第1章(過去編)
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04 時間よ止まれ
ガイは音機関マニアなのだという。次の日、庭へやって来てさっそく水道橋の話をせがまれてあれこれ解説すると、そのように教えてくれた。譜業好きが高じて、マルクトの譜術にも興味を持ったとか。きちんとした訓練を受けていないユニの話は感覚的に過ぎるのだが、楽しそうに聞いてくれて、ユニも嬉しかった。
落ち着いていて穏やかなガイが、音機関の話題の時だけは目を輝かせて、ユニにはよくわからないことをぺらぺら喋る。なんだか子どもっぽく見えて可愛いなぁと思いつつも、無視したり流すわけにもいかないので、適当に相槌を打ったり質問をしたりしていたら、ガイはユニを「音機関の話を聞いてくれる相手」と認識したようだった。……嬉しいような複雑なような。
でも実際、装置を修理することも忘れてかなり長く話し込んでしまっていた。いつの間にか、彼の目的が自分に向いてきていた。それをふと自覚して、胸がいっぱいになる。頭の中も、心の中も、彼のことばかり。自分の世界が全部変わってしまった。庭も花も水の音も、昨日までと全く違う。
翌日は、ティーセットを持って庭に出た。彼の姿はまだ見当たらなかったから、ユニはそれをテーブルに置いて、昨日咲きかけていた花の様子を見に行った。
「去年も確かこの時期に咲いてたっけ……」
色のない記憶は曖昧で、あまりよく思い出せなかった。それだけ、今が鮮やかすぎるのだ。しかし恋にかまけて自分の仕事が疎かになっては、この庭を好きだと言ってくれたガイに申し訳ない。ユニは気を取り直して、真面目に成長具合を観察し始める。
「うーん……ちょっと他のと距離が近いかも……水はけはいいけど日当たりが……」
ぶつぶつと植物に向かって呟き、土を撫でたり葉を日に透かしたりする。しばらくそうしていたら、ふと、この庭にはない金色が急に目に入った。
「えっガイ!? ちょっと、いつからいたの!?」
驚いて振り返ると、いつの間にか椅子に座って足を組むガイがいた。独り言なんて言っていたのが恥ずかしい。
「いや、さっき来たんだけどさ、キミってほんとにこの庭が好きなんだな。呼んでもオレの方なんてちっとも振り向いてくれなかったんだぞ」
「え? 嘘、ほんとに呼んだの……?」
「呼んださ。何度もね」
そう言われて思わず顔を赤くする。ガイが、わたしを何度も呼んだなんて。彼の当初の目的だった壊れた装置は、ちゃんとテーブルの上に、彼の目の前にあるのに。
「き、聞こえてなかったから、もう一回呼んでくれる?」
「仕方ないな」
ガイは「おーい、ユニ」と自然に呼んだ。まだ出会って数日なのに、もっと多くの時間を共有したような感覚になった。もし、彼と旅をして、道端に気になる植物をみつけて立ち止まったら、彼は振り返って呼んでくれるだろうか。そんなことを考えてしまっていた。
庭園での日々はのんびりと過ぎていったけれど、とうとう、彼は例の装置の修理を終えてしまった。「なんとか直せたよ」と笑顔で言われ、複雑な気持ちでそれを受け取る。
「ありがとう。ガイはほんとに器用だね」
これを受け取ったら、もう会う理由がなくなる。だから、もう一度理由をつくらなくちゃ、そう思って口を開きかけたとき、ガイと視線がぶつかった。
「……あ、えっと……」
「……なあユニ。これはもう直ったし、オレがここに来る理由はもうないんだけど……もし仕事の邪魔じゃなければ、また明日も来ていいかい?」
その言葉に、息が詰まった。ガイの方からそう言ってくれるなんて夢みたいだ。自分の願いが、叶ってしまう。
「うん、うん! もちろん!」
「そっか。ありがとな。じゃあこれ、渡しとく」
「ん……?」
直接触れられない彼のために手を差し出すと、彼はユニの手のひらの上に小さな箱を乗せる。
「キミに迷惑かけたお詫びだよ。街で聞いたんだ、すごく美味しいお菓子だってさ」
「え……え……もらっていいの!?」
胸がきゅんとするような上品なリボンをほどき、箱をあける。中身は、食べられる花をのせた焼菓子だった。
「か、か、かわいいいぃ~……ありがとう……!!」
震えるほどの可愛さに、思わず涙目になっていると、ガイもほっとしたように笑みを浮かべた。
「本当はさ、もう来なくていいって言われたら、それを渡すのを口実にして、明日も来ようと思ってたんだ」
「ん? ……え? えっと……」
「断られても、最後にもう一回会えたらなと思ったからさ」
淡々と話す彼の言葉の意味がよく呑み込めなくて、ユニは目を丸くする。次から次へと波が押し寄せ、動揺する暇もない。
「でも来ていいって言ってくれたから、今渡したんだ。喜んでくれてよかったよ」
ユニは何も言えず、ただぼんやりと彼の笑顔をみつめていたが、次第に鼓動が大きく聞こえ、顔が熱くなった。
(え、えっ、うっわ、ほんと、だめだって……)
こんなの反則だ。彼にとってはなんでもないことかもしれないけど、嬉しすぎて、どうにも軽く流せない。熱くて苦しくて涙が出そうになる。一体どれだけ好きにさせれば、気が済むのだろう。
翌日、理由もなく現れたガイを見て、ユニはじーんと幸せを噛み締めるのだった。彼の目的が、自分にあるのだと、錯覚ではなく確かに思える。
深い緑に染まる庭の中で、金色の髪が淡く輝くのを見るのは、とてつもない幸福だった。その日、彼は椅子に座ると、「水やりをするところを見せて欲しい」と頼んできた。
譜術を使う様子を見たいのかと思い、普段通りにロッドをくるくると回して庭に水を降らせた。しかしガイはテーブルに頬杖を付いて、こちらを眺めてにこにこしているだけだった。
「……なに?」
「いや、きらきらしてすごく綺麗だなと思ってさ」
「!?」
「グランコクマって綺麗な街だよな。水も草木も、みんな鮮やかでいきいきしてる」
「あ、う、うん、街がね……」
突然の発言にユニはどきりとしたが、勘違いだったと頭を振る。しかし、ガイは「おいおい」と朗らかに声をあげる。
「オレはキミも含めて言ってるんだぞ。ほんと、この仕事似合ってるよな、ユニは」
「な、ななな、何言って……」
嬉しそうに笑う彼をぼーっとみつめる。頬がどんどん赤くなっていくのが自分でもわかって、耐えきれなくなったところで、思わず顔を背けた。
「まあ綺麗っていうか可愛い、だけどな、ユニは」
「いや、子ども扱いしないでよ……う、嬉しいけどっ」
彼と出会ってから、本当に毎日新しいことばかりだった。それは、今までがいかに平凡だったかに気付くということでもあったけれど。
「ユニ、セントビナーって街のこと知ってるか? 大きな木があって、すごく綺麗な広い花畑があって、街中いい匂いがするんだ。キミも気に入ると思うよ」
ガイはいろいろな街のことを知っていた。地図を眺めたりするのが趣味らしいが、それにしても、まるで見てきたばかりのような鮮明さで語る。
「いいな、わたしもグランコクマ以外の街に行ってみたいなあ……。ガイと話すと、やりたいことが増えて困る」
でも自分にはそれを実行にうつす気概もお金もないから、ぼんやりとしか思い描けないのが寂しい。
「オレが連れ出してやれたらいいんだけどな」
「え、連れていってくれるの……?」
「キミがそう望むなら」
ティーカップで少し顔を隠して、「そんな風に言われたらほんとに期待しちゃうんだけど」とユニは零した。
ガイといると初めてが多すぎる。すべてが嬉しくて、新鮮で、どきどきしていた。
とにかく、ユニとガイとが出会ってからちょうど一週間が経った。
ガイは、ユニが彼に抱く気持ちへの答えは持ち合わせていないようだが、律儀に毎日会いに来てくれた。ユニはそんなガイに感謝しながら、一日ごとに彼のことが好きになっていっていた。
こんな日々がいつまでも続くのではと錯覚してしまいそうな穏やかさが、そこにはあった。目が眩んでいたのだ。
その日、彼は夕方過ぎになっても姿を現さなかった。
ユニは妙な胸騒ぎを感じて、部屋に戻れずにずっと庭で待っていた。
いつか終わりが来ることは理解していた。彼はグランコクマへの旅行客に過ぎない。一度帰ってしまえば、次はいつ訪れるのかもわからない。今回の滞在期間を聞いていなかったけれど、ずっとここにいるわけではないだろうし、すでにもう帰ってしまったのだろうか? いや、あのガイに限って、ユニに一言も告げずに去るなんてことはないだろうけど。
(ガイ、どうしたんだろう……)
西の空が曇り、遠くで稲妻が鳴っている。その光景と同じように、暗い予感がユニの胸に渦巻いていた。何度か同じことをぐるぐると考えていたとき、宮殿の方から声が聞こえた。
「ユニ! こんな時間までなにしてるの?」
「……フィル」
バルコニーから身を乗り出すようにしてこちらを覗いていたのは、友人のフィルだった。
「天気が悪くなりそうからちょっと様子を見てたの」
「そう? でもそろそろ部屋に戻れば。暗いし、寒いし、風邪ひくよ」
「大丈夫だよ」
ガイに会えなくなるほうが、もっとつらいのだから。
ほとんど唯一の友人であるはずのフィルをも無理矢理追い払うと、ユニはまたひとりぼっちになった。振り返ってみると、自分は随分寂しい人間だった。同僚のメイドたちには、お気に入りの軍人さんがいたり、休みの日には仲の良いグループで出掛けたりする。でもユニにはそんな日々はなかった。ガイに出会うまでは、こんな気持ちも全然知らなかった。
ガイは、本当にどうしたのだろう。大好きな、大人でも子どもでもない彼に早く会って、安心したかった。こんな時間だけど水やりをしてみようか。初めて彼と会ったのは水を撒いている時だったんだ。よく覚えてる。ついさっきの出来事みたいに――
「ユニ?」
「あ……ガイ!」
待ち望んでいた声がようやく聞こえて、ユニは勢いよく振り向いた。彼の姿が目に入ると、そのまま抱き付いてしまいそうになったが、初めて彼に触れようとしたときの記憶がユニにとってもトラウマとなっているのか、寸前のところで身体は止まった。
それなのにガイは、不思議なことに身動きひとつしなかった。ユニの不安が掻き立てられる。明らかに様子がおかしいのだ。一歩近付けば一歩後退していた、いつもの距離が、今はない。
「ガイ、どうしたの……」
「キミに言わなくちゃいけないことがあるんだ」
「え……」
「明日の午後、グランコクマを発つよ」
ああ、そっか、とユニは思った。頭ではずっとわかっていたのだから、別に驚くことはない。でも、とうとう現実になり、決定的な痛みを覚えた。この日々が終わってしまう。彼ともう会えなくなってしまう。
「そっか……」
「最後の日はやっぱりキミに会いたいなと思ったんだけど、いいかな?」
嬉しい言葉も全部頭を通り過ぎていくようだった。何が出来るのかを必死で考えていた。彼が最後に自分を選んでくれたことを、絶対に後悔させたくない。この大切な記憶を、ずっと大切なままにしていたい。
「じゃあ、あ、案内させて!」
言葉が唇から零れ落ちる。視線を上げると、優しい眼差しとぶつかる。どうか、どうか、少しでも彼とわたしの時間を引き伸ばして。
「グランコクマっていいところいっぱいあるから!」
「……仕事はいいのかい?」
わかっているくせに、ガイは笑いながら尋ねる。きっと、ユニがグランコクマを案内したいと言い出すことだって、お見通しだったのだろう。
「いいの。明日はサボり!」
ガイは音機関マニアなのだという。次の日、庭へやって来てさっそく水道橋の話をせがまれてあれこれ解説すると、そのように教えてくれた。譜業好きが高じて、マルクトの譜術にも興味を持ったとか。きちんとした訓練を受けていないユニの話は感覚的に過ぎるのだが、楽しそうに聞いてくれて、ユニも嬉しかった。
落ち着いていて穏やかなガイが、音機関の話題の時だけは目を輝かせて、ユニにはよくわからないことをぺらぺら喋る。なんだか子どもっぽく見えて可愛いなぁと思いつつも、無視したり流すわけにもいかないので、適当に相槌を打ったり質問をしたりしていたら、ガイはユニを「音機関の話を聞いてくれる相手」と認識したようだった。……嬉しいような複雑なような。
でも実際、装置を修理することも忘れてかなり長く話し込んでしまっていた。いつの間にか、彼の目的が自分に向いてきていた。それをふと自覚して、胸がいっぱいになる。頭の中も、心の中も、彼のことばかり。自分の世界が全部変わってしまった。庭も花も水の音も、昨日までと全く違う。
翌日は、ティーセットを持って庭に出た。彼の姿はまだ見当たらなかったから、ユニはそれをテーブルに置いて、昨日咲きかけていた花の様子を見に行った。
「去年も確かこの時期に咲いてたっけ……」
色のない記憶は曖昧で、あまりよく思い出せなかった。それだけ、今が鮮やかすぎるのだ。しかし恋にかまけて自分の仕事が疎かになっては、この庭を好きだと言ってくれたガイに申し訳ない。ユニは気を取り直して、真面目に成長具合を観察し始める。
「うーん……ちょっと他のと距離が近いかも……水はけはいいけど日当たりが……」
ぶつぶつと植物に向かって呟き、土を撫でたり葉を日に透かしたりする。しばらくそうしていたら、ふと、この庭にはない金色が急に目に入った。
「えっガイ!? ちょっと、いつからいたの!?」
驚いて振り返ると、いつの間にか椅子に座って足を組むガイがいた。独り言なんて言っていたのが恥ずかしい。
「いや、さっき来たんだけどさ、キミってほんとにこの庭が好きなんだな。呼んでもオレの方なんてちっとも振り向いてくれなかったんだぞ」
「え? 嘘、ほんとに呼んだの……?」
「呼んださ。何度もね」
そう言われて思わず顔を赤くする。ガイが、わたしを何度も呼んだなんて。彼の当初の目的だった壊れた装置は、ちゃんとテーブルの上に、彼の目の前にあるのに。
「き、聞こえてなかったから、もう一回呼んでくれる?」
「仕方ないな」
ガイは「おーい、ユニ」と自然に呼んだ。まだ出会って数日なのに、もっと多くの時間を共有したような感覚になった。もし、彼と旅をして、道端に気になる植物をみつけて立ち止まったら、彼は振り返って呼んでくれるだろうか。そんなことを考えてしまっていた。
庭園での日々はのんびりと過ぎていったけれど、とうとう、彼は例の装置の修理を終えてしまった。「なんとか直せたよ」と笑顔で言われ、複雑な気持ちでそれを受け取る。
「ありがとう。ガイはほんとに器用だね」
これを受け取ったら、もう会う理由がなくなる。だから、もう一度理由をつくらなくちゃ、そう思って口を開きかけたとき、ガイと視線がぶつかった。
「……あ、えっと……」
「……なあユニ。これはもう直ったし、オレがここに来る理由はもうないんだけど……もし仕事の邪魔じゃなければ、また明日も来ていいかい?」
その言葉に、息が詰まった。ガイの方からそう言ってくれるなんて夢みたいだ。自分の願いが、叶ってしまう。
「うん、うん! もちろん!」
「そっか。ありがとな。じゃあこれ、渡しとく」
「ん……?」
直接触れられない彼のために手を差し出すと、彼はユニの手のひらの上に小さな箱を乗せる。
「キミに迷惑かけたお詫びだよ。街で聞いたんだ、すごく美味しいお菓子だってさ」
「え……え……もらっていいの!?」
胸がきゅんとするような上品なリボンをほどき、箱をあける。中身は、食べられる花をのせた焼菓子だった。
「か、か、かわいいいぃ~……ありがとう……!!」
震えるほどの可愛さに、思わず涙目になっていると、ガイもほっとしたように笑みを浮かべた。
「本当はさ、もう来なくていいって言われたら、それを渡すのを口実にして、明日も来ようと思ってたんだ」
「ん? ……え? えっと……」
「断られても、最後にもう一回会えたらなと思ったからさ」
淡々と話す彼の言葉の意味がよく呑み込めなくて、ユニは目を丸くする。次から次へと波が押し寄せ、動揺する暇もない。
「でも来ていいって言ってくれたから、今渡したんだ。喜んでくれてよかったよ」
ユニは何も言えず、ただぼんやりと彼の笑顔をみつめていたが、次第に鼓動が大きく聞こえ、顔が熱くなった。
(え、えっ、うっわ、ほんと、だめだって……)
こんなの反則だ。彼にとってはなんでもないことかもしれないけど、嬉しすぎて、どうにも軽く流せない。熱くて苦しくて涙が出そうになる。一体どれだけ好きにさせれば、気が済むのだろう。
翌日、理由もなく現れたガイを見て、ユニはじーんと幸せを噛み締めるのだった。彼の目的が、自分にあるのだと、錯覚ではなく確かに思える。
深い緑に染まる庭の中で、金色の髪が淡く輝くのを見るのは、とてつもない幸福だった。その日、彼は椅子に座ると、「水やりをするところを見せて欲しい」と頼んできた。
譜術を使う様子を見たいのかと思い、普段通りにロッドをくるくると回して庭に水を降らせた。しかしガイはテーブルに頬杖を付いて、こちらを眺めてにこにこしているだけだった。
「……なに?」
「いや、きらきらしてすごく綺麗だなと思ってさ」
「!?」
「グランコクマって綺麗な街だよな。水も草木も、みんな鮮やかでいきいきしてる」
「あ、う、うん、街がね……」
突然の発言にユニはどきりとしたが、勘違いだったと頭を振る。しかし、ガイは「おいおい」と朗らかに声をあげる。
「オレはキミも含めて言ってるんだぞ。ほんと、この仕事似合ってるよな、ユニは」
「な、ななな、何言って……」
嬉しそうに笑う彼をぼーっとみつめる。頬がどんどん赤くなっていくのが自分でもわかって、耐えきれなくなったところで、思わず顔を背けた。
「まあ綺麗っていうか可愛い、だけどな、ユニは」
「いや、子ども扱いしないでよ……う、嬉しいけどっ」
彼と出会ってから、本当に毎日新しいことばかりだった。それは、今までがいかに平凡だったかに気付くということでもあったけれど。
「ユニ、セントビナーって街のこと知ってるか? 大きな木があって、すごく綺麗な広い花畑があって、街中いい匂いがするんだ。キミも気に入ると思うよ」
ガイはいろいろな街のことを知っていた。地図を眺めたりするのが趣味らしいが、それにしても、まるで見てきたばかりのような鮮明さで語る。
「いいな、わたしもグランコクマ以外の街に行ってみたいなあ……。ガイと話すと、やりたいことが増えて困る」
でも自分にはそれを実行にうつす気概もお金もないから、ぼんやりとしか思い描けないのが寂しい。
「オレが連れ出してやれたらいいんだけどな」
「え、連れていってくれるの……?」
「キミがそう望むなら」
ティーカップで少し顔を隠して、「そんな風に言われたらほんとに期待しちゃうんだけど」とユニは零した。
ガイといると初めてが多すぎる。すべてが嬉しくて、新鮮で、どきどきしていた。
とにかく、ユニとガイとが出会ってからちょうど一週間が経った。
ガイは、ユニが彼に抱く気持ちへの答えは持ち合わせていないようだが、律儀に毎日会いに来てくれた。ユニはそんなガイに感謝しながら、一日ごとに彼のことが好きになっていっていた。
こんな日々がいつまでも続くのではと錯覚してしまいそうな穏やかさが、そこにはあった。目が眩んでいたのだ。
その日、彼は夕方過ぎになっても姿を現さなかった。
ユニは妙な胸騒ぎを感じて、部屋に戻れずにずっと庭で待っていた。
いつか終わりが来ることは理解していた。彼はグランコクマへの旅行客に過ぎない。一度帰ってしまえば、次はいつ訪れるのかもわからない。今回の滞在期間を聞いていなかったけれど、ずっとここにいるわけではないだろうし、すでにもう帰ってしまったのだろうか? いや、あのガイに限って、ユニに一言も告げずに去るなんてことはないだろうけど。
(ガイ、どうしたんだろう……)
西の空が曇り、遠くで稲妻が鳴っている。その光景と同じように、暗い予感がユニの胸に渦巻いていた。何度か同じことをぐるぐると考えていたとき、宮殿の方から声が聞こえた。
「ユニ! こんな時間までなにしてるの?」
「……フィル」
バルコニーから身を乗り出すようにしてこちらを覗いていたのは、友人のフィルだった。
「天気が悪くなりそうからちょっと様子を見てたの」
「そう? でもそろそろ部屋に戻れば。暗いし、寒いし、風邪ひくよ」
「大丈夫だよ」
ガイに会えなくなるほうが、もっとつらいのだから。
ほとんど唯一の友人であるはずのフィルをも無理矢理追い払うと、ユニはまたひとりぼっちになった。振り返ってみると、自分は随分寂しい人間だった。同僚のメイドたちには、お気に入りの軍人さんがいたり、休みの日には仲の良いグループで出掛けたりする。でもユニにはそんな日々はなかった。ガイに出会うまでは、こんな気持ちも全然知らなかった。
ガイは、本当にどうしたのだろう。大好きな、大人でも子どもでもない彼に早く会って、安心したかった。こんな時間だけど水やりをしてみようか。初めて彼と会ったのは水を撒いている時だったんだ。よく覚えてる。ついさっきの出来事みたいに――
「ユニ?」
「あ……ガイ!」
待ち望んでいた声がようやく聞こえて、ユニは勢いよく振り向いた。彼の姿が目に入ると、そのまま抱き付いてしまいそうになったが、初めて彼に触れようとしたときの記憶がユニにとってもトラウマとなっているのか、寸前のところで身体は止まった。
それなのにガイは、不思議なことに身動きひとつしなかった。ユニの不安が掻き立てられる。明らかに様子がおかしいのだ。一歩近付けば一歩後退していた、いつもの距離が、今はない。
「ガイ、どうしたの……」
「キミに言わなくちゃいけないことがあるんだ」
「え……」
「明日の午後、グランコクマを発つよ」
ああ、そっか、とユニは思った。頭ではずっとわかっていたのだから、別に驚くことはない。でも、とうとう現実になり、決定的な痛みを覚えた。この日々が終わってしまう。彼ともう会えなくなってしまう。
「そっか……」
「最後の日はやっぱりキミに会いたいなと思ったんだけど、いいかな?」
嬉しい言葉も全部頭を通り過ぎていくようだった。何が出来るのかを必死で考えていた。彼が最後に自分を選んでくれたことを、絶対に後悔させたくない。この大切な記憶を、ずっと大切なままにしていたい。
「じゃあ、あ、案内させて!」
言葉が唇から零れ落ちる。視線を上げると、優しい眼差しとぶつかる。どうか、どうか、少しでも彼とわたしの時間を引き伸ばして。
「グランコクマっていいところいっぱいあるから!」
「……仕事はいいのかい?」
わかっているくせに、ガイは笑いながら尋ねる。きっと、ユニがグランコクマを案内したいと言い出すことだって、お見通しだったのだろう。
「いいの。明日はサボり!」