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少年

少年がいた。130センチにも満たないくらい小さな少年。部活も終わった薄暗い廊下に白い少年は立っていた。色素の薄い髪の毛に真っ白なワンピースみたいな服。窓の外をただ眺めるその姿はとても小さく闇に溶けて消えてしまいそうだとおもった。
「何やってるんスか」
思わず声を掛ければ、肩をはね上げて少年が振り向いた。月の光に白く照らされた顔と大きな青い瞳。パチリと瞬きをした少年は次の瞬間に駆け出した。
長い廊下の先へ消えていく小さな白。それはあっという間に見えなくなった。



気配を感じた方に耳を向けると、小さな足音が聞こえた。また後ろをついてきている。あれから自分が1人になるときまってあの時の少年が現れては着いてくるのだ。本人は隠れているつもりなのだろうが、物陰から白い布がはみ出しているわ、足音は聞こえるわでとてもサバンナでは通用しないお粗末な尾行である。
あまり人通りのない廊下。耳をすませても自分と少年の他に気配はない。ぐっと姿勢を低くして、一気に駆ける。柱の後ろにしゃがみこんでいた少年がその目を大きく見開いた。ふわりと白い布が翻る。逃げ出そうとした少年を抱き上げると想像以上に軽い。
「あ、うあ」
ぱくぱくと魚のように口を動かしてじたばた動く少年。しきりに瞬きをする大きな目に涙が滲んだ。
「おおおっと泣かないでーよーしよーし」
さすがに泣かれるのはやりづらいと、抱き上げた体をおろして頭を撫でる。
さらさらと指の通る髪の毛。毛ざわり最高ッスねと思いながら撫でていればいつの間にか少年は嬉しそうに笑っていた。



「ボクはテオ」
にっこりと笑って名乗った少年は案の定ここの生徒ではなかった。
「誰かと一緒にきてはぐれたっスか?」
その問いにううんと首を横にふる。
「じゃあこの学校の誰かに会いに来たんスか?」
ふるふる
その問いにも否定。
「ここはキミみたいな子供がくる場所じゃないッスよ」
話していても拉致があかない。ほら家に帰らないとと、手を引いて歩き出そうとするが少年は動かない。
「ボクここから出られないよ」
「それは迷子だからでしょ」
「迷子じゃないよ」
「迷子の子はみんなそう言うんスよ」
頬をプクッと膨らませて怒る少年の手を引いて今度こそ歩きだす。
「ねえどこ行くの?ボク出られないんだよ?」
小さな歩幅でちょこちょこ歩く少年はしきりに出られないのにと言う。
それにはいはいと答えながら、職員室へと向かう。

「ボクね、テオって名前なの」
「さっき聞きましたよー」
小さな少年の歩幅に合わせてゆっくりと歩きながら、えっとね、あのね、と話す言葉に返事をする。
「だって名乗ったのに、おにーさん教えてくれない」
繋いだ手をぶらぶらと揺らして不満そうに口を尖らせる少年に、つい笑みがこぼれる。
「オレはラギーっス
よろしくテオくん」
「ラギー、ラギーおにーさん」
オレの名前を呼んでくふくふと嬉しそうに少年は笑った。
「ボク、ラギーおにーさん好きだよ」
今度はにっこりと笑って好き好きと繰り返す。それにはいはいと答えながら階段を降りる。
「ラギーおにーさん、ボクのこと見つけられたから!だからすき!」
「見つけたって、あれ隠れてたつもりっスか〜?」
ばればれだったっスよと伝えれば、えへへと嬉しそうに笑った。
そうこうしていると、やっと職員室の扉が見えてきた。





だから







「また、ボクのこと見つけてね」



「え?」

繋いでいたはずの手はなにも握っていない。

ガラリと目の前の扉が開き、クルーウェル先生が訝しげにオレを見た。

「何をしている仔犬。下校時刻はもう過ぎているぞ」

廊下に1人ポツンとオレだけが立っていた。




「こんにちはおにーさん」
月の光を背に窓枠に座る少年はにっこりと笑った。
「こんにちはじゃなくてこんばんはの時間っスけどね」
突然掛けられた声に応えてから気付く。よっと声を出して廊下に降り立つ少年。だが廊下に落ちる影はオレ1人分。この少年の影がない。

「アンタ、何者なんスか」
「ボクはテオだよ」
睨みつけるオレに相変わらずにこにこと笑って答える少年。

「笑った顔の方が好きだなぁ」

せっかくまた会えたのに

そう言ってぺたぺたと近づいてくる少年。ガルルと喉が鳴る。まだあどけない少年の首は簡単に噛み砕けそうな程細く無防備であるのに、毛が逆立つ。きっとオレの力では敵わない。得体のしれない恐怖に足が後ろへさがる。

「ねぇラギーおにーさん」

それでも近づいてくるそれ。耳がぺたりと頭につく。

「ボクと遊んでくれる?」





それから何度か少年、テオと遭遇した。
現れるのはきまってオレが1人になった時。

遊んでと言ってはオレの手を取り校舎を走り、あれは何?これは何?と聞いてまわる。
無邪気に笑いおにーさんとオレを呼ぶそいつに次第に恐怖心は薄れていった。

「夕焼けの草原?」
「そう、ホリデーの間はそこに帰るんスよ」
「じゃあその間はおにーさんと遊べないんだね」
しょんぼりと肩を落とすテオ。その姿があまりにも可哀想で一緒に来ればと誘っていた。家に戻ればたくさんのガキ共が待っている。同じくらいの年齢の友達が出来たほうがずっと楽しいだろう。

「むりだよ」

いつもならころころと変わる表情が、すっかり抜け落ちている。澄んでいた青い瞳がどことなく澱んで見える。

「ボクはどこにも行けないんだよ」

目を細めて薄らと微笑む。少年とは思えない程に大人びた笑顔に後ずさる。

「だからいっぱいお話聞かせてね」
パッといつもの花が咲くような笑顔を浮かべた少年に、ようやくオレは息を吐き出した。






時折、少年テオは恐くなる。
無邪気に笑っている時は弟ができたみたいな、故郷のガキ共と遊んでいるような、そんな感覚なのに対し、静かに笑っている時は本能が危険だと逃げ出したいと尻尾が丸くなってしまう。

今目の前で微笑む少年は今まで見た中で1番冷たい顔で笑っている。とても美しい笑みだが、温度がない。
全身の毛が逆立つ。
先程まで殴られていたことなんてもうどうだっていい。逃げ出したい。
テオがおにーさんと俺を呼ぶ。
目が逸らせない。
背を向けたら最後、一呑みで食われてしまう。

「食べちゃってもいいよね?」

足に力が入らず、その場にへたりこんだまま震えるオレに上級生だろう生徒たち数人がにやにやと笑って近づく。

「ね、いいでしょ?」

コテりと首を傾げてテオが一歩近づく。
喉が引き攣り音が出ない。

すぐ目の前まできた生徒が足を上げる。

なんでこいつらは平気で動けるんだ

「たいむおーばー
ボクお友達は助け合うって聞いたんだ
おにーさん、ボクの大事なお友達」

少年がふわりと柔らかく笑った。

パクりと口を開いて呑み込む。

「あ?」

オレの頭を踏みつけていた生徒が消えた。

ふふ

「お前、今何しやがった!?」
突然消えた生徒に、隣にいた別の生徒がマジカルペンを取り出す。

その手が今度は消えた。肩から先が綺麗に呑み込まれる。

丸呑みの方がずっといい。腕を失った痛みに生徒が悲鳴を上げる。続いて1滴の血も残さずに悲鳴ごと頭が消え、また1人数が減る。

目の前の異常な出来事に残った生徒が半狂乱でペンを取り出す。それは全てオレに向けられている。ぺろりと舌なめずりした少年が彼らの後ろから近づく。

ああ、お前らには見えてないのか

残ったのは満足そうに笑う少年と尻尾の丸めたオレが1人。






五人の生徒が消えた。
跡形もなく。
ただ消えた生徒たちは皆真面目な生徒とは程遠かったせいで、最初は大事にはならなかった。どうせ、授業をサボり街にでも抜け出して遊んでいるのだろう。困った奴らだと。しかしいつまで経っても寮にも家にも戻らない生徒に、とうとう先生たちが動きだした。最後の目撃証言によりラギーの所へ先生がやってくるのはすぐだった。

きょとりとした顔でオレを見上げるテオから目の前の先生に視線を戻し、何も知らないと答える。手を握って隣に立つ場違いな少年に先生は気づかない。

先生だって、この少年には勝てないだろう。なぜだか周りには姿すら視認出来ないこの少年にオレは気に入られている。ならば利用してやろう。オレがダメと言えばちゃんと従ってくれる素直な少年だ。問答無用で食べてしまう訳ではない。その事に気づいてからはいいオトモダチとしてオレはテオと行動していた。テオがいれば上手くいく。破かれた教科書やノートを買い直すこともない。余計な出費が減り、以前よりずっと生活しやすくなった。
ちょっとした贅沢もできるようになった。好物のドーナツだって3つ4つと買える。初めてドーナツを食べたテオは少年らしくはしゃいでキラキラと顔を輝かせていた。





「ラギー先輩、その子だれですか?」

だからそう聞かれた時に咄嗟に唸ってしまった。オレだけに見える特別な存在だったのに。

突然やってきた魔力を持たない1年生がテオを見た。

「ボクはテオ」

にこりと少年が笑う。
その手を引いて後ろに隠す。
「おにーさん、あの子嫌なの?」
大人しく後ろに下がったテオがくいとシャツを引っ張った。
言葉に詰まる。別に監督生が嫌いな訳ではない。ただ取られると思った。少年はオレのものなのに。
「テオくんって言うんだね」
監督生が名前を呼ぶ。
呼ばれた事にテオは嬉しそうに笑った。しかし直ぐに眉をさげる。
「ボク、ラギーおにーさんが笑ってるのが好きなんだ」
ねぇ、あの子嫌なんでしょ?食べちゃおうか?
以前と同じように少年がこちらを見る。
きっと今頷けば監督生は消えるだろう。
元通り。オレだけが少年を見つけられる。オレだけが特別。
監督生は青ざめた顔で突っ立っている。










あの時食べてと頷けばよかった。









痛いとテオが泣いている。

おにーさんおにーさんと必死に手を伸ばしてもがいている。涙を流して悲鳴を上げる少年に近づこうと暴れるが、オレを押さえつける手はますます増えるばかり。

「いいですか、ブッチ君
あれは存在してはいけません
心を許してはいけません」

学園長が杖を振るう。
幼い少年の悲鳴が更に大きくなる。

やめろと叫んでも、止まらない。


学園長の隣で震える監督生を睨み付ける。
誰にも見えない存在のはずだったのに。
監督生の目を通して学園長は少年を視認しているらしい。
誰にも負けないだろうと、敵う訳がないと思ってたテオが負けている。
助けてと手を伸ばす少年。真っ白な服は赤黒く染まってしまった。

「耳をかしてはいけません!」
学園長がなにか叫んでいる。


痛い痛い痛い痛い助けて痛い苦しい痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い

「いけません!」

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い苦しい痛い嫌だ痛い痛い助けて痛い痛い痛い


“愚者の行進”


首に掛けられたリドルくんの魔法の首輪がギチギチと嫌な音を立てる。魔法を使えなくする彼のユニーク魔法。そんなもの知らない。レオナさんがやったように、それ以上の魔力で外せばいい。これ以上は耐えきれない。



ぶわりと膨らんだ魔力に周りは直ぐに気づいた。バキリと首輪が外れる。

しかし直ぐに新たな首輪をリドルはかけ直した。


それでも一瞬だけ学園長の動きは止まってしまった。ラギーのユニーク魔法により一瞬だけ学園長の魔法は止められてしまった。


それだけで十分であった。


あっという間もなく、
学園長は壁に叩きつけられていた。その手から杖が落ちる。

痛い痛いとっても痛い酷いよ

涙を流しながら少年が立ち上がる。
周りで結界を張っていた先生たちも意識を失っている。

少年はぺたりぺたりと濡れた足で監督生に近づく。
自分は悪くない!何もしてない!ただ君がいたことを先生に言っただけ!!

震えながら監督生が声をあげる。
少年は監督生の目の前で立ち止まる。
小さな手が監督生の頬に触れた。



ありがとう

ふわりと少年が笑った

「……え?」

なぜ彼はお礼を言うのか。
目を瞬かせて少年を見上げたまま固まる監督生。
スっと頬に触れていた手が上にズレる。それは監督生の目を覆うようにして止まる。

でも、もうボクのこと見ないで


糸が切れたかのように監督生が後ろに倒れる。悲鳴のような声で監督生の名前を呼びながら駆け寄る生徒たち。
押さえつけていた手が消えた。


大丈夫、脈はある!

誰かが声をあげる。

監督生が倒れた事で、少年の姿はもう見えないのだろう。

この場にいた生徒たちが意識を失った先生や監督生に必死に声を掛けている。


「ボク、ちゃんと食べなかったよ」

オレの前にきた少年がえっへんと胸をはる。

学園の人を許可なく食べるな

以前、言った口約束を少年はしっかりと守った。偉いでしょと笑う少年の頭を優しく撫でる。くふくふと嬉しそうに少年は手に擦り寄る。


「ラギー」

わーわーと騒がしい中、静かに名を呼ぶ声に顔をあげる。
レオナさんがただじっとオレを見つめている。
名を呼ぶだけで何も言わない彼。
きっと、ダメだと、行くなと彼は言っている。

その強い力を持った瞳から目を逸らす。視界の端で悔しげに顔を歪めるレオナさんを見た気がした。



少年の小さな手を握る。いたずらっ子みたいな顔で少年は走り出した。手をひかれるがままに後ろをついて行く。

ボクね、どこにも行けなかったんだ

走りながら声を弾ませて振り返る少年。

いっつもこの廊下から外眺めてたの

いつの間にか黒く染まった服が真っ白に戻っている。月明かりによってきらきらと色素の薄い髪の毛が光る。

ずっと眺めるだけで、遠くに見える山にはきっと行けないし、話に聞くおっきな海とかきっとこの目では見れないんだって思ってた


校舎の入口で足が止まる。
弾んだ息を吐いて、きらきらとした目でオレを見上げる。期待に目を輝かせながら、どこか緊張したような顔をしている。

この先に出たことないの


大丈夫ッスよ一緒に行けば

安心させるように笑って手をひく。

足が校舎の外に出る。
目を大きく開いて口もぱっかりと開けて、周りを見渡す。そうして最後にオレを見上げた。

でれた!ほんとに出れた!すごいボク自由だ!

手を離せばこのままくるくると踊り出しそうな程に喜びを全身で表現する少年。

「テオくん、まずはどこに行こうか」

オレの言葉に更に顔を輝かせて応える

夕焼けの草原!!

おにーさんの故郷!!

「おっけー、じゃあ早速行くッスよ」
シシシっと笑って再び走り出す。

鏡を使えば一瞬で辿りつく。だがそれでは勿体ない。時間もお金もかかるが、道中見る全ての物が少年にとっては初めてのものだろう。こいつがいれば、きっととても楽しい旅路になるはずだ。


期待に胸を弾ませて、夜にしては騒がしい学園を笑いながら飛び出した。
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