第1章(過去編)
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02 重なる黄昏
「すまない! えっと、怪しい者じゃないんだけど……」
金髪の青年は、きまりが悪そうに頭を掻いた。ユニの想像したような不審者ではなかったが、まだ油断するわけにもいかない。
「この街に来るのは初めてなんだ」
「そうですか……それで、何をしにここへ?」
「うーん……。……観光かな」
「……む、いまの沈黙はなんなんですか」
「はは、厳しいね」
青年は軽く苦笑した。ユニは、彼がぼろを出さないものかとジッとその表情を見つめていたが、なかなか手強い、というか、見れば見る程悪い人に思えないのである。彼の言うとおり、本当にただの観光なんだろうという気がしてきた。しかし、ユニにも意地というものがある。
「ピオニー陛下のお膝元での不審な行為は見逃すわけにはいきませんから、きちんと説明してください」
「へぇ、キミはこの宮殿で働いているのか」
「……」
彼は、午後の柔らかい日差しに髪を透かして微笑んだ。それを見た瞬間、よくわからないけど、きらきらして眩しくて、なんだか心がぐらぐらしてしまった。
だって、いつも宮殿で見かける下っ端の男たちとは違って、彼はどこか気品があるのだ。すらりと伸びた背も、引き締まった体も、ユニの目には刺激的なほどにかっこよく映った。しかし、その魅力も含めての侵入者なのかもしれないし、流されそうになるのをぐっと堪える。
「そ、そうですけど、なにか?」
「なにかって言われてもなぁ」
彼はさらに苦笑を浮かべたが、ふと、ある事に気が付いたようで、今度はぱっと表情を明るくした。
「じゃあ、もしかしてキミがこの庭の手入れをしてるのかい?」
「? そうですけど……」
ユニは首を傾げながら答えた。自分の庭と侵入者とがなんの関係があるのか、と思ったのだが、なぜか青年はとても嬉しそうに笑っていた。
「正直に言うと、この庭があんまりにも綺麗だったから、気になってついつい奥まで来てしまったんだ」
「え……!」
ユニは反射的に顔をあげて、彼の青い瞳を見つめた。
「そしたらキミに水を浴びせられて、こんなことになっちまったけど……」
「あ、えっと、あの!」
あたふたしながら、ユニは真っ赤になって彼に一歩近付いた。ユニの気付かないうちに、彼は一歩後退していたのだけれど。
「ん?」
「ご、ごめんなさい! そんな事情があるなんて知りませんでしたから、大変失礼な態度をとってしまいました」
庭が綺麗だと褒められた途端に態度を変えたユニだったが、彼は嫌な顔もせず、柔らかく微笑んだ。
それを見たユニの胸がきゅう、と音をたてる。
「いや、いいんだ。オレだってかなり怪しかったからさ。仕事の邪魔して悪かったね」
(……うう、優しい……)
ユニは、彼への好意が急激に湧き上がってくるのを感じた。実際、生まれて始めて心が惹かれるような気持ちだった。気付いていないけれど、たぶん、はじめて会った瞬間から。
「でも、そ、そんなにわたしの庭が素敵でしたか……?」
「ああ。綺麗だよ、オレは好きだな」
身体があつくて、そわそわして落ち着かない。とにかく彼が笑顔を向けてくれることが嬉しくて、不思議なほど胸が高鳴っていた。
「ずっとここで働いていたんですけど、そんなふうに言ってもらうのは初めてです。嬉しい……」
「え、本当かい? キミの庭を褒めた最初の人がオレだなんて、なんだか悪いな」
「そんなことないです! むしろあなたが……」
「ん?」
「い、いえ。なんでもないです……」
最後は消え入りそうな声だった。ユニ自身ですら、何を言おうと思ったのかよくわからなかった。
彼に対する誤解は解けて、彼をここに留めておく理由もなくなってしまった。彼を帰してしまえば、もう他人同士になって、二度と会うこともないだろう。そう思うとなんだか寂しくて、もやもやした気持ちが胸中に渦巻いていた。それはほとんど初めての感情で、どう対処したらいいかわからず、ユニは戸惑っていた。
離れがたい、と思う。何かしなければ絶対に後悔するとは思うのだけれども――
「あの、せっかくなので、お名前を教えていただけませんか?」
何か言おうとして顔をあげたら唐突に口をついて出てきた言葉に、彼よりもユニの方がびっくりしていた。どきどきして、体と心の回線がいつもと違うふうに飛び交っているせいだ。本当にどうしてしまったのやら。
「えっと、怪しんでいるわけではないんです。でも、いや、すいません……」
「ガイ・セシルだ。よろしく。キミは?」
顔を赤らめながら取り消そうとしたユニを遮って、彼は言った。視線をあげると、彼のうしろで太陽が眩しく輝いていた。
「ユニ・シェフィールドです。……どうぞ、グランコクマではゆっくりして行ってください」
深くお辞儀をすると、彼は「ありがとう」と微笑んだ。
しかしユニは、自分から別れの挨拶を告げてしまったことを瞬時に後悔した。ごく自然にガイは手を振って歩き出した。あたりまえだ、もう話は終わった。もう他人なのだから。
初めて見る後ろ姿。何か大切なものを失ってしまいそうで怖くなる。彼のことなんて何一つ知らないのに。
――でも、もう少しだけ、この人と同じ場所にいることを望んでしまってもいいだろうか。
「ガイさん!」
「……なんだい?」
また、考えるよりも早くに言葉が飛び出してきた。でももうそんなのはどうでもよかった。彼を引き止めることさえ出来れば、なんだっていい。
「あの、まだお話したいことが……!」
自分よりも年下の、今初めて会ったばかりの少女の子供じみた願いなのに。振り返ってそれを黙って聞いている彼の表情は、とても優しかった。
――しかし、その時。がちゃん、と彼の足元で硝子の割れるような音がした。ユニもガイも、一瞬目を見開く。「えっ、うわ、すまん、もしかしてこれ……」とまごまごしながら、彼は自身が踏んだものを拾い上げた。
「あ……それは……土壌の数値測定する装置で……わたしが作ったんですけど……あんまり出来がよくなくて、だから、えっと、気にしないでください……」
細い針と目盛盤を硝子に似た材質で覆った、手のひらほどの装置。土に挿して音素の測定をするちょっとした機械で、強度はなく小さいから踏めば壊れる。だから怒るほどではないけれど、それを作るのに半年くらい試行錯誤したことを思い出す。思い出すと、じわじわ悲しくなり、泣きそうになってしまった。
「……そんなこと言うなよ、ユニ。せっかく作ったんだろ。ごめんな。よかったらちゃんと修理させてくれ」
「……えっ」
「これ、譜業とは別の理屈で動いてるんだろ? キミの譜術で起動するのかな。へー、面白いなぁ」
「い、いいの? また来てくれるんですか!?」
「キミさえよければね。オレも、もう少しいろいろ教えて欲しいし」
そう言われて、ユニはぽかんとしてしまった。その後で、胸がぎゅうっと苦しくなり、なのに嬉しくて、涙が出そうだった。しかしそこで、宮殿の方から「ユニいるー? そろそろ休憩よー」と、同僚の声が聞こえてきた。
「おっと、じゃあオレはこれで」
さすがに、部外者と一緒にいるところを見られてはユニの立場が悪くなると思ったのか、ガイはさっと身を翻した。
ユニは思わず「あ、あした……!」と叫ぶ。
「明日、もし時間があったら、またここに来て下さい!」
観光で来ているならきっと一人ではないだろうし、こんなお願いは迷惑かもしれない。でも、約束もせずに彼を離してしまったら、きっと後悔すると思ったのだ。
とにかく必死な自分が恥ずかしくて、目が泳ぐ。でも、このドキドキの正体を突き止めたい。また、彼の笑顔を目に映したい。ガイはなんて言ってくれるだろう。
「ああ。また、キミに逢いにくるよ」
少しだけ困ったように笑うガイに、ユニは生まれて初めて、いとおしいと思ってしまった。
「すまない! えっと、怪しい者じゃないんだけど……」
金髪の青年は、きまりが悪そうに頭を掻いた。ユニの想像したような不審者ではなかったが、まだ油断するわけにもいかない。
「この街に来るのは初めてなんだ」
「そうですか……それで、何をしにここへ?」
「うーん……。……観光かな」
「……む、いまの沈黙はなんなんですか」
「はは、厳しいね」
青年は軽く苦笑した。ユニは、彼がぼろを出さないものかとジッとその表情を見つめていたが、なかなか手強い、というか、見れば見る程悪い人に思えないのである。彼の言うとおり、本当にただの観光なんだろうという気がしてきた。しかし、ユニにも意地というものがある。
「ピオニー陛下のお膝元での不審な行為は見逃すわけにはいきませんから、きちんと説明してください」
「へぇ、キミはこの宮殿で働いているのか」
「……」
彼は、午後の柔らかい日差しに髪を透かして微笑んだ。それを見た瞬間、よくわからないけど、きらきらして眩しくて、なんだか心がぐらぐらしてしまった。
だって、いつも宮殿で見かける下っ端の男たちとは違って、彼はどこか気品があるのだ。すらりと伸びた背も、引き締まった体も、ユニの目には刺激的なほどにかっこよく映った。しかし、その魅力も含めての侵入者なのかもしれないし、流されそうになるのをぐっと堪える。
「そ、そうですけど、なにか?」
「なにかって言われてもなぁ」
彼はさらに苦笑を浮かべたが、ふと、ある事に気が付いたようで、今度はぱっと表情を明るくした。
「じゃあ、もしかしてキミがこの庭の手入れをしてるのかい?」
「? そうですけど……」
ユニは首を傾げながら答えた。自分の庭と侵入者とがなんの関係があるのか、と思ったのだが、なぜか青年はとても嬉しそうに笑っていた。
「正直に言うと、この庭があんまりにも綺麗だったから、気になってついつい奥まで来てしまったんだ」
「え……!」
ユニは反射的に顔をあげて、彼の青い瞳を見つめた。
「そしたらキミに水を浴びせられて、こんなことになっちまったけど……」
「あ、えっと、あの!」
あたふたしながら、ユニは真っ赤になって彼に一歩近付いた。ユニの気付かないうちに、彼は一歩後退していたのだけれど。
「ん?」
「ご、ごめんなさい! そんな事情があるなんて知りませんでしたから、大変失礼な態度をとってしまいました」
庭が綺麗だと褒められた途端に態度を変えたユニだったが、彼は嫌な顔もせず、柔らかく微笑んだ。
それを見たユニの胸がきゅう、と音をたてる。
「いや、いいんだ。オレだってかなり怪しかったからさ。仕事の邪魔して悪かったね」
(……うう、優しい……)
ユニは、彼への好意が急激に湧き上がってくるのを感じた。実際、生まれて始めて心が惹かれるような気持ちだった。気付いていないけれど、たぶん、はじめて会った瞬間から。
「でも、そ、そんなにわたしの庭が素敵でしたか……?」
「ああ。綺麗だよ、オレは好きだな」
身体があつくて、そわそわして落ち着かない。とにかく彼が笑顔を向けてくれることが嬉しくて、不思議なほど胸が高鳴っていた。
「ずっとここで働いていたんですけど、そんなふうに言ってもらうのは初めてです。嬉しい……」
「え、本当かい? キミの庭を褒めた最初の人がオレだなんて、なんだか悪いな」
「そんなことないです! むしろあなたが……」
「ん?」
「い、いえ。なんでもないです……」
最後は消え入りそうな声だった。ユニ自身ですら、何を言おうと思ったのかよくわからなかった。
彼に対する誤解は解けて、彼をここに留めておく理由もなくなってしまった。彼を帰してしまえば、もう他人同士になって、二度と会うこともないだろう。そう思うとなんだか寂しくて、もやもやした気持ちが胸中に渦巻いていた。それはほとんど初めての感情で、どう対処したらいいかわからず、ユニは戸惑っていた。
離れがたい、と思う。何かしなければ絶対に後悔するとは思うのだけれども――
「あの、せっかくなので、お名前を教えていただけませんか?」
何か言おうとして顔をあげたら唐突に口をついて出てきた言葉に、彼よりもユニの方がびっくりしていた。どきどきして、体と心の回線がいつもと違うふうに飛び交っているせいだ。本当にどうしてしまったのやら。
「えっと、怪しんでいるわけではないんです。でも、いや、すいません……」
「ガイ・セシルだ。よろしく。キミは?」
顔を赤らめながら取り消そうとしたユニを遮って、彼は言った。視線をあげると、彼のうしろで太陽が眩しく輝いていた。
「ユニ・シェフィールドです。……どうぞ、グランコクマではゆっくりして行ってください」
深くお辞儀をすると、彼は「ありがとう」と微笑んだ。
しかしユニは、自分から別れの挨拶を告げてしまったことを瞬時に後悔した。ごく自然にガイは手を振って歩き出した。あたりまえだ、もう話は終わった。もう他人なのだから。
初めて見る後ろ姿。何か大切なものを失ってしまいそうで怖くなる。彼のことなんて何一つ知らないのに。
――でも、もう少しだけ、この人と同じ場所にいることを望んでしまってもいいだろうか。
「ガイさん!」
「……なんだい?」
また、考えるよりも早くに言葉が飛び出してきた。でももうそんなのはどうでもよかった。彼を引き止めることさえ出来れば、なんだっていい。
「あの、まだお話したいことが……!」
自分よりも年下の、今初めて会ったばかりの少女の子供じみた願いなのに。振り返ってそれを黙って聞いている彼の表情は、とても優しかった。
――しかし、その時。がちゃん、と彼の足元で硝子の割れるような音がした。ユニもガイも、一瞬目を見開く。「えっ、うわ、すまん、もしかしてこれ……」とまごまごしながら、彼は自身が踏んだものを拾い上げた。
「あ……それは……土壌の数値測定する装置で……わたしが作ったんですけど……あんまり出来がよくなくて、だから、えっと、気にしないでください……」
細い針と目盛盤を硝子に似た材質で覆った、手のひらほどの装置。土に挿して音素の測定をするちょっとした機械で、強度はなく小さいから踏めば壊れる。だから怒るほどではないけれど、それを作るのに半年くらい試行錯誤したことを思い出す。思い出すと、じわじわ悲しくなり、泣きそうになってしまった。
「……そんなこと言うなよ、ユニ。せっかく作ったんだろ。ごめんな。よかったらちゃんと修理させてくれ」
「……えっ」
「これ、譜業とは別の理屈で動いてるんだろ? キミの譜術で起動するのかな。へー、面白いなぁ」
「い、いいの? また来てくれるんですか!?」
「キミさえよければね。オレも、もう少しいろいろ教えて欲しいし」
そう言われて、ユニはぽかんとしてしまった。その後で、胸がぎゅうっと苦しくなり、なのに嬉しくて、涙が出そうだった。しかしそこで、宮殿の方から「ユニいるー? そろそろ休憩よー」と、同僚の声が聞こえてきた。
「おっと、じゃあオレはこれで」
さすがに、部外者と一緒にいるところを見られてはユニの立場が悪くなると思ったのか、ガイはさっと身を翻した。
ユニは思わず「あ、あした……!」と叫ぶ。
「明日、もし時間があったら、またここに来て下さい!」
観光で来ているならきっと一人ではないだろうし、こんなお願いは迷惑かもしれない。でも、約束もせずに彼を離してしまったら、きっと後悔すると思ったのだ。
とにかく必死な自分が恥ずかしくて、目が泳ぐ。でも、このドキドキの正体を突き止めたい。また、彼の笑顔を目に映したい。ガイはなんて言ってくれるだろう。
「ああ。また、キミに逢いにくるよ」
少しだけ困ったように笑うガイに、ユニは生まれて初めて、いとおしいと思ってしまった。