薄桜鬼
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わたしは、とにかく咄嗟のことで慌てていたのだ。
普段なら激しい飢餓と臓腑の痛みに襲われながら血を吸おうとする山南さんを落ち付けようと、必死にこちらは冷静さを保とうとするのが常だった。それでも、皮ふを這うあたたかい舌の感覚に肌が粟立つのは、恐怖のせいではなかった。
私とお話してくださる際に、上品な口元からすこしだけ覗く小さな舌が、今、自分の腕を舐めている、自分の血で赤く染まっている。
頭がクラクラするような光景だった。浅ましくも、まるでそれが何より特別なことのようで、嬉しくないといえば嘘だった。
その日の発作は本当に急で、そして激しく、彼はいままでにないくらいに苦しそうな姿を見せていた。体を二つに折る様にしながら、畳の上で痙攣する彼を見て、慌てたために手元が狂ったのだ。
手首に咄嗟に走らせた刃は、自分が予想したよりも深く、肉に食い込んでいた。
討ち入りのときくらいしか見たこともないくらいに、飛び散る血。
畳の上にそれがこぼれた音か、鉄くさい血の匂いか、うずくまっていた山南さんがこちらを見上げる。
私の右手はいつもの様に彼にむけて差し伸べることができず、血があふれる手首を咄嗟に掴んでいた。
「さ、山南さん、山南さん…」
助けを求めるように名前を呼ぶも、彼はふらふらと膝立ちになって、私の手を取ると切ったところに口を寄せる。左手首からあふれる血を止めようと、押さえる右手があることも気づかないようで、彼は指の上から、あふれる血を舌でなめとる。
きっと大丈夫、傷はふさがる、そうは思っていても自分が死んでしまうかもしれないという漠然とした焦りと恐怖に、指を這う柔らかな舌の感触。
背筋を走ったぞくりとした感覚は、どちらがもたらしたものだろうか。
頭がふわんとして、足に力が入らない。
肘をつたいめくり上げた袖を濡らす血の感覚に怯えながら、その場に膝から崩れ落ちる。
「……雪村君」
不意にくずれ落ちた私に、ハッとしたような表情を浮かべて、山南さんは私をささえながらその顔をのぞきこむ。
「山南さん、山南さん……」
ぼんやりとした頭で、思わず名前を呼ぶ。
山南さんはぎゅうっと眉を寄せた辛そうな表情を浮かべながら、私の腕の切り口を少しでも心臓から高い位置にしようとしているのか、手首を押さえて持ち上げる。
「わ、たしは、何てことを……」
ほとんど泣きそうな顔を浮かべる山南さんの顔を見たら、出血で覚えた死の恐怖が、どこかに追いやられていくかのようだった。
山南さんは、私の腕を指で辿って、的確にある一点をぎゅっと押さえる。痕もつくくらい強く握られているのがわかる。硬い手のひら、剣を握り続けた、タコのできた素敵な手のひらの感触を、自分の皮ふのやわらかいところで感じている。
その圧迫に合わせるように、腕の傷は少しずつふさがっていっているようだった。それでもまだ血を流しすぎたか少しだけふわふわするけれど、とりあえず安心して小さく息を吐く。
しかし山南さんは、あっという間にふさがっていく傷を見てホッとするわけではなく、さらに悲しげに眉を寄せた。泣きそうなお顔だ、と思った。
泣きそうなお顔、その中で彼のくちびるがまるで紅を差したみたいに、私の血で赤く光る。ああ、なんて綺麗なお人だろう。
「……山南さん、私は、お役に立てましたか」
普段なら聞かないようなこと、口に出せないような言葉が、判断力の落ちた今、勝手に口からこぼれ落ちる。
「……役に立つなどと……そんなこと……!」
山南さんは、怒ったみたいな口調で言う。
ああ、私の血が彼の服を汚してしまっている。むせ返るような鉄の匂い、こぼれた先から冷えていく、ぬるついた液体。私からあふれた液体。ヒトの体は、血袋とでも呼びたくなるようなつくりをしている、ぼんやりと思う。
山南さんは、なおも立てずにいて、腕の中で彼に体重をかける私をささえる腕に、少しだけ力を込める。あたたかい。幸福だ。とても単純に、そう思う。
ふわふわした頭から、再びこぼれる戯言を、山南さんは悲しい顔のままたしなめる。
「ねえ、山南さん、私はあなたが、とても……」
「おやめなさい、いまのあなたは夢を見ているのと同じなのですよ。血をあれだけ失って……」
「なら、これは良い夢ですね。山南さんがこんなに近い……」
彼の赤く染まったくちびるが開く。音が届く前に、私は意識を手放していた。
普段なら激しい飢餓と臓腑の痛みに襲われながら血を吸おうとする山南さんを落ち付けようと、必死にこちらは冷静さを保とうとするのが常だった。それでも、皮ふを這うあたたかい舌の感覚に肌が粟立つのは、恐怖のせいではなかった。
私とお話してくださる際に、上品な口元からすこしだけ覗く小さな舌が、今、自分の腕を舐めている、自分の血で赤く染まっている。
頭がクラクラするような光景だった。浅ましくも、まるでそれが何より特別なことのようで、嬉しくないといえば嘘だった。
その日の発作は本当に急で、そして激しく、彼はいままでにないくらいに苦しそうな姿を見せていた。体を二つに折る様にしながら、畳の上で痙攣する彼を見て、慌てたために手元が狂ったのだ。
手首に咄嗟に走らせた刃は、自分が予想したよりも深く、肉に食い込んでいた。
討ち入りのときくらいしか見たこともないくらいに、飛び散る血。
畳の上にそれがこぼれた音か、鉄くさい血の匂いか、うずくまっていた山南さんがこちらを見上げる。
私の右手はいつもの様に彼にむけて差し伸べることができず、血があふれる手首を咄嗟に掴んでいた。
「さ、山南さん、山南さん…」
助けを求めるように名前を呼ぶも、彼はふらふらと膝立ちになって、私の手を取ると切ったところに口を寄せる。左手首からあふれる血を止めようと、押さえる右手があることも気づかないようで、彼は指の上から、あふれる血を舌でなめとる。
きっと大丈夫、傷はふさがる、そうは思っていても自分が死んでしまうかもしれないという漠然とした焦りと恐怖に、指を這う柔らかな舌の感触。
背筋を走ったぞくりとした感覚は、どちらがもたらしたものだろうか。
頭がふわんとして、足に力が入らない。
肘をつたいめくり上げた袖を濡らす血の感覚に怯えながら、その場に膝から崩れ落ちる。
「……雪村君」
不意にくずれ落ちた私に、ハッとしたような表情を浮かべて、山南さんは私をささえながらその顔をのぞきこむ。
「山南さん、山南さん……」
ぼんやりとした頭で、思わず名前を呼ぶ。
山南さんはぎゅうっと眉を寄せた辛そうな表情を浮かべながら、私の腕の切り口を少しでも心臓から高い位置にしようとしているのか、手首を押さえて持ち上げる。
「わ、たしは、何てことを……」
ほとんど泣きそうな顔を浮かべる山南さんの顔を見たら、出血で覚えた死の恐怖が、どこかに追いやられていくかのようだった。
山南さんは、私の腕を指で辿って、的確にある一点をぎゅっと押さえる。痕もつくくらい強く握られているのがわかる。硬い手のひら、剣を握り続けた、タコのできた素敵な手のひらの感触を、自分の皮ふのやわらかいところで感じている。
その圧迫に合わせるように、腕の傷は少しずつふさがっていっているようだった。それでもまだ血を流しすぎたか少しだけふわふわするけれど、とりあえず安心して小さく息を吐く。
しかし山南さんは、あっという間にふさがっていく傷を見てホッとするわけではなく、さらに悲しげに眉を寄せた。泣きそうなお顔だ、と思った。
泣きそうなお顔、その中で彼のくちびるがまるで紅を差したみたいに、私の血で赤く光る。ああ、なんて綺麗なお人だろう。
「……山南さん、私は、お役に立てましたか」
普段なら聞かないようなこと、口に出せないような言葉が、判断力の落ちた今、勝手に口からこぼれ落ちる。
「……役に立つなどと……そんなこと……!」
山南さんは、怒ったみたいな口調で言う。
ああ、私の血が彼の服を汚してしまっている。むせ返るような鉄の匂い、こぼれた先から冷えていく、ぬるついた液体。私からあふれた液体。ヒトの体は、血袋とでも呼びたくなるようなつくりをしている、ぼんやりと思う。
山南さんは、なおも立てずにいて、腕の中で彼に体重をかける私をささえる腕に、少しだけ力を込める。あたたかい。幸福だ。とても単純に、そう思う。
ふわふわした頭から、再びこぼれる戯言を、山南さんは悲しい顔のままたしなめる。
「ねえ、山南さん、私はあなたが、とても……」
「おやめなさい、いまのあなたは夢を見ているのと同じなのですよ。血をあれだけ失って……」
「なら、これは良い夢ですね。山南さんがこんなに近い……」
彼の赤く染まったくちびるが開く。音が届く前に、私は意識を手放していた。
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