月曜の学校帰りである。杏樹はいつものメンバーで帰宅するところをコナンに連れ出され、歩美の複雑そうな視線を背に受けながら辿りついた先は工藤邸だった。説明も無しに連れて来られた訳だが、沖矢昴を交えて穏やかでない話をされるとなると、思い当たる案件は絞られてくる。しかしそれを予測していたと気付かれるのは避けるべきだろう。つまりは何も知らない体で、普段と変わらぬ対応で何用なのかと問い質した。

「バレちまうかもしれねーんだ、赤井さんが生きてることが組織に」
「……なんでまた？」
「バーボンが、杯戸中央病院に探りに来てたんだよ。ある男の行方をな」

　楠田陸道、組織によるキール奪還のために病院に入り込んだ末端で、FBIに正体を暴かれ逃走するも赤井秀一の追跡からは逃げきれないと踏んで自殺した男。この男の行方が、赤井の死亡を偽装するために使ったトリックの要、トップシークレットなのだ。つい先日杯戸中央病院で出会した際にその楠田を知らないかと聞かれ、その時はシラを切る事は出来たそうだが、直後に起きた事件を解決させた後、同様の事を聞かれた高木が口を滑らせたらしいのだ。近くで見つかった破損車両の持ち主が楠田である事と、一ミリにも満たない飛沫血痕が座席に付着していたこと。拳銃絡みであることはすぐに気付いた事だろう。こちらとしては特に口止めしていた訳では無いが、守秘義務はどうした現役刑事、とは思う案件だ。

「それで、あたしらは何に気をつければいいの？」
「……さすが、察しがいいな。何を聞かれても、楠田陸道が拳銃自殺した事だけは漏らさないように、古渓にも伝えてくれるか？　多分、お前ら兄妹の方が関わる機会はあるだろうから」
「なるほどね、了解。でもさコナン君、他にも気になることあるみたいだね」
「そんなに分かりやすいか、俺」

　よく顔に出てる方だとは思っているが、本人の名誉のためにも曖昧に笑って肯定はしないでおく。否定もしないが。

「……もしかしたらの話だけど」

　病院内で不意に子供が叫んだゼロという単語に反応していた姿が引っかかり、もしやその俗称を持つ集団の一人ではないかと疑っているという。当人は昔の渾名と言っていたが、子供が「透」から「ゼロ」を連想するのは少々無理があるだろうと言うのも理由の一つだ。

「つまり、敵じゃないかもしれないってこと？」
「あぁ……って、杏樹オメー、"ゼロ"が何なのか知ってたのか？」
「確か公安警察の司令塔、だっけ？　本で読んだ。今もその呼び方かは分からないらしいけど」
「そう、もしこれが本当なら、こっちの事情を話して味方にできるかもしれねーんだ」

　コナンの推測にそぐう真相を知っている杏樹たが、当然それを伝えるつもりも無く、期待し過ぎない方が良いとだけ釘を刺す。

「まぁ、言動には気をつけるよ。正直一番気をつけてほしい人は他にいる気がするけど」

　FBIのうっかりさんを思い浮かべながらそう言うが、コナンは心当たりがないようなので適当に流した。沖矢が何となく察している様子なので笑いそうになるもののなんとか堪え、暇を告げる。岐路を辿りながら杏樹は、この先起こる出来事の予兆に心を踊らせていた。

「いよいよ緋色かー、手伝えることは無いだろうけど当事者にはなりたいかな」

　中立は保つつもりではいるが、どうあの空間に潜り込もうかと画策しながら家路を急いだ。





「今度は何を企んでるの」

　不意に物陰から声を飛ばしてきた人物は、奇しくも先日まで所在が掴めず接触できなかった相手だ。どうしてこう別の計画を遂行している時を見計らって来るのか、よもやこちらの行動が筒抜けだとは思いたくないが、そう錯覚できるほどに間が悪い。

「企む、とは人聞きの悪い」
「まだベルモットとこそこそ動いてるようだけど、何が目的」
「あなたには関係の無い話だと思いますが……知られるとまずい秘密でも抱えてるんですか？　そしてそれを僕が調べているとでも？」
「別に。ただ、当初の目的であるシェリーの抹殺はとうに済んでるはずなのに、未だにあの近辺に留まってるのが不思議でしょうがないんだけど」
「そこまで疑うのなら教えましょうか。あなたが本当のことを仰るなら、ですがね」

　これに口を噤んだと言うことは、知られたくない情報とやらの存在は確定だと言っているようなものだ。こちらとしては、その可能性のある真相を掴んでいるが。

「……調べたの」
「さぁ、どうでしょう？」

　肯定するのは簡単だが、組織の情報ルートを辿っていない以上は暈すに限る。彼女も追及すれば図星と白状するようなものだと分かっていれば深くは聞いてこないはずだ。その推察通り、イエーガーは一つ息を吐く。

「まぁいいわ。あんたの企みに巻き込まなければ、勝手にしたら」
「それは、以前呟いていた"家族"を、という意味で？」
「さぁね」

　先ほど使った言葉ではぐらかされたが、恐らく肯定と解釈出来る。勿論自分がイエーガーの言う"家族"を知っていることが前提だが、その前提がなければ曖昧に流されるもしくは、言葉通りの意味に捉えられるだけだろう。仮に周りに耳があったとしても自身の不利にならない返答をしてイエーガーは立ち去った。素性を把握されていると察していたのか、それとも先の受け答えでそう当たりをつけての言葉かは分からないが、都合の悪い相手ではないことは確かだと思わせることができれば或いは。

「……その前に今の件だ」

　安室透としてのクライアントの予定日は今夜だ。計画の中ではFBI以外に接触することは無いはずだが、想定外は起こり得るだろう。あの頭のいい少年がFBIと深く関わっている以上は。

　そしてその晩、一つの事件が人知れず幕を開けたのだ。



「──続いてのニュースです。昨夜、杯戸公園の路上で身元不明の20代の女性が、頭蓋骨陥没の重体で発見されました。身元を特定できるものは所持しておらず、警察は被害者の身元の特定を急ぐと共に、財布等が無かったことから窃盗事件と見て捜査を進めて行く方針です」

　朝の出かけにそんなニュースをじっと見ていた杏樹を奇妙に思っていたら謎の弁解を始めた。

「いや、原作にある事件だからね。下手な事言わないようにニュースで出た情報だけ覚えとくんだよ」
『何も言ってねーけどな』
「何こいつみたいな顔で見たやん」
『大体いつもそんな感じで見てる』
「fuckin」
『無駄にいい発音で言うな』

　日に日に頭のおかしさが増していく妹は放置することにして、戸締りを任せて先に家を出た。杏樹の有知している事件ならいろいろと馴染みの顔が集まりそうではあるが、平日の昼間に学業に励む身の上である自分に関係してくることはないだろうと踏んでいる。そのため、心中は至極穏やかだ。現時点で気がかりなことを強いて挙げるとすれば。

「よう古渓」
『……今日は早いんだな』
「常に遅刻してるみたいに言うんじゃねーよ日直だ」
『御愁傷様』
「死んでねーから！　それよりお前最近どうなんだよ。遠目から見てて全く進展が見られねーんだけど」

　進展も何も相手が見当違いなので当然なのだが。諒の気がかりは友人かつゲーム仲間、十和田のこの勘違いである。以前の露呈以来何かと画策して余計なお節介をしてくるのだ。

『お前あれマジでうざい』
「辛辣！　けどそう言ってられるのも今のうちだからな、成就した後でこのありがたみに気付くんだよ！」
『ねーよ』
「あるある」
『ねーっつってんだろ』
「……なんでちょっとキレてんだよ」
『お前の馬鹿さ加減に』

　いつにも増して当たりが強いせいか辛辣だなんだと再三言われるが知った事ではない。ゲームで言えば十和田のお節介は攻略のフラグ回収イベントになるのだが、それは本命がその中に入ればの話だ。つまり完全に余計なのだ。邪険に扱うのも然るべき態度である。

「じゃあ何か！　お前他に女子と交流でもあるのか！　えっ、マジで？　本気で？」
『ノーコメントで』
「嘘だろオイ……」
『だからなんで肯定前提なんだ』
「お前のノーコメントは肯定と同義！　まさか年上美人とかじゃねーだろうな」
『なんだその理不尽。……あながち間違いではない』
「はぁぁーーー！？！？　マジかよ……お前……えーー……」

　入学当初コミュニケーション能力0だったくせにいつの間にそんなコネクションを。などと不名誉極まりない文句と共に人の机で突っ伏す十和田を憐れみの目で見遣った。

『そもそも人の友好関係を把握しようとするな気持ち悪い』
「えーー……俺絶対古渓の好きな奴世良だと思ってたのに」
「そうなのか？　古渓君」
『………………………………ちげーよ』

　唐突に本人が話に加わるとか気まずいとは思わないのだろうか。どうするんだこの空気、と水を打ったように訪れた沈黙の中思った。

「何だ？　今の間は」
『さすがアメリカンは違うなと』
「育ちは殆ど日本だって！」
『それより何か御用でしょうか』
「何で敬語？　さっき廊下で頼まれたんだ、君に渡してくれってさ」

　しばらく形を潜めていたパステルカラーの横型封筒、三角の口がご丁寧にハートマークのシールで止められているこれが所謂そういう手紙であることは明白だ。よもや恨み辛みを書き添えた果たし状をこんな可愛らしい便箋で送り付けてくるというのは考え過ぎだろうか。どの道、あまり受取りたくはないが。

『……リリースで』
「残念ながら僕にこれを託した女子生徒のクラスも名前も知らなくてさ、君が受け取らなければ僕が持っておく理由もないし、この手紙の行方は必然的にゴミ箱ってことになるけど」

　完全に脅しではないだろうか。封筒にはっきり諒の名が書かれている以上、その辺に捨てられていればこの宛名の人物が封も切らずに捨てたと認識されるのは確実だ。どう考えてもよろしくない。目立ちたくないだけで体裁心象を悪くしたい訳では無いのだ。

『……受け取るだけなら』
「いやいや、自分宛に封筒が届けば当然中を確かめるだろ？　つまり手に取るって事実に内容を見るって事は付随する訳さ。返事を返すまでがセットだと思うな」
『お前、本を買ってすぐに読むのが当たり前だと思ってるな』
「……そりゃあそうじゃないか？　読みたいから買うんだし」
『そうとも限らないんだよこれが。ソースは杏樹』
「杏樹君が何で」
『あいつは本を買うまでが本編で読まずに積んである本が部屋を圧迫してるレベルだ。つまり一つの行動に付随する次の動作なんて物は必ずしも絶対じゃねーんだ。よってこれを受け取った時点で俺に届けるっつーお前の責務は達成されたし、そこで俺の義務も終わってるって事だ。以上。解散』

　謎の弁論大会を達成した気になりつつ件の手紙を鞄に突っ込んだ。

「……面白い考え方するな、君！」
「どう考えても屁理屈だろー」
『物は言いよう』
「それでさっきの好きな奴がどうこうって話は結局……」

　都合の悪い話題が蒸し返されるのを運良く始業の鐘が遮ったおかげで、それ以上の言及を免れた。世良は少々残念そうな顔をしながら、この話はまた今度、と言い残して席に戻って行く。休み時間の度に全力で逃げる必要がありそうだ。

『お前が余計な事言うからだな』
「何でも俺のせいにすんなって。それより例の年上美女紹介しろよな」
『断る』

　取り付く島もないのである。



End