第2章(外殻大地編)
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49 僕の歌には毒がある
デオ峠は、アクゼリュスがキムラスカ領だった頃に使われていた街道だった。マルクトの領土となった今、この道を使用する人は少ない。しかし意外にもよく整備されており、険しい山道を覚悟していたユニは少し安心した。
「おいみんな、急ごうぜ。師匠に追いつかないと」
「うん……でもルーク、あの、もう少しゆっくりでもいいんじゃないかな……」
早くヴァンに追いつきたいという一心で、ルークは仲間のペースも気にせずにずんずんと峠を登って行く。ユニは息を切らしながらそれについて行くが、ユニ以上に堪えている人がいることをルークは完全に忘れている、あるいは、無視しているようだった。
峠を登りきり、ようやく折り返し地点だというところで、ついにイオンが膝をついた。
「イオン様!」
「大丈夫ですか? 少し休みましょうか?」
アニスとユニが駆け寄り、彼を支える。額には汗が滲んでおり、肩を大きく上下させていた。一般人でも休みなしにここまで速いペースで登ってくれば倒れもするだろう、体の弱いイオンがよくついて来ていたものだ。
イオンは苦しそうに「いえ……僕は大丈夫です」と喘ぎながら言った。これで大丈夫な筈はない。
「駄目ですよぅ! みんなぁ、ちょっと休憩!」
「休むぅ? 何言ってんだよ! 師匠が先に行ってんだぞ!」
アニスが仲間に呼びかけたが、すぐにルークが反対した。さすがにこれには全員が眉を寄せる。
「ルーク! よろしいではありませんか!」
「そうだぜ。キツイ山道なんだし、仕方ないだろう?」
「親善大使はオレなんだぞ! オレが行くって言えば行くんだよ!」
ナタリアとガイが言い聞かせても、彼は聞く耳をもたなかった。ユニの隣でアニスが怒りに震えているのがわかった。イオンの存在をないがしろにされたことが頭に来ているようだが、ルークが相手なので、一生懸命抑えているのだ。
「ちっ……砂漠で寄り道なんかしなきゃよかったな」
「寄り道って、どういう意味! ……ですか」
しかしルークの独り言をアニスは聞き逃さなかった。語尾に申し訳程度の敬語を付け足したが、もう限界だったろう。
「寄り道は寄り道だろ。今はイオンがいなくてもオレがいれば戦争は起きねーんだし」
「あんた……バカぁ……?」
「バ、バカだと……!」
ついにアニスは軽蔑するような視線で彼を睨んだ。もちろんこのルークの失言には仲間全員が怒っていたのだが。
「では少し休みましょう。イオン様、よろしいですね?」
険悪なムードになってきたところでジェイドがのほほんとした声で言う。イオンは申し訳なさそうに目を伏せ、ルークに頭を下げた。こうされてはルークも強く出られないだろう。「分かったよ。……少しだけだぞ」と言って輪から離れていった。
「あの、ルーク……グミ、いる?」
「……なんだよユニ」
一人で離れたところにいたルークに、ユニはグミを持って近付いた。彼だって急いでここまで登ってきて疲れているだろう、と思い、仲間の視線を気にしながらも差し入れにとやって来たのだ。アニスには「ユニ! あんなやつに気を遣う必要ないって!」と言われたが、少しだけ、と苦笑してみせた。
ルークはグミをひったくるようにして受け取った。お礼の言葉はない。
「……ルーク。ヴァン謡将に追いつきたい気持ちはわかるけど、さっきのはイオン様に対してひどかったよ」
「……ちっ。わかってるよ」
「なら謝った方が……」
「別にオレは悪くねぇだろ」
お説教は聞きたくないらしく、ルークはぴしゃりとユニの言葉を遮った。
「オレは師匠とはやく合流したいんだ。そうしたらアクゼリュスのみんなをすぐ救えるのに」と苛立って言うルークの気持ちも、わからないでもなかった。「アクゼリュスの人を救いたくて焦っているのはみんな同じだよ」と言うユニの言葉は、この時のルークにとっては見当違いだったのだが。
ルークは首をまわして、まだ休んでいるイオンたちを見た。出発しそうな気配はない。
「よしユニ。先の方見てこようぜ」
「え?」
「岩が落ちてたらどかして、魔物がいたら倒しとく。そしたらみんなすぐ進めるだろ」
「う、うん。わかった」
ルークは立ち上がった。やる気になったおかげで、機嫌も直ったようだ。みんなのために先の様子を見て来よう、というのはとても良い提案に思えた。旅の遅れを多少は取り戻せるだろうし、皆もルークを見直してくれるかもしれない。
しかしそれは、上手くいけば――の話だった。
ユニとルークは山道で迷い込んでしまい、巨大な木の形をした魔物と戦うはめになった。他の仲間もいれば楽に倒せたかもしれないが、今は二人きりだ。
前線で戦うルークはユニを気遣って下がることも出来ずに、敵の攻撃を受け続けていた。おかげでユニは詠唱に集中できたが、しかしあまり威力が高い譜術は使えなかった。足場が悪く、大きな衝撃を与えれば崖がユニたちごと崩れてしまいそうだったからだ。
魔物は一向に弱る気配を見せず、ユニたちの疲れだけが時間とともに膨れていった。
ルークは魔物から一度距離をとり、短い詠唱ばかりするユニを背中越しに少し睨んだ。
「……おい、ユニ! なんで一気に倒さないんだよ!」
「ごめん、でも崖が崩れそうで……」
「んなコト言ってるうちにこっちがやられちまうだろ! せっかくオレがこいつ止めてるんだから、でかいの食らわせろよ!」
「……わ、わかった」
ルークの言い分ももっともだった。もたもたしているとルークがやられてしまうし、そうすればユニも危ない。ユニは決心すると、すっと意識を奥底に沈め、音素への集中力を高めた。
「業火よ、焔の檻にて焼き尽せ、イグニートプリズン!」
「よし!」
ルークはこちらへ飛び退り、ガッツポーズをした。燃え滾る焔の中で魔物が苦しそうに暴れている。すると、その魔物は見境がなくなったのだろう、力の限り地面を殴りつけた。
ユニとルークの耳に嫌な音が聞こえる。足元から、ミシミシと何かが崩れ出す音が。
「や、やべぇ、ユニ、逃げるぞ!」
「うん! あっち! はやく!」
ユニが指した方へ、二人は全速力で走った。そこまで行けば、足場も安定している。
しかしあと一歩、というところで、地面が割れた。ユニの足が宙を蹴る。後ろを走っていたルークに腕を掴まれた。スローモーションのように、崩れゆく地面とともに自分が落下していくのを感じた。悲鳴すらも出ない。ユニは無我夢中で手を伸ばした。
次の瞬間、ちぎれそうな痛みが身体に走った。
ユニはぎゅっと瞑っていた目を恐る恐る開ける。そこにはアニスの人形がいて、ユニの右手を掴んでいた。じぐざぐに縫われた口が、優しく微笑んでいる……ように見えた。左手に相当な重みがあったので下を見ると、そこにはルークがぶら下がっていた。
人形の頭の上からアニスが心配そうに声をかけてくる。ユニは自分たちが無事であることがわかって、ひとまずは安堵した。
「本当にすみませんでした」
「怒ってなどいませんよ。無事でよかったです。ただ、勝手にこういうマネをされると困ると言っただけです」
ジェイドたちは、ユニとルークの姿が見当たらないので早めに休憩を中断し、探しにきたのだという。
ジェイドの前でユニは正座して、申し訳なさと情けなさに苛まれていた。みんなの役に立とうと思った結果、彼らの休息を無駄にして、そしてルークの気持ちも台無しにしてしまったのだ。
横にいるルークに視線を向けると、彼は見るからに不機嫌そうな表情をしていた。
「はい。……でも、ルークはみんなの役に立とうと思っていたんです。先回りして様子を見て来て、危険があれば取り除いてこようと、だから……」
「気持ちはありがたいのですが、もう少しよく考えてから行動して欲しかったですね」
「したっつーの。魔物も何匹か倒したし、あそこまではちゃんと道を通りやすくしてやったろ。崖が崩れたのはオレのせいじゃないからな」
ルークは、苛々とした声で言う。どうやらユニに責任を押し付けたいようだった。確かに、言い出したのは彼だけれど、止めなかったのはユニ、足場を壊したのもユニ……なのだが。
ユニはこめかみが疼くのをなんとか抑え、「ルークのためルークのため……」と彼を立てるために責任をかぶることを決めた。最初に行動しようと決めたときの彼の気持ちだけは、本物だったと思いたいから。
「そ、そうです。わたしがミスしたから……ルークは皆のためを思って行動したのに、本当に、ごめんなさい」
「つーか、もとを辿れば、休憩してたみんなも悪いだろ。アクゼリュスの人たちをどんだけ待たせんだよ」
「……わかりました」
これ以上ルークに喋らせると全員の関係が崩壊しかねないと判断したのか、ジェイドが話を締めくくった。
「では、ルーク。今度から何か行動するときは、必ず事前に報告なり相談なりしてください。あなたの意見は、今回に関しては間違ってはいませんし、むしろ正しい。ですから、一人でどうにかしようと思う必要はないのです。先の様子を見てくると一言言って下されば、私も喜んでついていきました」
「……ふん」
ルークは鼻を鳴らし、目に見えるほどに苛々しながらさっさと峠を下って行った。ジェイドは彼に聞こえるように、手を口元にかざし、言った。
「今回のことはもういいですけれど、私たちの知らないことまではこちらも面倒見きれませんし、責任が負えませんから。それと無暗に責任転嫁しないように」
「……くそっ!」
「もーユニ! だから言わんこっちゃないじゃん」
「アニス、迷惑かけてごめん。でもルークは悪くないの、ほんとだよ」
アニスがぷんすかしながらユニに言う。ルークの言動がまた頭に来ているのだろう。しかし先ほどの件は、ルークが単にヴァンに追いつきたい一心で行動したのではなく、イオンたちのためにと思ってのことだったのだとユニは思う。だからそれが裏目に出てしまったことが、彼を余計に苛立たせたのだろう。
「わたしがドジったから、ルークのこと怒らせちゃった。上手くやれば、こんなことには……」
ユニはしゅんとして、先を歩くルークの背中を見た。
「まあなんかしようと思ったんだろうなってのはわかるけど~。全然謝りもしないし、ユニや私たちのせいにするし、ルークはそこがダメなんだよぅ」
「……今回のことで、ルークも反省してくれればいいのだけど」
横から、ティアも心配そうに言った。
ルークが周りの者に対する配慮をなくしていたのは、ヴァンと早く合流したい、そして親善大使として成功を収めたいという焦りのせいだろう。仲間たちもその気持ちは理解できるのだが、「オレさえいればアクゼリュスの問題は解決する。他の奴らは足手まといだ」というルークの態度に、旅の疲れもあってか次第に容認できなくなっていた。
全員が「早くアクゼリュスに行かなければ」という目標を持って行動しているのに、どうしてこうすれ違ってしまうのだろう。ユニはもう一度ルークの背中をみつめた。だが彼は今、アクゼリュスではなくヴァンという人を目指して歩いているようだった。
「ユニ、怪我はなかったか?」
歩きながらガイがユニに訊く。彼の優しい表情を見たら、少しだけ安心した。
「ありがとう、大丈夫だよ」
「そうか。ルークのやつ、妙に焦ってるよな。ユニまで危険な目に遭わせるなんて、まったく何考えてんだか」
「まぁ、さっきのはわたしのせいでもあるから……」
「じゃあ言わせてもらうけど。ユニ、次は勝手に行動するなよ。オレか、ジェイドの旦那でもいいから、誰かに相談してからにしてくれよ?」
「う、うん。えっと、わかった……わたしがあんまりしっかりしてないから、ごめんね……」
「いや、そうじゃなくてさ」
そう言ったときの彼の顔を見て、ユニはどきりとした。随分と真剣で、真面目くさった表情だったからだ。
「……はっきり言わなきゃわかんないかな。オレはキミのことが大事で、守らせて欲しいってことだよ。キミを失うと思ったら、怖かったんだ」
彼は、他の人にもこう言う人なのだということはわかっているのに、あまりに真っ直ぐすぎて、勘違いしてしまいそうになった。ユニを案じてくれているのは本当だろう。でもそれは、ユニが覚える胸の痛みとは無関係だ。彼は別に、そんなつもりじゃない、と思う。
「……」
「わっ、おおおおいユニ!?」
傍にいた彼の腕に、おもむろに手を伸ばして触れた。驚いて凄い速さで遠ざかる彼に「ふふっ」と声を漏らす。思わずぽーっと見惚れてしまっていたのが、なんだか悔しくて。
「ごめんごめん。なんか安心した。いつものガイだ」
「そそ、そうかい……」
「ありがとう、心配してくれて。……でもやっぱり、ガイは優しすぎて困るな。わたしなんかいいから、ルークに声かけてきてあげてよ」
このガイにすらも頼ろうとしないなんて、ルークは本当に盲目で、ヴァン馬鹿なのだから。
「キミを拒絶するのがいつものオレか……複雑だな」
「手強いでしょう? うちのユニは」
その背中を目で追っていたガイに、おどけた調子でジェイドが声をかける。冗談のつもりなのだが、しかしガイは「そうだな。結構真剣だったんだけどな」とだけ呟いて、先に歩いて行ってしまった。
その横顔は、初めて見る。焦りと幸福感の入り混じった、こちらが恥じ入ってしまいそうな表情で。
「……おやおや。本当に面倒くさい人たちですね」
峠を越え、街道を進むとついにアクゼリュスに着いた。長い道のりだったが、休んでいる暇はない。ここからが本番だった。
すり鉢状の街は、紫色の怪しい煙――すなわち障気に覆いつくされていた。障気は長時間大量に吸い込まなければ人体に影響はないらしいが、その醜悪さは、街に入るのをためらいたくなるほどだった。意を決し、街へ降りると、いたるところに人が倒れていた。想像を絶する悲惨な光景だった。
ナタリアはじっとしていることが出来ず、病人に駆け寄った。するとルークは慌てて彼女に「お、おい、汚ねぇからやめろよ。伝染るかもしれないぞ」と言う。もちろんナタリアを心配しての発言だったのだが、彼女は信じられないといった目でルークを睨みつけた。
「……何が汚いの? 何が伝染るの! 馬鹿なこと仰らないで!」
泣くように叫ぶと、彼女はすぐに病人に向き直り、治癒術をかけた。ルークは怒鳴られたことがショックだったのか、それが惨めな発言だったと気が付いたのか、呆然としてその場に立ち尽くしていた。
ユニもナタリアやティアのように、そばにいる病人に声をかけ、少しでも楽になるようにと術で癒す。
本当は、この有り様から目を逸らしたいだけだったのかもしれない。病人は呼吸を落ち着かせ「ありがとう、楽になったよ」と言ってくれたが、それも気休めに過ぎないことをユニは知っている。目の前の人を一時的に楽にすることが、今の精一杯だった。
街の入り口ですらこんな絶望的な状況なのに、ユニたちだけで一体何が出来るというのだろう。
泣きそうになっていると、頭の上から、美しい旋律と優しい歌声が聞こえた。ティアだった。フーブラス川で障気が発生したときに歌ったものと同じ、なぜか懐かしいユリアの譜歌を彼女は歌っていた。
歌い終わると、ティアの周りの障気が晴れていき、倒れていた人たちは不思議そうに体を起こした。
「障気が持つ固定振動と同じ振動を与えて、中和しました。けれど範囲は狭いし長くはもたない。時間稼ぎにしかなりませんが……」
ティアは深刻な表情で言った。しかしその効果は大きく、病人たちも明るい表情を取り戻しつつあった。
希望がないわけでは、ない。今はやれることをやろう。そう思ってユニは顔を上げた。
「わたしも同じ術が使えたらな……いや、ジェイドがもし出来たなら、アクゼリュス全体の障気を中和できたかもしれませんね」
「くだらないことを言わないでください。いくら私でも街全体は無理です。普通の第七音譜術士を一億人集めても敵わないくらいの力を持った人がいれば話は別ですが……そんなものに期待なんて出来ません」
ユニとジェイドが話をする横で、ルークは「そうか、師匠が言ってたのはこれだ……オレの力なら……」と呆けたように呟いていた。
街の代表者に聞くと、ヴァンが率いる先遣隊はすでに第十四坑道へ入って救助活動をしているとのことだった。坑道の奥は障気がひどく、取り残されている人もいるという。今後の活動計画を確認するためにも、まずは彼らに合流しようということになった。
「グランツ響長ですね!」
だが坑道へ入ろうとした時に、一人の神託の盾兵がこちらに駆け寄ってきた。「自分はモース様に第七譜石の件をお知らせした者であります」と彼は言い、仲間たちが首を傾げている中、ティアだけは落ち着いた声で「ご苦労様です」と返した。
「第七譜石? まさか新たに発見されたのですか!」
イオンが驚いた声で訊く。第七譜石は、ユリアが自ら隠してしまったものとされており、現在様々な勢力が血眼になって探しているものだ。「はい。ただ真偽のほどは掘り出してみないと何とも……」と兵が答えた。
「なるほど……ティア。あなたがモースから授かった任務とは第七譜石の捜索だったのですね」
「は、はい……」
「では、ティアは第七譜石の確認をお願いします」
「はい!」
ティアがモースからの任務を黙っていたことは咎めず、イオンは彼女に行くよう促した。ティアはほっとした表情で頭を下げると、兵と一緒に引き返して行った。「僕らは、ヴァンたちと合流しましょう」とイオンが言い、一行は暗い坑道へと入って行った。
奥へと進むと、少し開けた場所へ出た。そこにはまだ人がたくさん倒れており、苦しそうに蠢いていた。
突然、ルークが呻き声をあげ、頭を抱え出した。例の幻聴がまた聞こえているのだろうか。しばらくすると「うるせー! オレに命令すんな!」と叫ぶ。
(確かアッシュの声が聞こえるんだっけ……)
ユニは念のためと思い、ルークに何が聞こえたのかを尋ねた。しかし彼は「ユニには関係ねーよ」と言ってプイと顔を背けてしまった。結局、仲間たちはルークの異常を気にはとめず、救助のために散って行った。
「ここは障気が特に濃い……放置していては危険です。せめて入り口付近まで避難させましょう」
ジェイドが指示を出す。皆で病人を助け起こし、アニスの巨大化した人形に乗せていた。ユニも手伝いながら、ふと、あたりを見回す。
(……ん? でもどうしてこの人たち……)
妙な違和感に気付き、ジェイドを見た。すると彼も珍しく焦りの滲んだ表情をしており、ユニの不安がぞわりと膨れあがった。
「ジェイド……先遣隊は……」
「ええ。おかしいです。これだけの人が倒れているのに、なぜ救助をしているはずの先遣隊が一人もいない……?」
その時、坑道の奥、いや地上からだろうか、人が言い争うような声が聞こえてきた。何かあったのだろうか。こんなときに事件が起こるとはタイミングが悪い。
「上の様子が変です。見てきましょう、ユニ」
「は、はい」
ここで人を救助するよりもジェイドが事態の把握を急いだのは、障気以上に凶悪な悪意がこの街に充満していることを感じ取っていたせいだろうか。
出て行くときに、ルークとイオンがさらに坑道の奥へ入っていくのが視界の端に見えたが、ジェイドにおいて行かれないようにとまたすぐに前を向いてしまった。
入り口まで戻ったが、何かが起きたという痕跡はなく、住民に聞いてもわからないと言われた。しかしユニたちは確かに妙な声を聞いたのだ。
「私はあちらを見てきますので、ユニは向こうをお願いします」
「了解です」
先遣隊の姿が見当たらないことと何か関係があるかもしれない。とにかくこの街は何かがおかしい。ユニたちは焦りに急かされながら、手分けして異変を探すことにした。
(なんだろう、胸騒ぎがしてすごく嫌な感じ)
ユニは他の坑道を覗いたりしながら街を走り回っていた。障気のせいでも、この惨状のせいでもない、別の恐怖が、なぜか身体に纏わりつく。
ふと、バチカルでシンクに言われたことを思い出した。彼はなぜユニを引きとめたのだろう。この街に一体何が起ころうとしているのだろう。
(はやく先遣隊の人に会わなきゃ、はやく街の人たちを救助しなきゃ)
焦りとは裏腹に、真実が遠のいていくような気がしていた、その時だった。突然目の前に何かが飛び出してきて、全速力で走っていたユニと衝突した。
ユニは反動で尻もちをついたが、相手はその場に立ったままだった。硬い鎧のようなものにぶつかったので、鈍い痛みで涙目になって見上げるやいなや、いきなり腕をひっぱられ、無理やり立たされた。
そして息をつく暇もなく、肩を揺さぶられ、「おい! ヴァンはどこだ!」と怒鳴られた。
ユニは目を見開く。目の前にいるのは、必死の形相で赤い髪を振り乱す青年だった。
「ア、アッシュ!? どうしてここに!?」
「説明はあとだ! ヴァンはどこにいる! いや、第十四坑道はどこだ!?」
この時は意味がわからなくて混乱させられたのだが、アッシュがヴァンを探している理由をここで説明されなくてよかった、とユニは後に思うことになる。もし聞いていたら、気が動転したまま、アクゼリュスと運命を共にしていたかもしれない。
「よ、よくわからないけど、わたしたちもヴァン謡将を探してるの! 先遣隊が、謡将と一緒にアクゼリュスに入ったはずなんだけど、その人たちの姿も見えなくて! あっ、だ、第十四坑道の場所なら、わかるけど」
「ユニ、オレをそこへ連れていけ!」
「は、はい……!」
説明する暇すらないという彼の素振りに、ユニも時間がないのを察し、とにかく走り出した。
心臓がずきずきと痛む。得体の知れない恐怖が街を包んでいた。何かが起ころうとしていることが、最初から決まっていて、もうずっと前から知っているような、嫌な感じだった。
「これは……どういうことですか、リグレット教官」
神託の盾兵に案内された、使われていない坑道の先でティアが見たのは、先遣隊の死体の山と、かつての師リグレットの姿だった。
「久しぶりだな、ティア。騙してすまないがここには第七譜石などない」
「どうして……先遣隊の人たちも教官が……!?」
「お前と話がしたかったのだ。……ティア、私たちと共に来なさい!」
「……!?」
「この世界は預言に支配されている。何をするのにも預言を詠み、それに従って生きるなど、おかしいとは思わないか? そこには意思や自由など存在しない」
ティアは唇を噛み、変わってしまった師をみつめる。
「……預言は人を支配するためにあるのではなく、人が正しい道を進むための道具に過ぎません」
「お前はそうでも、この世界の多くの人々は預言に頼りきっている。何も考えずに生きるのは楽なことだろう。人間は弱いものなんだ」
ティアは目を伏せる。そういった光景をたくさん見てきたから、彼女の言葉が否定出来なかったのだ。
「わかるだろう? この世界は狂っている。誰かが変えねばならないのだ。そのためには、手段は選ばない」
リグレットは静かに、譜銃に手をかけた。そしてそれをまっすぐにティアに向ける。
「ティア、力ずくでも来てもらう。これは今から起こることにお前を巻き込まぬための、総長の取り計らいでもあるからな。いつまでも出来損ないの傍にいられては困るのだ!」
「!!」
リグレットは語気を強め、発砲した。武器を構える隙のなかったティアは、両目を固く閉じるしかなかった。
「……?」
「……邪魔が入ったな」
しかし衝撃は訪れなかった。ゆっくりと瞼を上げると、目の前でジェイドが防御壁を展開させていた。
「出来損ないとは、誰のことでしょうか?」
「フン。死霊使い、もうお前ならわかっているのだろう?」
「やはりお前たちか。禁忌の技術を復活させたのは」
「た、大佐?」
ティアは二人の会話に困惑して眉を顰める。
「……誰の発案だ。ディストか?」
「フォミクリーのことか? 知ってどうなる。采は投げられたのだ、死霊使いジェイド!」
目にも止まらぬ速さでリグレッドは弾を撃ち込んだ。それを、ジェイドは槍ではじき返す。
「冗談ではないっ! ……今から起こることとは何だ? お前たちは何を企んでいる」
ジェイドは珍しく激昂して声を荒げたが、その後でまた低いトーンに戻る。自分を落ち着かせようと必死であるようだった。対して彼女は少しも動じず、笑って見せさえする。
「もう遅い。止めるのは不可能だ。だがティアだけは連れ帰らせてもらう。そこをどけ!」
リグレットは鋭い光を放つ弾を地面へと撃った。閃光でジェイドもティアも目が眩む。その一瞬の隙を見せたことが、敗因になるだろう。リグレットは地を蹴り、ジェイドの死角へと飛んだ。
しかしその時、彼らの間に割って入るものがあった。赤い髪をなびかせて、リグレットの譜銃を剣で弾き飛ばす。そしてまた次の瞬間、彼女のいる地面に譜陣が浮かび上がり、爆発するように光り出した。
「グランドダッシャー!」
「これは……ユニ!?」
驚くジェイドの声と共に、大地の力が牙のように襲いかかるが、リグレットは一瞬早くその場から飛び退っていた。物陰から飛び出したユニは、アッシュの隣に並び、リグレットの前に立ちはだかった。
「何、アッシュだと!? 貴様、総長にはむかう気か!?」
突然現れたユニとアッシュに、彼らはもちろん驚いていたが、説明している暇はなかった。アッシュがリグレットに向かって術を放つのと同時に、ユニは「ジェイド、ティア、こっちです!」と短く叫び、彼らがついてきているかどうかも確認せずに走り出した。
「ユニ! なぜアッシュと……」
走りながらジェイドがユニに問う。只事ではない状況に、ジェイドですらも事態の把握が追いつかない。ユニたちは助けるはずの病人には目もくれず全速力で街を駆け抜ける。
「アッシュは……ヴァン謡将を探してたんです」
「兄さんは何をするつもりなの!?」
「おい! 喋ってる暇があるなら走れ! あの屑をどうにかしないと、全員死ぬぞ!」
「と、とにかく、第十四坑道です! そこの奥にセフィロトがあって! ヴァン謡将を、止めないと! じゃないと、本当にみんな死んでしまいます!!」
デオ峠は、アクゼリュスがキムラスカ領だった頃に使われていた街道だった。マルクトの領土となった今、この道を使用する人は少ない。しかし意外にもよく整備されており、険しい山道を覚悟していたユニは少し安心した。
「おいみんな、急ごうぜ。師匠に追いつかないと」
「うん……でもルーク、あの、もう少しゆっくりでもいいんじゃないかな……」
早くヴァンに追いつきたいという一心で、ルークは仲間のペースも気にせずにずんずんと峠を登って行く。ユニは息を切らしながらそれについて行くが、ユニ以上に堪えている人がいることをルークは完全に忘れている、あるいは、無視しているようだった。
峠を登りきり、ようやく折り返し地点だというところで、ついにイオンが膝をついた。
「イオン様!」
「大丈夫ですか? 少し休みましょうか?」
アニスとユニが駆け寄り、彼を支える。額には汗が滲んでおり、肩を大きく上下させていた。一般人でも休みなしにここまで速いペースで登ってくれば倒れもするだろう、体の弱いイオンがよくついて来ていたものだ。
イオンは苦しそうに「いえ……僕は大丈夫です」と喘ぎながら言った。これで大丈夫な筈はない。
「駄目ですよぅ! みんなぁ、ちょっと休憩!」
「休むぅ? 何言ってんだよ! 師匠が先に行ってんだぞ!」
アニスが仲間に呼びかけたが、すぐにルークが反対した。さすがにこれには全員が眉を寄せる。
「ルーク! よろしいではありませんか!」
「そうだぜ。キツイ山道なんだし、仕方ないだろう?」
「親善大使はオレなんだぞ! オレが行くって言えば行くんだよ!」
ナタリアとガイが言い聞かせても、彼は聞く耳をもたなかった。ユニの隣でアニスが怒りに震えているのがわかった。イオンの存在をないがしろにされたことが頭に来ているようだが、ルークが相手なので、一生懸命抑えているのだ。
「ちっ……砂漠で寄り道なんかしなきゃよかったな」
「寄り道って、どういう意味! ……ですか」
しかしルークの独り言をアニスは聞き逃さなかった。語尾に申し訳程度の敬語を付け足したが、もう限界だったろう。
「寄り道は寄り道だろ。今はイオンがいなくてもオレがいれば戦争は起きねーんだし」
「あんた……バカぁ……?」
「バ、バカだと……!」
ついにアニスは軽蔑するような視線で彼を睨んだ。もちろんこのルークの失言には仲間全員が怒っていたのだが。
「では少し休みましょう。イオン様、よろしいですね?」
険悪なムードになってきたところでジェイドがのほほんとした声で言う。イオンは申し訳なさそうに目を伏せ、ルークに頭を下げた。こうされてはルークも強く出られないだろう。「分かったよ。……少しだけだぞ」と言って輪から離れていった。
「あの、ルーク……グミ、いる?」
「……なんだよユニ」
一人で離れたところにいたルークに、ユニはグミを持って近付いた。彼だって急いでここまで登ってきて疲れているだろう、と思い、仲間の視線を気にしながらも差し入れにとやって来たのだ。アニスには「ユニ! あんなやつに気を遣う必要ないって!」と言われたが、少しだけ、と苦笑してみせた。
ルークはグミをひったくるようにして受け取った。お礼の言葉はない。
「……ルーク。ヴァン謡将に追いつきたい気持ちはわかるけど、さっきのはイオン様に対してひどかったよ」
「……ちっ。わかってるよ」
「なら謝った方が……」
「別にオレは悪くねぇだろ」
お説教は聞きたくないらしく、ルークはぴしゃりとユニの言葉を遮った。
「オレは師匠とはやく合流したいんだ。そうしたらアクゼリュスのみんなをすぐ救えるのに」と苛立って言うルークの気持ちも、わからないでもなかった。「アクゼリュスの人を救いたくて焦っているのはみんな同じだよ」と言うユニの言葉は、この時のルークにとっては見当違いだったのだが。
ルークは首をまわして、まだ休んでいるイオンたちを見た。出発しそうな気配はない。
「よしユニ。先の方見てこようぜ」
「え?」
「岩が落ちてたらどかして、魔物がいたら倒しとく。そしたらみんなすぐ進めるだろ」
「う、うん。わかった」
ルークは立ち上がった。やる気になったおかげで、機嫌も直ったようだ。みんなのために先の様子を見て来よう、というのはとても良い提案に思えた。旅の遅れを多少は取り戻せるだろうし、皆もルークを見直してくれるかもしれない。
しかしそれは、上手くいけば――の話だった。
ユニとルークは山道で迷い込んでしまい、巨大な木の形をした魔物と戦うはめになった。他の仲間もいれば楽に倒せたかもしれないが、今は二人きりだ。
前線で戦うルークはユニを気遣って下がることも出来ずに、敵の攻撃を受け続けていた。おかげでユニは詠唱に集中できたが、しかしあまり威力が高い譜術は使えなかった。足場が悪く、大きな衝撃を与えれば崖がユニたちごと崩れてしまいそうだったからだ。
魔物は一向に弱る気配を見せず、ユニたちの疲れだけが時間とともに膨れていった。
ルークは魔物から一度距離をとり、短い詠唱ばかりするユニを背中越しに少し睨んだ。
「……おい、ユニ! なんで一気に倒さないんだよ!」
「ごめん、でも崖が崩れそうで……」
「んなコト言ってるうちにこっちがやられちまうだろ! せっかくオレがこいつ止めてるんだから、でかいの食らわせろよ!」
「……わ、わかった」
ルークの言い分ももっともだった。もたもたしているとルークがやられてしまうし、そうすればユニも危ない。ユニは決心すると、すっと意識を奥底に沈め、音素への集中力を高めた。
「業火よ、焔の檻にて焼き尽せ、イグニートプリズン!」
「よし!」
ルークはこちらへ飛び退り、ガッツポーズをした。燃え滾る焔の中で魔物が苦しそうに暴れている。すると、その魔物は見境がなくなったのだろう、力の限り地面を殴りつけた。
ユニとルークの耳に嫌な音が聞こえる。足元から、ミシミシと何かが崩れ出す音が。
「や、やべぇ、ユニ、逃げるぞ!」
「うん! あっち! はやく!」
ユニが指した方へ、二人は全速力で走った。そこまで行けば、足場も安定している。
しかしあと一歩、というところで、地面が割れた。ユニの足が宙を蹴る。後ろを走っていたルークに腕を掴まれた。スローモーションのように、崩れゆく地面とともに自分が落下していくのを感じた。悲鳴すらも出ない。ユニは無我夢中で手を伸ばした。
次の瞬間、ちぎれそうな痛みが身体に走った。
ユニはぎゅっと瞑っていた目を恐る恐る開ける。そこにはアニスの人形がいて、ユニの右手を掴んでいた。じぐざぐに縫われた口が、優しく微笑んでいる……ように見えた。左手に相当な重みがあったので下を見ると、そこにはルークがぶら下がっていた。
人形の頭の上からアニスが心配そうに声をかけてくる。ユニは自分たちが無事であることがわかって、ひとまずは安堵した。
「本当にすみませんでした」
「怒ってなどいませんよ。無事でよかったです。ただ、勝手にこういうマネをされると困ると言っただけです」
ジェイドたちは、ユニとルークの姿が見当たらないので早めに休憩を中断し、探しにきたのだという。
ジェイドの前でユニは正座して、申し訳なさと情けなさに苛まれていた。みんなの役に立とうと思った結果、彼らの休息を無駄にして、そしてルークの気持ちも台無しにしてしまったのだ。
横にいるルークに視線を向けると、彼は見るからに不機嫌そうな表情をしていた。
「はい。……でも、ルークはみんなの役に立とうと思っていたんです。先回りして様子を見て来て、危険があれば取り除いてこようと、だから……」
「気持ちはありがたいのですが、もう少しよく考えてから行動して欲しかったですね」
「したっつーの。魔物も何匹か倒したし、あそこまではちゃんと道を通りやすくしてやったろ。崖が崩れたのはオレのせいじゃないからな」
ルークは、苛々とした声で言う。どうやらユニに責任を押し付けたいようだった。確かに、言い出したのは彼だけれど、止めなかったのはユニ、足場を壊したのもユニ……なのだが。
ユニはこめかみが疼くのをなんとか抑え、「ルークのためルークのため……」と彼を立てるために責任をかぶることを決めた。最初に行動しようと決めたときの彼の気持ちだけは、本物だったと思いたいから。
「そ、そうです。わたしがミスしたから……ルークは皆のためを思って行動したのに、本当に、ごめんなさい」
「つーか、もとを辿れば、休憩してたみんなも悪いだろ。アクゼリュスの人たちをどんだけ待たせんだよ」
「……わかりました」
これ以上ルークに喋らせると全員の関係が崩壊しかねないと判断したのか、ジェイドが話を締めくくった。
「では、ルーク。今度から何か行動するときは、必ず事前に報告なり相談なりしてください。あなたの意見は、今回に関しては間違ってはいませんし、むしろ正しい。ですから、一人でどうにかしようと思う必要はないのです。先の様子を見てくると一言言って下されば、私も喜んでついていきました」
「……ふん」
ルークは鼻を鳴らし、目に見えるほどに苛々しながらさっさと峠を下って行った。ジェイドは彼に聞こえるように、手を口元にかざし、言った。
「今回のことはもういいですけれど、私たちの知らないことまではこちらも面倒見きれませんし、責任が負えませんから。それと無暗に責任転嫁しないように」
「……くそっ!」
「もーユニ! だから言わんこっちゃないじゃん」
「アニス、迷惑かけてごめん。でもルークは悪くないの、ほんとだよ」
アニスがぷんすかしながらユニに言う。ルークの言動がまた頭に来ているのだろう。しかし先ほどの件は、ルークが単にヴァンに追いつきたい一心で行動したのではなく、イオンたちのためにと思ってのことだったのだとユニは思う。だからそれが裏目に出てしまったことが、彼を余計に苛立たせたのだろう。
「わたしがドジったから、ルークのこと怒らせちゃった。上手くやれば、こんなことには……」
ユニはしゅんとして、先を歩くルークの背中を見た。
「まあなんかしようと思ったんだろうなってのはわかるけど~。全然謝りもしないし、ユニや私たちのせいにするし、ルークはそこがダメなんだよぅ」
「……今回のことで、ルークも反省してくれればいいのだけど」
横から、ティアも心配そうに言った。
ルークが周りの者に対する配慮をなくしていたのは、ヴァンと早く合流したい、そして親善大使として成功を収めたいという焦りのせいだろう。仲間たちもその気持ちは理解できるのだが、「オレさえいればアクゼリュスの問題は解決する。他の奴らは足手まといだ」というルークの態度に、旅の疲れもあってか次第に容認できなくなっていた。
全員が「早くアクゼリュスに行かなければ」という目標を持って行動しているのに、どうしてこうすれ違ってしまうのだろう。ユニはもう一度ルークの背中をみつめた。だが彼は今、アクゼリュスではなくヴァンという人を目指して歩いているようだった。
「ユニ、怪我はなかったか?」
歩きながらガイがユニに訊く。彼の優しい表情を見たら、少しだけ安心した。
「ありがとう、大丈夫だよ」
「そうか。ルークのやつ、妙に焦ってるよな。ユニまで危険な目に遭わせるなんて、まったく何考えてんだか」
「まぁ、さっきのはわたしのせいでもあるから……」
「じゃあ言わせてもらうけど。ユニ、次は勝手に行動するなよ。オレか、ジェイドの旦那でもいいから、誰かに相談してからにしてくれよ?」
「う、うん。えっと、わかった……わたしがあんまりしっかりしてないから、ごめんね……」
「いや、そうじゃなくてさ」
そう言ったときの彼の顔を見て、ユニはどきりとした。随分と真剣で、真面目くさった表情だったからだ。
「……はっきり言わなきゃわかんないかな。オレはキミのことが大事で、守らせて欲しいってことだよ。キミを失うと思ったら、怖かったんだ」
彼は、他の人にもこう言う人なのだということはわかっているのに、あまりに真っ直ぐすぎて、勘違いしてしまいそうになった。ユニを案じてくれているのは本当だろう。でもそれは、ユニが覚える胸の痛みとは無関係だ。彼は別に、そんなつもりじゃない、と思う。
「……」
「わっ、おおおおいユニ!?」
傍にいた彼の腕に、おもむろに手を伸ばして触れた。驚いて凄い速さで遠ざかる彼に「ふふっ」と声を漏らす。思わずぽーっと見惚れてしまっていたのが、なんだか悔しくて。
「ごめんごめん。なんか安心した。いつものガイだ」
「そそ、そうかい……」
「ありがとう、心配してくれて。……でもやっぱり、ガイは優しすぎて困るな。わたしなんかいいから、ルークに声かけてきてあげてよ」
このガイにすらも頼ろうとしないなんて、ルークは本当に盲目で、ヴァン馬鹿なのだから。
「キミを拒絶するのがいつものオレか……複雑だな」
「手強いでしょう? うちのユニは」
その背中を目で追っていたガイに、おどけた調子でジェイドが声をかける。冗談のつもりなのだが、しかしガイは「そうだな。結構真剣だったんだけどな」とだけ呟いて、先に歩いて行ってしまった。
その横顔は、初めて見る。焦りと幸福感の入り混じった、こちらが恥じ入ってしまいそうな表情で。
「……おやおや。本当に面倒くさい人たちですね」
峠を越え、街道を進むとついにアクゼリュスに着いた。長い道のりだったが、休んでいる暇はない。ここからが本番だった。
すり鉢状の街は、紫色の怪しい煙――すなわち障気に覆いつくされていた。障気は長時間大量に吸い込まなければ人体に影響はないらしいが、その醜悪さは、街に入るのをためらいたくなるほどだった。意を決し、街へ降りると、いたるところに人が倒れていた。想像を絶する悲惨な光景だった。
ナタリアはじっとしていることが出来ず、病人に駆け寄った。するとルークは慌てて彼女に「お、おい、汚ねぇからやめろよ。伝染るかもしれないぞ」と言う。もちろんナタリアを心配しての発言だったのだが、彼女は信じられないといった目でルークを睨みつけた。
「……何が汚いの? 何が伝染るの! 馬鹿なこと仰らないで!」
泣くように叫ぶと、彼女はすぐに病人に向き直り、治癒術をかけた。ルークは怒鳴られたことがショックだったのか、それが惨めな発言だったと気が付いたのか、呆然としてその場に立ち尽くしていた。
ユニもナタリアやティアのように、そばにいる病人に声をかけ、少しでも楽になるようにと術で癒す。
本当は、この有り様から目を逸らしたいだけだったのかもしれない。病人は呼吸を落ち着かせ「ありがとう、楽になったよ」と言ってくれたが、それも気休めに過ぎないことをユニは知っている。目の前の人を一時的に楽にすることが、今の精一杯だった。
街の入り口ですらこんな絶望的な状況なのに、ユニたちだけで一体何が出来るというのだろう。
泣きそうになっていると、頭の上から、美しい旋律と優しい歌声が聞こえた。ティアだった。フーブラス川で障気が発生したときに歌ったものと同じ、なぜか懐かしいユリアの譜歌を彼女は歌っていた。
歌い終わると、ティアの周りの障気が晴れていき、倒れていた人たちは不思議そうに体を起こした。
「障気が持つ固定振動と同じ振動を与えて、中和しました。けれど範囲は狭いし長くはもたない。時間稼ぎにしかなりませんが……」
ティアは深刻な表情で言った。しかしその効果は大きく、病人たちも明るい表情を取り戻しつつあった。
希望がないわけでは、ない。今はやれることをやろう。そう思ってユニは顔を上げた。
「わたしも同じ術が使えたらな……いや、ジェイドがもし出来たなら、アクゼリュス全体の障気を中和できたかもしれませんね」
「くだらないことを言わないでください。いくら私でも街全体は無理です。普通の第七音譜術士を一億人集めても敵わないくらいの力を持った人がいれば話は別ですが……そんなものに期待なんて出来ません」
ユニとジェイドが話をする横で、ルークは「そうか、師匠が言ってたのはこれだ……オレの力なら……」と呆けたように呟いていた。
街の代表者に聞くと、ヴァンが率いる先遣隊はすでに第十四坑道へ入って救助活動をしているとのことだった。坑道の奥は障気がひどく、取り残されている人もいるという。今後の活動計画を確認するためにも、まずは彼らに合流しようということになった。
「グランツ響長ですね!」
だが坑道へ入ろうとした時に、一人の神託の盾兵がこちらに駆け寄ってきた。「自分はモース様に第七譜石の件をお知らせした者であります」と彼は言い、仲間たちが首を傾げている中、ティアだけは落ち着いた声で「ご苦労様です」と返した。
「第七譜石? まさか新たに発見されたのですか!」
イオンが驚いた声で訊く。第七譜石は、ユリアが自ら隠してしまったものとされており、現在様々な勢力が血眼になって探しているものだ。「はい。ただ真偽のほどは掘り出してみないと何とも……」と兵が答えた。
「なるほど……ティア。あなたがモースから授かった任務とは第七譜石の捜索だったのですね」
「は、はい……」
「では、ティアは第七譜石の確認をお願いします」
「はい!」
ティアがモースからの任務を黙っていたことは咎めず、イオンは彼女に行くよう促した。ティアはほっとした表情で頭を下げると、兵と一緒に引き返して行った。「僕らは、ヴァンたちと合流しましょう」とイオンが言い、一行は暗い坑道へと入って行った。
奥へと進むと、少し開けた場所へ出た。そこにはまだ人がたくさん倒れており、苦しそうに蠢いていた。
突然、ルークが呻き声をあげ、頭を抱え出した。例の幻聴がまた聞こえているのだろうか。しばらくすると「うるせー! オレに命令すんな!」と叫ぶ。
(確かアッシュの声が聞こえるんだっけ……)
ユニは念のためと思い、ルークに何が聞こえたのかを尋ねた。しかし彼は「ユニには関係ねーよ」と言ってプイと顔を背けてしまった。結局、仲間たちはルークの異常を気にはとめず、救助のために散って行った。
「ここは障気が特に濃い……放置していては危険です。せめて入り口付近まで避難させましょう」
ジェイドが指示を出す。皆で病人を助け起こし、アニスの巨大化した人形に乗せていた。ユニも手伝いながら、ふと、あたりを見回す。
(……ん? でもどうしてこの人たち……)
妙な違和感に気付き、ジェイドを見た。すると彼も珍しく焦りの滲んだ表情をしており、ユニの不安がぞわりと膨れあがった。
「ジェイド……先遣隊は……」
「ええ。おかしいです。これだけの人が倒れているのに、なぜ救助をしているはずの先遣隊が一人もいない……?」
その時、坑道の奥、いや地上からだろうか、人が言い争うような声が聞こえてきた。何かあったのだろうか。こんなときに事件が起こるとはタイミングが悪い。
「上の様子が変です。見てきましょう、ユニ」
「は、はい」
ここで人を救助するよりもジェイドが事態の把握を急いだのは、障気以上に凶悪な悪意がこの街に充満していることを感じ取っていたせいだろうか。
出て行くときに、ルークとイオンがさらに坑道の奥へ入っていくのが視界の端に見えたが、ジェイドにおいて行かれないようにとまたすぐに前を向いてしまった。
入り口まで戻ったが、何かが起きたという痕跡はなく、住民に聞いてもわからないと言われた。しかしユニたちは確かに妙な声を聞いたのだ。
「私はあちらを見てきますので、ユニは向こうをお願いします」
「了解です」
先遣隊の姿が見当たらないことと何か関係があるかもしれない。とにかくこの街は何かがおかしい。ユニたちは焦りに急かされながら、手分けして異変を探すことにした。
(なんだろう、胸騒ぎがしてすごく嫌な感じ)
ユニは他の坑道を覗いたりしながら街を走り回っていた。障気のせいでも、この惨状のせいでもない、別の恐怖が、なぜか身体に纏わりつく。
ふと、バチカルでシンクに言われたことを思い出した。彼はなぜユニを引きとめたのだろう。この街に一体何が起ころうとしているのだろう。
(はやく先遣隊の人に会わなきゃ、はやく街の人たちを救助しなきゃ)
焦りとは裏腹に、真実が遠のいていくような気がしていた、その時だった。突然目の前に何かが飛び出してきて、全速力で走っていたユニと衝突した。
ユニは反動で尻もちをついたが、相手はその場に立ったままだった。硬い鎧のようなものにぶつかったので、鈍い痛みで涙目になって見上げるやいなや、いきなり腕をひっぱられ、無理やり立たされた。
そして息をつく暇もなく、肩を揺さぶられ、「おい! ヴァンはどこだ!」と怒鳴られた。
ユニは目を見開く。目の前にいるのは、必死の形相で赤い髪を振り乱す青年だった。
「ア、アッシュ!? どうしてここに!?」
「説明はあとだ! ヴァンはどこにいる! いや、第十四坑道はどこだ!?」
この時は意味がわからなくて混乱させられたのだが、アッシュがヴァンを探している理由をここで説明されなくてよかった、とユニは後に思うことになる。もし聞いていたら、気が動転したまま、アクゼリュスと運命を共にしていたかもしれない。
「よ、よくわからないけど、わたしたちもヴァン謡将を探してるの! 先遣隊が、謡将と一緒にアクゼリュスに入ったはずなんだけど、その人たちの姿も見えなくて! あっ、だ、第十四坑道の場所なら、わかるけど」
「ユニ、オレをそこへ連れていけ!」
「は、はい……!」
説明する暇すらないという彼の素振りに、ユニも時間がないのを察し、とにかく走り出した。
心臓がずきずきと痛む。得体の知れない恐怖が街を包んでいた。何かが起ころうとしていることが、最初から決まっていて、もうずっと前から知っているような、嫌な感じだった。
「これは……どういうことですか、リグレット教官」
神託の盾兵に案内された、使われていない坑道の先でティアが見たのは、先遣隊の死体の山と、かつての師リグレットの姿だった。
「久しぶりだな、ティア。騙してすまないがここには第七譜石などない」
「どうして……先遣隊の人たちも教官が……!?」
「お前と話がしたかったのだ。……ティア、私たちと共に来なさい!」
「……!?」
「この世界は預言に支配されている。何をするのにも預言を詠み、それに従って生きるなど、おかしいとは思わないか? そこには意思や自由など存在しない」
ティアは唇を噛み、変わってしまった師をみつめる。
「……預言は人を支配するためにあるのではなく、人が正しい道を進むための道具に過ぎません」
「お前はそうでも、この世界の多くの人々は預言に頼りきっている。何も考えずに生きるのは楽なことだろう。人間は弱いものなんだ」
ティアは目を伏せる。そういった光景をたくさん見てきたから、彼女の言葉が否定出来なかったのだ。
「わかるだろう? この世界は狂っている。誰かが変えねばならないのだ。そのためには、手段は選ばない」
リグレットは静かに、譜銃に手をかけた。そしてそれをまっすぐにティアに向ける。
「ティア、力ずくでも来てもらう。これは今から起こることにお前を巻き込まぬための、総長の取り計らいでもあるからな。いつまでも出来損ないの傍にいられては困るのだ!」
「!!」
リグレットは語気を強め、発砲した。武器を構える隙のなかったティアは、両目を固く閉じるしかなかった。
「……?」
「……邪魔が入ったな」
しかし衝撃は訪れなかった。ゆっくりと瞼を上げると、目の前でジェイドが防御壁を展開させていた。
「出来損ないとは、誰のことでしょうか?」
「フン。死霊使い、もうお前ならわかっているのだろう?」
「やはりお前たちか。禁忌の技術を復活させたのは」
「た、大佐?」
ティアは二人の会話に困惑して眉を顰める。
「……誰の発案だ。ディストか?」
「フォミクリーのことか? 知ってどうなる。采は投げられたのだ、死霊使いジェイド!」
目にも止まらぬ速さでリグレッドは弾を撃ち込んだ。それを、ジェイドは槍ではじき返す。
「冗談ではないっ! ……今から起こることとは何だ? お前たちは何を企んでいる」
ジェイドは珍しく激昂して声を荒げたが、その後でまた低いトーンに戻る。自分を落ち着かせようと必死であるようだった。対して彼女は少しも動じず、笑って見せさえする。
「もう遅い。止めるのは不可能だ。だがティアだけは連れ帰らせてもらう。そこをどけ!」
リグレットは鋭い光を放つ弾を地面へと撃った。閃光でジェイドもティアも目が眩む。その一瞬の隙を見せたことが、敗因になるだろう。リグレットは地を蹴り、ジェイドの死角へと飛んだ。
しかしその時、彼らの間に割って入るものがあった。赤い髪をなびかせて、リグレットの譜銃を剣で弾き飛ばす。そしてまた次の瞬間、彼女のいる地面に譜陣が浮かび上がり、爆発するように光り出した。
「グランドダッシャー!」
「これは……ユニ!?」
驚くジェイドの声と共に、大地の力が牙のように襲いかかるが、リグレットは一瞬早くその場から飛び退っていた。物陰から飛び出したユニは、アッシュの隣に並び、リグレットの前に立ちはだかった。
「何、アッシュだと!? 貴様、総長にはむかう気か!?」
突然現れたユニとアッシュに、彼らはもちろん驚いていたが、説明している暇はなかった。アッシュがリグレットに向かって術を放つのと同時に、ユニは「ジェイド、ティア、こっちです!」と短く叫び、彼らがついてきているかどうかも確認せずに走り出した。
「ユニ! なぜアッシュと……」
走りながらジェイドがユニに問う。只事ではない状況に、ジェイドですらも事態の把握が追いつかない。ユニたちは助けるはずの病人には目もくれず全速力で街を駆け抜ける。
「アッシュは……ヴァン謡将を探してたんです」
「兄さんは何をするつもりなの!?」
「おい! 喋ってる暇があるなら走れ! あの屑をどうにかしないと、全員死ぬぞ!」
「と、とにかく、第十四坑道です! そこの奥にセフィロトがあって! ヴァン謡将を、止めないと! じゃないと、本当にみんな死んでしまいます!!」