第2章(外殻大地編)
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48 凶星!
砂漠越えが想像以上にきつかったせいか、ケセドニアへ着いたときの安心感といったらなかった。
飲み水の残量に注意する必要も、暑さから逃れるためにジェイドの影に隠れる必要も、汗ばんだ肌につく砂粒の不快感に苛まれる必要もないのだ。とりわけ女性陣は「やっとシャワーが浴びれる!」と喜んでいた。
夜になると、全員が宿のロビーへ集合した。明日からの行程を確認するのだ。
ジェイドが大きな地図を広げる。アクゼリュスには、船でカイツールを経由して行くことになっている。今回のためにケセドニア・マルクト側の港から特別に船を出してもらい、カイツールの軍港へ向かう。ザオ遺跡へ行っていたために旅はやや遅れているが、ここまでは順調だった。
「ところで、イオン様とアニスはどうしますか? ケセドニアからダアトへ帰国することも出来ますが」
「私としては、六神将の目的が分からない以上、彼らにイオン様を奪われるのはなるべく避けたいのですが」
ティアが二人に聞くと、ジェイドが意見を挟む。
アクゼリュス救援隊には、本来アニスやイオンは加わっておらず、ダアトへ戻る予定だった。しかし平和条約締結の後も六神将らがイオンを使って動いているとなると、イオンを彼らにみすみす渡すことは得策とは言えない。だがそうは言っても、他にイオンを匿ってくれそうな人も思い当たらない。現状では、イオンを目の届く範囲に置くことが一番安全だと思えた。
「もしご迷惑でなければ、僕も連れて行ってもらえませんか?」
イオンもそこまで考えたのだろう、顔を上げてそう言った。みんなが「それがいい」と言って頷くなか、イオンの横でアニスは一人慌てている。
「イオン様! モース様が怒りますよぅ!」
「僕はピオニー陛下から親書を託されました。ですから陛下にはアクゼリュスでの活動についてもお伝えしたいと思います」
「よろしいのではないですか。今回の救援活動が終わりましたら、私とグランコクマへ向かいましょう」
「うぅ……」
「いいじゃない、アニス。これからもまた一緒にいられるんだから」
「また危険な目に遭うかもしれないのにぃ」
溜息をつくアニスには悪いが、ユニはイオンたちとの旅が続くことが決まって、嬉しく思っていた。
翌日、一行はマルクトの領事館へ向かった。
ここでルークは思いもよらない事態に見舞われることになる。彼にとっての最優先事項であるヴァンのことだが、彼が率いる先遣隊は既にカイツールへ発っており、しかも先ほどアクゼリュスに向けてそこを出発したとの連絡が入ったというのだ。
「えーっ!? 師匠早すぎだよ! これじゃアクゼリュスまで師匠と会えないじゃん」
ルークは頭を抱えて悔しそうに溜息をつく。そんな彼を見て、イオンは責任を感じたのだろう、悲しげな表情をしていた。
「すみません、僕のせいで。急がなければ……」
「うっ……!」
その時、ガイが突然膝をついた。
「ガイ!? 大丈夫……?」
ユニは反射的に彼に駆け寄った。隣に座り込み、肩に触れて彼の顔を覗き込んだあとで、彼が女性恐怖症だったことを思い出す。しかし不思議なことに、彼は怖がる様子もなく、ユニから離れようとしなかった。周りも見えないほどに、苦しいのだろうか……?
「ガイ! どうしたんだ」
ルークも驚いて、彼に近付く。しかし次の瞬間、ルークは思いきり床に転がっていた。
ガイは、ルークが視界に入るや否や彼を突き飛ばしたのだ。
「いてて……! お、おい。まさかお前もアッシュに操られてるんじゃ!?」
ガイがルークに対してしたことのない、するはずのない行動をとったため、ルークは狼狽えた声で彼に呼び掛けた。ガイは苦しそうにまだうずくまっている。アッシュのせいだと考えたルークが「ユニ、あぶねえぞ」と忠告するが、ユニにはガイの殺気がまったくと言っていいほど感じられなかった。
「いや……別に幻聴は聞こえねぇけど……」
ガイは喘ぎながら答えた。確かにルークのときとは様子が違うようである。ジェイドが注意深く近付き、ガイがきつく抑えている右腕を調べた。
「傷が出来ていますね。……この紋章のような形。まさか『カースロット』でしょうか」
「カースロット?」
「……人間のフォンスロットへ施す譜術の一つです。脳細胞から情報を読み取り、そこに刻まれた記憶を利用して人を操るんですが……」
イオンが険しい表情で説明をした。じっとガイのことをみつめて、視線を離さない。
「イオン様、治癒術で治せますか?」
聞いたことのない術だったのでユニがイオンに問うたが、ガイは「ユニ、オレは平気だよ」と苦しげな笑みを浮かべて断った。額に汗を滲ませながら「それより船に乗って、早いとこヴァン謡将に追いつこうぜ」と言っても、説得力なんてないのに。
「……でも、ヤバくないのか?」
「カースロットは術者との距離で威力が変わるんです。術者が近くにいる可能性を考えれば、ケセドニアを離れた方がいい」
心配そうにガイをみつめるルークを諭すように、イオンが口早に言った。領事が扉を開け、港への道を教えてくれた。
一刻も早くここを離れなければ、とルークがガイに肩を貸したが、彼はますます苦しげな表情をした――ようにユニには見えた。
「思ったより抵抗が激しいな。……だが操れることはわかった。次は上手くやる」
領事館の外で、壁にぴったりと身をつけた少年が呟き、そして風のようにどこかへ去って行った。
「……ダアト式譜術を使えるのは導師だけ……。では、やはり彼は……」
イオンは、すぐ近くにいるであろう『彼』に想いを巡らす。以前から思い当たる節は在ったのだ。彼もまた、自分と同じなのではないかということが。
「おっかしいなぁ。ケセドニアを離れたら、すっかり痛みが引いたわ」
やっとの思いで船に乗ったガイだが、海に出ると楽になったようで、みんなに明るく笑ってみせた。まるで自分の勘違いだったかのように、朗らかな笑顔だった。
「なんだよ。心配させやがって」
「よ、よかった。ガイまでおかしくなったのかと思っちゃった」
「ああ、悪い悪い」
ルークとユニは同時に安堵の溜息を漏らした。笑いながら頭を掻く様子はいつものガイと変わらなかった。
「じゃあやっぱりカースロットの術者はケセドニアの辺りにいたのね」
「そうだな。……この傷をつけたのはシンクだったけど、まさかあいつが術者かな」
「恐らくそうでしょう」
ガイが怪しい傷の部分に触れながら言うと、隣でイオンが答えた。深刻そうな面持ちで、ガイを見ている。
「ガイ……大丈夫ですか?」
「ああ、痛みも何もないわ。悪いな。イオンにまで心配かけちまって。今は何ともないから別にいいけど、アクゼリュスの件が片付いたら、何とかした方がいいかな」
ガイは軽く笑って言う。しかし、なぜイオンがここまで心配そうな表情をするのだろうか。
「ガイ。本当に何ともないのですか」
イオンにもう一度念を押され、ガイは困ったように笑った。
「大丈夫だって、そんなに心配するなよ」
「……そう、ですね」
どこか切なそうに言って、彼は目を伏せた。
ユニも、ガイの傷をもう一度見た。シンクがガイにカースロットをかけたのは、果たして偶然だったのだろうか? 彼らは初対面だと思ったが、何か因縁でもあるのだろうか? あるいは、その他に事情があるのかもしれない。バチカルでシンクにガイのことを訊かれたのも、無関係ではないのだろうか。
「……ガイ。ガイはシンクとどんな関係なの?」
「へっ?」
ガイが逃げ出さないぎりぎりの範囲まで近付いて、ユニは静かに尋ねた。するとガイは素っ頓狂な声をあげ、そして恐怖症のせいか、やはりユニから距離をとった。さっきは逃げられなかったからか、少しだけ寂しい。
「いや、あいつとは何もない……と思うよ。この傷をつけられたのは、たまたまだろうな」
「そっか……」
「……ユニこそ、シンクと何かあったのかい? この間のザオ遺跡の時も、あいつのこと、すごく心配してたみたいだし……その……」
「な、何もないよ。ただシンクとは昔知り合いだっただけだよ。だから戦いたくもないし、それだけ……」
ユニは誤魔化すように言って、そそくさと彼から離れていった。
◇
「……なんか振り回されてるかな、オレ」
彼女がいなくなってから、得体の知れない思いが胸のうちに広がって、ざわついていた。ぎゅっと目を瞑って、それを押し留めようとする。先ほどシンクに操られそうになったときと似た感覚だった。感情が理性で抑えられずに増幅してしまう。ただ、今は、シンクの存在は少しも感じないけれど。
肺の空気をすべて吐き出すように大きく溜息をついた。けれど、行き場のない澱んだ想いは、どうすればいいのだろう。
「……オレだって、キミの昔のことを知っているのにな。シンクより、ジェイドよりも前からさ……ユニ」
◇
船は何事もなくカイツールへ着いた。ルークは、もしかしたらヴァンがどこかで待っているかも、と探していたが、ジェイドに「無駄ですよ」と止められていた。
「そういや、ここからアクゼリュスってどう行くんだ?」
「北東のデオ山脈を越えた先ですね」
かつてアクゼリュスがキムラスカの領土だったときに使われていた街道が、カイツールの少し先にある。その奥がデオ峠で、アクゼリュスはそれを越えたところだ。
「よし、急ごうぜ。師匠に追いつけるかもしれないし」
「そうしたいのはやまやまなんですが、今日はもう日が暮れかけている。デオ峠は険しい山道ですし、万全の状態で行きたいので、今日はカイツールで休んでいきましょう」
ただでさえ遅れているというのに、とルークは怒ったが、それ以外の全員はジェイドの提案に賛成した。親善大使かつ自称責任者であるルークも、仕方なく「好きにしろよ」と舌打ちとともに吐き捨てた。
「ねぇねぇ~! 恋バナしよう~!」
「え!?」
宿には男女で別れて部屋に泊まることになった。
支度をすませるとアニスがうきうきしながら、ユニたちを部屋に集めた。一体何かと思ったが、恋の話とは。男性陣がいない場ではあったが、ユニはアニスをちらりと見、次いでナタリアを見、これは地雷を踏むのでは……と一人心配していた。
「あら、良いですわね」
「いいわ。おもしろそう」
「でしょでしょ~」
意外なことにナタリアもティアも興味津々だった。
そして三人はにっこりと笑いながら「前から気になっていたの、ユニのこと」と揃って言った。ユニは一瞬目を丸くしたあとで、「わ、わたし?」と自分を指さす。
「そうだよ! もぉーそろそろ教えてよね! シンクのこと!」
「え……!?」
てっきりアニスたちがルークや他の皆のことを喋りたいのかと思っていたのだが。「なんか、昔から仲良いわよね……」「あの仮面の神託の盾とどういう関係ですの?」と、ティアとナタリアが口ぐちにユニに迫った。
きっとザオ遺跡で出過ぎたマネをしたせいだ。怪しまれても仕方ない。それにしても変な方向に勘違いされているこの誤解だけは、解かねば。
「いや、シンクとは昔ダアトで出会って、友達っていうか、知り合いっていうか、なんていうか……」
「じれったぁ~い! それだけじゃないでしょ!」
「そ、それだけだよ……」
「ユニがダアトに来なくなった後、シンクの機嫌がすごく悪くなった、って前にアニスも言ってたわよね」
「うんうん!」
「まあ! 無愛想ですのに、意外と一途ですのね」
「っていうかぁ、シンクが他人にあんなに気を許すなんてありえないんだよぉ~!」
それぞれ勝手な想像をし始めていて、すでにユニには収拾がつけられなかった。アニスに至っては、意地でもユニとシンクの間に何かあると言わせたいようで、ユニの肩を掴んでぐわんぐわんと揺らし、質問を浴びせまくっていた。
「ち、違うんだって……! アニスが考えているような関係じゃな……」
「も~! あの時シンクに伝言してあげたの誰だと思ってるの? ユニが最初にダアトに来たときにお別れパーティ企画したのは誰? シンクにユニを迎えに行かせたのは誰? ぜーんぶアニスちゃんでしょ!? お見通しなんだから!」
「もうゆるしてぇ……」
「ふふふ。そろそろ解放してあげましょうよ、アニス」
「え~なんでぇ!」
「そうですわ。今日は見逃して、次の機会に根掘り葉掘り聞くのもきっと面白いですわ」
「……」
「そっか、そうだねー! 一気に聞いたら次の楽しみが減るもんね!」
「ええ。今日はもう明日に備えて寝ましょう」
三人は楽しそうに笑って、それぞれのベッドへと戻って行った。呆気に取られて、ユニは乱れた髪を撫でつけることも出来なかった。次からはお金を払ってでも別の部屋にしよう……とこっそり思う。
電気を消し、布団にもぐり込む。向こう側のベッドで、ティアがくすくすと笑っていた。「なぁに、ティア。思い出し笑い?」と聞くと、「う、うん。面白かったなぁ、と思って。私、こういうの初めてだから……」とぽつりと呟いた。すると、ナタリアがばっと起き上がる。
「……わたくしも初めてですわ。城にはメイドしかいませんでしたし、遊ぶにもルークとガイくらいでしたから」
反射的に起きてしまったのか、言い終わるとまたすぐに布団をかぶった。ナタリアの声にも少し寂しさが滲んでいた。
「もーなんなのみんなして。……まあわたしも似たようなものだけど」
アニスが言うと部屋が一気に静まり返った。
ユニも同じだった。同じ年頃の女の子と集まって話をしたことがなかった。みんな特殊な状況にいたのだ。普通の女の子ではなかったから、こんな当たり前みたいな楽しさも知らなかった。ユニは寝がえりをうって、静かに目を閉じた。次も、またみんなと同じ部屋がいいなと思いながら。
真夜中だった。ユニは布団から抜け出し、廊下を歩いていた。汗をかいたのだろうか、喉が渇いて目が覚めたのだ。宿は無音で、ひんやりとした空気に包まれていた。
「ユニ」
「ひっ……な、なんだ。ガイかぁ」
ギシ、という音が床から聞こえたと思ったら、いつの間にかガイが背後にいた。名前を呼ばれてユニは飛びあがった。
「ユニ、少し話があるんだ」
「え、い、今? どうしたの?」
「ここじゃなんだからさ、外へ行こう」
ガイは抑揚のない声でそう言って、ユニを連れて宿の外へ出た。暗闇で、彼の表情はほとんど見えない。
カイツールは軍港なので、夜中でも兵が巡回していた。そのため、ガイは街の門の外へ出ようと言った。そんなに重要な話なのだろうか、とユニは少し警戒したものの、ガイがおかしなことを企んでいるようには見えなかったので、黙ってついていくことにした。
街外れの森で、ガイは立ち止まった。妙に口数が少ないガイに、今更ながら不安になる。こんなに街から離れたところへ来て、一体何を話そうと言うのだろう。
「あのさ、ユニ」
「な、なに?」
「オレたちに隠してること、あるだろ?」
「え?」
ガイは目を伏せながらユニに訊いた。真剣というよりも、どこか余裕のない声だった。
「話して欲しいんだ」
「な、なんのこと?」
「とぼけても、わかってるよ」
「とぼけてなんか……」
「ユニ、話してくれ」
ガイの言っていることの意味がまったくわからず、ユニは困惑した。謂いようのない恐怖を感じ、震える足で後ずさるが、ガイもこちらへ近付いてくる。距離が今までにないくらいに縮まる。ガイの言うことも彼の行動も、全然わからない。うまく回らない頭でなんとかはじき出した答えは「とりあえず逃げなければ」だった。
しかし、突然ガイがユニの腕を掴んだ。ユニはびくりとするが、彼は少しも動じていなかった。いつものガイではこんなこと、ありえない。
「ガイっ!? 恐怖症は!?」
「ユニを怖がるわけなんかないだろ」
「……ガイ! 変だよ!? どうしたの!」
「……変なのはキミだよ」
ユニが泣きそうになりながら叫ぶと、ガイはユニの腕をさらに強く掴む。そして、ぐい、と傍にあった木の幹に身体を押し付けた。小さく悲鳴をあげたユニを見下ろし、ガイは悲しげな顔をする。
「ユニ、キミはあのユニなんだろう? どうしてオレのことを思い出してくれないんだ!」
「……ど、どういうこと……!?」
「ここにはオレとキミだけなんだから、隠さないでくれよ。言うまで離さないからな、ユニ」
怖くて身体が動かなかった。いつの間にか、彼の指がユニの首筋をなぞっていた。自分の弱くて柔らかい場所を抑えつけられる感触に、うまく息が出来なくなる。
「ふっ、あう……や、やめ、怖い……ガイ……っ」
「ん、どうした? 怖い? 寂しいこと言うなよ、ほんとに忘れちまったのか?」
覗き込む瞳は妖しい色に染まっていた。彼のことなんて少しも思い出せないのに、どうしてこんなことに。全然わからない。足が竦んで、ぽろぽろと涙が零れてきた。
「ゆ、許して、ガイ……わたし、ほんとに知らな……」
「……そうか。じゃあ、少し痛くしたらゴメンな」
「……!?」
彼の手がユニの胸元に伸びて、乱暴に服を裂いた。驚きと恐怖で声が出なかった。敵わないし、助けも来ない。何をされるのかもわからぬまま、ユニの領域が侵されていく感覚に、心が傷だらけになっていく。
「そこまでです。女性に手を出すとはあなたらしくないですねぇ、ガイ」
その時、茂みからジェイドが姿を現した。その手には、すでに槍が握られている。
「……ちっ、死霊使いジェイドか」
ガイは舌打ちをして二人から距離をとった。解放されたユニはそのままぺたりと地面に座り込んでしまった。安心した訳でもなく、ただ呆然とした。わけがわからない、ガイの言うことが、そして、自分のことが。
「ガイ……いえ、シンク。ここで諍いを起こしたくはないはずです。私が森を焼き尽くす前に消えた方が賢明ですよ」
ジェイドはガイではなく、どこか別の場所を見ながら言った。ユニはなんとか首をまわして、彼の見ている方を見やる。すると、シンクが木の上から飛び降りて一瞬姿を見せたが、物凄い速さで夜の闇に溶けていってしまった。
シンクがいなくなると同時に、ガイも糸の切れた操り人形のように、地面に倒れた。
「……大丈夫ですか、ユニ」
「は、はい……ありがとうジェイド」
「話は街に戻ってからにしましょう。……私はガイを担いで行きますので、イオン様はユニを」
「え、イオン様……?」
この場にはユニとジェイドとガイしかいないはずなのに、なぜかジェイドはイオンに呼び掛けていた。しばらくの沈黙の後で、茂みから申し訳なさそうにイオンが現れた。
「すみません。立ち聞きするつもりはなかったのですが……」
「構いませんよ。ではユニをお願いします」
イオンはユニを助け起こしたが、その手は冷たく、弱々しかった。彼の方に助けが必要なくらいだ。ユニをみつめる表情は、体調が悪いだけだとは思えないほどに蒼白だった。
宿に戻り、ロビーに集まった。他の人を起こさないようにと、薄く灯りを焚く。ガイはまだ気を失っていた。イオンは考え事をしているのか、視線は定まらず宙を泳いでいる。
ユニはソファに深くうずまって、ガイに掴まれた腕を抑えていた。
「どういうことか、心当たりはありますか? ユニ」
「い、いえ……まったく」
ジェイドに訊かれたが、ユニは力なく首を振った。シンクの目的はなんだったのだろうか。なぜガイを使ったのだろうか。何もわからなくて、頭が痛い。
「……ユニとガイは、本当にこの旅で初めて出会ったのでしょうか」
ユニの顔は見ずに、膝の上で手を握り締め、イオンが訊いた。
「……わかりません」
わからないのだ、本当に。ガイは確かにユニのことを知っているようなのだが、ユニにはその記憶はない。
「私もそれは以前から疑問に思っていたのですが、先ほどの件で確信しました。恐らくユニとガイは、過去に面識があったのでしょう。しかしなんらかの理由でユニだけがそれを完全に忘れている」
「えっ……!? ちょ、待ってください……」
「そうですね。シンクはカースロットで、ガイの脳細胞からその情報を読み取ったのでしょう」
待って、というユニの言葉は聞かずに、ジェイドに続いてイオンが説明した。
「そしてシンクは疑問に思い、ガイを使って真相を確かめようとした。しかしユニには、やはりまったくガイの記憶がなかった」
「……あの。えっと、もし、そうなのだとして、でも、シンクはどうしてそんなことを?」
「……彼の行動に特別な、あるいは六神将としての目的は感じられませんでした。シンクもただ単にあなたに何があったのか知りたいだけだった……ような気が、私にはしましたが」
ジェイドがそう言ったとき、ガイが小さく呻き声を漏らした。目を覚ましかけているようだ。
「ガイは大丈夫ですよ。先の件は私から話しておきますので、ユニとイオン様は部屋にお戻り下さい。明日は峠越えが待っていますから」
「わかりました……」
「……今日のことは、以前ケセドニアで私がシンクを焚き付けたのが原因かもしれません。怖い目に遭わせてしまって申し訳ありませんでした、ユニ」
「……いいえ。ジェイド、助けてくれてありがとうございました。おやすみなさい」
ユニもガイについていたかったのだが、今はまだ恐怖心の方が強い。彼と顔を合わせるのが怖かった。ジェイドに挨拶をし、イオンの手をとり、部屋へと向かった。
ユニたちがいなくなった後で、ジェイドは苦しげに表情を歪めるガイを見て「……ガイもシンクもお互いに嫉妬ですか。ユニも大変ですね」と呟いた。
事実は複雑に絡まっていてまだほどけそうにない。けれど人の心は、こうも単純で。
男性陣の部屋の前まで来て、ユニとイオンは立ち止まった。「ご迷惑をおかけしました。ゆっくり休んで下さいね?」とイオンに言うと、彼は悲しげに顔を伏せた。
そういえば、いつからだったか、イオンの様子も少し変だった。今はいつも以上にユニを心配しているようなのに、ユニの目を少しも見ようとしない。
「……あなたがあのユニだったのですね」
「え? イオン様?」
「なんでもありません。ユニもゆっくり眠れますように。おやすみなさい」
今はルークしかいない部屋の中から、かすかに寝息が聞こえる。イオンは言って、その扉の向こうへ消えた。
ユニは自分の部屋へと戻り、布団にもぐり込んだ。眠れそうにないのはわかっていたが、手足がひどく冷えていて、少しでもそれを温めたかった。
「ユニがあのユニならば、ではガイはやはり……僕は、なんてことを……」
後ろ手に閉めた扉の前から動けずに、イオンは呟いた。彼の前にはありありと蘇ってくる記憶も、あの少女にはもはや手の届かないところにあるのだろう。
誰も彼も逃れようなく、縛られ動かされ、それでも決心するときが来るとしたら、それが今なのかもしれない。
結局一睡も出来ぬまま夜が明けてしまった。
ユニは痛む頭を無理やり起こし、洗面所へ向かった。一晩中ずっとガイやシンクのことを考えていたが、やはり何もわからなかった。
ぼんやりとした足取りで階段を下りていると、階下にガイがいるのをみつけて、ユニはびくりとして足を止めた。まだ朝早く、他に人はいなかった。
「あ……えっと、ガイ」
「おはよう、ユニ」
いつものように彼に接することが出来ず、申し訳なさを感じていた。彼は操られていただけで、ユニに対して悪意があったわけではない。でも、あの恐怖がまだ身体に残っていて、彼を見ただけで少し震えてしまった。
「その……昨日はゴメンな? なんだかオレがシンクに操られていたみたいで」
「……大丈夫。ガイのせいじゃないから」
「いや、オレが気をしっかり持ってればこんなことにはならなかったかもしれないし。本当にごめん、ユニ。やっぱり、怖かったよな?」
ゆっくりと下へ降りると、ガイはユニと目線を合わせて、心配そうに見つめてくれた。昨日のことを思い出して、ユニは胸が苦しくなる。
ガイとは、本当に過去に会ったことがあるのだろうか。だとしたら、ユニにとって彼はどういう存在だったのだろう。そして、彼にとってのユニとは?
「ジェイドに聞かされて、本当に心配したんだ。キミのこと。あんなことがあった後じゃ信じてくれないかもしれないけど、オレは本当にユニのことが……」
こっちだって、思い出せるものなら思い出したい。怖い思いまでして、それでもこうして向き合っているのだから。でも、どうにかしたいのに、もどかしいだけで。
「ううん。すぐ元通りになるから、平気だよ。昨日のガイ、わたしに触ってたし、シンクのせいでおかしかっただけだもんね。普段のガイなら大丈夫だから」
「え……オレ、ユニに触った、のか……」
仲間たちが起き出してきて、新しい一日がはじまった。峠を越えれば、アクゼリュスはすぐそこだ。
砂漠越えが想像以上にきつかったせいか、ケセドニアへ着いたときの安心感といったらなかった。
飲み水の残量に注意する必要も、暑さから逃れるためにジェイドの影に隠れる必要も、汗ばんだ肌につく砂粒の不快感に苛まれる必要もないのだ。とりわけ女性陣は「やっとシャワーが浴びれる!」と喜んでいた。
夜になると、全員が宿のロビーへ集合した。明日からの行程を確認するのだ。
ジェイドが大きな地図を広げる。アクゼリュスには、船でカイツールを経由して行くことになっている。今回のためにケセドニア・マルクト側の港から特別に船を出してもらい、カイツールの軍港へ向かう。ザオ遺跡へ行っていたために旅はやや遅れているが、ここまでは順調だった。
「ところで、イオン様とアニスはどうしますか? ケセドニアからダアトへ帰国することも出来ますが」
「私としては、六神将の目的が分からない以上、彼らにイオン様を奪われるのはなるべく避けたいのですが」
ティアが二人に聞くと、ジェイドが意見を挟む。
アクゼリュス救援隊には、本来アニスやイオンは加わっておらず、ダアトへ戻る予定だった。しかし平和条約締結の後も六神将らがイオンを使って動いているとなると、イオンを彼らにみすみす渡すことは得策とは言えない。だがそうは言っても、他にイオンを匿ってくれそうな人も思い当たらない。現状では、イオンを目の届く範囲に置くことが一番安全だと思えた。
「もしご迷惑でなければ、僕も連れて行ってもらえませんか?」
イオンもそこまで考えたのだろう、顔を上げてそう言った。みんなが「それがいい」と言って頷くなか、イオンの横でアニスは一人慌てている。
「イオン様! モース様が怒りますよぅ!」
「僕はピオニー陛下から親書を託されました。ですから陛下にはアクゼリュスでの活動についてもお伝えしたいと思います」
「よろしいのではないですか。今回の救援活動が終わりましたら、私とグランコクマへ向かいましょう」
「うぅ……」
「いいじゃない、アニス。これからもまた一緒にいられるんだから」
「また危険な目に遭うかもしれないのにぃ」
溜息をつくアニスには悪いが、ユニはイオンたちとの旅が続くことが決まって、嬉しく思っていた。
翌日、一行はマルクトの領事館へ向かった。
ここでルークは思いもよらない事態に見舞われることになる。彼にとっての最優先事項であるヴァンのことだが、彼が率いる先遣隊は既にカイツールへ発っており、しかも先ほどアクゼリュスに向けてそこを出発したとの連絡が入ったというのだ。
「えーっ!? 師匠早すぎだよ! これじゃアクゼリュスまで師匠と会えないじゃん」
ルークは頭を抱えて悔しそうに溜息をつく。そんな彼を見て、イオンは責任を感じたのだろう、悲しげな表情をしていた。
「すみません、僕のせいで。急がなければ……」
「うっ……!」
その時、ガイが突然膝をついた。
「ガイ!? 大丈夫……?」
ユニは反射的に彼に駆け寄った。隣に座り込み、肩に触れて彼の顔を覗き込んだあとで、彼が女性恐怖症だったことを思い出す。しかし不思議なことに、彼は怖がる様子もなく、ユニから離れようとしなかった。周りも見えないほどに、苦しいのだろうか……?
「ガイ! どうしたんだ」
ルークも驚いて、彼に近付く。しかし次の瞬間、ルークは思いきり床に転がっていた。
ガイは、ルークが視界に入るや否や彼を突き飛ばしたのだ。
「いてて……! お、おい。まさかお前もアッシュに操られてるんじゃ!?」
ガイがルークに対してしたことのない、するはずのない行動をとったため、ルークは狼狽えた声で彼に呼び掛けた。ガイは苦しそうにまだうずくまっている。アッシュのせいだと考えたルークが「ユニ、あぶねえぞ」と忠告するが、ユニにはガイの殺気がまったくと言っていいほど感じられなかった。
「いや……別に幻聴は聞こえねぇけど……」
ガイは喘ぎながら答えた。確かにルークのときとは様子が違うようである。ジェイドが注意深く近付き、ガイがきつく抑えている右腕を調べた。
「傷が出来ていますね。……この紋章のような形。まさか『カースロット』でしょうか」
「カースロット?」
「……人間のフォンスロットへ施す譜術の一つです。脳細胞から情報を読み取り、そこに刻まれた記憶を利用して人を操るんですが……」
イオンが険しい表情で説明をした。じっとガイのことをみつめて、視線を離さない。
「イオン様、治癒術で治せますか?」
聞いたことのない術だったのでユニがイオンに問うたが、ガイは「ユニ、オレは平気だよ」と苦しげな笑みを浮かべて断った。額に汗を滲ませながら「それより船に乗って、早いとこヴァン謡将に追いつこうぜ」と言っても、説得力なんてないのに。
「……でも、ヤバくないのか?」
「カースロットは術者との距離で威力が変わるんです。術者が近くにいる可能性を考えれば、ケセドニアを離れた方がいい」
心配そうにガイをみつめるルークを諭すように、イオンが口早に言った。領事が扉を開け、港への道を教えてくれた。
一刻も早くここを離れなければ、とルークがガイに肩を貸したが、彼はますます苦しげな表情をした――ようにユニには見えた。
「思ったより抵抗が激しいな。……だが操れることはわかった。次は上手くやる」
領事館の外で、壁にぴったりと身をつけた少年が呟き、そして風のようにどこかへ去って行った。
「……ダアト式譜術を使えるのは導師だけ……。では、やはり彼は……」
イオンは、すぐ近くにいるであろう『彼』に想いを巡らす。以前から思い当たる節は在ったのだ。彼もまた、自分と同じなのではないかということが。
「おっかしいなぁ。ケセドニアを離れたら、すっかり痛みが引いたわ」
やっとの思いで船に乗ったガイだが、海に出ると楽になったようで、みんなに明るく笑ってみせた。まるで自分の勘違いだったかのように、朗らかな笑顔だった。
「なんだよ。心配させやがって」
「よ、よかった。ガイまでおかしくなったのかと思っちゃった」
「ああ、悪い悪い」
ルークとユニは同時に安堵の溜息を漏らした。笑いながら頭を掻く様子はいつものガイと変わらなかった。
「じゃあやっぱりカースロットの術者はケセドニアの辺りにいたのね」
「そうだな。……この傷をつけたのはシンクだったけど、まさかあいつが術者かな」
「恐らくそうでしょう」
ガイが怪しい傷の部分に触れながら言うと、隣でイオンが答えた。深刻そうな面持ちで、ガイを見ている。
「ガイ……大丈夫ですか?」
「ああ、痛みも何もないわ。悪いな。イオンにまで心配かけちまって。今は何ともないから別にいいけど、アクゼリュスの件が片付いたら、何とかした方がいいかな」
ガイは軽く笑って言う。しかし、なぜイオンがここまで心配そうな表情をするのだろうか。
「ガイ。本当に何ともないのですか」
イオンにもう一度念を押され、ガイは困ったように笑った。
「大丈夫だって、そんなに心配するなよ」
「……そう、ですね」
どこか切なそうに言って、彼は目を伏せた。
ユニも、ガイの傷をもう一度見た。シンクがガイにカースロットをかけたのは、果たして偶然だったのだろうか? 彼らは初対面だと思ったが、何か因縁でもあるのだろうか? あるいは、その他に事情があるのかもしれない。バチカルでシンクにガイのことを訊かれたのも、無関係ではないのだろうか。
「……ガイ。ガイはシンクとどんな関係なの?」
「へっ?」
ガイが逃げ出さないぎりぎりの範囲まで近付いて、ユニは静かに尋ねた。するとガイは素っ頓狂な声をあげ、そして恐怖症のせいか、やはりユニから距離をとった。さっきは逃げられなかったからか、少しだけ寂しい。
「いや、あいつとは何もない……と思うよ。この傷をつけられたのは、たまたまだろうな」
「そっか……」
「……ユニこそ、シンクと何かあったのかい? この間のザオ遺跡の時も、あいつのこと、すごく心配してたみたいだし……その……」
「な、何もないよ。ただシンクとは昔知り合いだっただけだよ。だから戦いたくもないし、それだけ……」
ユニは誤魔化すように言って、そそくさと彼から離れていった。
◇
「……なんか振り回されてるかな、オレ」
彼女がいなくなってから、得体の知れない思いが胸のうちに広がって、ざわついていた。ぎゅっと目を瞑って、それを押し留めようとする。先ほどシンクに操られそうになったときと似た感覚だった。感情が理性で抑えられずに増幅してしまう。ただ、今は、シンクの存在は少しも感じないけれど。
肺の空気をすべて吐き出すように大きく溜息をついた。けれど、行き場のない澱んだ想いは、どうすればいいのだろう。
「……オレだって、キミの昔のことを知っているのにな。シンクより、ジェイドよりも前からさ……ユニ」
◇
船は何事もなくカイツールへ着いた。ルークは、もしかしたらヴァンがどこかで待っているかも、と探していたが、ジェイドに「無駄ですよ」と止められていた。
「そういや、ここからアクゼリュスってどう行くんだ?」
「北東のデオ山脈を越えた先ですね」
かつてアクゼリュスがキムラスカの領土だったときに使われていた街道が、カイツールの少し先にある。その奥がデオ峠で、アクゼリュスはそれを越えたところだ。
「よし、急ごうぜ。師匠に追いつけるかもしれないし」
「そうしたいのはやまやまなんですが、今日はもう日が暮れかけている。デオ峠は険しい山道ですし、万全の状態で行きたいので、今日はカイツールで休んでいきましょう」
ただでさえ遅れているというのに、とルークは怒ったが、それ以外の全員はジェイドの提案に賛成した。親善大使かつ自称責任者であるルークも、仕方なく「好きにしろよ」と舌打ちとともに吐き捨てた。
「ねぇねぇ~! 恋バナしよう~!」
「え!?」
宿には男女で別れて部屋に泊まることになった。
支度をすませるとアニスがうきうきしながら、ユニたちを部屋に集めた。一体何かと思ったが、恋の話とは。男性陣がいない場ではあったが、ユニはアニスをちらりと見、次いでナタリアを見、これは地雷を踏むのでは……と一人心配していた。
「あら、良いですわね」
「いいわ。おもしろそう」
「でしょでしょ~」
意外なことにナタリアもティアも興味津々だった。
そして三人はにっこりと笑いながら「前から気になっていたの、ユニのこと」と揃って言った。ユニは一瞬目を丸くしたあとで、「わ、わたし?」と自分を指さす。
「そうだよ! もぉーそろそろ教えてよね! シンクのこと!」
「え……!?」
てっきりアニスたちがルークや他の皆のことを喋りたいのかと思っていたのだが。「なんか、昔から仲良いわよね……」「あの仮面の神託の盾とどういう関係ですの?」と、ティアとナタリアが口ぐちにユニに迫った。
きっとザオ遺跡で出過ぎたマネをしたせいだ。怪しまれても仕方ない。それにしても変な方向に勘違いされているこの誤解だけは、解かねば。
「いや、シンクとは昔ダアトで出会って、友達っていうか、知り合いっていうか、なんていうか……」
「じれったぁ~い! それだけじゃないでしょ!」
「そ、それだけだよ……」
「ユニがダアトに来なくなった後、シンクの機嫌がすごく悪くなった、って前にアニスも言ってたわよね」
「うんうん!」
「まあ! 無愛想ですのに、意外と一途ですのね」
「っていうかぁ、シンクが他人にあんなに気を許すなんてありえないんだよぉ~!」
それぞれ勝手な想像をし始めていて、すでにユニには収拾がつけられなかった。アニスに至っては、意地でもユニとシンクの間に何かあると言わせたいようで、ユニの肩を掴んでぐわんぐわんと揺らし、質問を浴びせまくっていた。
「ち、違うんだって……! アニスが考えているような関係じゃな……」
「も~! あの時シンクに伝言してあげたの誰だと思ってるの? ユニが最初にダアトに来たときにお別れパーティ企画したのは誰? シンクにユニを迎えに行かせたのは誰? ぜーんぶアニスちゃんでしょ!? お見通しなんだから!」
「もうゆるしてぇ……」
「ふふふ。そろそろ解放してあげましょうよ、アニス」
「え~なんでぇ!」
「そうですわ。今日は見逃して、次の機会に根掘り葉掘り聞くのもきっと面白いですわ」
「……」
「そっか、そうだねー! 一気に聞いたら次の楽しみが減るもんね!」
「ええ。今日はもう明日に備えて寝ましょう」
三人は楽しそうに笑って、それぞれのベッドへと戻って行った。呆気に取られて、ユニは乱れた髪を撫でつけることも出来なかった。次からはお金を払ってでも別の部屋にしよう……とこっそり思う。
電気を消し、布団にもぐり込む。向こう側のベッドで、ティアがくすくすと笑っていた。「なぁに、ティア。思い出し笑い?」と聞くと、「う、うん。面白かったなぁ、と思って。私、こういうの初めてだから……」とぽつりと呟いた。すると、ナタリアがばっと起き上がる。
「……わたくしも初めてですわ。城にはメイドしかいませんでしたし、遊ぶにもルークとガイくらいでしたから」
反射的に起きてしまったのか、言い終わるとまたすぐに布団をかぶった。ナタリアの声にも少し寂しさが滲んでいた。
「もーなんなのみんなして。……まあわたしも似たようなものだけど」
アニスが言うと部屋が一気に静まり返った。
ユニも同じだった。同じ年頃の女の子と集まって話をしたことがなかった。みんな特殊な状況にいたのだ。普通の女の子ではなかったから、こんな当たり前みたいな楽しさも知らなかった。ユニは寝がえりをうって、静かに目を閉じた。次も、またみんなと同じ部屋がいいなと思いながら。
真夜中だった。ユニは布団から抜け出し、廊下を歩いていた。汗をかいたのだろうか、喉が渇いて目が覚めたのだ。宿は無音で、ひんやりとした空気に包まれていた。
「ユニ」
「ひっ……な、なんだ。ガイかぁ」
ギシ、という音が床から聞こえたと思ったら、いつの間にかガイが背後にいた。名前を呼ばれてユニは飛びあがった。
「ユニ、少し話があるんだ」
「え、い、今? どうしたの?」
「ここじゃなんだからさ、外へ行こう」
ガイは抑揚のない声でそう言って、ユニを連れて宿の外へ出た。暗闇で、彼の表情はほとんど見えない。
カイツールは軍港なので、夜中でも兵が巡回していた。そのため、ガイは街の門の外へ出ようと言った。そんなに重要な話なのだろうか、とユニは少し警戒したものの、ガイがおかしなことを企んでいるようには見えなかったので、黙ってついていくことにした。
街外れの森で、ガイは立ち止まった。妙に口数が少ないガイに、今更ながら不安になる。こんなに街から離れたところへ来て、一体何を話そうと言うのだろう。
「あのさ、ユニ」
「な、なに?」
「オレたちに隠してること、あるだろ?」
「え?」
ガイは目を伏せながらユニに訊いた。真剣というよりも、どこか余裕のない声だった。
「話して欲しいんだ」
「な、なんのこと?」
「とぼけても、わかってるよ」
「とぼけてなんか……」
「ユニ、話してくれ」
ガイの言っていることの意味がまったくわからず、ユニは困惑した。謂いようのない恐怖を感じ、震える足で後ずさるが、ガイもこちらへ近付いてくる。距離が今までにないくらいに縮まる。ガイの言うことも彼の行動も、全然わからない。うまく回らない頭でなんとかはじき出した答えは「とりあえず逃げなければ」だった。
しかし、突然ガイがユニの腕を掴んだ。ユニはびくりとするが、彼は少しも動じていなかった。いつものガイではこんなこと、ありえない。
「ガイっ!? 恐怖症は!?」
「ユニを怖がるわけなんかないだろ」
「……ガイ! 変だよ!? どうしたの!」
「……変なのはキミだよ」
ユニが泣きそうになりながら叫ぶと、ガイはユニの腕をさらに強く掴む。そして、ぐい、と傍にあった木の幹に身体を押し付けた。小さく悲鳴をあげたユニを見下ろし、ガイは悲しげな顔をする。
「ユニ、キミはあのユニなんだろう? どうしてオレのことを思い出してくれないんだ!」
「……ど、どういうこと……!?」
「ここにはオレとキミだけなんだから、隠さないでくれよ。言うまで離さないからな、ユニ」
怖くて身体が動かなかった。いつの間にか、彼の指がユニの首筋をなぞっていた。自分の弱くて柔らかい場所を抑えつけられる感触に、うまく息が出来なくなる。
「ふっ、あう……や、やめ、怖い……ガイ……っ」
「ん、どうした? 怖い? 寂しいこと言うなよ、ほんとに忘れちまったのか?」
覗き込む瞳は妖しい色に染まっていた。彼のことなんて少しも思い出せないのに、どうしてこんなことに。全然わからない。足が竦んで、ぽろぽろと涙が零れてきた。
「ゆ、許して、ガイ……わたし、ほんとに知らな……」
「……そうか。じゃあ、少し痛くしたらゴメンな」
「……!?」
彼の手がユニの胸元に伸びて、乱暴に服を裂いた。驚きと恐怖で声が出なかった。敵わないし、助けも来ない。何をされるのかもわからぬまま、ユニの領域が侵されていく感覚に、心が傷だらけになっていく。
「そこまでです。女性に手を出すとはあなたらしくないですねぇ、ガイ」
その時、茂みからジェイドが姿を現した。その手には、すでに槍が握られている。
「……ちっ、死霊使いジェイドか」
ガイは舌打ちをして二人から距離をとった。解放されたユニはそのままぺたりと地面に座り込んでしまった。安心した訳でもなく、ただ呆然とした。わけがわからない、ガイの言うことが、そして、自分のことが。
「ガイ……いえ、シンク。ここで諍いを起こしたくはないはずです。私が森を焼き尽くす前に消えた方が賢明ですよ」
ジェイドはガイではなく、どこか別の場所を見ながら言った。ユニはなんとか首をまわして、彼の見ている方を見やる。すると、シンクが木の上から飛び降りて一瞬姿を見せたが、物凄い速さで夜の闇に溶けていってしまった。
シンクがいなくなると同時に、ガイも糸の切れた操り人形のように、地面に倒れた。
「……大丈夫ですか、ユニ」
「は、はい……ありがとうジェイド」
「話は街に戻ってからにしましょう。……私はガイを担いで行きますので、イオン様はユニを」
「え、イオン様……?」
この場にはユニとジェイドとガイしかいないはずなのに、なぜかジェイドはイオンに呼び掛けていた。しばらくの沈黙の後で、茂みから申し訳なさそうにイオンが現れた。
「すみません。立ち聞きするつもりはなかったのですが……」
「構いませんよ。ではユニをお願いします」
イオンはユニを助け起こしたが、その手は冷たく、弱々しかった。彼の方に助けが必要なくらいだ。ユニをみつめる表情は、体調が悪いだけだとは思えないほどに蒼白だった。
宿に戻り、ロビーに集まった。他の人を起こさないようにと、薄く灯りを焚く。ガイはまだ気を失っていた。イオンは考え事をしているのか、視線は定まらず宙を泳いでいる。
ユニはソファに深くうずまって、ガイに掴まれた腕を抑えていた。
「どういうことか、心当たりはありますか? ユニ」
「い、いえ……まったく」
ジェイドに訊かれたが、ユニは力なく首を振った。シンクの目的はなんだったのだろうか。なぜガイを使ったのだろうか。何もわからなくて、頭が痛い。
「……ユニとガイは、本当にこの旅で初めて出会ったのでしょうか」
ユニの顔は見ずに、膝の上で手を握り締め、イオンが訊いた。
「……わかりません」
わからないのだ、本当に。ガイは確かにユニのことを知っているようなのだが、ユニにはその記憶はない。
「私もそれは以前から疑問に思っていたのですが、先ほどの件で確信しました。恐らくユニとガイは、過去に面識があったのでしょう。しかしなんらかの理由でユニだけがそれを完全に忘れている」
「えっ……!? ちょ、待ってください……」
「そうですね。シンクはカースロットで、ガイの脳細胞からその情報を読み取ったのでしょう」
待って、というユニの言葉は聞かずに、ジェイドに続いてイオンが説明した。
「そしてシンクは疑問に思い、ガイを使って真相を確かめようとした。しかしユニには、やはりまったくガイの記憶がなかった」
「……あの。えっと、もし、そうなのだとして、でも、シンクはどうしてそんなことを?」
「……彼の行動に特別な、あるいは六神将としての目的は感じられませんでした。シンクもただ単にあなたに何があったのか知りたいだけだった……ような気が、私にはしましたが」
ジェイドがそう言ったとき、ガイが小さく呻き声を漏らした。目を覚ましかけているようだ。
「ガイは大丈夫ですよ。先の件は私から話しておきますので、ユニとイオン様は部屋にお戻り下さい。明日は峠越えが待っていますから」
「わかりました……」
「……今日のことは、以前ケセドニアで私がシンクを焚き付けたのが原因かもしれません。怖い目に遭わせてしまって申し訳ありませんでした、ユニ」
「……いいえ。ジェイド、助けてくれてありがとうございました。おやすみなさい」
ユニもガイについていたかったのだが、今はまだ恐怖心の方が強い。彼と顔を合わせるのが怖かった。ジェイドに挨拶をし、イオンの手をとり、部屋へと向かった。
ユニたちがいなくなった後で、ジェイドは苦しげに表情を歪めるガイを見て「……ガイもシンクもお互いに嫉妬ですか。ユニも大変ですね」と呟いた。
事実は複雑に絡まっていてまだほどけそうにない。けれど人の心は、こうも単純で。
男性陣の部屋の前まで来て、ユニとイオンは立ち止まった。「ご迷惑をおかけしました。ゆっくり休んで下さいね?」とイオンに言うと、彼は悲しげに顔を伏せた。
そういえば、いつからだったか、イオンの様子も少し変だった。今はいつも以上にユニを心配しているようなのに、ユニの目を少しも見ようとしない。
「……あなたがあのユニだったのですね」
「え? イオン様?」
「なんでもありません。ユニもゆっくり眠れますように。おやすみなさい」
今はルークしかいない部屋の中から、かすかに寝息が聞こえる。イオンは言って、その扉の向こうへ消えた。
ユニは自分の部屋へと戻り、布団にもぐり込んだ。眠れそうにないのはわかっていたが、手足がひどく冷えていて、少しでもそれを温めたかった。
「ユニがあのユニならば、ではガイはやはり……僕は、なんてことを……」
後ろ手に閉めた扉の前から動けずに、イオンは呟いた。彼の前にはありありと蘇ってくる記憶も、あの少女にはもはや手の届かないところにあるのだろう。
誰も彼も逃れようなく、縛られ動かされ、それでも決心するときが来るとしたら、それが今なのかもしれない。
結局一睡も出来ぬまま夜が明けてしまった。
ユニは痛む頭を無理やり起こし、洗面所へ向かった。一晩中ずっとガイやシンクのことを考えていたが、やはり何もわからなかった。
ぼんやりとした足取りで階段を下りていると、階下にガイがいるのをみつけて、ユニはびくりとして足を止めた。まだ朝早く、他に人はいなかった。
「あ……えっと、ガイ」
「おはよう、ユニ」
いつものように彼に接することが出来ず、申し訳なさを感じていた。彼は操られていただけで、ユニに対して悪意があったわけではない。でも、あの恐怖がまだ身体に残っていて、彼を見ただけで少し震えてしまった。
「その……昨日はゴメンな? なんだかオレがシンクに操られていたみたいで」
「……大丈夫。ガイのせいじゃないから」
「いや、オレが気をしっかり持ってればこんなことにはならなかったかもしれないし。本当にごめん、ユニ。やっぱり、怖かったよな?」
ゆっくりと下へ降りると、ガイはユニと目線を合わせて、心配そうに見つめてくれた。昨日のことを思い出して、ユニは胸が苦しくなる。
ガイとは、本当に過去に会ったことがあるのだろうか。だとしたら、ユニにとって彼はどういう存在だったのだろう。そして、彼にとってのユニとは?
「ジェイドに聞かされて、本当に心配したんだ。キミのこと。あんなことがあった後じゃ信じてくれないかもしれないけど、オレは本当にユニのことが……」
こっちだって、思い出せるものなら思い出したい。怖い思いまでして、それでもこうして向き合っているのだから。でも、どうにかしたいのに、もどかしいだけで。
「ううん。すぐ元通りになるから、平気だよ。昨日のガイ、わたしに触ってたし、シンクのせいでおかしかっただけだもんね。普段のガイなら大丈夫だから」
「え……オレ、ユニに触った、のか……」
仲間たちが起き出してきて、新しい一日がはじまった。峠を越えれば、アクゼリュスはすぐそこだ。