第1章(過去編)
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03 庭と道
「はあ……どうしよう……ひとめぼれだ~……」
いつもと同じ時間に起きて、顔を洗って、ふと目が合う。鏡の向こうに、幸せそうにとろけている自分の顔があった。
「お、おっと!」
慌てて頬を叩いて口元を引き締める。しかしすぐに脳裏に彼の笑顔が浮かんで、またにやけてしまう。
なんとかしようとしても、だめなのだ。彼があんまりにも素敵すぎた。ただ思い浮かべるだけで胸がきゅうんと音を立てて、感じたことのない甘やかな痛みを覚える。
(ああ、これが恋かぁ……って、にやけちゃだめだめ!)
そんなことを繰り返しているうちに朝食の時間になり、ユニは寝癖もそのままに部屋を出た。昨日仕事に遅刻したばかりのユニが翌日の朝食の席にまたも遅れるわけにはいかなかった。
「あ!」
「おっ」
食堂の入り口で、ユニはばったり友達のメイドに会った。名前はフィルという。彼女はユニと仲の良い友人だったが、年齢は十歳ほど離れていた。ユニは宮殿では誰よりも若くて、同じ年頃の友人はほとんどいなかった。
「おはようユニ」
「おはよ~フィル」
にやけ顔のまま挨拶をするユニを見て、フィルは首を傾げる。
「どうしたの? なんか楽しそうだけど」
「えへへ、なんでもないよ」
なんでもないという割には満面の笑顔。フィルは不可解そうにユニを見下ろして、また首を傾げた。
無事に朝食に間に合って、上司たちにも笑顔(というかにやけ顔)で挨拶も出来た。今日は良い事しか起きていない。そのままふわふわと舞い上がりそうな足取りで、仕事へ――南の庭に向かった。
(ガイはいつ来るんだろう。また同じ時間かな?)
昨日彼に会ったのは、昼休みよりも後だった。ということはあと三時間以上も待たなければならないのだろうか。
心臓がゆっくりと時を刻む。この時間もなかなかにいとおしいと思えるけれど、でも、とにかく早く彼に会いたい。
(ああ~、待ち切れないよ。探しに行っちゃおうかな)
ロッドを握り締めながら、そんな考えが頭に浮かんだ。
しかし、すぐに無意味なものだと気付く。宮殿からの外出は禁止されたばかりだったではないか。
瞬間、目の前が真っ白になって、ユニはよろめいた。こんな時になんてことを、と昨日の愚かな居眠りを悔やむ。あれさえなければ、昼休みにガイと一緒に観光に出掛けられたかもしれないし、お茶をして、いっぱい話をして、お気に入りの花畑にもつれていって――
(無理。マールさんが許してくれるわけない。仕事しよ)
ふるふると頭を振って邪念を払い、ユニは空想にふけるのをやめた。まずは目の前の現実を片付けてしまわねば。早く仕事を終わらせれば、それだけガイと話せる時間が増えるかもしれないし。
ユニはいつものように細いロッドをくるくるとまわす。大気に満ちる第四音素が、肌の周りに集う。ひやりとした感触が気持ち良くて、目を閉じた。まるで水中を泳いでいるかのような浮遊感にゆっくりとひたる。
「第四音素よ、この小さな命たちに恵みを」
呟くと水が具現化していく。それは、空中から宝石が零れてくるような景色。そういえば昨日、まさにこのタイミングでガイに逢ったのだった。今日は時間が違うから、きっと彼はいないだろうが――
「わっ!」
(え! うっそ!)
同じような小さな悲鳴に、ユニの心臓が大きく弾んだ。まさかと思って声の方向を見ると、そこにはまばゆい金髪の青年。
「参ったなぁ。また水がかかったよ……わざとかい?」
「ガ、ガイ! ……さん」
「ん? ガイでいいよ、ユニ」
いたずらっぽい笑顔に、無防備にときめいて赤面してしまう。だって、まさかこんなに早く会えるなんて。もしかしたら来てくれないかもしれないと思ってもいたのだから、安心してなんだか泣きそうになる。
「あとオレは貴族でもなんでもないから、敬語もいらないよ」
「はいっ! あ……うん」
きっと逢うたびに好きになっていくのだろう、とユニはなんとなく思った。ガイが自分をどう思っているかは知らないけれど、もはや気にする余裕もない。それに、これは対等な恋なんてものじゃなくて、ほとんど憧れで、見返りなんていらないくらいだと感じていた。
「じゃ、さっそく昨日の装置見せてくれるかな」
「う、うん、今もってくる……」
しかし、彼の目的が自分にあるわけではない、ということは理解していた。小さな機械を彼が踏んで壊してくれたおかげで今日も逢えているだけだ。また、修理が終われば彼はいなくなってしまうだろう。だから、これ以外の繋がりもどうにかして作らなければ。
「ねえガイ、えーと……」
とりあえず「ご趣味は?」などと聞いてみようか。いや、これではお見合いみたいで変だ。「美味しいケーキを出すお店があるんですけど」というのはまるでデートのお誘いだし外出禁止中のユニではどうしようもない。「ユニフローラとシナツクバネウツギの交配種ってどう思いますか?」こんな話題は専門的すぎるから余計にだめだ。
話題探しに焦り始めたとき、ふと、ガイの髪からキラキラと何かが零れ落ちたのが見えた。
「……?」
いったん思考を停止して金色の髪を見る。そういえば、少し萎れているし、それに、水滴が――
「あわわ、ごめんガイ! さっきので髪濡れさせちゃったんだった。今拭くから」
話題探しを先に伸ばせるチャンスとばかりに、ユニはハンカチを取り出してガイに近付いた。ついでに言えば彼に触れるチャンスでもある。しかし――
「うわ! や、やめ……」
「……え?」
彼は情けない声をあげて、ユニが近付いた分だけ後退った。なぜこんな行動をするのかわからず、目を丸くしてしまう。ユニが同い年の男性とまともに話した経験がないせいか、彼が特殊なせいなのか、よくわからない。
「えっと、そのままにしてたら風邪ひきますよ……?」
「いや、その、大丈夫なんだが、まあ、なんて言うか……」
ユニが少しでも距離を縮めようものなら、ガイはほとんど同時に後退して同じ距離を保つ。なんなんだこれは。
(……もしかして、わたしにさわって欲しくないみたいな感じでは……?)
そういえば小さいときに、自分もこんな行動をとったことがある。嫌なものから逃げるときに――
「……」
自分の考えが腑に落ちると、心の中で、何かが音を立てて崩れた。それはもう、粉々に。
(終わった……なんか知らないけど嫌われてる……)
ここまではっきり拒絶されると逆に清々しい。清々しいけれど、たぶん、これはきっと、ほんとうに。
(初恋だった……のに……)
苦しいくらいに息が詰まって、目に涙が溜まっていく。必死で堪えなければ、溢れて零れてしまう。
彼が自分を好きになってくれるかどうかについては、あまり期待していないつもりだったが、実際嫌われてみると物凄く寂しかった。恋も、拒絶も、こんなに胸が痛いなんて。ショックで目が醒めて、かえって冷静になっていく。
どうせ一週間程しか滞在しない観光客。必要以上に入れ込まなくて済んだと思えば。
「なんかごめんなさい。わたしのせいで嫌な思いさせちゃって」
「え? いや、違うんだこれは……」
「別に、も、もういいよ……」
無理して笑うユニを見て、ガイは少し焦った様子だった。しかしどんなに取り繕われても、もう終わりなのだ。一目惚れだと舞い上がっていた自分が恥ずかしくて悔しい。泣きそうになって俯いていると、彼の影が少し、揺れた。
「……ユニ、実を言うとオレは女性恐怖症なんだよ」
「……ん、は?」
聞き馴れない単語に、反射的に顔を上げた。
「その、キミがダメっていうんじゃなくて……女性全般がダメなんだ」
「え、ごめん……少し意味がわからないんだけど……」
ユニはまるで新種の生き物に出会ったような気持ちで彼を見つめた。もともと年の近い友達はいなくて、まして男友達なんて一人もいない。だから男性のことはよく知らない。でも、ガイが少し変なんだということだけはなんとなく理解できる。そんなの、聞いたこともないのだから。
「だからな、触れないんだよ、女性に。近付くのも苦手でさ」
「ほ、ほんとに……?」
「ああ。だからキミだけを避けてるわけじゃないんだ」
「……ほんとに、女の人に、さわりたくないの?」
驚きのあまり思ったとおりに言葉を漏らすと、彼は苦笑する。
「あ、誤解するなよ? 触れるものならいくらでも触りたいんだぞ? それが出来ない体質ってだけで」
「……それはそれでどうかと思うけど、でも、とにかくわかった。うん……よかった。ガイの傍にいるときは、気を付けるようにするから大丈夫だよ」
前日に、ユニは宮殿から庭へこっそり椅子を二つ運び出してきていた。彼を立たせっぱなしにするのが申し訳なかったからだが、二人でその脚の細い椅子に腰掛けると、ようやく一息つけた心地がした。あとでテーブルも運んでこようか。明日もガイが来てくれるのなら、お茶でも淹れて。
先ほどの衝撃的な事件のおかげか、彼に抱いていた熱情は随分とおさまっていた。好きだという気持ちに変わりはないものの、もう必要以上に顔はにやけないし、心臓も正常に動いてくれている。
(確かに、恋だ! 好きだ~! って、がっつくのはわたしらしくなかったかも……)
穏やかな日差しのもとで、草花を眺めて、ゆっくり話す、それくらいが本当はちょうどよかった。
「ところで、キミって譜術士(フォニマー)なのか?」
「え? ただの庭師だよ」
そういえばまた話題探しを忘れていたが、譜術装置をあれこれ撫でながら、ガイが話しかけてくれた。
「でも庭で譜術を使っていたじゃないか」
「あー……あれはただ第四音素を具現化してるだけで、攻撃用じゃないからね」
普通の人が譜術を身に付けるにはある程度の訓練が必要なのだが、ユニは練習もせず、いつの間にか使えていた。自分にとっては、あまり特別なことではなかった。
そんな自分は譜術の才があるのだと理解したときは嬉しかったし、譜術士はこの国では仕事に困らないし、目指そうと思ったこともある。けれどそれは軍人になることとイコールだ。結局、ユニには無縁のことだった。
少し前にあったケセドニア北部の戦いでは、なんだか怖い二つ名のついたジェなんとかという人が大活躍したといって昇進の噂が耐えない。一介の庭師であるユニには羨ましい話だった。
「そうか。この国は譜術士だらけだから……キミみたいな子どもも譜術を扱えるのかと思ったんだけどな」
「こ、子ども、ねぇ……うん、ガイから見たら、子どもなのかもしれないけどさ……わたしもう十六歳だし」
確かに顔は幼いし、身体の凹凸も自慢できたものじゃないけれど、せめて「女の子」くらいに思ってくれないかなぁ、と溜め息をつく。
「あ、いや、悪かった。キミみたいな『可愛い子』が、かな」
急に恥ずかしいことをサラリと言われて、無防備だったユニはあっという間に赤面した。どうして女性が苦手なくせに、簡単にそんなことを言うのだろう。自覚がないんだろうか。
「……ねえ、ガイは、いくつ?」
「いくつに見えるかい?」
聞き返されて、ユニは少し考え込む。身長や雰囲気から察して、自分よりは年上なのだろう。しかし、それにしても、ユニには男性というものの情報が少なすぎた。親しい人なんていない、用事がなければ会話もしない。考えてみれば随分と寂しい思春期だった。
「うーん……わたしよりは年上だと思うけど、ガイは大人っぽいから、あんまりわかんないな……」
「やれやれ、仕事のせいで老けちまったかな」
「仕事って?」
少し興味があったので聞き返すと、気のせいか先程よりもガイの表情が柔らかくなったように見えた。
「ああ、貴族のところで使用人をしているんだ」
「へえ、意外だなぁ。ガイってなんか使用人には見えないけど……」
「まぁね。で、そこの坊ちゃんの子守みたいなことをしてるよ」
「子守!? ガイが……小さい子を……」
思わず、その言葉からイメージを膨らませる。優しい表情のガイと、その腕の中ですやすや眠る可愛らしい子ども……なんて素敵な景色なのだろう。
「そっかぁ。だから大人っぽく見えたのかな? ガイは若いパパなんだね~」
「パパ? あ、いや……」
思ったとおりの感想を口にすると、ガイはやや困ったように「パパというか……でも話すと長くなるからなぁ……」と呟いていた。その表情は、聞かれたくないことがあるというよりは、本当に説明が大変だからという様にユニには映った。別に長くても構わないが、ガイが嫌なら仕方ない。
「それで、ガイの本当の歳は?」
顔を上げて見つめたガイの背に、ユニのお気に入りの花が揺れていた。橙の発色のいい花で、大きな花弁が風を受けている。ガイのような、優しくて明るい花だった。
「十八だよ。ユニとあんまり変わらないよ。見えないかな?」
数字の魔法というのは不思議なもので、先程まで「ただ歳が上」にしか見えなかった彼が、いきなりユニと二歳しか違わない青年に変身した。彼との心の距離もずっと縮まったように思える。ガイの年齢は微妙だ。手を伸ばせば届いてしまうのだから。
「……ガイの話がもっと聞きたいなあ」
「ん、いいぞ。そんなに面白くはないだろうけど」
「いいの。なんにも知らないんだから」
庭が、花が、世界が鮮やかに輝き出した。こんな当たり前のことに気付く日が来るなんて想像もしなかった。
「よし、今日はこんなもんかな」
しばらくユニの機械を眺めたりバラしたりしたあとで、ガイはそう言って一息つく。修理の目途が立ったから、明日あらためて器具を持ってきてくれるそうだ。また明日、というのは嬉しいけれど、彼の目的がユニじゃなくて無機質ながらくたであるのが少し寂しかった。
「……それにしてもすごいよな、グランコクマの水道橋は。譜術で街中に水を走らせてるって聞くけど、どうやってるんだろうなぁ」
帰り際に、水飛沫をあげて流れ落ちる滝を見て、彼は感嘆の声を漏らした。興味津々に輝く瞳に、ユニも思わず笑みが零れる。
「ふふ、結構簡単だよ~。第三音素(サードフォニム)の風力を応用して、自在に移動させてるの。あと、低いところから高いところへも登れるように、重力の負荷を――」
「ま、待ってくれユニ!」
しかし、なぜか制止され、ユニは首を傾げた。
「その話はまた明日教えてくれないか? ちゃんと聞きたいんだよ」
「え、いいけど……」
「本当か! ありがとな、楽しみにしてるよ」
きらきらした笑顔で、彼は去っていった。
その背中が見えなくなってから、ユニの胸にじわじわと幸福感が湧き上がってくる。ほんの少しでも、どんな理由でも、彼がここに来る目的が増えたなら。彼がユニに会いたいと思ってくれたなら。
今の一瞬、もう、愛されたいと思ってしまっていた。
「はあ……どうしよう……ひとめぼれだ~……」
いつもと同じ時間に起きて、顔を洗って、ふと目が合う。鏡の向こうに、幸せそうにとろけている自分の顔があった。
「お、おっと!」
慌てて頬を叩いて口元を引き締める。しかしすぐに脳裏に彼の笑顔が浮かんで、またにやけてしまう。
なんとかしようとしても、だめなのだ。彼があんまりにも素敵すぎた。ただ思い浮かべるだけで胸がきゅうんと音を立てて、感じたことのない甘やかな痛みを覚える。
(ああ、これが恋かぁ……って、にやけちゃだめだめ!)
そんなことを繰り返しているうちに朝食の時間になり、ユニは寝癖もそのままに部屋を出た。昨日仕事に遅刻したばかりのユニが翌日の朝食の席にまたも遅れるわけにはいかなかった。
「あ!」
「おっ」
食堂の入り口で、ユニはばったり友達のメイドに会った。名前はフィルという。彼女はユニと仲の良い友人だったが、年齢は十歳ほど離れていた。ユニは宮殿では誰よりも若くて、同じ年頃の友人はほとんどいなかった。
「おはようユニ」
「おはよ~フィル」
にやけ顔のまま挨拶をするユニを見て、フィルは首を傾げる。
「どうしたの? なんか楽しそうだけど」
「えへへ、なんでもないよ」
なんでもないという割には満面の笑顔。フィルは不可解そうにユニを見下ろして、また首を傾げた。
無事に朝食に間に合って、上司たちにも笑顔(というかにやけ顔)で挨拶も出来た。今日は良い事しか起きていない。そのままふわふわと舞い上がりそうな足取りで、仕事へ――南の庭に向かった。
(ガイはいつ来るんだろう。また同じ時間かな?)
昨日彼に会ったのは、昼休みよりも後だった。ということはあと三時間以上も待たなければならないのだろうか。
心臓がゆっくりと時を刻む。この時間もなかなかにいとおしいと思えるけれど、でも、とにかく早く彼に会いたい。
(ああ~、待ち切れないよ。探しに行っちゃおうかな)
ロッドを握り締めながら、そんな考えが頭に浮かんだ。
しかし、すぐに無意味なものだと気付く。宮殿からの外出は禁止されたばかりだったではないか。
瞬間、目の前が真っ白になって、ユニはよろめいた。こんな時になんてことを、と昨日の愚かな居眠りを悔やむ。あれさえなければ、昼休みにガイと一緒に観光に出掛けられたかもしれないし、お茶をして、いっぱい話をして、お気に入りの花畑にもつれていって――
(無理。マールさんが許してくれるわけない。仕事しよ)
ふるふると頭を振って邪念を払い、ユニは空想にふけるのをやめた。まずは目の前の現実を片付けてしまわねば。早く仕事を終わらせれば、それだけガイと話せる時間が増えるかもしれないし。
ユニはいつものように細いロッドをくるくるとまわす。大気に満ちる第四音素が、肌の周りに集う。ひやりとした感触が気持ち良くて、目を閉じた。まるで水中を泳いでいるかのような浮遊感にゆっくりとひたる。
「第四音素よ、この小さな命たちに恵みを」
呟くと水が具現化していく。それは、空中から宝石が零れてくるような景色。そういえば昨日、まさにこのタイミングでガイに逢ったのだった。今日は時間が違うから、きっと彼はいないだろうが――
「わっ!」
(え! うっそ!)
同じような小さな悲鳴に、ユニの心臓が大きく弾んだ。まさかと思って声の方向を見ると、そこにはまばゆい金髪の青年。
「参ったなぁ。また水がかかったよ……わざとかい?」
「ガ、ガイ! ……さん」
「ん? ガイでいいよ、ユニ」
いたずらっぽい笑顔に、無防備にときめいて赤面してしまう。だって、まさかこんなに早く会えるなんて。もしかしたら来てくれないかもしれないと思ってもいたのだから、安心してなんだか泣きそうになる。
「あとオレは貴族でもなんでもないから、敬語もいらないよ」
「はいっ! あ……うん」
きっと逢うたびに好きになっていくのだろう、とユニはなんとなく思った。ガイが自分をどう思っているかは知らないけれど、もはや気にする余裕もない。それに、これは対等な恋なんてものじゃなくて、ほとんど憧れで、見返りなんていらないくらいだと感じていた。
「じゃ、さっそく昨日の装置見せてくれるかな」
「う、うん、今もってくる……」
しかし、彼の目的が自分にあるわけではない、ということは理解していた。小さな機械を彼が踏んで壊してくれたおかげで今日も逢えているだけだ。また、修理が終われば彼はいなくなってしまうだろう。だから、これ以外の繋がりもどうにかして作らなければ。
「ねえガイ、えーと……」
とりあえず「ご趣味は?」などと聞いてみようか。いや、これではお見合いみたいで変だ。「美味しいケーキを出すお店があるんですけど」というのはまるでデートのお誘いだし外出禁止中のユニではどうしようもない。「ユニフローラとシナツクバネウツギの交配種ってどう思いますか?」こんな話題は専門的すぎるから余計にだめだ。
話題探しに焦り始めたとき、ふと、ガイの髪からキラキラと何かが零れ落ちたのが見えた。
「……?」
いったん思考を停止して金色の髪を見る。そういえば、少し萎れているし、それに、水滴が――
「あわわ、ごめんガイ! さっきので髪濡れさせちゃったんだった。今拭くから」
話題探しを先に伸ばせるチャンスとばかりに、ユニはハンカチを取り出してガイに近付いた。ついでに言えば彼に触れるチャンスでもある。しかし――
「うわ! や、やめ……」
「……え?」
彼は情けない声をあげて、ユニが近付いた分だけ後退った。なぜこんな行動をするのかわからず、目を丸くしてしまう。ユニが同い年の男性とまともに話した経験がないせいか、彼が特殊なせいなのか、よくわからない。
「えっと、そのままにしてたら風邪ひきますよ……?」
「いや、その、大丈夫なんだが、まあ、なんて言うか……」
ユニが少しでも距離を縮めようものなら、ガイはほとんど同時に後退して同じ距離を保つ。なんなんだこれは。
(……もしかして、わたしにさわって欲しくないみたいな感じでは……?)
そういえば小さいときに、自分もこんな行動をとったことがある。嫌なものから逃げるときに――
「……」
自分の考えが腑に落ちると、心の中で、何かが音を立てて崩れた。それはもう、粉々に。
(終わった……なんか知らないけど嫌われてる……)
ここまではっきり拒絶されると逆に清々しい。清々しいけれど、たぶん、これはきっと、ほんとうに。
(初恋だった……のに……)
苦しいくらいに息が詰まって、目に涙が溜まっていく。必死で堪えなければ、溢れて零れてしまう。
彼が自分を好きになってくれるかどうかについては、あまり期待していないつもりだったが、実際嫌われてみると物凄く寂しかった。恋も、拒絶も、こんなに胸が痛いなんて。ショックで目が醒めて、かえって冷静になっていく。
どうせ一週間程しか滞在しない観光客。必要以上に入れ込まなくて済んだと思えば。
「なんかごめんなさい。わたしのせいで嫌な思いさせちゃって」
「え? いや、違うんだこれは……」
「別に、も、もういいよ……」
無理して笑うユニを見て、ガイは少し焦った様子だった。しかしどんなに取り繕われても、もう終わりなのだ。一目惚れだと舞い上がっていた自分が恥ずかしくて悔しい。泣きそうになって俯いていると、彼の影が少し、揺れた。
「……ユニ、実を言うとオレは女性恐怖症なんだよ」
「……ん、は?」
聞き馴れない単語に、反射的に顔を上げた。
「その、キミがダメっていうんじゃなくて……女性全般がダメなんだ」
「え、ごめん……少し意味がわからないんだけど……」
ユニはまるで新種の生き物に出会ったような気持ちで彼を見つめた。もともと年の近い友達はいなくて、まして男友達なんて一人もいない。だから男性のことはよく知らない。でも、ガイが少し変なんだということだけはなんとなく理解できる。そんなの、聞いたこともないのだから。
「だからな、触れないんだよ、女性に。近付くのも苦手でさ」
「ほ、ほんとに……?」
「ああ。だからキミだけを避けてるわけじゃないんだ」
「……ほんとに、女の人に、さわりたくないの?」
驚きのあまり思ったとおりに言葉を漏らすと、彼は苦笑する。
「あ、誤解するなよ? 触れるものならいくらでも触りたいんだぞ? それが出来ない体質ってだけで」
「……それはそれでどうかと思うけど、でも、とにかくわかった。うん……よかった。ガイの傍にいるときは、気を付けるようにするから大丈夫だよ」
前日に、ユニは宮殿から庭へこっそり椅子を二つ運び出してきていた。彼を立たせっぱなしにするのが申し訳なかったからだが、二人でその脚の細い椅子に腰掛けると、ようやく一息つけた心地がした。あとでテーブルも運んでこようか。明日もガイが来てくれるのなら、お茶でも淹れて。
先ほどの衝撃的な事件のおかげか、彼に抱いていた熱情は随分とおさまっていた。好きだという気持ちに変わりはないものの、もう必要以上に顔はにやけないし、心臓も正常に動いてくれている。
(確かに、恋だ! 好きだ~! って、がっつくのはわたしらしくなかったかも……)
穏やかな日差しのもとで、草花を眺めて、ゆっくり話す、それくらいが本当はちょうどよかった。
「ところで、キミって譜術士(フォニマー)なのか?」
「え? ただの庭師だよ」
そういえばまた話題探しを忘れていたが、譜術装置をあれこれ撫でながら、ガイが話しかけてくれた。
「でも庭で譜術を使っていたじゃないか」
「あー……あれはただ第四音素を具現化してるだけで、攻撃用じゃないからね」
普通の人が譜術を身に付けるにはある程度の訓練が必要なのだが、ユニは練習もせず、いつの間にか使えていた。自分にとっては、あまり特別なことではなかった。
そんな自分は譜術の才があるのだと理解したときは嬉しかったし、譜術士はこの国では仕事に困らないし、目指そうと思ったこともある。けれどそれは軍人になることとイコールだ。結局、ユニには無縁のことだった。
少し前にあったケセドニア北部の戦いでは、なんだか怖い二つ名のついたジェなんとかという人が大活躍したといって昇進の噂が耐えない。一介の庭師であるユニには羨ましい話だった。
「そうか。この国は譜術士だらけだから……キミみたいな子どもも譜術を扱えるのかと思ったんだけどな」
「こ、子ども、ねぇ……うん、ガイから見たら、子どもなのかもしれないけどさ……わたしもう十六歳だし」
確かに顔は幼いし、身体の凹凸も自慢できたものじゃないけれど、せめて「女の子」くらいに思ってくれないかなぁ、と溜め息をつく。
「あ、いや、悪かった。キミみたいな『可愛い子』が、かな」
急に恥ずかしいことをサラリと言われて、無防備だったユニはあっという間に赤面した。どうして女性が苦手なくせに、簡単にそんなことを言うのだろう。自覚がないんだろうか。
「……ねえ、ガイは、いくつ?」
「いくつに見えるかい?」
聞き返されて、ユニは少し考え込む。身長や雰囲気から察して、自分よりは年上なのだろう。しかし、それにしても、ユニには男性というものの情報が少なすぎた。親しい人なんていない、用事がなければ会話もしない。考えてみれば随分と寂しい思春期だった。
「うーん……わたしよりは年上だと思うけど、ガイは大人っぽいから、あんまりわかんないな……」
「やれやれ、仕事のせいで老けちまったかな」
「仕事って?」
少し興味があったので聞き返すと、気のせいか先程よりもガイの表情が柔らかくなったように見えた。
「ああ、貴族のところで使用人をしているんだ」
「へえ、意外だなぁ。ガイってなんか使用人には見えないけど……」
「まぁね。で、そこの坊ちゃんの子守みたいなことをしてるよ」
「子守!? ガイが……小さい子を……」
思わず、その言葉からイメージを膨らませる。優しい表情のガイと、その腕の中ですやすや眠る可愛らしい子ども……なんて素敵な景色なのだろう。
「そっかぁ。だから大人っぽく見えたのかな? ガイは若いパパなんだね~」
「パパ? あ、いや……」
思ったとおりの感想を口にすると、ガイはやや困ったように「パパというか……でも話すと長くなるからなぁ……」と呟いていた。その表情は、聞かれたくないことがあるというよりは、本当に説明が大変だからという様にユニには映った。別に長くても構わないが、ガイが嫌なら仕方ない。
「それで、ガイの本当の歳は?」
顔を上げて見つめたガイの背に、ユニのお気に入りの花が揺れていた。橙の発色のいい花で、大きな花弁が風を受けている。ガイのような、優しくて明るい花だった。
「十八だよ。ユニとあんまり変わらないよ。見えないかな?」
数字の魔法というのは不思議なもので、先程まで「ただ歳が上」にしか見えなかった彼が、いきなりユニと二歳しか違わない青年に変身した。彼との心の距離もずっと縮まったように思える。ガイの年齢は微妙だ。手を伸ばせば届いてしまうのだから。
「……ガイの話がもっと聞きたいなあ」
「ん、いいぞ。そんなに面白くはないだろうけど」
「いいの。なんにも知らないんだから」
庭が、花が、世界が鮮やかに輝き出した。こんな当たり前のことに気付く日が来るなんて想像もしなかった。
「よし、今日はこんなもんかな」
しばらくユニの機械を眺めたりバラしたりしたあとで、ガイはそう言って一息つく。修理の目途が立ったから、明日あらためて器具を持ってきてくれるそうだ。また明日、というのは嬉しいけれど、彼の目的がユニじゃなくて無機質ながらくたであるのが少し寂しかった。
「……それにしてもすごいよな、グランコクマの水道橋は。譜術で街中に水を走らせてるって聞くけど、どうやってるんだろうなぁ」
帰り際に、水飛沫をあげて流れ落ちる滝を見て、彼は感嘆の声を漏らした。興味津々に輝く瞳に、ユニも思わず笑みが零れる。
「ふふ、結構簡単だよ~。第三音素(サードフォニム)の風力を応用して、自在に移動させてるの。あと、低いところから高いところへも登れるように、重力の負荷を――」
「ま、待ってくれユニ!」
しかし、なぜか制止され、ユニは首を傾げた。
「その話はまた明日教えてくれないか? ちゃんと聞きたいんだよ」
「え、いいけど……」
「本当か! ありがとな、楽しみにしてるよ」
きらきらした笑顔で、彼は去っていった。
その背中が見えなくなってから、ユニの胸にじわじわと幸福感が湧き上がってくる。ほんの少しでも、どんな理由でも、彼がここに来る目的が増えたなら。彼がユニに会いたいと思ってくれたなら。
今の一瞬、もう、愛されたいと思ってしまっていた。