薄桜鬼
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※モブ隊士目線注意
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いくら言っても、目の前でわめき散らす男は人の話を聞いてくれはしなかった。
これは新選組に入る前に借りた金で、勝手な金策ではない、それも病気を患った妹を医者に見せるために借りていた金を返しただけだ。
事実をいくら主張しようとしても、両替商から出てきたところに偶然出くわした、オレとは違う隊の隊士と名乗った男は口角に泡を飛ばしながら、法度に背いたと糾弾し続けた。
店先でそんな事をするから、あっという間に人だかりが出来る。
また壬生狼が、そう呟かれている声を聞いて焦る。くそ、こっちはわざわざ脱いできたのに、言い募ってくる相手は思いっきりだんだら模様の隊服を着込んでいる。
先に剣を抜いたのは、相手の方だった。何故そんなに怒る事があるのか、興奮しすぎて完全に錯乱している様にも見えた。
さすがに抜いた瞬間切りかかってくるなどという事はなさそうだが、いつそうなってもおかしくない、そんな様子だった。
しかし——向き合うにしろ、刀じゃダメだ。こいつを殺しちまう。
そんな判断で、オレもあいつに合わせて刀を抜いたものの刃先は向けずに、咄嗟に柄頭で相手のあごを殴りつけた。
しかし、それが悪かった。あいつは打ち所が悪かったか、そのままひっくり返って、動かなくなった。
息はしている、しかし、ぶくぶくと泡を吹いた口元が、最悪の結果を導いた事だけをオレに伝えてきていた。
その哀れな姿でひっくり返った男の姿を見てしまったあとは、もう何の申し開きをする気にもならなかった。勝手に金策を弄し私闘を街中で行った。
法度破りも二つも揃えば切腹まではあっという間だった。
いまも少し体調を崩しやすいままだが、日常生活を不自由なく送れるようになった妹を嫁にやって、一人飛び込んだ浪士組。
ろくに活躍もできないまま、オレは死のうとしている。そもそも、オレには義のためでも人を切る勇気なんて、きっとなかった。
牢屋を共有するのは、精神を病んだか、重い鎖を引きずる音をたてながら、隣の暗闇でうめきを上げる声だけ。
屯所の中でこんなに闇が濃くなる場所がある事も、平隊士のオレはこうして自分が放り込まれてはじめて知ったのだった。
死にたくない、でもきっと死ぬしかない。オレが泡を吹かせたあいつは、回復したのだろうか。
万歳の格好で鎖に繋がれ続け、足は痺れて感覚がない。沙汰を待つばかりの状況が、こんなにもつらいとは思わなかった。
そんな事を考えて、ふと気がつく。
……ああ、この世で自分に与えられた幸福はきっと、妹の健康と引き換えだったのだ。
そう思うと、自分でも驚いてしまう程、あっという間に死の恐怖はなくなった。さっさと腹でも何でもかっ捌いてくれ。
しかし、そうはならなかった。
オレの目の前にはなんと、選択肢が与えられたのだった。
このまま腹を切るか、それとも妙な薬を飲むか。
それを選ばせてやると言ったのは、口ぶりは誰よりもいつも穏やかなのに、こちらを見る目はひどく冷たい、そんな印象を与える男だった。この人と直接話した事なんて、入隊の試験の時くらいだ。
ろうそくの明かりだけが目の前の顔を、ぼんやりと照らし出す。
怜悧な表情は、その薄暗い明かりのせいで、更に鋭さを増すようだった。
「もちろん、飲んだとしてもそのあとに死ぬ可能性はあります。例え死ななくとも、死ぬ程苦しい目に合うかもしれません」
淡々と続けられる説明は、正直聞いていて楽しいものではなかった。
どっちにしろ世間様からしたら同じ様に死んだ身になること、下手すると正気じゃなくなる事。
まるで夢物語に出てきそうな薬の説明をしているその声は、無理矢理感情を押さえているかの様にも聞こえた。
出来るだけ淡々と聞こえるように、必死になっている。そう思えるような声だった。このひと、こんな感じだったっけ。
「飲むか飲まないか、それを決めるため、考えるためにあなたに与えられる期間は、——1週間。申し訳ないですが、それしか時間を与えることは出来ません」
濃い闇を、ろうそくの明かりだけがわずかに照らす。そのほの暗い中で山南総長は、驚くくらいに誠実なやり方で、オレに頭を下げた。
何だか不思議な気がした。法度破りの男に、新選組、かの新選組の総長が頭を下げるとは。
「……それを飲ませて下さい」
気付けば口をついて、その言葉が出ていた。
山南総長が浮かべていた能面のような表情が、険しく歪む。ぐぐっと眉が寄り、眉間のヒビは深くなる。ずいぶんと迫力ある顔ができるもんだ、その顔を向けられてるのはオレなのに、人ごとのようにそんなことを思う。
……何だ、早く決めた方が都合がいいだろうに、即答するのがどうして気に食わないのだろうか。
「……いけません、……少なくとも、あと1日はしっかりと考えなさい」
「何を考える事があるんですか、少しでも死なない可能性があるなら、オレはそちらを選びたい」
死んだことにされても、もしかしたら一目妹に会えるかもしれない。そう思えば、迷うことはなかった。
しかし、山南総長はそうは思っていないようだ。
なんであんたがそんな顔するんだ、おそらく違う事なんて分かっているがあえて説明をするとしたら、もはやそこに怒りに似た感情は消え、今目の前にあるのは泣きそうな顔、そんな風に見えた。
眼鏡の奥の目を一度伏せてから、まっすぐこちらを見つめて、彼は言った。
「……ならば、君が狂ってしまったなら、私が責任持って切ってあげましょう」
「そりゃ?どーも…」
そう言われてから、なおも暗闇から聞こえるあのうめき声は、この人が言った狂っちまったやつの声なのかもしれないと思い至る。思った以上に、とんでもないところに飛び込んでしまっていたのだなと、今更ながらに思う。
それでも何故か、どこかでどうにかなるのではないかという思いが消えなかった。
暗闇に引っ込んで何かを準備していた総長は、手のひらに光るびいどろの入れ物を掴んで戻ってきた。
「……覚悟は出来ていますね」
「いつでもどうぞ」
「口を開けていただけますか」
そう言われて、ようやく恐怖を思い出す。オレは一体どんなしろものを口の中に放り込まれるんだ。
しかし、もう言われた通りにするしかなかった。
目を閉じて、遠慮がちに口を開く。くちびるに感じる冷たいびいどろの触感のすぐあとに、舌がまるで燃え始めかのような、焼けるような感覚が襲った。
そのあと、オレはあまりの想像を絶する痛みに、叫び声を上げる。飢餓にも似た、何かを求めて体の中を獣が暴れ回る様な感覚がそれに拍車をかける。頭が焼き切れそうだ、おかしくなる——!!
「血を……血、血をくれぇえ……」
自分の声とは思えぬ、醜く掠れた音を聞く。目の前の彼につかみかかろうとしたところでひときわひどい痛みの波がやってきて、気付けばオレは意識を失っていた。
目が覚めたのは、それからどれくらいたってからだろうか。
体が見えない何かに押さえつけられているかのように、とにかく重い。
体中が熱を持って、ひどく痛む。口からは自然とうめきが漏れでてくる。
地面に着いている膝と、縛り付けられている手首はもちろん、とにかく全身が痛い。
そのとき、がたんと大きな音がして、オレはゆっくりと頭を上げる。 視界に入るのは、目にかかる見慣れぬ白い髪と、ゆらりとろうそくの光の向こうに立っているあの人くらいだった。
彼はそっと近づいてきて、膝をついてうなだれているオレの耳元でつぶやいた。
「……あなた、会話は、出来ますか」
ゆっくりと、まるで子供に聞かせるように、区切って話しかけてくる。
「……何、言ってるんですか……体はだるいし息苦しいのは確かですが……喋り方まで忘れちまう程ひどくはないですよ、……山南総長」
最悪の二日酔いのような感覚に、一番ひどい風邪のときのような全身のだるさ、関節や臓腑を的確に剣がつらぬいているかのような痛み、それが抜けないのは確かだ。でも、喋れないほどじゃない。痛みのすき間から喘ぐ様に呟く。痛みか寒さか、分からないもので歯ががちがち鳴る。オレの体はどうしちまったんだ?
恐怖と怒りで声を荒げようとして目を上げてみたら、あの人は、よかった、本当に、よかった、何てことを繰り返し、見た事もないくらい穏やかな笑みで言った。
それを見て、拍子抜けしたオレは何も言えなくなる。ああ、やっぱりこの人も人間だったんだ、そんな顔出来るんじゃねえか、この状況で思い浮かべるにはあまりにもバカみたいな言葉が、頭の中に浮かんでいた。
これが、あの人も、オレと同じ「何か」になりはてる、少しだけ前の話だった。
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いくら言っても、目の前でわめき散らす男は人の話を聞いてくれはしなかった。
これは新選組に入る前に借りた金で、勝手な金策ではない、それも病気を患った妹を医者に見せるために借りていた金を返しただけだ。
事実をいくら主張しようとしても、両替商から出てきたところに偶然出くわした、オレとは違う隊の隊士と名乗った男は口角に泡を飛ばしながら、法度に背いたと糾弾し続けた。
店先でそんな事をするから、あっという間に人だかりが出来る。
また壬生狼が、そう呟かれている声を聞いて焦る。くそ、こっちはわざわざ脱いできたのに、言い募ってくる相手は思いっきりだんだら模様の隊服を着込んでいる。
先に剣を抜いたのは、相手の方だった。何故そんなに怒る事があるのか、興奮しすぎて完全に錯乱している様にも見えた。
さすがに抜いた瞬間切りかかってくるなどという事はなさそうだが、いつそうなってもおかしくない、そんな様子だった。
しかし——向き合うにしろ、刀じゃダメだ。こいつを殺しちまう。
そんな判断で、オレもあいつに合わせて刀を抜いたものの刃先は向けずに、咄嗟に柄頭で相手のあごを殴りつけた。
しかし、それが悪かった。あいつは打ち所が悪かったか、そのままひっくり返って、動かなくなった。
息はしている、しかし、ぶくぶくと泡を吹いた口元が、最悪の結果を導いた事だけをオレに伝えてきていた。
その哀れな姿でひっくり返った男の姿を見てしまったあとは、もう何の申し開きをする気にもならなかった。勝手に金策を弄し私闘を街中で行った。
法度破りも二つも揃えば切腹まではあっという間だった。
いまも少し体調を崩しやすいままだが、日常生活を不自由なく送れるようになった妹を嫁にやって、一人飛び込んだ浪士組。
ろくに活躍もできないまま、オレは死のうとしている。そもそも、オレには義のためでも人を切る勇気なんて、きっとなかった。
牢屋を共有するのは、精神を病んだか、重い鎖を引きずる音をたてながら、隣の暗闇でうめきを上げる声だけ。
屯所の中でこんなに闇が濃くなる場所がある事も、平隊士のオレはこうして自分が放り込まれてはじめて知ったのだった。
死にたくない、でもきっと死ぬしかない。オレが泡を吹かせたあいつは、回復したのだろうか。
万歳の格好で鎖に繋がれ続け、足は痺れて感覚がない。沙汰を待つばかりの状況が、こんなにもつらいとは思わなかった。
そんな事を考えて、ふと気がつく。
……ああ、この世で自分に与えられた幸福はきっと、妹の健康と引き換えだったのだ。
そう思うと、自分でも驚いてしまう程、あっという間に死の恐怖はなくなった。さっさと腹でも何でもかっ捌いてくれ。
しかし、そうはならなかった。
オレの目の前にはなんと、選択肢が与えられたのだった。
このまま腹を切るか、それとも妙な薬を飲むか。
それを選ばせてやると言ったのは、口ぶりは誰よりもいつも穏やかなのに、こちらを見る目はひどく冷たい、そんな印象を与える男だった。この人と直接話した事なんて、入隊の試験の時くらいだ。
ろうそくの明かりだけが目の前の顔を、ぼんやりと照らし出す。
怜悧な表情は、その薄暗い明かりのせいで、更に鋭さを増すようだった。
「もちろん、飲んだとしてもそのあとに死ぬ可能性はあります。例え死ななくとも、死ぬ程苦しい目に合うかもしれません」
淡々と続けられる説明は、正直聞いていて楽しいものではなかった。
どっちにしろ世間様からしたら同じ様に死んだ身になること、下手すると正気じゃなくなる事。
まるで夢物語に出てきそうな薬の説明をしているその声は、無理矢理感情を押さえているかの様にも聞こえた。
出来るだけ淡々と聞こえるように、必死になっている。そう思えるような声だった。このひと、こんな感じだったっけ。
「飲むか飲まないか、それを決めるため、考えるためにあなたに与えられる期間は、——1週間。申し訳ないですが、それしか時間を与えることは出来ません」
濃い闇を、ろうそくの明かりだけがわずかに照らす。そのほの暗い中で山南総長は、驚くくらいに誠実なやり方で、オレに頭を下げた。
何だか不思議な気がした。法度破りの男に、新選組、かの新選組の総長が頭を下げるとは。
「……それを飲ませて下さい」
気付けば口をついて、その言葉が出ていた。
山南総長が浮かべていた能面のような表情が、険しく歪む。ぐぐっと眉が寄り、眉間のヒビは深くなる。ずいぶんと迫力ある顔ができるもんだ、その顔を向けられてるのはオレなのに、人ごとのようにそんなことを思う。
……何だ、早く決めた方が都合がいいだろうに、即答するのがどうして気に食わないのだろうか。
「……いけません、……少なくとも、あと1日はしっかりと考えなさい」
「何を考える事があるんですか、少しでも死なない可能性があるなら、オレはそちらを選びたい」
死んだことにされても、もしかしたら一目妹に会えるかもしれない。そう思えば、迷うことはなかった。
しかし、山南総長はそうは思っていないようだ。
なんであんたがそんな顔するんだ、おそらく違う事なんて分かっているがあえて説明をするとしたら、もはやそこに怒りに似た感情は消え、今目の前にあるのは泣きそうな顔、そんな風に見えた。
眼鏡の奥の目を一度伏せてから、まっすぐこちらを見つめて、彼は言った。
「……ならば、君が狂ってしまったなら、私が責任持って切ってあげましょう」
「そりゃ?どーも…」
そう言われてから、なおも暗闇から聞こえるあのうめき声は、この人が言った狂っちまったやつの声なのかもしれないと思い至る。思った以上に、とんでもないところに飛び込んでしまっていたのだなと、今更ながらに思う。
それでも何故か、どこかでどうにかなるのではないかという思いが消えなかった。
暗闇に引っ込んで何かを準備していた総長は、手のひらに光るびいどろの入れ物を掴んで戻ってきた。
「……覚悟は出来ていますね」
「いつでもどうぞ」
「口を開けていただけますか」
そう言われて、ようやく恐怖を思い出す。オレは一体どんなしろものを口の中に放り込まれるんだ。
しかし、もう言われた通りにするしかなかった。
目を閉じて、遠慮がちに口を開く。くちびるに感じる冷たいびいどろの触感のすぐあとに、舌がまるで燃え始めかのような、焼けるような感覚が襲った。
そのあと、オレはあまりの想像を絶する痛みに、叫び声を上げる。飢餓にも似た、何かを求めて体の中を獣が暴れ回る様な感覚がそれに拍車をかける。頭が焼き切れそうだ、おかしくなる——!!
「血を……血、血をくれぇえ……」
自分の声とは思えぬ、醜く掠れた音を聞く。目の前の彼につかみかかろうとしたところでひときわひどい痛みの波がやってきて、気付けばオレは意識を失っていた。
目が覚めたのは、それからどれくらいたってからだろうか。
体が見えない何かに押さえつけられているかのように、とにかく重い。
体中が熱を持って、ひどく痛む。口からは自然とうめきが漏れでてくる。
地面に着いている膝と、縛り付けられている手首はもちろん、とにかく全身が痛い。
そのとき、がたんと大きな音がして、オレはゆっくりと頭を上げる。 視界に入るのは、目にかかる見慣れぬ白い髪と、ゆらりとろうそくの光の向こうに立っているあの人くらいだった。
彼はそっと近づいてきて、膝をついてうなだれているオレの耳元でつぶやいた。
「……あなた、会話は、出来ますか」
ゆっくりと、まるで子供に聞かせるように、区切って話しかけてくる。
「……何、言ってるんですか……体はだるいし息苦しいのは確かですが……喋り方まで忘れちまう程ひどくはないですよ、……山南総長」
最悪の二日酔いのような感覚に、一番ひどい風邪のときのような全身のだるさ、関節や臓腑を的確に剣がつらぬいているかのような痛み、それが抜けないのは確かだ。でも、喋れないほどじゃない。痛みのすき間から喘ぐ様に呟く。痛みか寒さか、分からないもので歯ががちがち鳴る。オレの体はどうしちまったんだ?
恐怖と怒りで声を荒げようとして目を上げてみたら、あの人は、よかった、本当に、よかった、何てことを繰り返し、見た事もないくらい穏やかな笑みで言った。
それを見て、拍子抜けしたオレは何も言えなくなる。ああ、やっぱりこの人も人間だったんだ、そんな顔出来るんじゃねえか、この状況で思い浮かべるにはあまりにもバカみたいな言葉が、頭の中に浮かんでいた。
これが、あの人も、オレと同じ「何か」になりはてる、少しだけ前の話だった。
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