸籍作ってある」
「……透明になるマント的なやつか?」
「さすが幼馴染み例えが同じ」
かつて似たようなことを景光も言っていたのを思い出す。
「それはそうと、あん時なんで二つ目の爆弾の場所知ってたんだお前」
「憂希に探ってもらった」
『死期の迫った人間を探しただけだ。患者なら分かるが、医師や見舞い客まで全員の死期が一致しているのは不自然だろう』
「だからそこに仕掛けられてたと分かったってことか」
これはマトイだからこそ気付けた部分だ。先に場所が分かっていたなら観覧車の方も解体できただろう、という降谷の指摘は最もだったが、現実味のない話と聞き入れなかった松田のせいである。
「全く信じてくれないあったよな」
「あの状況じゃ仕方ねぇだろ」
気持ちは分かるが納得いかない、と拗ねたような顔になる萩原はさておき、伊達の件だ。話だけ聞けば不運な事故だと思うのだが、妖怪である彼女を以前から知っていたような素振りを見れば、何かしら絡んでいるだろう。
「俺の場合、あの事故は下手すりゃ死んでたらしい。憂希に押されたおかげで足の骨折だけで済んだが、それが無きゃ当たりどころ悪くてお陀仏だったってことだ」
「そういう事か。因みにそうした理由は?」
『お前達の匂いがしたからだ』
マトイ曰く、人間同士の繋がりを示すもの。便宜上匂いと称しているようだが、初耳の降谷は当初の萩原と似たような顔をした。
『そうとしか言えないのだから仕方が無いだろう』
「まぁ、そうか」
降谷の聞きたいことについてはあらかた話し終えたところで、萩原は気になっていたことをマトイに投げかけた。人間の姿になっているとはどういう事か。
『その事か。まぁ、それが暫くここを離れていた理由なのだが』
彼女の話によれば、人と妖んk境界が曖昧だった頃から存在した妖が人間になれるいくつかの方法を探していたという。その一つが今彼女が身に纏っている着物。かつてどこかの妖が恋をした人間に会うために、その人間が残した古着を妖力を込めて仕立て直したものらしい。その妖はなかなか強い力を持っていたようで、その着物を着れば人間の姿になれるという。
『いずれは金色にすべてを打ち明けるはずだろうと思っていたからな、私が視えた方が話も早いだろう。ついでに、その旅で真名も思い出せた』
「ずっと音沙汰なかったのはそのためか」
『思いの外長旅になってしまったのでな。心配でもしていたか萩原』
「俺だけじゃねーし」
彼女が現れないことを気にしなかった訳では無いが、一番それを気にかけていたのは松田だろう。意味もなく天井を眺めていたのは黙っていてやるが。
「そう言えば、何で降谷のことだけ名前で呼ばないんだ、憂希」
『名乗られてないからな』
「「……」」
「一斉にこっちを見るなお前ら……。降谷零だ、友人達が世話になった」
『マトイというものだが、今は憂希と名乗っている妖だ。此奴らを救ったのはお前のことが起因している。あの人間の忘れ形見とやらがお前だったからだ』
「……それでも、こいつらが助かったのはあなたがいたからだ。僕にはできなかったことをあなたはしたんだ。礼くらいは言わせてほしい」
『人にできることなど限られている。そういう生き物だろう。私は自分のしたいようにしたまでだ。それでも礼がしたいというなら、生きろ。人間の命は余りにも短い、だがそれ故に懸命に生きようとする命は輝いて見えるものだ。だから生きろ、それだけで良い。あの人間も、最期の時までそう願っていた』
幼い頃、怪我ばかりしていた自分をいつも診てくれていたあの人は、遠くへ行ってしまった後でも思ってくれていた。マトイの告げた事実に、懐かしさに満たされた笑みが浮かんだ。
かくして、伊達を中心に立てた計画は成功に終わったのである。この一件移行、変わったことといえば降谷からの返事が時折ではあるが帰ってくるようになった事、そして。
「――経路はメールした通りだ。そのルートからの侵入、それから爆弾の解体、頼めるか?」
「任せろ、俺らを誰だと思ってる?」
「……、元爆発物処理班の双璧、だろ?」
「ああ」
電話越しでも互いに不敵な笑みを浮かべているのが容易に分かる。並みの人間なら尻込みするような指示を出すこちらも大概だが、それを預けてくるという信頼と成功の確信があってのことだとわかり切っている向こうの技術力も相当だ。通信を切った直後、直属の部下が現場の報告を挙げてくる。
「降谷さん。例の潜伏先ですが、奴ら、自爆用の爆弾を持ち込んでいるらしいという情報が……」
「その心配はない。お前達は作戦通り確保に当たれ」
「しかし……! 万が一死に逃げされては――」
「問題ない、と言ったんだ。彼らが動いてくれている。爆弾に関しては、彼らは僕以上に完璧なんだ」
協力者をほとんど作らなかった降谷が、ある時期を境にその存在を示唆するようになり、ついに部下の間で「降谷零に協力者がいる」という噂が実しやかに囁かれるようになったことだ。
End